第7章 魔性の祓魔師エクソシスト


      1


 強力な術によってわたしたちは離れ離れになった。おそらくは妖族エルフの。

 武世来アームエイジドダンは、首領が抜けていま。

 七人。

 いると聞く。

 天子廟香カラは、さほど国土が広いわけではないのでわたしの眼窩に嵌まっている魔天瞳マテンドウをもってすれば、彼らがどこで何をしているのか、一目瞭然。

 竜覇王ドラグナは、天敵の竜屠尊リュウホフリに喰われる寸前で鬼に助けられた。

 本当に鬼だろうか。鬼を示す角がない。

 艮ツノナシ?

 いや、神にとっての脅威でしかない艮ツノナシは、艮ツノナシに覚醒するまでもなく流されると聞く。

 地上に流されれば艮ツノナシとして覚醒することなく、角がないので見た目は人族ヒュムのそれとして、自分が艮ツノナシであることも知らぬまま一生を終える。

 神は、殺生を禁ずる。

 神ですら殺せない。

 地上にいる艮ツノナシは、鬼ではない。艮ツノナシでもない。

 人族ヒュムだ。

 修験霊山シュゲンリョウザン塔テラ。そこの出身というのが彼の運命を確固たるものにしている。

 その山はかつて、鬼を調伏するための密僧ソウが修行したという。そこを出身地とする鬼。しかも艮ツノナシともすれば、調伏され、封じられ、奇石亡鬼ナキとされる材料でしかない。

 いまは無鬼ナキと呼び名を変えたようだが、本質を捻じ曲げられている。

 その奇しき石は、鬼を亡きものにした結果であり。

 弓杜封界ユミモリフウカイ宮シン。そこに無鬼ナキの多くが残されているのは、鬼を亡きものにしたという証拠はいまや不要になり、鬼では無い、という釈明に使用され。単なる石に成り下がった。

 愚かな。

 捻じ曲げられた歴史。

 眼球がうずく。

 長時間の解放は負担が大きい。これに耐えられるようになりたい半面、耐えられるようになってしまったら。たぶん、わたしは、人の域を脱してしまう。脱したくないのかと言われれば嘘になるが、私の中の眼球以外の部分が、無駄な抵抗を続けている限りは踏み止まろうと思う。

 怖いのか。怖い。

 これだけの悪魔を使役し、天使を信仰しながら、天使でも悪魔でもない身体に侵されることが。

 天子廟香カラは、大きく分けて四つの区画で構成されている。

 全世界からの船が寄る、海岸沿いの港。

 そこから城まで伸びる、メインロード。

 天子様が御座す、城。

 それ以外の部分には、天子様から特別に居住を許された者たち、つまりは役人の家。国の緑化のため、人工林や花園が広がっている。

 さて、わたしたち七人がどこにいるのかというと。

 錬金術師は、城内。囚われの天子様を捜してきょろきょろと。本がどうだとも言っていたようだが。

 武世来アームエイジドダン元首領は、海上で交戦中。相手は元仲間で竜屠尊リュウホフリ。足場がたった二体の竜で入れ替わり立ち替わり、苦戦が痛いほど見て取れる。

 武闘士ファイタは、天子謁見の間で妖族エルフ魔女ウィッチと一触即発。本人は戦う気満々だが、相手方はさほど乗り気ではないようだ。

 魔導師ウィザードは、光の注がない人工林の根元にて、なんとか皆と合流しようと術を発動させてはいるが、何らかの邪魔が入りうまくいかないようだ。徐々に距離を詰めている武世来メンバのせいかもしれない。

 冒険士トレジャハンタは、城の最奥部でなにやらこそこそと。すぐ近くを移動中の武世来メンバに気づいているのだろうか。

 竜覇王ドラグナは、港をあとにしメインロードに到着。城に向かおうとしているがそのままのルートだと、城の入り口で殺気を振りまいている武世来メンバに鉢合わせる。

 残念ながらわたしは、このどこにもいない。

 武世来の一人に、ここに連れてこられた。真っ暗闇の亜空間。

 頭蓋骨ほどの大きさの球が六つ。宙空を漂う。それぞれに、錬金術師他の六人の姿が映っている。彼らの様子が事細かにわかったのはそのお陰でもある。

 広いのか狭いのかもわからない。距離感と時間の感覚が薄れる。

 どこだろう。

 定位するために魔天瞳を使ったのだが、すぐに限界が来て、ただ立ち尽くすしかなくなる。

「ご安心ください」足音の類はしない。声は全方向から聞こえる。「私はあなたと戦闘う気は更々ありません。ここでしばらくお仲間のご活躍を観戦しようではありませんか。賭けをしませんか。どちらの仲間がより多くの白星をつけるか」

 どこにいる?というのは愚問。

 どこにもいる。どこにもいない。の両者を同時に体現する。

「勝ったほうが、そうですね。錬金術の粋を手に入れるというのは」

 錬金術師が映っている球が私の顔の前に。衝突寸前で急停止。

「二千年も経てばこうも情勢が変わる。いやはや、さすがと言ったところでしょうか。転んでもただでは起きないといいますか」

「錬金術師だけノーマークなのはそのせいですか?」

 彼の周囲にだけ、武世来が見当たらない。差し迫った脅威がない。

「ノーマークだなんて。最重要マークですよ」声の主が笑う。声が反響する。「さしずめ私の相手が彼、といったところでしょうか。こうやって見張っているではありませんか。誰の手にもかからないよう」

 鎌獲カマエル。

 を使おうにも相手の姿も捕捉できていない。

 檻園オリオン。

 を出そうにもこの空間の実態が明らかでない。

「錬金術師の相手があなただというのなら、わたしの相手は?」

「まあそう焦らずに。それは追々ということで」

 錬金術師の球が遠ざかって、武世来元首領の球が近づく。

「それでは、せっかちの方なご様子ですのでとっとと始めましょう。やはり初戦はこのカードしかあり得ません。我らが武世来元首領ヴァーサス、我らが新世武世来首領。盛り上がりますね。私は勿論」

「賭ける相手は決まっています。負けるはずがありません」

 彼が。

 艮ツノナシであるのなら。

「そうでなくては」

 例え現段階でどれだけの苦戦を強いられていようとも。



      2


 やべえな。空だか海だかわかんなくなってきた。

 上が海で、

 下が空だ?

 違うのかそうじゃねえのかもわかんねえ。やべえ。

「てめえそんなに弱かったかよ?あ?」スサの言うとおりだ。

 俺もそう思う。

 こんなに弱かったか。

 ≫気づかんうちに力をセーブしとるんだろうな。

 ≫どうする?力を貸すぞ。

(駄目だとか言ったり。どっちだ)

 ≫お前さんは弱かないさ。ただな。

(なんだ)

 ≫鬼になる覚悟があるのなら儂らも。

「なーにごちゃごちゃやってんだ」スサが距離をとる。完璧に舐められてる。「んな腑抜けたてめえの相手してる暇なんざねえんだよ。こちとらモロギリのやつに好き勝手仕切られてイライラしてんだ。タブレ=エメラルデだってどうにかしねえといけねえってのに」

 足場のせいじゃない。竜は絶妙なタイミングで空と海を駆けてくれる。

 やっぱ、俺か。

「たぶれえめらるで?」

「あーいい、いい。悪りいな。こっちの話だ」

 どっちの話だ?

 武世来の?

 神の?

(なんだ?)

 ≫錬金術師が狙われとる。

(んなこたわかってんだよ)

 ≫そうゆう意味じゃないさ。そうか、気づかれたか。

 ≫いや、遅かったくらいだな。

(だからなにが?)

 ≫第二次天艮角テンゴカク大戦が起きかねんよ。

「なあ?もうやめねえ?」とうとうスサが殺気を仕舞う。「これ以上殺り合ったとこでてめえが死んじまうだけだしよ。本気のてめえじゃねえといまいち殺る気出ねえっつうか。クウだって途中放棄だったんだろ?そんでてめえが俺の食事の邪魔しに来てよ」

 クウは、俺を殺したいんじゃない。だからこそ、撒いてこれた。

 まだ俺に期待しているものがある。その期待を捨て去らない限りは、心中は免れる。死ななくて済んだ。

 間一髪。

 どうして俺はこんなに弱くなった?

