第5章 導体な魔導師ウィザード

      1


 僕にも限界があるのだろうか。認めたくないが、さっきから成果が上がらない。効き目がないわけではないのに、遅い。このくらいの怪我や損傷、あっという間に。そうか。

 さっき、吹き飛ばされたときになにか術をかけられた。

 腕。思った通り。契約刻印が捻じ曲げられている。改竄。こんなことができるのは師匠以外に。師匠が? いや、それはない。師匠は死んでいる。僕が殺した。

 他に考えられることは、師匠と同方向の、しかも飛び切り強力な。

 召喚師サマナ。

 祓魔師エクソシストではないのか。偽り? なるほど。

 なにからなにまでしてやられてる。悔しいけど面白い。僕にここまでしておいて、ただで済むと思うなよ。と、その前に明らかにしておいたほうがいいことが。

 神聖帝園ビザンティオに何が起こったのか。

「話してもらえませんか」

 国家機密。秘密にされると余計に知りたくなる。僕のハイレベルな知的好奇心をくすぐる。

「僕たちはあなたの味方ではないが敵でもない。これがどうゆうことかわかりますか。つまり、敵でないのなら味方になって手を貸すこともできる。事情が事情だ。皇帝バシレイオンの死を悼んで後を追おうが僕には一切関係ない。だけど、僕はこの国に何が起こったのかどうしても知りたい。僕の推測を言います。内部からの奇襲ですね」

 ソフィ・ア・カデメイの学長。彼が裏切った。

「さすがウィザードだ」首相が僕を振り切ろうとする。「だが国家機密なのは揺らがない。手当てもこのくらいでいい。どうせ意味が」

「亡くなる前に、意味のあることをしていこうと思わないのか。僕なら皇帝を生き返らせることができる」

 ハッタリだ。さすがの魔導師もそこまではできない。契約刻印を内臓の壁まで刻んでも不可能。首相もそれに気づいている。拡大解釈してくれると話を進めやすいが。

 要するに、僕の仲間の中にそれを成し得る者がいる。

「無理だろう。第一、皇帝は」首相が言う。

「特殊ですか。人族ヒュムではないと?」

「仮にそうだとして、君たちに何ができる?」

 仮に。その前提がすでに認めたようなものだ。

 仮定検証。支持される。

 神聖帝園ビザンティオの皇帝には。「天使が宿っている。そうですね」

 いまの顔を、錬金術師に見せたかった。

 僕の勝ちだ。

 爆音。聴こえたのかもしれない。戦闘員は戦闘員なりによろしくやってくれ。それは僕の役目ではない。

 首相はばつの悪い顔になって城を仰ぐ。立ち上がれるまで回復させたのは僕の術。

「私は国に殉じるべきなのだろうか」首相が言う。

「知りませんね、そんなこと。僕には無関係だ」

「頭のいい君たちは決してこんな方法を思いついたりはしないのだろうな。城の地下に島の基礎を制御する装置がある。万一の際はそこに行くのだと、私はそう教えられた。皇帝も仰っていた。国民が地下に逃げることになっているのも、皇帝だけではお淋しいだろうと、その配慮からにすぎないのだ。理解してくれているよ。理解させるために、あそこがあるのだから」

