2.イデアルヒーロー・前編




 有栖川徹が目を覚ましたのは、清潔なベッドの上だった。

 日が高いのか、窓から射し込む光が眩しい。徹は首を少しだけもたげ、周囲を見渡した。

 (病院?)

 個室のようであった。部屋の扉は開放されており、向こうに看護師の姿が見えた。掛け布団から出されていた左腕には点滴が繋がっている。おそらく栄養剤かなにかだろう。

 持ち上げていた頭を再び枕へ沈め、徹は面倒くさそうに息を吐いた。首を横に回す。ベッド脇の小さな棚の上には、カレンダーがあった。アナログなそれは、今日が何日なのかは教えてくれなかった。

 布団の中で、右手を動かし己の身体をまさぐる。そこら中に手当の跡があった。触れるだけで痛む部分もあった。

 棚の向こうに、衣紋掛けがある。土や砂で汚れた上着が掛けられていた。

 (洗ってくれてもいいのに)

 心の中でぼやく。することもなく、気を失う前のことを思い出す。

 神社に行って、本殿が爆発して、怪人が現れて……

 (すぐに逃げればこんなことになっちゃいなかったのに)

 それが本心かどうかは、本人にもわからなかった。意味の無い後悔をする。ただその後悔も、おそらく本気のものではなかった。もちろん、自分の行動の肯定でもなかった。

 目を瞑り、二度寝してやろうとする。が、一向に眠れない。目を閉じていることが苦痛なほど、身体は覚醒していた。

 徹は痛む身体を庇いながら、上体を起こす。施された治療は、動く分には邪魔をしないものだった。

 とにかく時間や日付を確認したく、布団から抜け出す。履き慣れないスリッパを履き、キャスター付き点滴棒を引く。汚い上着の下までぎこちない足取りで向かうと、そのポケットに手を突っ込む。

 まず指先に触れたのは、神社に届け損ねたストラップだった。徹は舌打ちする。ストラップを雑にカレンダーの横に置くと、反対側のポケットに手を入れ、携帯デバイスを取り出した。

 透明な板状のそれは、指先で操作する。あれだけ暴れた中で壊れていることも覚悟したが、それは触れればきちんと起動した。ほっと無意識に息を吐く。

 表示された日付は、自分が意識を失っていたのは丸一日程度であることを教えてくれた。もう昼過ぎであった。

 時間を認識した直後、徹は激しい空腹に襲われた。胃が空であることを主張する。意味が無いとわかっていても、腹に手を押しつけることをやめられなかった。

 (起きたこと誰かに言うべきかな)

 開けっ放しの扉を見る。まだ誰にも気付かれていないようだった。なんにせよ、腹は減っている。ともかく飲み物だけでももらえないか、ナースステーションにでも声をかけよう。

 スリッパが床とかかとを交互に叩く間抜けな音を立てながら、徹は部屋を出ようと歩く。扉の手前に、洗面台があった。仕切られ、灯りのついていない薄暗い空間の壁にかけられた鏡に、自分の顔が映る。ボサボサの髪に、頬や額にガーゼが貼られ、それをはみ出す打撲の跡があった。

 (酷い顔だ)

 その痣にそっと触れる。わかりやすく痛かった。

 徹は顔をしかめる。元々自分の顔に自信があるわけではなかったが、まぶたが腫れて開ききらない片目や、変色した肌を見てなにか自分の、同一性のようなものを直接傷つけられた気分になった。

 こんな風に苛立つのも、腹が減っているからだ。そう自分に言い聞かせ、病室を出ようとしたときだった。

 「――あれ! 目が覚めたのかい!」

 どこかで聞いた声が廊下から響く。首を回してそちらを見ると、そこには車椅子に乗ってこちらに来ていた麻島恵吾がいた。



 ベッドに腰掛け、恵吾が持ってきたアルミパウチ入りのゼリー食品を胃に流し込む。10代後半の男子の胃にはあまりにも少ないものであったが、今の徹にとってはなんであってもありがたいものだった。甘い柑橘類の味が喉を支配する。苛立っていた感情が大分和らいだのを自覚した。

 「いや、思ったより元気そうでよかった」

 恵吾が笑う。

 「元気じゃないですよ」

 空になったパウチを握り潰し、徹は悪態をつく。彼の生来の、悪い癖のようなものだった。

 「有栖川、徹くん……だよね。覚えてる? 僕のこと」

 「覚えてるも何も……昨日、その、助けてくれたじゃないですか」

 「あぁ、そうか。それもそうだよね」

 恵吾は頭を搔き、車椅子の背もたれに体重を預けた。その口ぶりや顔に、徹はなにか引っかかりを覚える。まるでそれ以前にも顔を合わせたことがあるかのような言い方。そんなことあったかな。