「モロギリのやつがさ、俺らを駒にして高みの見物してっわけよ。んでさ」スサが海岸に降り立つ。「警戒しねえたっていいだろ?殺る気の欠片もねえや」そのまま胡坐をかいて座り込んでしまった。「そいつらは化石なんだっての。喰うとこねぇんだよ」

「何企んでる?」そう簡単に信用できない。降りない。

「俺じゃねえよ。モロギリだっての」スサが頭を掻いて。「博打みてえな。なんつーかな。俺らんとこと、てめえらんとこと。七対七の一騎打ちでさ。勝ったのが多いほうが」

 錬金術を手にできる。

「意味がわからないんだが」

 錬金術は錬金術師しか扱えない。錬金術師以外が手にできる代物では。

「だ、か、ら、よ。錬金術を手にするってこたあ、全世界でたった一人の現存する錬金術師サマを手に入れるっつーこった。意味わかったかあ?」

「は?」ツネアを。

 手に入れる?

「手に入れてどうすんだ?」

「あのなあ、わかってねえの?こんだけゆってるってのに」スサが頭を抱える。「錬金術ってのは二千年前に滅んでんの。んで、それが復活したってことが」

 ≫用心に越したことはないぞ。

(わーってる)

 スサは、油断させて懐に飛び込む戦法が得意だ。裏切り、騙し討ち。なんでもありの。殺戮そのものを愉しむ。竜を喰らうってのはついさっき知ったんだが。

(美味いのか)

 ≫お前さんは。

 ≫緊張感のない。

 なぜ船舶の残骸が散らばっているのか。浮かんでいるのか。沈んでいるのか。

 スサがやったからだ。

 この徹底的に執拗な破壊の仕方は、スサ以外にあり得ない。

「錬金術ってのは厄介なんだよ。そちらサンのが詳しいんじゃねえ?」スサは俺の手元を見ている。

 無鬼ナキと。

 九九九ココノクキュウを。

「あんときあのチビっけえ錬金術師がよお、裏切ったお陰でいまのてめえらがあんだからさ。あいつが寝返ったりしなけりゃあ、俺もよ」

 海岸の砂が舞い上がる。

 渦を巻いて。波と合流する。

 空と海をつなぐ、破壊の柱。

 それを使って。この惨状を。

 やはり。

「休憩は終わったか」何か企んでるのはモロギリだけじゃない。

 スサが、天と地を揺さぶる大音量で。

 笑う。

 感情表出だけで破壊活動となり得る。

「元仲間にずいぶん冷てえじゃねえのよお。元首領サマ」

 両の手で、二つの竜巻を操って。

 しまった。二体の竜を。

 動きを塞がれる。

「んなもんなくたってよお、殺れんだろ?飛べるとか飛べねえとか大した問題じゃねえしよお」

 両手を同時に握ると、竜巻が圧縮されて。

 竜の姿が消える。海に、

 落ちる。

 化石。拾おうにも竜巻が行く手を阻んで。

 ≫構うな。そいつらは無事だ。

 ≫そんなことよりお前さん。覚悟は。

(覚悟って)