 城の両脇を固める建物。聖堂と学校。洗脳するにはもってこいの。

「欺瞞ですね。話を進めてください。何故皇帝が死んだのか」

「もうわかったはずだ」首相が言う。「皇帝の生命はそれの存在如何でどうにでもなる。逆に言えば、それがそこにいる限り、皇帝の御世は揺らがない」

「それ、というのが天使ですね」

「それ、は、それ、だ。少なくとも首相の私に御名を口にできるような」

「天使は天使でしょう? 皇帝の死んだいま、首相のあなたが畏れるものは何もないのでは」

 縋るものがなくなった者。最も脆い。危うい。

 ここでもし、強力なカリスマ性をもった何者かが皇帝の座を主張したとしたら。いや、優先順位を取り違えるような思考は抑えよう。引きずり込まれそうな急勾配に嵌りそうだ。

 ところで、冒険士トレジャハンタが帰ってこない。城に入ったきり。迎えにこいといわれてないから行かない。言われてたとしても行かないが。

「取り返してもらえないだろうか」首相が言う。

「天使を? 僕に言われても」

「君になら頼めると思ったんだが」

「買い被りですね。僕にできるのは」

 対象捕捉。視認検索。詠唱。

 まったく、人助けも楽じゃない。小さい体で無茶するな。ひとこと言ってくれれば移動系術で一瞬で。信用されてないというよりは、独力で助けたかったか。

 外傷はまるでない。ただ、呼吸と心臓だけが止まっている。人形のように綺麗な死体。

 師匠の部屋がよぎる。思考を一瞬で追い出す。

 皇帝がここまで無傷だったのは、彼を命に換えて護った者がいるから。

 確か、軍事総司令マルシャル。

 微かに息がある。但し、微かに息があるだけ。助けられるか。

 莫迦言え。僕を誰だと思っている。

 魔窟城塞ヴェスヴィで史上唯一、全系統魔術スベラマヌツスベを修めた最高峰の魔導師ウィザードだ。僕にできないことは人族ヒュムの蘇生のみ。その他あらゆる現象は、僕の両手に馴染む。

 ―――怪我くらい、放っておけば治るよ。

 師匠の言葉がよぎったが無視した。せっかく術が使えるのに、何故使おうとしない。治らない怪我もある。治せない病気もある。出日臨君央ヨウじゃあるまいし。医術なんか、魔術に圧倒的に劣る。

 興味深い国だとは思うが興味深いだけ。魔術が使えないだなんて、劣っているとしか言いようがない。

 総司令が眼を開けた。左頬の火傷痕と、左手中指がないのは元から。物のついでだから治してやろうと思ったのに。わざと欠落部分を残してある。僕には考えられない。

 首相と総司令の遣り取りを聞いて大方の状況を摑む。死ぬ気で護った。それは物凄く伝わる。鬱陶しいくらいに。死んでしまったら護れないのではないだろうか。

 彼らが護ろうとしたものはなんだろう。皇帝は見ての通り絶命している。信仰の対象としての天使も奪われて。瀕死のところを救ってやったというのに、感謝の言葉のひとつもない。どうやら余計なことをしたようだ。まんまと冒険士に乗せられて。

「地下に行く前に、天使について教えてくれませんか」

 睨まれる。傭兵ウォリアも大概目つきが悪いがそれを凌ぐほどの。

「てめえは何だ。口出すんじゃねえよ」総司令が怒声を上げる。

「僕がいなければ、あなたたちはそうやって怨みつらみも吐き出せなかったわけなんだけど。感謝こそすれそうゆう態度は」

 なかった中指。へえ、一見の価値はある。

 首相から引っ手繰って、詠唱。勿論聞き取れた。

 アイツィヒアイゼンエーレ。意味はわかるが翻訳は控える。

 それどころじゃなさそうだ。僕の悪いところは相手を下位に捉えがちで、ついつい油断してしまう。それに尽きる。

 ぐるりと取り囲まれる。実体ではない。だからこそ、消滅させづらい。

 トリガが総司令の、文字通り、手にあるのだから、元を断たない限りこの多勢に無勢な軍勢は。

 〉〉ピンチ?

「だろうね。背中だけ任せていいかな」

 〉〉背中だけならね。

 眠れる黒き悪魔が鎮座する神聖帝園ビザンティオに、国民を徴兵する制度がない理由がようやくわかった。要らないのだ。彼、総司令さえいればどんな脅威も対抗できる。

 僕らを足止めしてその隙に首相が地下に。そうはさせない。

 検索詠唱。召喚。そちらが多勢に無勢ならこちらも数を増やすまで。

「邪魔をしないでほしい」首相が言う。

「それはこっちのセリフです。悪いことは言わない。即刻やめさせてください。無意味だ。なぜ僕らが戦う必要があるのか。あなた方がいますべきなのは、皇帝もろとも海の底に沈むことではなく、皇帝の弔い合戦でしょう。どうせ死ぬ命ならもう一度、敗れた相手に向かっていっては如何ですか。行きがかり上已む無く戦ってる、僕らの仲間に加勢するのが筋では。違いますか」

 意味がない。消耗戦。僕の魔力は無尽蔵だけど、気分が乗らない。こんな無意味で下らない。僕の明晰な頭脳はこんなことじゃ興奮しない。

 〉〉皇帝は生きてるよ。

「君と僕との定義が違うようだ。生きているというのは」

 〉〉天使を取り返す。

「悪いけど、話を」

 〉〉通訳頼むね。

 断る、と返事する隙がなかった。まあ仕方ない。

 概ね、僕が彼らに伝えた内容と共通する部分で構成されていたが、強いて挙げるなら熱意。お節介とも言う。感情とかそうゆう、僕には表現しづらい領域。できないわけではない。単に重要と思えないだけで。

