4.〝AI〟




 その日、コルヒエグループ本社の人気の無い休憩スペースにて。

 10歳を超えたばかりというような風貌の少年と、うさんくさい弁護士――ベンは資料のやり取りをしていた。

 少年は紙の束を受け取ると、青い目でそれを上から下まで黙読する。顔は厳しかったが、その仏頂面は彼のデフォルトらしかった。

 「なるほど。〝肉〟が見つかったか」

 「そうなりますねぇ」

 換気扇の下、ベンは煙草をふかす。少年は気にしなかった。

 「どうすると思う?」

 「俺に聞きますかい? 年頃のショーネンなんてサッパリわかりませんよ。それにあいつ、多分性格悪いですよ」

 少年は口角を上げる。

 「ところでこの資料はどこから?」

 「社長の隙を突いてピーシーからチョチョっと」

 悪い笑顔で目を細めるベンに、少年は「そうか」と答えた。

 「――ならもう、漏れている」

 「そうですねぇ」

 少年は資料の束を小脇に抱えると、溜息をついた。視線を床に落としたまま、まるで空間に話しかけるように呟く。

 「シェルヒ。『ハルシュテロ権限』だ。クラックの痕跡を確認しろ」

 《了解しました》

 休憩スペースの天井、業務放送用のスピーカーから、合成された男声が返事をした。シェルヒと呼ばれたそれは、数秒間黙すると、

 《確認終了。問題は検出できませんでした》

 と続けた。

 「だそうですけど?」

 「わかってたよ」

 少年は近場の椅子に腰掛け、足を組む。

 「ベン。シェルヒとF-999エフ-トリプルナイン、どっちの方が優秀だと思う?」

 「そりゃあ」

 即答しようとしたベンが言い淀む。答えは明白だったからだ。

 「シェルヒはどこまでも『人工知能』だ。しかしF-999は……」

 少年は手を組み、一息置く。

 「あれだけは、もはや単独のシンギュラリティだ」

 沈黙。

 ただ、何かを肯定する無言が、陽光を取り込むガラス窓の部屋に木霊するのみだった。





 閑散とした住宅街を抜け、緑が目立ち始める。広めの土地に置かれたマンションのようにも見える建物。

 病院というよりも療養所に近いそこに、徹は慣れた足取りで到着していた。静かな玄関のインターホンを鳴らし、内鍵を開けて貰う。二重の自動扉を抜ければ、清潔で、且つ生活感のあるフローリングの廊下が延びている。スリッパに履き替えた徹は、真っ直ぐに廊下を進み、レクリエーションルームにさしかかる。

 入院患者たちが食事を取ったり、作業をしたり、多目的に使われるスペースだ。来る度、徹は歩調を緩め、そこに目を向ける。机に向かう人、窓の外を眺める人、テレビを見る人。数人が各々のことをしている。