 「車椅子……」

 「ん? あぁ、これね。いや、打ち所が悪かったらしくてね。腰骨をやっちゃって」

 木に打ち付けられたときだろう。徹は思い出し、気まずい顔をする。

 「あ! 大丈夫だよ、ほら、折ったとかじゃないからしばらく安静にしてればちゃんと治るって言われてるし」

 「じゃあ安静にしててくださいよ」

 ガッツポーズを取り、自信に満ちた顔で鼻息を荒くする恵吾に対し、車椅子での移動を責める。責められた男は、あははと誤魔化した。

 「と、そうだ。僕の名前を教えてなかった。僕は……」

 「麻島恵吾」

 「そう! 麻島……あれ? 知ってた?」

 本気で驚いた顔をする。

 「あんた、自分の知名度わかってないんですか?」

 目の前にいる男はおそらく、この極東で最も名の知れたイデアルヒーローである。

 20代後半、笑顔の素敵な爽やか好青年。強い強い正義の味方。世間の一般的なイメージはこうだ。しかし今、直接言葉を交わすこの男に、徹は印象を、

 「天然」

 に切り替えた。

 「なにか言った?」

 「いえ、何も」

 徹は目を逸らす。今時こんなにも真っ直ぐな人間なんて珍しい。一周回って変人だ。もしかしたら、演じているのかもしれないが。

 ただ、同時に思い出す。昨日の、槍を投げた直後のこの男の眼光を。

 (単なる天然では、ないんだろうけど)

 「でも、本当によかった」

 恵吾が話題を切り替える。

 「そのうち看護師さんが説明に来てくれると思うけど、骨とか内臓とかは無事だったらしいよ。ただ、全身打撲だらけでしばらく動くのも大変かと思う」

 君って見た目より丈夫なんだね、と付け加える。

 事実、ベッドから数メートル歩くだけで身体の至る所が痛んだ。痛んだが、自ずからする庇いによるもの以外に、身体の動きが極端に阻害されている部分はなかった。徹は「そうですね」と生返事をした。

 「これも仕事ですか?」

 逸らしていた目を恵吾の方へ戻した。口をついて出たのは、嫌味のような質問だった。

 「これ?」

 「イデアルヒーローって、被害者のアフターケアもやってるんですか? 忙しいですね」

 「ああ~、いや、業務ではないけど……」

 恵吾は困ったように笑う。

 「実を言うとね、うちの社長が君を呼んでこいって言ってて……昨日のことで話を聞きたいんだって。僕も聞きたいことがある。でもそれはここで聞くべきことじゃない。君の意識が戻ったら、この話をして……動けるくらいになったら一緒に行こうと思ってる」

 「社長?」

 「そう、社長。コルヒエグループの1番偉い人」

 優しい言葉で言い替えられ説明されたことに、徹は不満そうにする。

 「そんな顔しないで。ね! 今日は難しいと思うけど……明日辺り、迎えに来るよ。ここもコルヒエグループの病院でさ、本社のすぐ隣だから」

 そう言われ、窓から外を見る。どれがコルヒエの本社なのかはわからなかったが、ここがオフィス街の真ん中であることはよく理解できた。

 「……まあ、話するくらいなら」

 「うん、ありがとう」

 恵吾は満面の笑みでそう言うと、車椅子のロックを外す。

 「さて僕はそろそろ行くね。あんまり出歩いてると看護師さんも怖いし」

 小さく手を振り、そのまま部屋を出て行こうとする。徹はその背を見て思わず、

 「麻島……さん」

 声をかける。

 「うん?」

 「あの」

 声が詰まる。こういうとき、己のちっぽけな、出来損ないのプライドが憎たらしかった。

 「ありがとう、ございました。その……助けてくれて」

 「……うん!」

 恵吾の笑顔は、眩しいほど爽やかであった。




 夜、徹は病院地下のランドリーにいた。姉も入院している彼には、着替えを届けてくれる家族がいなかった。それ故に、泥だらけになった服を洗わざるを得なかった。洗濯乾燥機に服を投げ込み、あとは機械の自動運転に任せる。ランドリーには他に誰もいなかった。