 どうやらうまくいったらしい。視界が拓けて、首相が足を止める。

 爆発音。学校のある方角。

 ソフィ・ア・カデメイ。

 ちょっと待て。まさかそこで戦ってるんじゃ。



      2


 勝ったのか負けたのかはわからないが、学長の姿が消えたので一段落と言ったところだろうか。天使も無事に取り返し、皇帝は息を吹き返した。めでたしめでたし。

 なわけがない。建物はいいとして書物が。

「まったく、何のためにわざわざここまで来たのか。もう一度よく思い出してくれ。どうして、ああ」涙が出そうだ。煙が眼に染みたから。

「気ぃ落とさんと。まあ、見とってな」錬金術師が詠唱する。

 崩れた瓦礫が修復される。中央のドーム。左右の校舎。奥の図書館。外から見る限り建物は元に戻ったようだが。肝心の書物は。

「すごい。やればできるじゃないか」戻った。さすがは錬金術。

「面倒なのはこっから。探さな」錬金術師が溜息。莫大な冊数にうんざりしたのだろう。

 ヴェスヴィの深海書庫には遠く及ばない。彼はそこを訪れているはずなのだが。

「どないしよ。何年かかる?」

「五分だ。その間に、皇帝に許可を取り付けておいてくれ。ここにある知識をすべて入れるわけだから」

「入れる? どこに」

 ここに。他にない。

「門外不出の知識があったとしても手遅れだよ。駄目だと云わないほうが悪いんだから」

「ほお、相変わらずずる賢いな」

「ずる、を取ってくれると僕に相応しい形容になるんだけど」

 一割入れただけで、ビザンティオの研究がなかなかのものだということがよくわかる。ちらほらと、僕の読んだことのない書物が。鎖国性もあってか目新しい思考には出会えないが、狭く深く追究した思想。嫌いじゃない。

 見つけた。錬金術の。

「俺の知らん内容はなさそやな」錬金術師が言う。

「侵入してこないでくれ」

「速度落ちる?」

「この程度のノイズ」

 まずい。いま何か考えると錬金術師に筒抜けだ。

 厭な術を。

「師匠、生き返らせたいんやったね」錬金術師が言う。

「できないなんて言わせない」

「師匠だけでええの?」

 やばい。浚われてる。記憶の奥底。

「いっぱい死んだんやね」

「僕が殺したんだ。やめてくれ。入ってくるな」

「仲間やめるんなら話は別やけど」

「仲間? 君の力を利用したいだけだよ僕は」

「無理やわ」

「教えればいいんだろ。交換条件なら仕方ない」

「せやないよ。俺のやる気以前に、無理なん。錬金術はお前の思うとるのと」

 違う。そんなわけ。

「それならなんなんだ。魔導師の完全形が」

「方向が違うん。魔導師は魔素ゆうたかな、それを操る。せやけど錬金術はそんなん使われへん。要らんのよ」

「だから、魔素がなくても術を操れるのが」

 違うのか。錬金術では。

 師匠が生き返らない。

「錬金術はな」

 蓄積終了。なんとも。妙なタイミングで。

 皇帝に謁見する。お礼を言われる筋合いはない。少なくとも僕には。感謝の催しだのなんだの。僕にはどうでもいい。気が乗らない。調べものが終わってないと嘘をついて、図書館へ行った。

 錬金術師にはバレてる。それでもいい。あの場に居づらい。

 錬金術に人族の蘇生が不可能なら、いったい。何を究めた術なのか。

 聞きそびれた。ならば自分で調べるしか。

「食いほーだいやさかいに」錬金術師が飲み物を持ってきた。

「興味がないんだ」図書館で飲み食いは厳禁だろう。首を振って断った。

「続き、話そか」

 皇帝が気にかけてくれているらしい。僕だけ不参加なのを。僕のおかげで首相も司令官も生き返ったようなもの。国も滅ばなくて済んだし。個人的に礼を述べたいとかで。首相も司令官も。皇帝が気に病めば一大事だ。様子を見に。そこを錬金術師が気を利かせて代わりに。面倒な。