 しかしその数人の中に、目的の人物はいない。これも来る度のことであった。

 徹は向き直り、個室へと歩みを進める。

 「こんにちは徹くん。お姉さんなら部屋にいますよ。起きたばかりなので少しぼんやりしているかもしれません」

 すれ違い様、看護婦に声をかけられる。どうも、と会釈をした。

 静かな廊下をスリッパが滑る音だけがする。

 見慣れた部屋の前につき、開け放たれた扉の中を覗いた。

 狭い部屋の中、日光の差し込む大きめの窓の外を眺めるようにして姉、有栖川黎ありすがわれいはベッドの上で上体を起こしていた。

 「来たよ、姉さん」

 踏み込みながら、徹は柔らかい声で話しかける。黎はそれにゆっくりと振り返った。

 血のつながりはない。黎と徹は全く似ていない。だが、生まれてからずっと、同じ屋根の下で生きてきた。姉弟であることに、物理的な関係は必要なかった。

 どこかぼんやりとした目元で、黎は徹の姿を視界に捉える。彼女の口元は、それより前から微笑みを浮かべていた。

 「徹ちゃん、おはよう」

 いつもと変わらない調子で、黎はそう言った。

 「もう昼過ぎだよ。何か食べた?」

 徹は日常的な会話のような言葉を投げかける。が、彼はその回答には期待していない。

 「徹ちゃん、学校のテストは無事に終わった?」

 黎の焦点は徹には合っていない。

 「終わったよ。元気そうだね」

 「ちゃんと歯磨きしてる? 寝不足になっちゃうよ」

 「大丈夫だよ」

 「ありがとう」

 姉の言葉には一切の整合性はない。もう、徹には慣れたことだった。

 徹は鞄を肩から降ろし、部屋に備え付けられていた丸椅子に座る。姉の目線は緩慢にそれを追ってはいたが、それに意味はない。

 半年前の有栖川孤児院怪人襲撃事件。生き残りである2人だ。

 徹は初めからその場にいたわけではない。孤児院に帰ったときには惨劇のほとんどが終わっており、ギリギリで姉を助けた形だった。

 勿論、それによる心的外傷がなかったわけではない。

 ただ、それ以上に黎の傷が大きかった。

 姉が何を見たのか、あの場で何がなされたのか、結果しか見ていない徹には知る由もなく、そして姉も語ることはない。

 『――お母さん』

 唯一、あの時に姉が発した言葉だった。

 おそらくあの時、無我夢中に対峙した怪人が自分たちの母を手にかけたのだ。実際、我に返った後の記憶によれば、怪人がいた辺りに母の亡骸は転がっていた。

 椅子に座ってから何か言うでもなく、徹はこちらを見ている黎を、うつむき気味に見ていた。

 あの日、姉以外の家族を失った。

 家族を奪った怪人は目の前で死んだ。

 だからこそ徹は家族の敵を取ろうなどと思わないし、同時に怪人の強さを知っている。

 ――イデアルヒーローだって? 誰がやるものかよ。


 徹と黎の静かな時間は過ぎていく。黎は黙って微笑みを湛えたまま、徹を見ていた。徹はその姉と、視線を交わすことは出来なかった。

 姉がここに入院して以来、ほぼ毎日のように通っている。ただ、日々から逃げるように、時の停滞を望むように。

 ――ここに来ても、何も変わらない。

 それはわかっていた。

 わかっていても、やめられなかった。

 徹の沈黙は続いた。

 黎が時たま何かを口にするも、その意味を考えることは無駄であった。

 ただ徹は、その変わらぬ、変わってしまった姉の様子を身近で享受することに、安堵を覚えていた。

 秒針の音が気にならなくなり始め、日が傾き、遮光カーテンの向こうからでも夕日が眩しく感じ出す。徹は荷物を抱え、立ち上がった。

 「じゃ、姉さん……、今日はもう行くね」

 「徹ちゃんは早起きできて偉いね。忘れ物はない?」

 「また来るよ」

 相変わらずの姉に、別れの挨拶がどれほどの意味を持つのかなどわからない。それでも、――それでも。


 そうしなければと駆り立てるこの衝動を、人はなんと呼ぶのだろうか。


 徹は療養所を後にする。世界の時間が、再び動き出した。



-------

 空があかね色に染まる。そこら中に落ちる影は酷く黒く、強いコントラストを生み出していた。

 徹は己の影を見ながら歩く。その足取りは決して軽いものではなかった。

 ポケットから携帯デバイスを出し、時間を確認する。秋口の日没は日々早くなっていた。

 住宅街は人気がなかった。

 何の気なしにSNSを開くも、数記事目を通して閉じた。

 住宅と住宅の間にチラホラと商店が入り交じり始めた頃、ふと、徹の耳に小さな音が飛び込んでくる。

 「――めて……」

 か細く、震えた声だ。

 徹は辺りを見渡す。しかし人の気配はない。

 (気のせいか?)

 気のせいであってくれ。

 有栖川徹という少年は、決して正義感の強い男ではない、と自己評価をしている。その自己評価に妥当するように、学生生活の中で我関せずの態度を取った場面は数え切れない。良くも悪くも、どこにでもいる思春期の少年だった。

 だったのだ。

 徹は無自覚に、ある路地を覗いた。――無自覚故に、無防備に、無警戒に。

 「やめて……」

 そこにあったのは、涙を流し、喉から声を絞り出す女性と、

 「泣き止んでくれねえかな、ずっと涙流し続けるのは嫌なんだよなあ」

 その女性を壁へ押し付け、動きを封じ込めている怪人の姿だった。

 徹はその光景に、動けずにいる。

 (だ、だめだ)

 ポケットの中で携帯デバイスを握りしめる。

 (あれじゃ俺には、助けられない)