 なんだ。

 鬼に。

 ならなきゃいけないのか。ならなければ弱いまま。

 弱くなった。

 強くならなければ。元に、元の強さに戻らなくては。

 いけないのか。

 このままじゃ。

 ≫死ぬぞ。

 俺が「鬼だってのは本当か」

 スサは。

 わざとらしく首をかしげて。「知らね」

「オニはオニだよ」首筋を這う氷点下の湿度。

 気づいたときには命を落としている。

 亡国に仕えていた元暗殺士アサシン。

 国が亡いのは、俺が滅ぼしたから。

 左手の甲。シリアルナンバ2が、刃物でずたずたになっていた。もともと何と彫ってあったのかわからない。愛用のナイフでやったのだろう。

 結局撒けてない。

「僕に待っててとか言っといてスサと殺ってるとかあり得ないしもう殺す死んで」実弾の出ない銃を自分の身体の一部のように操る。

 避けるのは不可能。確実に当たる。ので、ぜんぶぶった斬る。

 九九九だからできる芸当。

「てめ、殺られたんじゃねえのかよ」スサが怒鳴り散らす。

「得意分野とか息巻いてたのだれ?」クウが口を尖らせる。

 この二人は、最凶に仲が悪い。

「大丈夫?」竜覇王ドラグナがしれっと化石を回収する。「僕のことなんか眼中にないみたいでさ。まっしぐらだったよ。どうゆう関係?野暮だとは思うんだけど」

「なんか聞いたのか」余計なことを。

「オニは僕のだからね。スサも、そっちの竜も」クウが銃口を向ける。「死んでよ」

 やっぱ俺か。

「痴話喧嘩?」竜覇王が要らん心配をする。

「気にしなくていい」

 あんまりでかいことにしたくなかったのだが。

 仕方ない。

 二対一は不利すぎる。

「やっぱこっちなんとかしてから行ってくんねえかな」あいつら助けに。

「僕じゃ勝てないんじゃなかったっけ?」竜覇王がとぼけたように言う。

「だから」ちらり、と。

 眼があったせいかなんだかやたらと嬉しそうにされたんだが。

 厄介なほうを。

「頼む」

 クウだ。

「まさかね、これが」武世来解散の原因では?竜覇王が疑りの眼差しを向けた。

「なんでもいいや」



      3


 こいつだ。こいつが。

 六官リカンを皆殺しにして、六宮リキュウを奪った。

 張本人。

 蜜金の髪。細長く尖った耳。妖族エルフの証。

 廃墟戦跡ハイキョイクサアト陵サギで一度。声だけ。姿は、初めて。だけどすぐわかった。

 腹部。へその上部に、ナンバ3の刺青。

 武世来の一員。

 気づいたら神随カムナガラを構えてた。気づいても同じことをしてたと思う。

 お前が。

「射っていいよ」魔女が言う。無表情無感情に。

 煌びやかとド派手をごっちゃに混ぜた、丸い天井の部屋。見てると眼がちかちかする階段を上がったところに、透けるか透けないかくらいの。薄い布が垂れ下がってる。

 演舞をする舞台に似てる。俺もよく立たされた。肩のアレを見せるためだけに。

 気配。

 六宮の。この向こうに。

 いると思って。引き千切った。垂れ布を。

 ぶちぶちぶちぶち。

 そしたら今度、うねうねする文様の描かれた布が。

 ぶちぶちぶちぶち。

 それでもまだ、グラデイションの薄い布が。

 ぶちぶちぶちぶち。するのをちょっと躊躇った。さっきまでのは床までの丈があったけど、これは。床から五〇センチくらい上で。

 脚が見える。でらでら装飾の激しい玉座に。

 細くて小さな脚。

 女の子?裸足。

 爪が長かった。色も塗ってある。

 六宮の気配を信じて。

 ぶちぶちぶちぶち。

 結果は大当たりだったんだけど、俺が六宮を取り戻したくているのをわかっててわざとここに連れてこられた。んだと。そうじゃなきゃ、ここまで辿り着ける自信がない。

 城なんか居心地が悪い。自分以外を見下してる。

「射って」魔女が言う。淡々と。「平気。死なない」

 伏し目がちの小さな女の子。

 こんなのが?六宮を奪った。

 腕なんか片手でも簡単に折れそう。そんくらいか細い。背だって座ってるからよけいそう見えるかもしんないけど。俺の半分てのは言いすぎだけど。

 でも妖族エルフだ。

 ものすんごい強いってことは。俺にだってわかる。

「返せ」六官の仇は俺が取るから。

「いいよ」

「はい?」気が抜けて神随が弛む。「へ?」

 魔女が手の平を見せつけただけで。現れる。宙空。

 六宮。

 見たのは初めて。ふつー眼に触れない。触れるときはかなりのピンチのとき。神随の代理品みたいなもんだから。

 神随が無事ならこれは必要ない。眠っててくれていい。六官の中で静かに。それを無理矢理目覚めさせたうえに、強奪しといて。

「シング要らない。使えない」

「しんぐ?」寝るときのあれ?寝具。「なにそれ」

 壱式。

 弐式。

 参式。

 肆式。

 陸式。

「一コ足りなくない?」ひいふうみいよういつ。「六つなきゃなんだけど」

「返してくれない」

「返すってゆったじゃん」神随を矯める。「返せ」

 無理矢理埋め込んだ合成無鬼ナキは、外して元通りにしたみたいだけど。

「いー加減。持ってった」魔女が上を指さす。指を一本立てただけかもだけど。「取り返す。できない。シング」

「だからしんぐって何?」



     4


 神具では?教えてあげたいが生憎とわたしの声は届かない。

 六宮リキュウについて、わたしも大した知識はないが。いま見たところによると。

 壱式が、薙刀と刺股。それぞれ柄の片側に。

 弐式が、銃。

 参式が、鉞。

 肆式が、大鋸。

 陸式が、腕輪。二対の。

「ちなみに伍式は大槌です」親切な声が教えてくれた。「六宮は神具に違いありませんが、そもそも何なのか。ご想像がつきますか」

 神随カムナガラを存在たらしめる補佐。

 だけではないのだろう。

「弓杜封界宮シンが神の末裔、神実カムザネの住まう閉鎖された土地であることと関係がありますか」

 封鎖村というのはあながち皮肉ではない。

 人族ヒュムと血を混ぜないために、人族ヒュムを拒んでいる。そのための鎖国であり、門外不出の秘伝術があるとかないとか囁かれているのもあながち間違いでもなく。

 神実カムザネの守っていくべき神術カムスベ。それこそが、

 神遣葬弓カムヤリソウキュウ≪神随カムナガラ≫であり。

 あらゆる術をその美しい輝きの下に滅するといわれる。

「神随カムナガラとは何なのか。二千年前のかの天艮角テンゴカク大戦をご存知でしょうか。話はそこまで遡ります」

 六つの球が目線の位置で横並びし、列島ヒムカシが映し出される。

 北端ホクタンと呼ばれる菱形の島。

 弓なりに、東で一度弛んで、北東から南西に延びる本島ホントウ。

 本島の南西に、北端の四分の一ほどの面積の小島コトウ。

 どれも同じものが映っているようなので一番近い球を見ることにした。

「大戦の発端は、神と鬼との確執だったと記憶してますが」

 どの文献にもそうある。

 が、大戦の結果が神の完全勝利で終わったことからも、真実が改善されている可能性も充分に。証拠は何もない。勝者こそが歴史。

「そんなところでしょうか。残念ながら私も大戦後に生まれていますので、生き証人足りえないのですよ。むしろ、あなたの眼球に何か遺されていればと思ったのですがねえ」

 天使は神の使い。当然、天艮角テンゴカク大戦にも駆り出されただろう。使い勝手のいい使い捨ての戦力として。「わかりません。続けてください」

 列島が、四つに色分けされる。

 西北。すなわち、乾。

 東北。すなわち、艮。

 東南。すなわち、巽。

 西南。すなわち、坤。

「弓杜封界宮シンの前身がどこにあったかご存知でしょうか」質問しているのではなさそうだった。

 答える前に、正答が示される。

 坤に位置する小島。

「この頃は名もいまと多少違っていまして」

 球に文字が流れる。

 南遊封海ミユモリフウカイ神シン。

 多少どころかだいぶ違う。これでは単なる。

「神の国では」

「ご明察。そう、単なる神の国だったのです。その神の国がどうして」

 点滅する。

 本島の南西部。現在の弓杜封界宮シンの場所。

「ここに移されたのでしょうね」

「単なる神の国でなくなったからでは?」

 神は地上にはいない。

 天にのみ。

「自分たちの末裔を住まわせるためにわざわざ新たな地を提供した。神の国を穢されないために」小島が放置されている理由はそこにあったのか。「こぞって地上から引き上げた理由が不明ですが」

 天艮角大戦では完全勝利を収めたはずなのに、勝者が尻尾巻いて逃げなければいけない理由がわからない。

「完全勝利でないとしたら如何です? 確かに鬼は天どころか地上からも駆逐されました。あと残っている数少ない鬼たちは、地下でひっそりと隠れるように暮らしています。魔界の女帝の庇護もあってか、神も安易に手が出せないようですね。その点はいまは関係ないとしまして」

 違う場所が点滅する。

 東北。修験霊山塔テラがある。

「かつて神の眷属だった鬼ですが、そう易々と言いなりになってくれる便利な種族では無かったご様子で。なまじ力がありますからねえ。荒療治担当だったのもそのような意味だったのでしょうけれど。とにもかくにもですね、ゆうことをきかない悪い子を、泣く泣く地上へ流したそうです。主に東北の地、塔テラのあるこのあたりに。塔テラの昔の名を聞けばさらにピンと来るでしょう」

 呪眼魎山シュゲンリョウザン墓テラ。

「墓場だったのです。なにって、何でしょうね。流された鬼でしょうか。それとも、その流された鬼に殺される人々? もしくは、その鬼を調伏せんがため厳しい修行を課し、志半ばで命を落としてしまった密僧ソウたちのでしょうか」

 列島の中央部に色がつく。

 祭壇古都京キョウがある。

「列島での戦いは苛烈を極めました。しかし、そのような状況下でまったく無干渉を貫いたある意味素晴らしい。さすがは皇族」

 皇族コウゾク。

 種族の名称ではない。紛うことなき人族ヒュムであり、神とは関係がないが、地上を統べる神の如き。

 何を根拠に神に匹敵する地位を謳っているのだろう。その根拠がもし、あらゆる信仰を祭り上げるというその特異な気質に因るものだとしたなら。皇族というのは、神にとって。

「寄り代と申しましょうか。器といったほうが」足音が。微かだが。「天艮角大戦により地上から神の姿は消えました。しかし、消えたと思われていたのは実は、南海に遊びに行くことをやめただけであって、神の本質は今尚消えてなどいない。そこでまた新たな問題提起をさせていただきますと。神とは何なのか」

 球が三つずつ、右と左に分かれてその中央に、深き昏き闇が蠢く。

 波紋が広がって、その内より、せり上がる。

 闇と同化した闇の源。

 鼻の下から顎までがかろうじて外気に触れる。その他は、闇のまま。

 不気味さも恐怖も感じない。私には、私だから。

 どうして私がここに招待されたのか。他の六人を差し置いて。

 私でなければ不可能だった。

 存在が呑まれる。闇となって。

 強烈なまでの霊魂シヒノタマと死ネクロシスの匂い。

「ご紹介が遅くなって申し訳ございません。私の選択が誤っていなかったかどうかしばし試させてもらいました。合格です。神聖帝園ビザンティオともあろう大国が惜しい方を手放しましたね。以後、国力は衰える一方でしょう」

 彼は首元の金具を外し、鎖骨を露出させた。

 4のナンバ。

「神随カムナガラも六宮リキュウもその本質は同一なのです。おわかりでしょう?」

「あなたの正体は」同一なのか。「わたしととても近いのでは」

「近いが故に著しく遠いのです」彼が闇色のフードを取り払う。

 額の印に眼がいく。

 死姓シカバネ。不死者ゾンビの。

「屍術師ネクロマンサのモロギリと申します。天使でも悪魔でもない貴方のような方と巡り合えたこと、感謝しますよ」

 神に。



     5


 あのアホ天子が無事なのか。それだけわかればこんなところ。

 天子様の自室の前。

 すべての部屋の探索が終わった。もちろん精霊を駆けずり回らせたのだが、いない。死体になってたとしても見つかる。死体もない。ような殺され方をしたのか。

 死体がない。といえば、武世来アームエイジドダンに荒らされたはずなのに。やはり一体の死体も遭遇していない。死体を操ったり材料にしたりする奴が。

 いた。武世来に。

 いるじゃないか。屍術師ネクロマンサが。そいつだ。

 あああああああ、俺の本。

「こんちはー」どこからともなく声がした。

 身構えながらぐるりと一周したけど姿がない。

 武世来?