「学長な、あんの諸悪の根源。クビやて。国外追放」錬金術師が言う。

「当然だろう。どうしてあんなのを学長に」

 見抜けなかったのだ。節穴め。

「そんくらい、ゆーしゅーやて。せやろ? 気にならへん?」

「厭な予感がするんだけど」

「場所。わかる?」

「仲間に引き入れようとかじゃないよね? ビザンティオを敵に回すことに」

「怖い?」

「恩人になっておいていきなり裏切ったなんて寝覚めが悪いだけだよ。場所だけだからね。そこから先は」

「大助かりやわ。おおきにな」

 検索詠唱。対象設定。

 よりにもよってそんなとこに。どうせ戻るけど。

「潜伏か」

 音響オトビキ王国クレンゲテーネ。

「あそこならまあ、大手を振っても見つからないだろうね。どうする?」

「遠距離でも話せへんかな」錬金術師が言う。

「向こうにその気がないと」

「その気にさせてな」

 どうも乗せられてる気がしてならないけど。乗せられてるんだ。間違いなく。錬金術師のペースに。そこまで言われたら引き下がれない。造作もないけど、単に気が進まないだけ。どうして僕がそんなことまで。

 検索詠唱。対象侵入。

 防壁。

 その程度で。

「いける?」

「いけないわけないだろ。見てろ」

 防壁突破。

 案外脆い。ハッタリか。それとも。

 僕らに興味を示したか。

「こんばんは。夜分失礼します」錬金術師が言う。

「なに、勝手に」またも僕の思考に。

「見つけるだけゆうたやん。こっからは俺が」

「喧しいお二人だ。錬金術師の方と」応答あり。

 そうか。学長はそもそも錬金術師が目的で。

「魔導師です。その節はどうも」

「お尋ね者なんじゃないですか? 知りませんよ」祓魔師が言う。

 知っている?ヴェスヴィを。

 まさか。

「仲間んなったるわ。お前のけーかくに加担はできひんけど」錬金術師が言う。

「それじゃあ本末転倒だ。交渉決裂ですね」祓魔師が言う。

「悪魔デヴィル使うてどないしたいん? 人族ヒュム滅ぼす?」

「お話したでしょう。錬金術は悪魔を作れるって」

「悪魔かどうかはわからへんな。使う奴に依るのと違う?」

「わたしが使えば悪魔。あなたが使えば精霊。なるほど。面白いけど、悪魔は生まれたときから悪魔だから、そうゆうものじゃないんですよ。あなたは育ち方次第で人族以外になれるんですか? 妖族エルフに?竜族ドラゴに?」

 精霊?悪魔を作る? 的を射ない。

「せやからね、悪魔作ってどないしたいんかなあ、て」錬金術師が言う。

「あなたが加担してくださるならお話しましょう。いつでもお声をおかけください。それでは」

 閉鎖。防壁が強力すぎて。

「失敗やね」錬金術師が肩を竦める。結果はやる前から見えていた。

「説明はあるんだろうね?」

「あーせやな。錬金術ゆうのはね、精霊創造の術なん。見たやろ?俺の」

「つまり?」

「つまり、精霊作って、使うて、そんで終わり」

「終わり?なわけないだろ。その作った精霊に蘇生の術を使わせれば」

「理屈からゆうたらな。たぶんできる。せやけど、俺には無理やわ。ゆうたやろ、俺はエセやて」

「エセだって、似非でも何でも錬金術は錬金術なんだから」

「ヴェスヴィ純粋培養のエリート魔導師と、ぜーんぶ自前の独力魔導師と、どっち強い?まあ、そうゆうこと」

「似非じゃなきゃいいわけだね」本物の、正真正銘の錬金術師ならば。

「エセから脱する方法があらへんのよ。世界に俺しかいてへんさかいに」

「どうして君は似非でも錬金術師になれたんだ? 例えばだけど、僕がいくら優れてたって適性云々の世界なんだろ? 召喚魔に相性があるように」

「さっすがは最高峰の。なんで俺にできたんか。そっこがわかればなんやら糸口が見えるかもしれへんね」

 冒険士がこっそりのぞいてる。迎えに来てくれたらしい。錬金術師の帰りが遅いから。その陰に、武闘士ファイタと傭兵。

「君は人を惹きつける」

 師匠もそうだった。どんなに拒もうと、師匠の周りはいつも人で。

 僕もその一人。



     3


 師匠の鼻を明かしてやろうとか、そうゆうつまらない意気込みだったと思う。

 師匠は確かに立派で優秀な魔導師だけど、それだけだ。もし万一、仮定の話だけど、明日師匠が死んだとする。立派で優秀な人だったね。皆が口々にそう言って、そのうちに忘れ去られてしまう。立派で優秀ってのはその程度の評価だからだ。

