2.イデアルヒーロー・後編
重厚な両開きの扉だった。
ロビーの吹き抜けを取り巻くような廊下を正面玄関側まで歩くと、それは現れた。
わかりやすく重要な部屋であろうその扉を前に、徹はロビーの時のようにまた足を止め呆けていた。それを恵吾が訝しむ気配があったが、気にしなかった。
先行していたベンが扉を2、3回ノックする。ただそれも形式的なものらしく、返事を待たずにドアノブに手はかけられた。
厚い扉がゆっくり開く。室内の灯りが目に入る。
社長室の中が見え始め、最初に視界に入ってきたのは中央に置かれた机、そして黒い皮のチェアに腰掛けその双眼を閉じ待ち構える老齢の男だった。
「どうぞ?」
扉を支えたまま、ベンが促す。
「し、失礼……します」
ぎこちなく挨拶をしながら車椅子を押し、部屋に入るとその内部の様子がようやく意識の中ではっきりする。
社長室にいたのは、その老齢の男――おそらく社長――だけではなかった。部屋の隅、扉からかなり遠い位置で壁にもたれている長身の男が1人。比較的入り口近くに、こちらには背を向けたまま立っている女性が1人。内装は扉の重厚さに比べて簡素で、木製の本棚に挟まれているという気分になる。扉の反対側の壁は一面がガラス張りとなり、先ほど通ってきたビル前の広場が一望できるようになっていた。
居心地の悪さに、徹は身じろぎする。本棚に視線を持っていかれたとき、ふと立っていた女性と目が合った。女性はメガネをかけていた。彼女は表情のない顔で徹を一瞥し、視線を戻す。そこからはなんの感情も読み取れなかった。
(あれ?)
その顔つきに、徹は既視感を覚えた。しかし、その感覚も、老齢の男が口を開いたことでかき消えていった。
「有栖川徹くん」
「……はい」
男は伏せていた目を開く。その瞳は空のような青だった。それは彼が、この極東地域の人種ではないことを端的に示していた。
「病み上がりにわざわざ呼び立ててすまなかった。まずは感謝を。私はハルシュテロ=コルヒエ。このコルヒエグループの社長をしている」
今でさえ彼の髪は白くその経年を物語るが、その端々から、かつての髪色が金であったことを伺わせた。
「君には昨日のことで是非とも聞きたいことがあってね」
「怪人のことならなにもわかりませんよ」
反射的にそう答えていた。それは嘘ではなかったが、徹はすぐにしまった、という気持ちになった。
「はは、君は思いの外せっかちなようだ。ベンといい勝負なのではないか?」
老人は笑う。後ろで弁護士が舌打ちした音がした。
「まあ最後まで聞きたまえ。我々が聞きたいのは怪人のことではない。怪人についてならば、我々は多くのことを知っているからね。君に聞きたいのはイデアルウェポン……そう、麻島くんが使っていた槍だ。それを使ったときのことだ」
「は?」
徹は気の抜けた声を出した。なに? 怪人の様子だとか、そういうことではなく? 俺が槍を使ったときの話?
それに今なんて言った? そりゃ武器の名前か?