「なに?どこ」

「上、うえ。上見て」

 足が見えた。

 足の裏。左。

 ナンバ5の刺青。

「なーんか捜しもの?手伝おっか。オレ暇だし」

 風神雷神の合神みたいな出で立ちの白髪。

 人族ヒュムじゃなさそうだ。宙に浮かぶことは魔導師あたりにはできなくもないが、彼らが使う方法論とは異なっているように感じた。浮いている、というよりは。

 宙に座っている。天の羽衣みたいなのがふよふよと。

「嘘やろ。そんなんゆうて油断させといて」

「アームエイジドダンなら抜けたよ。オニちゃんが解散てゆってたし」宙に座ったまま身を乗り出す。宙に浮くことはさほど難しいことではないのかもしれないとまで錯覚させられる。

 いや、できないし不可能だ。しっかりしてくれ自称錬金術師。

「ねえねえ、きみが錬金術師の?へー、はじめまして?だよね。弓守キュウシュさまには一度会ってるんだけど」

 ヨイッチに?いつだ。

「抜けたん?ええの?」

「あすこって何する感じなのか知ってる? あんまりいい噂はなかったと思うけどさ」

「殺戮集団?見たもんはおらん、ゆうて」

 見たら最期。生き残れないという意味。

「んでさ」屈託のない笑顔。むしろそれが恐ろしい。余裕綽々。「オレが5番目だからかもしんないけど。目立っておっかないことはしてないと思うんだよね」

「鎖国村の侵攻は?したんやろ」

「あーあれはね、なんってっか」風神雷神が首を傾げる。「リマちてゆってね。珍しいものが好きな女の子がいるんだけど、あの子が勝手にやっちゃったことなわけだから。基本団体行動とかしてないんだよね。それぞれがやりたいことを、やりたい場所でやってくるだけだから。全員で集会とかあんまやった覚えないなあ」

 それは意外だ。

 てっきり首領を中心に組織的に破壊活動を行なっているのだと思ったが。

 いや、元首領がケイちゃんだったことを考えると。命令とか主従とか。だいぶ縁遠いかもしれない。せいぜい勝手にやれ。のほうがしっくりくる。

 飛ばしてた精霊が何かを捕捉した。のでそちらに向かうとする。

「そか。ほんならね」

「見つかったの?」ふよふよと付いてくる。

 強力な妖気の源が近いらしく、探索精霊が捕捉したものが映像として明瞭でない。何かを見つけたことは確かなのだが。何か、というか。何者か。武世来じゃないだろうな。むざむざそんなところに顔を出したくないのだが。死にに行くようなものだ。

 妖気の源。武世来で一人、思い当ったが。

 妖族エルフ魔女ウィッチ。

 いやいやいやいや、そんなところに誰が好き好んで。自称錬金術師以外が相手してくれてるはずだから。そっちに全面的に任せたい。錬金術というのはおよそ戦闘に不向き。戦闘に耐えうる精霊を創造すれば戦力になれるのかもしれないが。

 そんなものは求めていない。俺が、錬金術を見よう見まねでも身につけたのは。

 なんやったけ。

「面白ければなんでもいいんだよね」風神雷神が頭上でぼろぼろ言葉を落っことす。「オニちゃんからそーゆー予感がしたからあすこ入ったわけでさ。そのオニちゃんがいないんじゃね。面白さもなんもないってかね」

「おもろないゆうとるくせに、なんじょうここにいてるん?」天子廟香カラを乗っ取ったとか。誰が首謀者かは知ったこっちゃないが。「天子様がどこにおるんか知らへんかな」

 ぐるぐるぐるぐると廊下を回る。いまどこにいるのか、現在位置。

 こんなに広かったか?景色が変わってないような。

 さっき、ここ。

 通らなかった?まさか。幻術。

 妖族エルフがいるんなら、そうゆうトラップは必須。

 どうして用心しなかった。簡単だ。

 本の安否が心配すぎて。

 草の文様がうねる壁に。手をつける。

 メリクリウスサルファスハルス。探索精霊を呼び戻す。まったくの幻をつかまされた可能性が高くなってきた。

「どうしちゃった?お腹すいたの?」風神雷神が上下逆さになって。

 顔をのぞきこまれる。

「んなわけあるかぼけ。あんさん幻術とかいける?」

「どーだろ。リマちのお得意だからねえ。オレはどっちかってゆうと」

 中庭に出る。どうにかこうにか。幻かもしれないが。

 ここが中庭だから。で、向こうから来て。向こうに天子の自室があったわけで。

 方向音痴だとは自覚してないが、幻術にあてられたのかも。と、言い訳をしたところで、どこなのかは相変わらずわからないわけだから。

 ごろごろ。俄かに空に暗黒色の雨雲が、雷を蓄えてやってくる。

 一雨どころか土砂降りが来そうな。建物内に戻りたいが、天子様が高尚なご趣味で育ててらっしゃる希少価値の高い樹木や草花の合間に、建物に戻るための出入り口が見当たらない。なんで?そこまで方向音痴か。

「嵐が来るよ。でーっかいやつ」風神雷神が空を仰ぐ。

 ごお、と風が。

 飛ばされそうになった。二本の足では支えきれない。

 風神雷神はびくともしてない。さすがは。

 いや、そうじゃない。

 いつの間にか手に。でっかい槌を振り下ろすと。

 稲光。

 落ちた。天子様ご自慢の世にも珍しい果樹が。

 縦に。

 真っ二つ。知らないぞ。

「外に出てくれちゃえばこっちのもん、てねえ」風神雷神は、冗談でも洒落でもなく。

 本当の本当に、風神雷神の類かもしれない。

「どんも。教えてあげるよ。オレね、天候仙ウォロックてゆってね、こうやって」

 大槌を地に降ろす。

 地鳴り。

 天も唸る。ぽつ、と。雨が、と思った瞬間、凄まじい量の水が。

 息が。

 空気アル。水気ヘル。

 エーテル混合。

「やっぱモノホンだあ」

 ぱ、と已んだ。

 さっきまでの大嵐が嘘のように晴れ、茹だるように暑い。

 蜃気楼が見える。

 白髪の男が浮いている。あ、いやそれはもともとだった。

「見せてよ。遠慮なんかしないでさ」天候仙は、どうやら天候を自在に操れるらしい。

 それで、自称錬金術師を屋外に誘い出す必要があったわけか。

 なんかもう、まんまとまんまで。

 火気マル。土気ソル。

 エーテル混合。

「来るよ、やのうて」お前が。「呼んだんやん。嘘ぱち」

「寒いのは苦手?どう?」天候仙の持つ大槌に違和感があった。

 あってもなくても天候を操れるのではないだろうか。

 カッコつけで持ってるだけか。と、考察はいったん置いておくとして。

 猛吹雪。

 一瞬にして白銀の世界。白しか見えない。

 眼を瞑る。眩まされる前に先手を打つ。

 寒いなんてもんじゃない。

 火気マル。硫黄サル。水気ヘル。

 エーテル流動。

 大爆発。

「うっひ。やるう」天候仙はぴゅい、と口笛を吹く。

「そらどんも」ずいぶん楽しそうだが。

 ヨイッチと会った。とかゆってた。妖族エルフが強奪した六つの武器を、武世来のそれぞれに分け与えたとかゆってなかっただろうか。屍術師ネクロマンサが持ってた大鋸も、六宮リキュウとかなんとかいう。

 もしその大槌が、六宮のうちの一つだとしたなら。

「なあ、それ」

「あーこれ?いいでしょ。オレのだよ」

「せやのうて。それは」ヨイッチの国の大事な。「もらったもんと違うん?」

 風鳴り。

 草木が斜めに。

「もともとオレのなんだって。リマちはぶーぶーゆってたけどね」

 大鋸には嵌まってた無鬼ナキはないようだった。それは喜ぶべきところなのだが。

「オレの?んなアホな。てきとーなこと」

「リマちも知らないんだよね。オレのが長生きだってのにさあ。どーせだから教えといてあげるよ。これはね、りきゅーだとかてきとーな名前付けられちゃってニンゲンに封じられてたみたいだけど、ほんとは」

 神の。

 降動関槌フドウセキツイ≪普然施アマネシ≫は、

「カムナガラのやつがいけないんだよ。あいつが」

 あいつが?