 不必要になった点滴は外れ、食事も普通に摂った。頬や腕の擦り傷に被せられていたガーゼも、防水フィルムに切り替えた。痣の腫れも引き、外を歩く分にはそこまで目を引かなくなっただろう。

 徹は手指の関節を屈伸させたり、肩を回したりする。起きた直後に比べて、大分痛みが引いていた。

 (あんだけボコボコにされたのに)

 最近の医療技術の賜物だろうか。己の身体の回復に微かな違和感を抱きながら、ランドリーに備え付けられていた自販機でジュースを買い、ベンチで洗濯の終了を待つ。

 手持ち無沙汰になった徹は、昼間の恵吾との会話を思い返していた。

 (話を聞きたいってなんだよ。怪人の被害者なんてそこらにいるだろうに)

 あの怪人がなにか特殊だったりしたのかな。いや、特殊って言うなら……

 「……」

 牛頭の怪人ではない。その後に現れたあの、青い人型。あれには、今となってはなにか生理的な嫌悪感を覚える。

 「敬語だったな……」

 怪人の発した言葉。それら明らかに目上の存在への言葉遣いだった。怪人にも縦社会が存在すんのか。

 「どうでもいいや」

 徹はジュースを傾ける。考えても仕方ないことから、別の方へ思考を向ける。

 病室で、名前を呼んだときの恵吾の様子。単に名前を確認したというよりも、探りを入れるような、そんな雰囲気。恵吾が徹の名前を把握していることに、疑問はなかった。病室のネームプレートで知ることもできるし、リュックの中には学生証も入っている。極端な話、コルヒエという大企業であれ個人程度の把握も簡単なことだろう。

 (本当にどこかで会ったことあったっけ)

 ぼんやり思い出そうとする。自分が、イデアルヒーローと出会うようなことがあるとすれば――

 「……」

 1つだけ、思い当たる節があった。

 徹は半年前のことを思い出す。

 彼――有栖川徹は、孤児院の育ちであった。両親が誰かもわからない、出産後すぐに両親がいなくなった孤児であった。有栖川という姓も、有栖川孤児院の名を使っているだけで、本来の姓など知りようがなかった。

 孤児院には10名ほどの子どもがおり、特に問題もなく暮らしていた。

 半年前、孤児院は唐突に複数の怪人の襲撃を受けた。徹が高校から帰宅して最初に見たのは、多くの弟妹たちの遺体だった。不可解なのは、遺体が4つ足りないことだった。院内を廻るうち、姉の有栖川黎ありすがわ れいが怪人に追い詰められているのを発見し、間に割って入り抵抗した。

 その怪人は、乳母の声で喋っていた。

 その後、自分がどう動いたのかはあまり詳しく覚えていない。ただ記憶にあるのは、刃こぼれした包丁を握る震える手と、足下に散らばる角の破片、そして怪人にとどめを刺す、白いシャツに黒いズボンと腰回りに最低限拵えられた装備――

 「あれ、麻島さんだったのか……」

 あまり思い出したくない出来事であった。結果として孤児院は閉鎖、遺体のなくなった4人は消息不明、生き残りといえる子どもは徹と黎の2人のみ。黎に関してはそのショックから心を病み、精神病院にて入院治療をしている始末だった。

 何故あの孤児院が襲撃されたのかはわからないし、徹はそれを知りたいとも思わなかった。

 とはいえ、2度も命を救ってくれた人物に、己の態度を後悔する。――いつもそうだった。一日の終わりにその日交わした会話を思い返し、自己嫌悪する。いつもそうだった。

 そのうち、洗濯機が稼働終了の音を鳴らした。徹は過去に移っていた思考を停止し、残ったジュースを飲み干した。缶をゴミ箱に投げ込み、洗濯物を回収する。

 明日の、意図の読めない指名の呼び出しに一抹の不安を覚えながら、皺だらけの洗濯物を抱えて徹は病室へと戻っていった。





 「昨日は、すいませんでした」

 退院手続きを終え、可能な限り皺を伸ばした上着を羽織った徹は、病院のロビーで待っていた恵吾に会うなり頭を下げた。

 それを見る恵吾は、頭の上に疑問符をいくつも浮かべるような顔でそれを見た。

 「ど、どうしたんだい、やめてよ」

 「ちょっと俺、失礼だったなって」

 慌てて頭を上げるよう促す恵吾に、少し体勢を戻した徹は歯切れ悪く答える。くだらない自尊心に苦しめられるくらいなら、勢いのまま意思を伝える方がよほどよかった。これも、己のためだった。