 足がすくむ。

 前に出ることを身体が許さない。

 かといって、逃げ出すことを、心が許さなかった。

 「――あ、」

 何を言おうとしたのか、徹の喉から声が出る。

 そのかすれた声に、女性は目線をこちらに向けた。

 「た、たすけて……」

 彼女はほんの一瞬、涙を流すのをやめて笑った。

 ほんの一瞬だけ、徹の姿を見て安心したのだ。

 ほんの一瞬……。

 「待っ、てっ」

 徹はポケットから携帯デバイスを引っ張り出す。

 それと同時に、怪人がその尾で路地のゴミ箱を徹の方へと打ち出す。ゴミ箱が壁に当たり、それに驚いた徹は携帯デバイスを取り落とした。

 それを女性がどんな顔で見ていたかはわからない。

 徹は慌てて落としたデバイスを拾い上げる。

 そして顔を上げたとき、すでにそこに怪人の姿はなかった。

 そこにあったのは、女性の姿だけ。

 「怪人は……」

 逃げたのか?

 俺が来たから?

 「よ……よかった……!」

 徹は安堵する。笑みを浮かべる。何かしたわけではないが、女性は助かったのだ。自分が駆けつけたことで、怪人の犠牲者を一人、救ったのだ。

 「怪我は、怪我はありませんか」

 徹は硬直している彼女に駆け寄る。

 駆け寄ってきた少年に、女はその拳を振


「――悪だ」


 徹の視界から、女性の姿が消える。金属が何かにぶつかる轟音、猛スピードの車両が横を抜けたときのような圧に、徹は反射的に両腕で顔を隠す。

 「なんっ ァアア!!ふざけるな!!やめろ!!」

 先ほどまでのか細い声からは想像できない獣のような絶叫と、その合間合間に何かを殴打する音が響く。

 徹はおそるおそるその音の方を見た。

 「怪人は悪である」

 どこから現れたのか、一人の男がその女を殴打し続けている。

 「間に合わなかったのは俺の責任だ」

 平坦な、感情を感じさせない声で呟きながら、男は女を殴り続ける。

 「悪は須く断罪されるべきである」

 男は徹と同程度の背格好だった。ただ、その膝から下がおそらく機械義肢であることと、腰から金属製の尾のような外骨格を着けていることが目を引いた。

 「やめろっ……せっかく新しい身体をっ……!……ォオ!!」

 男の拳と女の額がぶつかり合い、一際嫌な音が路地に反響した。徹は思わず目を瞑る。

 (なんで!? なに、何が起きてる?)

 混乱の中、再び目を開ければ、男が女の額から何かをもぎ取っていた。

 男がその何かを握った腕を降ろす。そのままゆっくりとこちらに振り向く。その後ろで、目も当てられない状態になった女から、先ほど見た怪人の姿が重なるようにして分離し、そして粒子状になり消滅した。女性はピクリともしなかった。

 それに合わせるように男の手から何か――角が、消滅していく。男がそれに視線をやることは1度たりともなかった。

 真っ直ぐに徹を見据える目は、どこか違和感を抱かせた。目の前の男がまるで、同じ人では、人間ではないかのような錯覚を起こさせる。徹は動けなかった。

 「……な、」

 必死に、言葉を絞り出す。

 「なんで、なんでそんなこと、あんた」

 「怪人だからだ」

 「その人は、襲われてただけだ」

 「そうだ。間に合わなかった」

 「間に合わなかった……?」

 男は目を伏せる。

 「あとほんの数分、いや数秒早く到着できていれば、彼女を救うことはできた」

 「何を言って……」

 「彼女は奪われた。肉体を、己の魂の檻を」

 「わかるように言えよ……!殺すことなかっただろう!どうしてあそこまで……」

 男は目を開ける。焦点を絞るように、瞳孔が狭くなった。

 「有栖川徹」

 「はっ」

 突如、名前を呼ばれる。

 ――名前を、呼ばれる?