「イデ……?」
「イデアルウェポンだよ」
恵吾が首を回して注釈を入れる。
イデアル……
「理想的な……」
なけなしの英語知識を引きずり出す。理想的な武器とはこれまた大きく出た名前だな。
「残念、そういう意味ではないよ。その名前の意味は追い追い……君の話を聞いた後、我々の提案に対する君の返答次第では教えることができるだろうね。なにせ我々の最高機密とも言えるものだから」
コルヒエは肘をつく。
「この武器はちょっと特殊でね。通常、その持ち主として事前準備をした人間にしかまともに扱えない。まともに、というのは、持って振り回すくらいなら誰にでも出来るからね、そう表現させてもらった」
「俺も振り回しただけですよ」
「その振り回した瞬間の話だ。麻島くんの報告ではウェポンの呼応が確認された。そうだったね?」
「はい」
恵吾ははっきりと答える。
「使った君も見たのではないかね。槍の一部が変形したり、発光したりしたのを。あの状態を、我々は『呼応』と呼んでいる」
「そんなの」
半ば呆れた顔で徹は答える。
「直前にこの人が触ってたんですよ。その……コオウ?とかいうのが起こってたとして……、それは俺じゃなくてこの人のが残ってただけですよ」
徹が振るう直前、槍は恵吾によって投擲されていた。槍が持ち主である恵吾に呼応しその状態になっていたのであれば、その延長で――
「それはないわ」
わずかに食い気味に、斜め後ろで黙っていた女性が声を上げる。思わず振り返れば、腕を組み片足に体重をかけ、見下すような角度でこちらを細めた目で見ていた。地味な服装と、緩い三つ編みで簡単にまとめた、端から見れば大人しめの印象を受けるが、その仕草は高圧そのものであった。
その明らかな態度に、徹もまたあからさまに不快感を顔で示す。
「イデアルウェポンは使用者以外が触れれば即座に不活性化する。ほんとだったら、恵吾以外が触れた途端に呼応状態が解除されるのよ。だからおかしいって話で……こうして呼び出してるんじゃない」
「知りませんよそんなの!」
「あなた最後まで話を聞かないじゃない」
まぁまぁ、と恵吾が慌てて諫める。
「我々は君が、イデアルウェポンを使用できた理由にいくつかの仮説を立ててはいる。しかしどれも確証に欠けるものだ。故に、君に、直前になにか特別なことが起こってなどいやしないか尋ねている」
コルヒエは酷く平坦な声で続ける。
「いくつかの仮説がある中で、可能な限り良心的な解釈で、君に尋ねている」
言われている意味がわからなかった。徹はコルヒエへ向き直る。が、すぐには言葉が出てこない。青い瞳は僅かもぶれることなく、こちらを射貫いていた。
――良心的? 良心的ってなんだ!
己へ向けられている、ともすれば敵意を含んでいるその言い回しに、困惑と共に怒りすら湧いてくる。この部屋の状況が、この空間そのものが、徹に重圧をかける。振り返れば扉があり、逃げ出そうと思えばできるはずだった。だが、できない。重い空気がそれをさせてくれない。
――何故俺はこんな目にあっている? 俺は槍を振っただけだ。自分の身を守るために、そこにあった棒きれを持って薙いだだけだ。それだけなのに、俺は人に囲まれて、何をしてるんだ?
――そもそもだ。そのイデアルウェポンとやらが呼応する条件がわからない。それだけでも教えてくれれば、俺のどの行動が原因だったのかの手がかりになるのに、あまりに不親切だ。
一度怒りの思考に陥れば、そこからは負の連鎖が続くだけだった。被害者意識だけが高まっていく。そして、ふと、
(あぁ、そうだ……俺も……)
自分が、不登校になった理由を思い出す。
(俺も、あっち側だったんだ)
急激に、被害者意識と怒りの感覚が引いていく。徹はひとつ、深呼吸をした。
「……すみません、俺には心当たりがないです」
その様子の変化にコルヒエは一瞬眉をひそめると、机の上で手を組んだ。
「そうか。いやなに、それならいいんだ」
コルヒエは目を伏せ、しばらく考えるように黙り込む。気付けば、部屋の隅で我関せずとしていた男がぼんやりとこちらを見ていた。
「わかった。次の話に移ろう。君に1つ、提案がある」
目を開け、意を決したように老人は言う。
「君に、イデアルヒーローとして我々と共に戦ってもらいたい」
「は?」
反射的に声が出ていた。
「君には、おそらく我々が把握していない何かがある。それが生来のものなのか、はたまた有栖川孤児院にいたことがなにか関係するのかはわからない。それ故、君の身体検査を行わせてほしい。
その上で、君のそれを才能と判断し、我々の一員となっていただきたい。
その暁には、君の学費を援助し、給料を出すことも」
「ま、待って……待ってください」
話が突飛すぎる。思わず徹は制止した。
「どうしてそうなるんですか? 俺はそんな、戦いたくて槍を握ったとかそんなんじゃなくて……ていうかそれは俺に、命かけて怪人と戦え、そう言ってるんですか? そんなの」
徹の声から力が抜ける。
「そんなの……ごめんですよ……」
コルヒエはそれを微動だにせず聞いていた。聞いていたはずだが、
「悪くない話だと思うが」
彼の心には響かなかった。徹はほんの僅かに、目を見開く。
「どうかしてる」
首を振る。
「俺になんの得がある」
「君の家族の敵をとれる」
「そんなこと望んでない」
「誰かを守る力を得られる」
「誰かのために命をかけるなんてバカげてる」
「だが、君は少なくとも二度それをした」
徹の言葉は続かない。
それは確かに、真実だった。一度目は姉を、二度目は見ず知らずの親子を。徹は自己矛盾を嫌悪した。
言葉の止まった徹に、コルヒエは続ける。
「我々は君を必要としている」
上っ面だけの言葉だ。信じるな。見ろ、目の前のジジイの顔を。部屋に入ってきた時から、顔色1つ変わっちゃいない。この男の言葉は、俺のための言葉なんかじゃない。
わかってる。わかってる。
なのに……
「……少し、考えさせて、ください」
何故俺はすぐに断れない?