 しかも、麻島恵吾という男がおそらく、こうして謝られればそれ以上怒ったりできない性質だと見越しての狡猾な――やめよう。

 「……有栖川孤児院のときも、助けてくれたのは麻島さんでしたか」

 「あ、あぁ! 思い出したってことかな! よかった、あまりのことに記憶障害でも起こしてしまっていたのかと不安だったんだ。そういうわけではなさそうで安心したよ」

 覚えていない部分はあるが、黙っていた。

 徹は自然な流れで、恵吾の車椅子を押し始める。コルヒエの本社までの道のりは予習済みだった。

 「あのあとどうなったのか、僕は聞いてなくてね。気になっていたんだ。こうしてもう一度会えてよかったよ」

 そこまで言ってから、ハッとしたように徹の方へ振り返る。

 「か、怪人に襲われていたことをよかったって言ってるんじゃないよ! あんな状況じゃなかったら、もっとよかった。街中ですれ違うとか、そういう……」

 「わかってますよ、大丈夫です」

 思わず笑いが漏れた。

 都会の道路は平らに舗装され、車椅子を押していても苦になるような段差はない。午前中、通勤時間を少し過ぎた時間帯。歩道には、秋風に散らされた葉を掃く清掃員やドローンが散見された。

 チェスのコマのような体型のドローンは、すれ違う度に流暢な発音で「おはようございます」と声をかけてきた。恵吾はそれにいちいち返事をする。徹はそれを見て、「機械相手に」とぼやいていた。

 「徹くんって意外とアナログ派?」

 「無機物相手に挨拶する方がアナログですよ」

 距離が開きこちらに関心を失ったドローンは、淡々と道端の枯れ葉を吸い集めている。

 ――あんなもの、アナログハックでしかない。

 どれだけAIが発展したって、そこに自我が生まれるわけじゃないだろ。声に出しこそしなかったが、短く吐かれた溜息にはそんな考えが滲んでいた。

 コルヒエの本社までは、そこまで距離はなかった。念のためにと処方された痛み止めの飲み薬も効き、歩行に問題はなかった。街路樹の間に景観に溶け込ませるように並ぶスピーカーから流れる、落ち着いた曲調の音楽を聞きながら歩いた。

 本社ビルの前には、タイル舗装された広場があり、ベンチが点々と接地されている。スーツ姿の人はもちろん、比較的ラフな格好の人もその広場には見られた。

 「部署によっては、好きな服装で構わないんだ」

 恵吾が言う。

 「働きやすいところだと思うよ」

 聞いてもいないことを、誇らしげに話すそれに水を差すようなことは言えなかった。

 若干の場違い感を拭いきれないまま、徹は本社ビルの正面自動ドアをくぐる。広いロビーは、床が天井を映し出し、かなり高い階層まで吹き抜けのようになっていた。数歩進み、徹は思わず足を止める。間抜けに口を開け、建物内を見上げて「おぉ……」などと声を漏らしていた。

 「とりあえず、そうだな。受付の人に連絡してもらおうか。僕が一緒だから大丈夫」

 呆けていた口を閉じ、恵吾の指示に従う。受付のカウンターを目指し、車椅子を押し始めたときだった。

 「あー、あーいいよ! 受付通さなくていいよ」

 横から、間隔の狭い足音をさせながら誰かに声をかけられた。車椅子を押すのをやめ、そちらを見る。恵吾はその人物を見て、片手を振った。

 「ベン! こんにちは」

 「はいはいこんちはケイゴさん! 案外元気そうじゃないの。あんさんが抜けた穴埋めるの結構大変なんだから、さっさと戻ってくださいよ。ね。んで」

 近くまで走り寄ってきたのは、金髪をオールバックに固めた男だった。雑に羽織ったスーツの襟には彼が弁護士であることを示すバッジが鈍く輝く。なんとなく煙草の香りがした。こちらを値踏みするような視線に、軽薄そうな印象を受ける。

 「そっちが例の、えー、有栖川くん」

 徹はわかりやすく仏頂面をした。

 「……どうも」

 「俺がもう通しといたから。社長室で待ってるよ、行こう」

 ベンと呼ばれた男は早足に先導する。急いでいるというより、この速さが彼の基本なんだろうなと、徹はぼんやり考えた。

 「ほら、早く早く。エレベータ呼んであるんだから」

 男が急かす。徹は精一杯の「面倒くさい」を態度で示すため、やけにゆっくりした足取りでそれを追った。




 

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