第2話 トラウマコネコ

 『突如、それは現れ、知らぬ内にそれは広がり、気づいた時にはもう遅い』

 黒地にどくろマークをあしらったかっこいい眼帯をした科学者の言葉だ。

 去年、11月27日 日本 K県 A町は封鎖された。

町の主な産業だった工場からの有毒物質流出事故による災害とだけ公表されているが、実際はそれだけでは済まされなかった。

その有害物質とやらは死者を蘇らせ、生者を襲いだしたのだ。いわゆる、ゾンビってやつだ。正式には「活動死体」と呼称されている。

辛くもA町から逃げ出した住人が口を揃えて真実を告発しても、不謹慎と糾弾され、心療内科をすすめられるのがオチだ。

こんな馬鹿げた話、誰が信じるか。

完全に「壁」で封鎖され、蠱毒と化したこの街に、俺たちは投入された。

 活動死体を殺し続け、町中にあふれる光景は見なくなったが、店主みたいなのがまだまだ残存しているんだろう。


 何度、顔を洗っても腐敗液と混じった唾液が取れない。くさやを旨そうに食う死んだオヤジの顔ばかりが浮かぶ。感傷などわかない。

 携帯電話が鳴った。「無線使えよ」と、俺は思いながら、電話に出た。

「お前、なにしてんだよ、おまんこでもみっけたか?」

 同僚の榊だ。酔いが回っているんだろう、下世話な単語を連発する。

「ラーメン屋を見つけたよ、店のオヤジと一戦交えた」

 榊は下品に笑った。

「いいねえ、アナルファックかよ!おまんこしろよお!」

 シラフじゃ発砲数をいちいち数えて、帳面に記録するような生真面目な奴だというのに酔っぱらうと本当にひどい。酔いが醒めたら蛮行をすっかり忘れちまうから尚更ひどい。

「今から、そっちに向かうよ、後一時間くらいだな」

「みんな待ってるんだよお、早くもってこいよお、レミ様もよだれ垂らして待ってるんだから・・・」

 酔っぱらいの戯れ言を途中で切り上げ、俺は店を出て、路肩に止めた軽トラックに乗り込んだ。バックミラーで荷台にぽつんと載った段ボール箱を確認した。

 少し、開いた隙間から色とりどりの折り鶴が覗いている。

 どこかのボランティア団体だかNGOだかが毎月送ってくるそれは、部隊にとって、待ち遠しい物資だ。


 生活の場として利用している工場には、うねる急な坂道を軽トラックで登る必要があった。セカンドギアでやっと、という感じだ。軍用のトラックだったら楽なのだが、たかが、段ボール一箱の為に図体のでかいアレを駆り出すのもバカバカしい話だった。タバコに火を点けようとダッシュボードのライターに手を伸ばした時、車体が揺れた。免許を取りたての頃、子猫を轢いてしまった時に感じた衝撃に似ていた。母猫とはぐれたのか、元から母猫なんていなかったのか、だらりと伸びた短い舌を痙攣させて、避けた腹からはみ出した内臓からは白い湯気が立っていた。俺は一週間ばかり、食欲を無くした。

 トラックから降り、おそるおそる踏んだ物体を確認した。

 赤ん坊の活動死体がうーうーだーと呻いて潰れた下半身を引きずりハイハイをしていた。

 猫じゃなくてよかった。

 俺は、赤ん坊を処理して、出発した。

 次第に木々の隙間が広くなり、散り散りだった青空が繋がり始め、工場が姿を現した。四方を高い壁に囲まれて、外部からは工場の全景は視認できないが、3棟の煙突がその存在を主張している。

 まるで、監獄だ。それだけやばいもんを製造していたって事だ。

 なんせ、死人が動き出すのだから、やばいったらないわ。

 この工場で働いていた町民はどこにでもある工業用薬品だと信じ、生活の為に汗水垂らして働いていたのだ。

 守衛室でいびきをかいて居眠りをしている当番の桃井をクラクションで叩き起す。

 びくりと大きな体を震わせて、目を覚ますと、涎を拭くよりも先に、氷が溶けて薄くなったウィスキーをあおった。

「しっかりしろよ」

 俺は、わざわざ軽トラの窓を開けて、大きな声で言ってやった。

 ガタイとはかけ離れた麗しい長い睫毛をばたつかせると桃井は「うるせー」と中指を立てる。

「酔っ払ってもゾンビくらい殺せるわい、ハンデをやってんだよ」

 そう言って、桃井はグラスに酒を注ぐ。

「ゾンビを殺すより先にやる事あるだろ」

 と、俺は目の前の頑強な鉄扉を開けろと顎で指示した。

「ちくしょー」

 桃井は、強烈なアルコールにやられた舌を出しながら、2度、アクリルのスイッチカバーを指で叩き、3度目でやっと、カバーを開けてお目当ての緑のスイッチを押した。

 モーターが駆動し、鉄扉が開く。

「じゃあ、俺抜きでお楽しみくださいな、クソ野郎様」

 桃井の悪態に、短く2回クラクションを鳴らして、アクセルを踏んだ。

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