「勿論」
コルヒエが微かに笑った気がした。
「すぐにとは言わない。考えてくれたまえ。できるだけ早い方が、私としては嬉しいがね」
徹には、それに返事をすることが出来なかった。
**********
徹と恵吾、そしてメガネの女性が部屋から出た後、コルヒエの後ろでぼんやりとしていた男が口を開く。
「人が悪いな」
「そうかね」
コルヒエは背もたれに体重をかけ、笑う。
「そうだぜ社長。あんな年端も行かない青少年にあーんな甘い言葉を吐いて。まあ顔の方の演技は下手クソでしたけど」
扉を閉めたベンが茶々を入れる。ポケットに手を突っ込み、机の方へ歩いてきた。
「もっとこう……ストレートに言ってもよかったんじゃあないですか? 『お前を監視下に置きたい』って」
大げさな動きで言うベンに、コルヒエは溜息を吐く。コルヒエはそれ以上言葉を繋げず、ベンも特にそれを期待してはいなかった。
「煙草吸っても?」
「吸うなら喫煙室に行きたまえ」
ベンは肩をすくめ、胸ポケットまで持っていった手をズボンのポケットに戻した。
「ところでユウキ。君には彼がどう見えた?」
コルヒエは男――ユウキに声をかける。
「そのために俺を置いておいたのか?」
「そうだ」
ユウキは顎に手を当て考える。
「――特に。俺に何かを見抜く目は備わっちゃいない。どこにでもいる捻くれた高校生……程度だ」
そうか、とコルヒエは嘆息する。
「私も一時期は怪人の良心というものを信じたものだ。それ故有栖川孤児院についても……。今回のことさえなければ、彼に干渉する気はなかった」
2人は老人の言葉を聞いていた。
「偶然の重なり合いとはいえ……可能性を理解しながらイデアルウェポンに触れさせてしまったことは、我々の責任かもしれない」
**********
「徹くん、一階の食堂でなにか食べようよ。僕が奢るから」
社長室を出た直後、恵吾が提案する。
「舞穂さんも! ほらほら」
「私の分も奢ってくれるの?」
「えっ」
恵吾が一瞬フリーズする。が、すぐに慌ててもちろんだよ、と付け加えた。
「まほ……?」
「ああそうだ。この人は
あまりよくなかった第一印象に、徹は目を細める。
「どうもー」
舞穂はぶっきらぼうに挨拶してきた。
印象は最悪だった。こんな奴でもイデアルヒーローになれるのか。名前も聞いたこともなければ顔も見たこと――うん?