 あれは、ヨイッチの肩にある神験カミシルシに宿る神の弓じゃ。

 あいつ。「みんなを見殺しにして自分だけ。アマネシだって、カムナガラなんかにやられるわけないんだって。あいつが」

 カズラキが。

 失くした左腕の代わりにしなければ。

「あの子、いまの弓守さま。あのままカムナガラ使い続けるとヤバいよ。どうして左肩に験があるのか知ってる?カムナガラがね、だんだん侵食してって、その侵食度合いってわけ。肩だけじゃなくってだんだん腕にも手のほうにも拡がってくるよ。そしたら」

 左腕ごと神随カムナガラに持ってかれる。

「そうなる前にリマちが止めようとかしてたらしいんだけど、もうね」

 手遅れ。

 暴風域。



      6


 せっかく念願の天子廟香カラに来たってのに。なんで誰もいないんだろう。

 誰もいないのはいいとしても、古今東西の名品珍品が大集合する貿易港なんだから。

 露店も商品も何もない。ぜんぶ、ぶっ壊された。

 怒りをどこにもぶつけられない。僕は何としても、丹譜ニフを集めなきゃなんないってのに。

 もしこの壊された中に丹譜ニフがあったら、どうしてくれるってゆうんだ。みんな死んじゃうんだから。

 僕は遮断モードで外界の音をシャットアウトできるけど。

 音は防げない。

 仕方ない。露店は諦める。名残惜しいけど。

 城に侵入。門番とかなにもいない。

 音のしない方向へ。

 音のするほうには誰かいる。武世来アームエイジドダンとか鉢合わせたら困る。

 天子様の秘蔵コレクションとか隠してある部屋があるはず。そこにきっと。

 天子様の部屋っぽいのは見つけたけど。

 ない。っぽい。

 興味ないのかな。自分の国をこんだけの貿易港に仕立てといて。

 地下に秘密の部屋とか。

 あったり?するのかな。あるとしたら自室に秘密の入り口が。

 ないか。

 床も壁もこんこん叩いて回ったけど。それっぽい音はしないし。

 天子様が隠し持ってるって線はないかもで。

 そうだよね。丹譜ってそもそもそんなに知られてないし。知られてないからこそこっそり回収してまわれてるわけなんだけど。

 うーんと、城の中じゃないとするなら。林のほうかな。

 城の周りに城壁がないってのがもう、平和ボケの象徴ってゆうか。攻め込まれることを想定してない。だからこうゆう目に遭うんだ。でもやっぱり、人が一人もいないのがおかしい。もしかして僕らのほうがおかしい?

 天子廟香カラなんだけど、よくできた天子廟香カラの幻の中にいるとか。

 だからそもそもここにいた人たちは全然無事で、いまも露店を賑わせてて。天子様も玉座で平和ボケを謳歌してるとしたら。

 うーん。僕には判別のしようも。僕には魔法の素質がないから。

 僕以外の人ならわかったのかな。わかったんならなんとかしてくんないかな。

 そこにいる武世来も。

「気づいてんなら声かけてよね」女の人だ。

 姿はまだよく。

 見た瞬間に僕の命が終わりかもしんない。

 気配を消してる。ことに慣れてる。

「リマにねえ、お願いしたんだ。ばらばらにされたよね? 強いのと一緒くたにしちゃったら弱いのが生き残っちゃうもん。弱いのは生きてちゃいけないの。強いのだけ」いればいい。

 衝撃波。

 後ろ側に吹っ飛んだ。ことをわかったときにまた、吹っ飛ばされる。

 上なのか下なのか。最後に到着した場所が、下だ。

 重力。

「あたしねえ、あんたみたいなの大好きなの。あんたみたいなのをね」痛ぶるのが。

 旋環センカン。放り投げる。

 間もない。

 速い。疾い。

 駄目だ。魔法とかそんなんじゃ。紛いものならもっと。

 意味ない。

 圧倒的な力。塀がなくてよかったとかのんきなこと考えてる場合じゃ。

 天子廟香カラが平和ボケと間逆の国だったら。僕は、瓦礫と一緒に粉々だった。

「あんたが一番弱いってこと、すぐわかった。あんたからはなんの」強さも感じない。「大丈夫なの?あんたみたいなのが」オニと一緒にいて。「殺されちゃうよ?まあその前に」あたしが。「殺しちゃうんだけどね」

 助けて。

 ノームのおじさん。



     7


 ある意味これが城壁の代わりをしているのではないだろうか。

 臨海地帯によくもここまで。海が近くても育つ種を厳選したのかもしれない。

 渓谷密林暦マヤとは群生が違うが、鬱蒼具合はそれに比肩し得る。

 策敵が遅れていけない。

 武世来が肉眼で把握できる距離まで来てようやく気づくなんて。湿度が高くてイライラする。湿度のせいにしたところで現状は何も変わらない。打開策を繰り出さなければ。

 日光が届かない。樹冠が独占して。

 茸の群れを踏みそうになって足を滑らせる。転びはしなかったが精神的にキた。

 よりによって武世来に見られていた。

 左眼のすぐ下、頬に、7をモティーフにした紋様。

 額中央から右眼、頬の下にかけて。ぱっくり切れて塞がった生々しい傷跡。

 そんな眼で同情をもらう。

 何か言ってくれたほうがまだ取り繕いようがあったが。

「特にお構いなく」イライラが募るだけだ。「僕を殺しにいらっしゃった方ですか」

「何かで覆ったらどうだい?」

 一風変わった意匠の鎧を着こんだ体格のいい男は、これまた一風変わった意匠の大剣を背負っていた。柄も刃もぼろぼろの布にくるまれてはいるが、使い込まれていることの証であり。

 ケイが持っている霊剣九九九ココノクキュウとも違う。身の丈ほどの長さと大きさというのは似ていなくもないが。九九九がなるべくしてあの形に落ち着いたのと比べ、これは研鑽と鍛錬を幾度となく重ねた結果、最終結論としてあの形を見出した。人為的な意図が感じられる。

 人の手で打たれた刀身。

「なにもこうせんでもなあ。リマよ」7はここにいない仲間に恨み事を述べている。こちら側の声は届くのかもしれない。相手方からの返事はないようだが。「つかぬことを聞いていいかい。ウィザードか?」

「だったらなんだろう」申し分ないくらいに魔導師らしい魔導師だと自負してるつもりなんだけど。額の契約刻印とかを見てもらえれば。「僕が魔導師だと何か都合が悪いことでもあるのかな」

「都合が悪いことには違いないやなあ。参ったなあ」

「魔導師に何か嫌な思い出でも?」

「ヴェスヴィに決まってるんだよな、魔導師ったら。あすこがご本家だもんな」7は大剣を地面に突き立てる。威嚇等の意味はなく、背負うのが重くて下ろしただけのようだ。「生き残りなんだって?そうゆうことなんだろ? 弱ったよなあ」

 いわゆる、ヴェスヴィの悲劇のことを言っている。

 一夜にして火山灰の下に埋もれた。人も知識も文明も。

 まさかその元凶が、眼の前にいるとも知らずに。

 厄介なことになるのを避けたいから受け流すが。

「生き残りだと何かまずいことでも?」

 7は、聞き取れない音量で何かを呟いて。いや、聞こうと思えば聞き取れた。

 わざと聞き流した。

 それがたぶん、致命傷につながるとも。思わない。

「もう一個確認いいか。ウィザード、強いんだろうな」

 僕はこれを挑発だと受け取った。

「強いよ。最高に強い」自惚れと過剰な自意識で。

「ウィザードがいねえもんだから、最高に強い。そうじゃねえんだよな?」

「そうだね。もしヴェスヴィの悲劇が起こっていなかったとしても、魔導師が希少価値の存在になってなかったとしても。僕はいまとまったく同じ答えをする」

 真実だ。

 僕は、あの日。

 師匠を超えた。すべての魔導師の限界域を飛び越えて。

 あらゆる魔導の頂点に立った。

 からこそ、ヴェスヴィの悲劇が起った。起こしてしまった。

「魔導師に少なからずこだわりがあるようだけど」無と化す。「弁明は聞きたくないし聞くつもりもない」僕の前に立ちはだかるのが武世来だというのなら。「ここで出くわしたのが不運だと思うしかないね」

「みたいだなあ。不運だ。不運で片つけるしかねえのかな」7は目線を落としたまま。「そうだ」ウィザードだ。「認証。体表面に無数の契約刻印を認む、これ即ち召喚系サマナの様相を呈す。反証。魔術マヌスベ、妖術アヤツスベ、神術カムスベ、要素エレメント、霊魂シヒノタマ、死ネクロシス。全系統魔術スベラマヌツスベを均しく修む、これ即ち禁忌。検出不能」

 呪文?にしては理に適っている。

 僕が本当に魔導師かどうか調べている?何故。

 何故そんなことをする必要がある。自称、では何か問題が。

 しかし、僕が本当に魔導師かどうか。という情報はそこまで重要なのか。僕が魔導師だと何か不都合が。あるらしいが。

 7が重くて下ろした大剣が、異様な光を放つ。文字のようだった。光で描かれた文字が光速で流れていく。光だけに。僕の眼が追い付けない。解読しようにも認識が置き去りにされる。なんだこの、ひどく。

 人為的な。

 恣意的な魔素を根源から拒絶するかのような。

 僕とは相容れない力。むしろ、

 僕という存在を、存在ごと否定する。

 7が首から巻いている布が翻る。腹部を覆う鎧に、

 嵌まっている。闇黒の眼。

 無鬼ナキ。

「アルムエイダ。我が名はタチハキ。現、此の刻を以って」

 魔導師の殲滅を誓う。

 光の文字が消え、7が動きを開始する寸前に呟いた言葉。それは、

 かつて。大陸フランセーヌで使われていた古代語。

 いまの。魔導公国オルレアが統治する。

 魔窟城塞ヴェスヴィが、戦力源として利用されていた悪しき時代の。

 光の文字も古代語だ。何故そんな廃れた言語を使いこなせるのだ?

