第4話 バンバンサカキ

 一面の白地にぼやけた黒い点が整列している。

 しばらくその点を判別しようと目を凝らしたが、自分の鼻息がこもっていることに気づき、顔に乗せた文庫本を外した。

 スチールのドアを叩く激しいノックで目が覚めた。

 「あい」とまだ寝ぼけている喉から曖昧な返事をするが、ノックは止まないどころか蹴破ろうとしているのか更に激しさを増す。

「酔っ払いが、吊戸だよ」

 文庫にしおりを挟んで、枕の横に置く。

【A町の真実】という自称フリージャーナリストが書いたノンフィクションだ。どうやらA町封鎖の真相は、秘密裏で行われた核実験の失敗による汚染が原因らしい。

 極上のフィクションだ。ここを出たら有料メルマガを定期購読したい。

 俺は堅いベッドから身体を起こし、背を伸ばす。しかし、IAEAとフリーメイソンの関係とそこに絡む中国裕福層の真相が気になって、また文庫を開いた。

【中国裕福層は第三次世界大戦を望んでいる】

なんて魅力的な見出しだろうか、震える指でページを手繰ろうとした時、勢いよくドアの吊車がレールを走る音がした。

 そうだよ引くんだよ、酔っ払い。

 蒸れた異臭が鼻についた。

 酔っ払いから漂うそれとは違う。俺の家の三角コーナーの臭いだ。

 俺は、リボルバーを抜き、臭いのする方へ向けた。

 ふしゅっと緊張を高める息の吐き、俺に消音器付き小銃の先を向けるのは榊だった。

 目深にかぶったヘルメットから覗く鋭い視線は、俺が敵かどうか見定めている。

 俺は、銃を下ろした。

「桃井の野郎、ハンデを与え過ぎたな」

 榊は無言で、担いだもう一丁の小銃と膨れたナップサックを俺によこした。

「ここまで、三十七発を消費した。お前には百五十発を補給する。追加要請は却下だ」

 どうやら、榊の酔いは醒めているようだ。

「充分だ」

 俺は、小銃を受け取った。

 榊の先導で、部屋を出る。

 まっすぐとのびる廊下、きつい腐臭が漂う排水管の中を進んでいるようだ。

 時折、銃声が聞こえるが、直ぐにそれは止み沈黙する。

 野太い呻きと悲鳴、痛みを少しでも抑えようと整える呼吸。

 咀嚼と腐敗ガスの放屁、荒い息遣い。

 廊下のあちこちで同僚が活動死体の餌食になっている。

 まだ、言葉を発する余裕がある奴は、血のあぶくを口の端に溜めながら助けを乞い、あるいは素通りする俺達に憤慨し、怒号を飛ばす。そんな余裕も無い奴は、俺と榊を目で追うだけだ。ただ、立川は例外で、セーラー服の少女に内臓を掻きだされて、恍惚な表情で果てていた。