いや、さっきも感じた既視感。やはりどこかで見たことが……
「……魔法しょ」
「オフだから」
ぴしゃり、舞穂が制止する。その眼光が有無を言わせなかった。
(オフとかあるのか……)
車椅子の男を見る。この男にそういうものはなさそうだった。
怪人と戦う正義の味方、などと言えばテレビ番組のヒーローのようだが、イデアルヒーローは歴とした職業である。彼らは怪人と戦うことで、給料をもらっている。
(命がけで、どれだけの金が払われるっていうんだ)
徹は埃1つ無い床の隅に視線を滑らせた。
「名前」
「え?」
「なんだっけ?あ……あり……」
舞穂はどうやら徹の名前を確認したいようだった。
「有栖川徹……ですけど」
「有栖川。じゃあアリスちゃんね」
その安直なあだ名のセンスに、徹は鈍い反応と溜息だけを返した。その呼び方には、正直慣れっこであった。
「あれ、つまんない」
「俺に面白を求めないでくださいよ」
ふーん、と舞穂はこちらに背を向け、エレベーターホールに向かって歩き出した。
社員食堂は2階にあった。昼時を少し過ぎ、人はまばらであったが、それなりににぎやかな空間だった。周囲の人々は皆楽しげであったり和やかな雰囲気で、終始不機嫌であった徹も少し気分が落ち着いていた。
3人は窓際のテーブル席を確保する。椅子を1つ脇に退け、恵吾の車椅子を滑り込ませた。
恵吾から渡された二千円を手に、徹と舞穂は食券を買いにカウンターへ行く。徹は恵吾に頼まれたサンドイッチと、自分のハンバーガーとフライドポテトのセットを、舞穂は大きめのチョコレートパフェを頼んだ。
席に帰ると、恵吾は「ありがとう」とそれを受け取った。
徹はしばらく黙々と食事をしていたが、そのうちぼそぼそと切り出した。
「昨日、何か聞きたいことがあるって言ってましたけど」
恵吾は咀嚼していた分を急ぎ気味に飲み込むと、そう、と返す。
「いやなに、さっきの話の直後だとかわいいものなんだけどね。孤児院のあの後、元気にやれてたかなって思って。大丈夫だった? 学校とか……変な言い方だけど、友達とかに何か言われたり……」
「大丈夫ですよ」
徹は恵吾を見ずに答えた。
「高校、今行ってないんで」
舞穂が小さくばーか、と恵吾の墓穴掘りを揶揄した。
「え、や、やめちゃったの?」
「やめてはないですけど」
「……そ、そ、そっか……それはどうして……って、僕が聞いていいことじゃないよね、きっと」
恵吾は申し訳なさそうに頭を搔いた。その様子に、徹もなんとなく罪悪感を抱えるも、それ以上なにか言うことはなかった。
この質問が、おそらく彼の善性から発現したものであることは理解していた。彼は『いい人』なのだ。それでも、それをわかっていても、否、わかっているからこそ、自分が不登校になった情けない理由をここでは口にしたくなかった。
徹は誤魔化すようにハンバーガーに口をつけた。
「でももし、僕に出来ることがあれば相談してね、僕は……あの時、孤児院で君と出会ったときだけで君を守れたとは思ってない」
だから、と一呼吸入れ、恵吾は真っ直ぐに徹を見据える。
「君が社長の提案を受けるとか、受けないとか、僕がイデアルヒーローだからとか、そういうの全然関係なく、君と関わってしまった僕が満足したいから……だからちょっとしたことでも、僕は相談相手になるから」
恵吾は真剣だった。
それ故に、徹は返事ができなかった。
彼の姿勢に、悪い気はしなかった。
ただ、それに伴って自分の小ささをよりはっきりと自覚するのみだった。
「あの」
徹は話題を変えようとする。
「イデアルヒーローの仕事って結局なんなんですか」
言ってから、あまりにバカげた質問をしたと後悔した。それに、まるでこれではイデアルヒーローになりたいと言っているようにすら見えるじゃないか。
「そりゃもちろん! 怪人と戦って、みんなを守る――」
「この人の話はあんまり真に受けない方がいいわ」
鼻息を荒くして自信満々に答えかけていた恵吾に被せるように、舞穂は溜息を吐く。言わんとすることは徹にもわかるような気がした。
「別に間違ってるわけでもないけど、私たちの仕事は怪人の鎮圧と……中継による、怪人の脅威に対する危機感のプロパガンダ」
「そんな身も蓋もない……」
「この子は私たちに夢見てるタイプの子じゃないでしょ。こういうタイプの子はストレートに話す方が納得はするものよ。生意気にね」
その言い草に一瞬反抗が喉まで出るも、グッと飲み込む。
「被害や鎮圧の報道、それに可能な限りの生中継……それで民草の怪人への警戒を促し、私たちがそれを鎮圧することで恐怖心を低く保つ。そしてコルヒエグループの名は世界中に知らしめられる。社長がウハウハ」
多少大げさなジェスチャーをする舞穂に、恵吾が苦笑いする。
「まあ、社長は守銭奴ってわけじゃないからウハウハって言うと語弊があるかもだけど。手広く色んなことやってるからね、プロモーションはいくらあっても足りないんじゃない」
パフェの残りのアイスをかき集めながら舞穂はぼやく。ガラス製のパフェグラスと金属製の細長いスプーンがぶつかり、透き通った音を立てた。
「イデアルヒーローになるってことはカメラに向かってそういうのもやるってことよ、アリスちゃん」
最後の一口を放り込み、笑顔でウインクをする。
「嫌ですよ」
そんな年上の女性から徹は目を逸らし、明確に拒否を示した。
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