 僕だって読むのがやっと。古代語は文字それ自体に超自然的な力がある。

 何故。理由が不明。原因も。

 検索詠唱。間に合う。

 動きも踏み込みも遅い。だが、威力は。

 一撃でも掠れば、命を奪い取られる。

「その剣だけど。魔導師の殲滅なんて穏やかじゃないね」

「不都合で不運だったと思ってくれ」7は軽々と大剣を振り回す。

 風と一緒に、大木に斬り込みが。

 倒れはしないが。倒れないように力を加減しているとしたら。

 7の目的は、鬱蒼と生い茂る密な大樹を切り倒すことではないのだ。

「こいつはオルレアの負の遺産でな。なんか思い当たってくれるとくどくど説明する手間が省けていいやな」

 検索詠唱。

 視界も狭い。光から見放されて暗い。両手を広げる空間もない。

 こんなところで僕がぶちかませる術なんか。

 あるわけがない。

「オルレアは僕ら魔導師を戦争の道具に使って、国力の増強と国土の拡大を散々やってくれてたんだってね。困ったことにほんのつい最近まで」ヴェスヴィの悲劇が起こるまで。つまるところ現女王の御代まで連綿と続いていたというのが愚かでかつ口惜しくてならない。

 魔を導く知識の深海である僕らが、つまらない下らない殺戮の道具として奴隷のごとく酷使されていただなんて。

 どうして甘んじてそんなことに使われていたのか。おそらく誰も気づいていない。真実に至っていない。

 魔導師たちは、自分で自分の首を絞める枷を作っていた。

 唯一系統魔術是のみを修めよ。

 そんなつまらないことをしていたから、そこに付け込まれて。下らない争いの道具に成り下がっていた。馬鹿莫迦しい。愚の骨頂。

 しかしながら「僕ら魔導師側のじゃなくて?オルレアの」負の遺産とは。

 大剣が鳴動して。

 僕の身体を傷つける確固たる目的をもって向かってくる。僕の身体を斬りつけて得られる形ある勲章は。

 血液。

「まさかとは思うんだけど、それで斬られると君たちのいいなりになるだとか言わないよね」

 それはない。その程度で魔導師が意のままに操れるのなら、魔導師の価値というのはその程度の。

 僕がよけると樹木やら草木が犠牲になる。天子様には悪いけど、また植えなおしてもらう育てなおしてもらうとして。

 僕の命のほうが断然価値が高い。

 その調子で太陽を拝ませてくれないものか。贅沢を言ってる場合ではないのだが。

「ウィザードがオルレアに曲りなりも協力してくれてたのは、なんだろな。女王の美しさにやられてたとかじゃねえかな。そちらさん、ひたすらストイックに魔を究めるんだってな。ちょいとばかし刺激が強すぎたんじゃねえか」

「笑えない冗談だね」

 短縮詠唱。

 太陽が見えないなら勝手に見るまで。

 太陽の象徴。

「そうゆうのも使えるのか。驚いたやなあ」7は予想を上回るの眩しさに眼を細める。「そちらさん、伊達に最高と言ってねえな。はったり半分だと思ってたんだがな」

「修正してくれていいよ」

 太陽以上に太陽を見せつけてくれ。

 7が眼を閉じる。担がれた刀身に光の文字が駆け抜ける。

「こいつは俺が打った。もともと鍛冶屋をやってたんだが。なんつーかな、俺がいけねえんだが、姉貴の妄言に付き合ってとんでもねえもんを作っちまって。こいつはな」

 光の文字が停止して、僕にも読めた。

 解読するまでもない。

「とんでもないじゃ済まないようだけど、それ」

 魔導師を利用したかったはずのオルレアがそんなものを密かに作らせてたとしたら。

 知っていたのだろうか。知らなかったのだろう。

 知らないからこそ、それがまだ。

 ここに存在する。

「それを作らせた姉とやらの真意が知りたいね。是が非でも」

 魔導公国オルレアは、魔窟城塞ヴェスヴィを滅ぼそうとしていたのだろうか。それとも、

 従わなければ皆殺しにする。という意味合いで脅しに使っていたのだろうか。

 いや、そんな脅しに屈するような僕ら魔導師ではない。

 わからない。

「話してくれるよね」

「話してやる代わりにな、頼みを聞いてもらいたいんだが」7が。

 眼を開けて。

「止めてくんねえかな」こいつを。「俺は助ける方向で」

「は?」この展開からして俺はどうでもいいから、とか。俺ごとやってくれて構わないとか自己犠牲に満ち満ちたセリフが飛び出して然るべきなのだが。まさに真逆の。

「いんやな、そりゃ最初はそのつもりでな。姉貴に戦死してもらったことにして、ああ俺がだな。姉貴は存命なんだろうが」僕に危害を加えようとしている大剣を振り回している意識と、僕にその大剣にまつわるあれやこれを自虐気味に語ってくれてる意識は。

 完全に分離して独立している。7は、

 僕を本気で殺そうと立ち向かっておきながら、殺さなきゃいけない言い訳を必死に連ねてる。

 言ってることとやってることの乖離具合。不合理なほどの分裂。

「そいつを破壊してくれってことでいいのかな」

 本体は7ではない。7を寄り代として猛威を奮っている寄生虫的なものが、それ。

 アルムエイダとか言っていた。タチハキとも。表記が知りたい。

 古代武器の一種だろうか。弓杜封界宮シンの六宮リキュウと同じく。

「あ、そだ。これ言っとくの忘れてたわ。こいつな」大剣。幹と枝を足場に。

 飛びあがって振りかざし。

 太陽の象徴を。

 真っ二つにした。たった一斬りで。

「人切りだから。その、なんつーかな。そちらさん、魔導師を認識してこうゆうあり得ない感じの動きをやってくれてっからな。対魔導師強制戦闘兵器とか思っといてくれれば」7が着地する。

 と同時に、擬似太陽の召喚が解除される。

「その認識とやらをされたこの僕を殺さない限り止まらないってことかな」

「そうゆうこったな。悪りい」謝る態度とは隔絶する。「とにかくウィザード見たらあれやっとかねえと俺が死んじまうんでな。頼むわ」

 人にものを頼む態度でもない。

 やってられない。でもやらないと、

 殺られる。

 僕を殺せば止まるんならいっそ殺されたほうが簡単でいいかも。とか血迷った決断を下したくなるくらい。自分勝手で愚かな。

「君の姉は人じゃないね」

「否定はしねえ。いまの女王なんだがな」

「オルレアの?」現女王が。7の姉?

