第5話 ブンブントラック

 外はすっかりと日が暮れて壁で四角に切り取られた空は夕日に焼けて、血よりも鮮やかだ。少年が運転しているであろう、【フラワーショップ花衛門】とプリントされた幌付きの1tトラックがディーゼルの黒い排気ガスを排出して、玄関の門から出て行くところだった。

 桃井を殺したところで、活動死体にあの分厚い鉄扉を開閉するスイッチを押せるものかと腑に落ちなかったが、なんて事は無い、人間である少年が押したのだ。

 少年は、千羽鶴の儀に合わせ、おそらくあの電子音を使って活動死体を操り、工場を襲撃したのだ。

 目的はレミの奪還。

 ひ弱そうな面をして、案外タフなプランだ。

 俺は、玄関のロータリーに停めておいた軽トラに乗りこむ。付けっ放しのカギを回してエンジンをかける。

 薄いクッションから伝わる荒々しい振動に合わせ、気分が高揚していくのを感じた。

 油軒のおやじと戯れた時よりも数倍興奮している。

 アクセルを踏み込む。エンジンが悲鳴を上げる。

 タイヤの焦げる臭いがして、足腰が立たないで芋虫みたいに這いずる老婆を踏み、閉じようとする鉄扉に突進する。丁度、車体程のスペースを突破。両方のサイドミラーが吹っ飛んだ。

 後輪に巻き込まれた老婆のアスファルトにすりおろされて半分だけの上半身が閉まる鉄扉に挟まれて、軽トラから離れていくのをバックミラー越しに眺める。

 高揚が止まらない。

 俺の身体の中の戦争が激化している。

 黒く淀んだ何かをたっぷりと吸収した奴らが猛威をふるっている。

 身体が熱く胸のあたりにゾワゾワと虫が這っているような感覚を覚える。

 少し身軽になった。

 ご丁寧に、ブレーキランプを灯して急なカーブを曲がる少年を急かす様にクラクションを何度も鳴らした。

 トラックのエンジンが回転数を上げ、黒煙を噴く。

 そうだ、それでいいんだ。

 俺は停車して、胸ポケットの煙草を探る。根元が折れて、葉っぱが顔を出している煙草しかなかった。

 俺はうんざりしながら、ダッシュボードの中にあった絆創膏で煙草の傷口をふさいだ。

 火を点けて一服。すこし、消毒液の味がするが、スカスカな煙草よりも幾ばくかはマシだ。

 クラクションにつられたのか、脱色したぼさぼさの髪を振り乱すガキが窓をバンバンと叩いている。

「悪い、これしかないんだわ」

 俺は、見せつけるように煙を吐いてみせると、空洞の眼窩からウジ虫をこぼしながら悔しそうに呻いた。

さて、ハンデは充分にやった。煙草が吸い終わるくらいの時間は楽しませてくれ。

窓を開けて、リボルバーの銃口をガキのウジ虫の巣に突っ込んだ。

ライスシャワーと真っ赤なクラッカー。

景気よくスタートの合図が鳴った。

 ブレーキなんか踏むことは無い。曲がり切れそうもなかったらそこらにぶつければいい。ガードレールにぶつかろうが、徘徊する元善良な町民を轢こうが、汗水たらしてローン組んで買った愛車でもないし、損害賠償なんて請求されない。

 フロントがひしゃげて、荷台のロックが外れて、フロントガラス中にひびが走ったので、銃のグリップで窓を叩いて割る。

 排気ガスが流れ込んでくる。後輪を滑らせてカーブを曲がると、直線上にトラックが見えた。

 まだ煙草は半分も消費していない。俺は構わず速度を上げて、ナンバープレートが読めるくらいまで距離を詰める。しばらくカーブは無い。リボルバーをトラックの後輪に向ける。

 幌を被った荷台にスピーカーが設置してあるのだろうか、大音量の電子音がこだました。

 荷台から巨大な活動死体が姿を現した。

 ナマズの様な顔にガラスの破片が突き刺さり、それはキラキラと夕日を反射している。

 薄汚れたピチピチのTシャツには【油軒LOVE】と可愛らしい丸い字でプリントされていた。

「マジかよ」

 デブは油軒で培った腹の脂肪を揺らし、軽トラに向かって跳躍する。

 俺は、距離を開ける為、ブレーキを踏んだが、先に、デブの伸ばした太い指がワイパーを掴む。車体が前のめりに傾き、前輪がデブの下半身を巻き込む。奴の血と脂肪がタイヤを滑らす。持ちこたえようと、ハンドルを捌く。上半身だけのデブは口に溜まった血のあぶくを弾けさせながら、ごろごろと声を上げる。エアコンの排出口に手をかけ、もう片方の手が俺の肉を掴もうと車内で暴れる。

 俺は、リボルバーで半分だけ見えるデブの顔を撃ち抜こうとしたが、暴れる手が拳銃を弾き飛ばす。引き金にかけた人差し指があらぬ方向に曲がった。痛みで神経が逆立つ。俺が痛みに震える隙に、デブは這いあがり、そのキラキラ光る醜い顔面が俺の鼻先で大きな口を開ける。

 煙草のフィルターが焼けると煙は途端に不味くなる。

 俺は短くなった煙草をデブの舌の上に吐き捨て、アクセルを限界まで踏んだ。

 耳をつんざく金属が激しくぶつかる音と衝撃。

 膨らむエアバックがデブの口を強制的に閉めた。

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