 「どうして、俺の名前を」

 「貴様は己自身の手で己の身を守る術を得なくてはならない。貴様はイデアルウェポンに触れた。貴様はすでに、安寧の時からは隔離された」

 男の服の隙間から、金属の何かが見え隠れする。まるで、そう。イデアルウェポンに装着された、目蓋のような部品。あの部品に似通っていた。

 男は続ける。

 「貴様は理解しなければならない。貴様という存在の立ち位置を。事態は動き始めてしまったことを。

 貴様と怪人の間には、引力が存在することを」

 徹はゾッとする。

 男の理解できぬ言葉にではない。

 気付いたのだ。その男は夕日に照らされてもなおわかるほど血色が悪く、流暢に聞こえる言葉にもところどころ違和感があり、そしてなにより、隠されていない肌には埋め込まれた機械部品が見え隠れしている。

 目の前の男は、おそらく。

 「あんた……ロボットか……?」

 「その確認が今、貴様には必要か?」

 解答を耳にした直後、徹は走り出していた。

 逃げ出す方へ。

 この場から離れる方へ。

 不気味の谷を軽々と超えてきた存在から身を守るように。

 恐怖から逃れるように、理解の出来ない怪異から心を守るように。


 ロボットは追ってきてはいなかった。

 徹が気付いた頃には、夕日は既に沈みきっていた。




-------

 〈あんな言い方をして。思春期の少年の心は無機物ほど強くないのですよ!〉

 男の頭の中で、合成された女声が響く。

 〈もう少し言葉の選択ルーチンを見直すべきです。聞いていますか、F-000エフ-トリプルゼロ!〉

 「うるさい」

 男――F-000は女声を一蹴する。

 女声は〈なんて子供じみたAI!〉などと罵倒するが、F-000には響かなかった。

 F-000は走り去った徹の足音が聞こえなくなったのを確認すると、ちらり、後ろの撲殺体を見る。

 「子供じみているのはあっちの方だ」

 〈彼は何も知らないんですよ〉

 「ならお前が話せば良かっただろう、F-999」

 〈あなたはボディを貸してくれないでしょう!〉

 F-999と呼ばれた女声は、実に流暢に、感情の乗った発声で抗議する。

 高い声の文句を聞き流しながら、F-000は路地から歩み出る。仕事帰りの人々がちらちらと見受けられる時間になっていた。F-000は夕闇に隠れるようにして移動する。その間も会話の応酬はあれど、その口元が動くことはない。

 〈無理にでも、どうにかすべきだったのではないですか。我々が庇護することもできたはずです〉

 「それは俺の存在意義とは合致しない」

 〈本当にそうですか?〉

 F-000が足を止める。周囲の人気を気にしつつ、取るべきルートを検索する。

 〈あなたが言ったのですよ。『貴様と怪人の間には引力がある』と。あなたらしくもなく、驚きました〉

 「……餌に使うにしても、俺が近くにいては来るものも来まい」

 F-000は歩みを再開する。そのうち、金属の露出したつま先を稼働させ、獣のような爪の五本指を開く。塀や住宅の壁を掴むようにし、マンションの屋上まで駆け上がる。

 秋口の風は冷たかった。

 が、F-000はそれを冷たいと思うこともない。

 見下ろす住宅街はチラホラと灯りが点き、少し離れたところから繁華街の明るさが流れてくる。

 〈F-000。あなたの思考は無機的なもののはず。感情や状況を加味せず、物理法則を第一に、冷静な判断が出来るのがあなたの設計のはずです。

 あなたは何が引力だと言うのですか?〉

 F-999が問う。

 「――愛だ」

 〈愛?〉

 「物質同士が引き合う原因は愛だと。憎によって引き離されたもの同士は再び愛によって結合しようとする。波が引き、打ち寄せるように。今は当に、その愛が働いている」

 F-000は胸元の『目蓋』を撫でる。

 「ここで必要なのは、結合しようとする愛という作用。分かたれたものが、再度結合しようとする力。俺は確かに物理法則を第一にする……が、怪人が存在する限り、それを超えた力を認めざるを得ない。

 あいつと怪人の間だけに限ったことではない。人と人が寄り添うことも。ものとものが分かれることもまた。

 俺はそれを人に倣い、愛憎なる力だと形容する。

 お前にはわからない。俺にはわかる。ここにあるものだからだ。それは仕方のないことだ」

 〈……ふふ。無感情であるはずのあなたが愛を語るなんて〉

 「愛は感情ではない」

 〈……〉

 「現象界の衝動だ」 

 F-999は何も言わなかった。

 「なんにせよ。俺は俺の存在意義を果たすだけだ」

 F-000は夜風に服の裾をはためかせながら、その闇へと姿を消した。




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