「戦死した弟だ。ま、内緒にしといてくれると」

 だからなんでそんなに、主導権がそっちにあるのだ。

 泣く子も息が止まると恐れられる武世来というのは、どれもこんななのか。



      8


 生き別れの双子の弟は、僕と違って魔法の素質があったみたい。

 弟にはあるのに、兄の僕にはない。

 弟にあるから。兄の僕にないのだ。

 弟がぜんぶ持ってっちゃったんだ。恨んではないけど羨ましい。弟が持ってっちゃったその一部分でも僕に残しといてくれたり分けてくれたらいいのに。

 弟に会いたいのは、ホントの理由はきっと。

 僕とおんなじ顔した全くの別個体が、華麗に魔法を使いこなす様を見たい。まるで鏡を見てるんじゃないか、て思わせるくらいに。思い込みたい。

 僕には無理だ。不可能で、努力も無意味。

 魔法に嫌われた僕には、こんな紛いものがお似合いで。

 旋環センカン。

 指輪状の武具。

 威力が強かったり珍しい効能があるものほど発動回数が限られる。

 一回限りの使い捨て。使い切ってしまう。

 勿体なくはない。使える機会があるなら使ってしまいたかった。でも使うタイミングはもっと平穏で余裕のある場合がよかった。これでは闇雲にポケットから取り出した効能も不明のまま投げ捨てているのと変わらない。実際そんな感じ。

 強烈な拳で僕を痛めつけることに快楽を感じてる女の人は。

 僕の状況なんかお構いなしで。次々と。

 僕が死んでも殴り続ける。

 僕が生きてるか死んでるかどうかはそんなに大事なことじゃない。女の人の拳が届く範囲に、僕の弱々しい身体があるってことがなによりも大切で。

「痛くて声も出ない?」とか、たまに思いつきで話しかけてくれるけど。

 僕の声は拾えない。

 声を放ってないんだから。あなたに伝えたいことは何もない。

 やめて。も、終わらせて。も、どうでもよくなってきた。

 助けて。は、おじさんに届いてない。届いてたら絶対助けてくれる。助けてくれないってことは。届いてない。

 折れてるし腫れてるし曲がってるしぐるぐるする。

 でもあんまり怖くない。死、というものがよくわからない。

 生まれてすぐに捨てられた僕には、生というものに対してそんなにこだわりがない。

 生きてることが気にならないから。

 死んでたって。生きてると死んでるの境界がわからない。

「なんか言ったらどう?耳いっちゃってる?」女の人が、僕のどっちかわかんないけど耳たぶをつまんで。

 持ち上げる。女の人の口の高さまで。

「聞こえてたらなんか反応して。うんでもすんでもいいから。ちょっと、無視しないでくれる?無抵抗なのが一番」腹立つ。

 手を離す。叩きつける。

 地面にめり込んだかも。とっくに痛みとかどっかいちゃってるから自信ない。

 どっちかわかんない耳も取れちゃったかも。

「そうやって黙ってやり過ごせばすべて丸く収まるとか思ってる?」

 思ってない。

「抵抗するとかしてみてよ」

 やだよ。

「死にたくないとか叫んでみたら?」

 そんな気力ない。

 だいたい、死にたくない。なんて言葉。

 どうやって思いつけばいいのか。

「なんか庇ってる?」

 庇う?なにを。

「お仲間のとこ行かせないように。ここで自分がたった一人でも足止めできれば、とか思ってる?」

 足止め?なんで。

 指を。一本一本、丁寧に執拗に。

 普段じゃ絶対曲がらない方向に折りたたんでる。爪のある側が手の甲に。

 手の平が外側に。

 反対になっちゃった。困ったなあ。

 旋環センカン。

 発動できるかな。指は残ってるわけだし。

「無駄だよ。ほん、っとーにかわいそうなんだけどここで」

 ふーん。

 死ぬんだ、僕。

「あたしが殺してあげるってゆってるの。優しいからゆっくり時間かけて」

 さっさと殺してくれればいいのに。

「生かさず殺さず、ぎりぎりの状態をできるだけ長く。あたしのこれ」拳。「ちょっと特殊なんだ。殴ってるように思ってるかもしんないけど、あんたには指一本触れてない。ほんとだよ?」

 意味わかんないし。

 殴ってるように見えて実は蹴ってました。とかどうでもいい感じの展開だったらこのまま静かに眼を瞑ろうかとも思ったけど。指一本触れてない、てのが。

 そんなわけない。耳だってつまんで。

「眼の上が重くて見えないかな。これ」拳。「見える?見えるわけないか。あたしにも見えないんだから」

 拳のことをいってるんだったら。

 頭のあたり大丈夫かな、おねーさん。

「見えないよ。見ようとするから見えない。見えないんだけどあたしは感じる。ここに」拳に。「ある。キてわかる?聞いたこととか」

 おねーさんの母国語かな。

 知らない言葉。知らない言語。

 香カラが地上を平和ボケに調停したときに。言語にまでお節介を焼いてきた。

 みんながそれぞれ違う言葉を喋ってるから争いが生まれる。だから、みんなが同じ言葉を喋れば争いはなくなる。そのときに提言したのが、香カラの公用語。

 天子様の綺麗事の通り、争いらしい争いは。地上から消えてなくなった。

 簡単で覚えやすい。生まれも育ちも飛び越えられる。

 天子廟香カラが世界一の貿易港として発展したのも、この言語統一のお陰。

「知らないの?こっちだとなんてゆうんだろ。生き物ってのは、そこにいるだけで生きてるっていう残像みたいなのを出すんだけどね。近いのは熱かなあ。長いこと椅子に座ってると座ってた部分が温かくなってる。立ち去っちゃっていなくなってるのに、そこにいたってゆう証拠が残ってる。キてそうゆうのと似てるかも」

 なぞなぞみたいだ。絶対解けない。

 解く気がない。

 僕はその正体のわからないキによって殺されちゃうらしいし。

「使いこなせるようになるには死んじゃうくらいの厳しい修行が必要でね」別に聞いてないんだけど。おねーさんは勝手に喋り出した。おねーさん以外聞いてないよ。「死にたくなければ修行するしかないんだ。でも修行すればたぶん死んじゃうの。知らない?大陸クレ最凶ていわれてた武術一族。あたしはそこの」女。「一族を絶やさないためだけにいる」

 男なんてみんな。おねーさんはそう言って。

 僕に。

「あ、死んじゃってる」音が聞こえなくなった。

 無音。


 音が消える


 でも僕が。声を出してるのがわかる。

「氣を操る武術一族かあ。どんな舞を踊るの?やってみせてよ」

 最初の音を決めよう。阿鼻叫喚の音色を。

 定める。

 第1楽章。

「死んだんじゃ」おねーさんが跳ねて後退する。

 おねーさんが喋ってる声だってもちろん聞こえない。なにも。だけど、

 口の動きで。

「死ねないの?」

 読める。

 聴覚が働いている限り僕の音は防げない。

「死んだよ。おねーさんのお陰で」生き返った。

 ようやく、永い長い死から解放された。

 〉〉だれ?

 僕は。知らない。

「おねーさんの戦闘スタイルは圧倒的に不利だ」

 肉弾戦。僕に近づかないと、死の一撃を加えられない。なんて。

「だんまりだったり、急にべらべらと。なんなの?」

「向かってきてよ」

 音が盛り上がらない。

 おねーさんの構えが殺気を帯びる。そうだ。そうそう。

 そうじゃなくちゃ。

 僕の音が鳴り響かない。

 風圧。顔面狙い。

 首の骨をへし折る気かもしれない。折れないよ。

 そんな。おっかなびっくりな攻撃じゃ。

 〉〉だれ?

 僕は。僕じゃない。

 僕の正体を探るつもりで放った一撃だけど。ダメダメ。

 殺すつもりで来てもらわないと。

「おねーさん、平気?」

「挑発のつもり?」おねーさんは額から垂れる変な汗を拭う。余裕もない。汗がぼたぼた垂れてることに。気づいてないのかも。

 気づけないよ。そんなんじゃ。

 聞こえてる?

 即興曲。

「集中しないと」

 できないだろうけど。

 まずは脚から崩れさる。

 次に、どっちかな。

 手をついて。呼吸制限。

 虚ろな表情を。

 見せつけて。解読できない怨みの言葉を吐き捨てて。

 五線譜が流れ出す。

 音符が舞って。休符が去って。

 はい、

 完成。あっけない。

 ヒュムは。

 すぐ壊れる。

 〉〉だれ?

「久しぶり」

 だれ?だれなの。

「わかんない?」

 タイトルを付けたい。おねーさんに因んで。

 キがどうとか。

 キてなんだろ。

「どんくらい集まったの?」僕の作品を探し回ってくれてたみたいだけど。「よく演奏しなかったね。演奏したら死んじゃうとかいうデマを鵜呑みにしちゃってさ」

 〉〉死ぬんじゃないの?