 食事に夢中な活動死体の注目をこっちに向ける程愚かな事は無い。どうせ、どの道死ぬしかない連中だ。無駄弾だ。

 餌が不味いのか、食い足りないのか、俺たちに矛先を向ける屍だけ正確に脳漿を射抜く。

 パシュンとふ抜けた銃声が鳴る度、榊はぶつぶつと小さな声でカウントする。

「計53発、まだ余裕、まだ余裕、後ろはどうだ」

「あ、まだ余裕だよ」

 俺は、腰袋を触って答えた。

 榊は、銃声よりも大きい舌打ちをした。

 警戒を忘れず、先に進む。

 断末魔が疎らになり、死体の数は増え、さまよう活動死体に知った顔が混じり始める。

 俺の肉を食らおうと必死で手を差し伸べる食いしん坊の頭部を破壊しつつ、食い散らかされた同僚を跨ぐ。

大半は当初の混乱に飲み込まれ命を落とし、それを振り切ったとしても今度は活動死体の物量にやられていく。

生者と死者の比率の逆転が示す答えは一つだ。

 榊は、出口ではなく、わざわざ部隊が襲撃された場所に戻っているのだ。

「食堂に忘れ物か」

 弾倉を交換しながら、榊に問いかける。

「物じゃねえ、冷蔵室に避難している対象を救出に行く」

「人命尊重、専守防衛、焼肉定食」

 コッキングレバーを引き、迫る活動死体に銃口を向ける。

 向けた先に砥部がいた。

 俺がおいしいかどうか吟味しているのか、噛み千切られて穴が開いた頬から縦に裂けた舌を蛇のように出し入れしている。

 そして、俺はついつい感心してしまったのだが、流石はごますりマスター、揉み手は解かない。

 俺は死してなお、出世欲を忘れない彼を哀れに思い、揉み手に向けて発砲した。

 揉み手が解け、バンザイの状態になる。手首から上は散り散りに吹き飛び、ロケットパンチを紛失した超合金のロボットみたいだ。

 流れる自分の血を二枚舌でペロペロと舐めている。

「じゃあな」

 砥部の顔を吹き飛ばすのに、人差し指に躊躇いは無かった。

 ぱすん、ぱすん、ぱすんと続けて他の活動死体を片づけつつ後退したら、榊の背中にぶつかった。

「おい」

 立ち止まる榊の肩をノックすると手の甲に震えが伝わってきた。

「あの音だ…」

 榊は、不安を誤魔化そうと、銃をぬいぐるみのように抱きしめた。

 【あの音】を聞こうと、耳をすませる。

 微かに電子音がする。モールス信号のように規則正しいリズムを刻んでいる。

 その音に耳を傾けるのは、どうやら、俺だけじゃなかった。活動死体が食事を止めて、天井を仰ぎ、電子音のリズムに合わせて身体を揺らしている。

 榊が、甲高い声を張り上げて、フルオート射撃で密集した活動死体にむけて掃射する。

 直ぐに、弾丸はつき、銃口から煙が上がる。

「リロード、リロード」

 榊は、空弾倉を投げ捨て新たな弾倉を装填しようとしているが、なかなかうまくいかない。

「お前も撃てよ!」

 その、おぼつかない手元を見ている俺を榊は怒鳴る。

「さっきも聞いたんだ、こいつらの襲撃の直前に…」

「そうなんだ」

「お前、なんでそんな落ち着いてんだ…こんな状況でいびきかきやがってたしよぉ!」

 カチャンとようやく弾倉がロックされたのと同時に電子音が止んだ。

 活動死体の揺れが収まり、一斉にこちらを見た。

 榊は腰だめで射撃を再開する。既に消音器は役に立たず、銃声が廊下に響く。

 立ち上がる活動死体の群れに数多の弾丸を浴びせるが、照準を覗かない滅茶苦茶なばらまきは急所に当たる事なく、足止めするだけだ。

 榊は、またリロードに手間取る。

 タイル張りの廊下を素足で歩く音に、ブーツの足音が混じっている。

 迫ってくる活動死体の群れの向こうで、出口に向かって走る人間がいた。

 奴がこちらに顔を向ける。背の低い猫背の少年だ。

 少年は、俺たちが活動死体の群れに囲まれているのを確認すると、彼の背中で呻く【モノ】を背負い直し、再び走りだした。

「レミだ」

 俺が、少年が背負う【モノ】の名を呟くと、榊が銃撃を止め、俺の肩口から顔を突き出し、少年の方を睨みつけた。

「レミ様は俺の女だ!」

 榊は叫び、少年に向かって発砲するが、活動死体が壁になり届かない。

 それでも、榊は銃撃を止めない。

 俺は、徐々に迫りつつある活動死体の群れに十発程撃ち込み、デッドエンドを先伸ばしにする。

 悪いな、少し時間をくれ。

「なあ、榊」

「なんだ!」

「食堂にいる救助対象って、まさかレミ様なん?」

「そうだ!」

「あ、そう」

「畜生、俺は死ぬ前にレミ様とおまんこすんだよぉ!」

「ふーん、素晴らしいね」

 俺は、リボルバーに銃弾を一発だけ込めて、弾倉を勢いよく回す。

「フェラもして欲しいけどなぁ、やる前にチンコ無くなっちまうしよぉ」

「ああ、それは駄目だな」

 自分のこめかみに銃口を押し当てる。

「舐めたら濡れるのかなぁ、処女も濡れるのかなぁ」

「最近の子供は早熟って聞くぜ」

 引き金を引く。俺の脳味噌は無事だ。

「そんで、金玉が痛くなるまで中出しするんだ!」

「先っぽも痛くなりそうだ」

 次は、榊の番だ。彼の背中に銃を向ける。

「満足したら、ゾンビになる前に親友のお前が介錯してくれるんだよぉ!最高の最期だ!」

「それは光栄だ」

 振り返る榊の顔が凍りつく。俺は構わず引き金を引く。

 パン!と当りが飛び出した。

 当りは榊の肩に着弾し、その衝撃で俺の大事な親友は活動死体の群れの中に倒れ込んだ。

「まだ早っ!」

 情けない声は悲鳴に変わり、やがては断末魔へと変わるだろう。

 榊の腹に爪を立てる活動死体達の丸くなった背中を渡り歩いて、死体の壁から逃れる。

 悪いな親友。ああ、友情も愛情も減ったくれも感じたことはない親友よ。

それに…

「俺たちって、もうゾンビみたいなものだろ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る