「ちょっと捻じ曲げられちゃってるね」丹譜の本質を。「いまの見ててなんか気づかなかった?これはね、ヒュムが死につつあるときの肉声とかそうゆうのを元にして即興的に作る曲なんだ。演奏しようたってできないよ」ヒュムごときに。

 この曲の素晴らしさはわかんない。わかんないから、

 僕を。

 封印なんかしやがって。許さない。

 四大精霊め。

「渓谷密林暦マヤに捨てられてたとか。あんなの嘘っぱちだ。君はね」

 僕の。

 〉〉弟?

「のわけない。兄弟て身体を共有する?別々だから兄弟なんだ。君はね」

 僕を。

 封印した残り。

「君が持ってないものは何?それは僕が持ってる。僕が持ってないものは君が持ってる。僕らは二人で完成する。だってもともと」

 一つ。だったんだ。

 半分を封印されて。その残りの半分に、

 君という偽の記憶を植え付けて。

 僕という真の記憶は、いま。

 蘇った。

「二千年ぶりだ」二千年も。

 死なされた。

 〉〉弟じゃないの?

「君は僕。僕は君。大丈夫。安心して。僕は君を消したりしない。君は僕の半身だ。君の並外れた聴力が、僕を完全にする」

 〉〉僕に魔法の素質がないのも。

「僕にあるから。ごめんね。そのことでだいぶ君を追いつめてた」

 〉〉君は、

 僕の眼球が勝手に。おねーさんを捉える。

 動かない。

 冷たくなる。ヒュムは脆い。

 心臓が止まったくらいで死んでしまう。

 〉〉君がやったの?

「僕が殺した」君じゃない。

 〉〉なんで?

「君を殺されたくなかった」僕が。「死なせるわけにいかなかった。あのままだったら君は死んでた」

 大事な指をぜんぶ逆向きに折られて。大切な耳も聞こえなくされたら。

 またあの無音の世界に戻される。

「嫌だったんだ。君だって」死にたくない。

 〉〉殺さなくてもよかったよ。

「殺さなきゃ死んでた」

 僕の両手が勝手におねーさんを抱き上げる。

 重い。死体は。

「どこ行くの?」

 〉〉決まってるよ。

 錬金術師のところだ。



      9


 あのアホ天子を見つけなきゃなんないのに。俺の本。

 無事じゃなかったら八つ裂きにしてやる。

「アマネシとか六宮リキュウはカムナガラのスペアなんかじゃないんだよ」頭上をふよふよと天候仙ウォロックが道案内する。迷いの幻術をことごとく打ち破って。「カムナガラを止める唯一の戦力ってね。六官リカンとかゆう六人の神実カムザネに封じられてるのも、カムナガラが」

「せやけど六官リカン殺したんは」殺されている。

 六宮リキュウを奪われるそれだけのために。

「あれを宿されてる時点で殺されることになってたんだよ。カムナガラの奴に取り込まれる運命なんだから。そうなる前にリマちが」取り出した。命と一緒に。

 殺されている。六人も。

「弓守キュウシュともども共倒れよりいんじゃない? リマちが先手打ってなかったら全部カムナガラの奴の思う壺で六人どころの犠牲者じゃ済まなかったよ?弓杜封界宮シンごと、いんや、もっとでっかい騒ぎに」

 被害は最小限に食い止めたほうがそれはいいだろう。たった一人の犠牲で全世界が救われるならその一人は喜んで死ぬべき。だろうか。わからない。

 その一人の犠牲ごと、ひっくるめたすべてを救う方法はなかったのだろうか。

 思考が乱される。強い妖術の波動。

 源に近づいている。

 天候仙は、魔女ウィッチと手を組んで。本当に世界を救うつもりがあるのか。

 ヨイッチもいるだろう。

 ほかならぬ当事者だ。

「なあ、ほんまにそれ」やらなければいけないのか。

「だいーじょーだいじょー。うまくいくって」

 そうじゃない。

 やりたくない。

 なんで、そんなこと。自称錬金術師が。

 自称でもなんでも錬金術師なことには変わりないか。

 できるか。できない。

「さーて、と。着いちゃったよっと」天候仙が不敵に笑う。

 見覚えのある謁見ルート。幾つもの扉という扉を遣り過ごし。決して顔を上げてはならない。許可が下りるまでは。天の代理人たる、天子様の。

 玉座に天子はいなかった。少しは期待したのだが。

 代わりに。

「リマち? どこ?」天候仙が宙を泳いで。「あんれ?足止めしといてって」

 玉座にいるのは。

 魔女じゃない。

「下がって」どこからともなく声がして。

 下がるもなにも下がるって。どこに。

 天候仙が大槌を振り上げる。よりもずっと疾く。

 間に合わない。手遅れというのは、

 こうゆう意味。

「ヨイッチ」

 ヨイッチだった。

 天子様の玉座に。

 いつもは天井から降りているはずの垂れ布が。そうだ。何かおかしいと思ったら。引き千切られて。身体中にぐるぐる巻きつけられ。

 左腕だけが異様に。

 神験カミシルシ。

 その周りを、5つの武具が取り囲んでいる。

 六宮リキュウだ。

 様子がおかしい。眼が合わない。

 侵入者を捉えていない。肉眼では、

 見ていない。見えている。

 肉眼以外で。

「リマち!」天候仙が呼びかける。「どしたの?どーなっちゃってる?」

「遅い」声の主が姿を現す。小さい女子が、結界を張る。

 自称錬金術師と天候仙を含めた球体を。

 あとコンマ一秒遅かったらどうなっていただろう。想像もつかない。したくない。

 塵にもなれない。

 玉座から一直線。無と消える。

 道が拓けてしまった。メインロードを突き抜けて。

 海が見える。んなアホな。

 いまになってようやく事の大きさに気がつく。遅すぎて。

 首筋を冷たい汗が伝う。

 海風がその首筋を舐める。

「ふひー、リマちさーんきゅ」天候仙が女子の肩を小突く。

 揺れる。

 そのくらい小さい。その身体から、この禍々しいほどの妖気を。

 尖った細長い耳。妖族エルフ魔女ウィッチ。

「錬金術師」じい、と上目づかいで見られる。

「ヨイッチ止めてくれるん?」

「止められない」魔女が静かに言う。「あなたがやって」



      10


 錬金術師率いる7名と、

 新世武世来7名のそれぞれの一騎打ちになるのではなかったのか。

 これでは「賭けになりません」

「なりますよ」底なしの闇が喋る。「最終的に生き残る数で競うのです。あなたがたは有利ですよ。カムナガラは絶対に消えません。見たでしょう?あの神の光を」

 まさかカムナガラが、神の名だったとは。六宮リキュウも然り。

「只今半分ほど乗っ取られてしまった、といったところでしょうか。しかしながら勿論打開策はあります。二つほど。錬金術師がどちらを選ばれるのかは容易く予想がついてしまって面白みも何ともないのが残念極まりないのですが」

「その二つを教えてくれますか」あるのだろうか。

 武闘士ファイタを助ける方法が。

「武闘士を助けることは可能です。しかし、神遣葬弓≪神随≫を操る南海に棲まう神実であらせられる弓守キュウシュさまを救うことは不可能です。彼の左腕をご覧ください」

 頭蓋骨大の球の映像が、神験カミシルシを拡大する。

 肩からうごうごと生き物のように蠢き、二の腕を埋め尽くし、ついには手首にまで達しようとしている。五本の指がそれに抵抗するかのように、不随意にぴくぴくと痙攣しているのがわかる。

「弓守様を救う方法は」

「彼ごとカムナガラを葬り去ることです」

「では、ファイタのみを助ける方法は」

「神験をその左腕ごと切り落とすのです。しかし、これも限界があるのですよ。左腕を完全に乗っ取られて、彼そのものがカムナガラの寄り代となってしまったら手遅れとなります。ほら、もうすぐ手の甲に到達します。あれが指の先まで覆ってしまえば」

 確かに。錬金術師の答えは見えている。

 だがそれは同時に、全世界の絶滅を意味する。

「わたしは前者を取ってもらいたいのですが」

 たった一人の犠牲で全世界が保全されるのなら。

 安いものではないか。

「同感です。どうしましょうか。介入しても?」

 弓杜封界宮シンや、天におはす神には悪いが。

 全世界には代えられない。

「そうすることはできますか?」

 闇が微笑む。

「やりましょう。是が非でも」

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