 師匠は何も教えてくれない。わからないところを訊いても自分で考えろ。教わろうだなんて思うな。盗んでみろ。超えろ。そうゆうスタンスだから、師匠に弟子を志願する人はそれほど多くなかった。弟子以外なら沢山居た。別名取り巻き。

 師匠のところに通う道すがら、盛大に顔から転んだ少年がいた。ぴーぴー泣くから術をかけてやる。痛いのはわかるけどそのくらい自分で治せるだろ。

「ありがとう」少年はにっこり笑う。

 レベルが低い。僕がそのくらいの年齢のときはもう基礎は一通り。

「足元くらいは見て歩いたほうがいい」

「うん」

 甘いなあ、僕は。指導者の格が知れる。

 師匠以外はクズだ。師匠の弟子の僕以外ぜんぶ。

 風が気持ちいい。見事に全て開け放って。閉めるのを忘れたんじゃなくてわざと開けたのだ。床は砂でざりざり。あたたかいにおい。花と料理。

 椅子がきいきい揺れる。師匠の横顔。「君に言うことは何もない」

 知っている。

「怪我くらい」

 放っておけば治るよ。

 また僕を見ていた。少年にかけた白系シラスベ。

「僕に言うことがあるかな?」

 言えるもんなら言ってみろ。そうゆうことだ。

「君がしていることは禁止されてる」

「今更やめませんよ。あとちょっとなんです。あと、もう」

 三日もあれば。

「いまやめても余計に不満が残る。極めてからまた相談に応じよう」

 相談?

 なんの?

「一からやり直したまえ」

 ゼロに。

 戻すつもりだ。やっとここまで。

 登り詰めたというのに。

 天に届いた瞬間、足場を崩壊させる。

 最悪だ。どうして。

 なんでわかってくれない?僕はただ。

「何もないよ。帰りなさい」師匠が言う。

「あなたは臆病だ」

 横顔。それを正面にしたかった。

 不可能。

 あなたはそんなことじゃ動じない。

「だってそうでしょう? 全てを極めてその先がなくなるのを恐れてるだけ。その先がないなんて誰が決めたんです? あるかもしれないじゃないですか。極めないと見えてこないだけで。あなたはそれを見ようとしない。ただ、いまあるもので満足しようと躍起になってるだけだ。それを臆病といわずに」

 きいきい。風で揺れる。

 呼んだのかも知れない。師匠の。

 召喚は。

 検索詠唱。師匠の手口なんか僕には先の先の先まで見えてる。

 対象捕捉。見えないなら眼を瞑ればいい。瞑っても見えないなら。

「仕舞いなさい」

「あなたが仕舞えば僕だって」

 ふう、と。

 消える。音もなく。師匠の召喚は。

 風より静か。風だから。

「手遅れだね」師匠が言う。

「凄いって、褒めてくださいよ」

「他人からの賞賛のために手を染めたというなら君の価値を修正しないといけない」

「僕は劣ってなんかいない。少なくとも、あなたよりは」

「いまの君は僕より優れている。それは誇っていい。君は僕を超えた。喜ばしいことだ。でも君の採った方法は賢いものとは言えない」

 邪道だよ、君は。

 認めてくれない。どうして。どうすれば。

 あなたが微笑んでくれるのか。

 無条件の愛情を注いでくれるのか。わからないから。

 僕の出した答えは。

 間違っていたと。そうゆうことなんだろう。

「しばらく寝てないんだ。席を外してくれるかな」師匠が言う。

 検索詠唱。

「やめなさい」

「疲労も眠気もどうにでもなる。どうして、あなたは」

「眠りたい。静かにしてくれ」

 そんなに眠りたいのなら。

 永久に永遠に。

 眠っていればいい。

 移動。島の中央の火山。

 別にここに登らなくたって。術くらい発動できる。

 見下ろせる。

 僕より劣っている。低い低い。

 お前らは。なにかをしたいわけじゃない。なにもしないために。

 一系統のみを極める。

 できないんだ。お前らにはできない。思いつきもしない。

 あと三日。もういいや。三日くらい。

 一時間でなんとかする。

 師匠はそろそろ眠った頃か。あの人は惜しかったな。

 立派で優秀な魔導師。

 結局、あの人から盗んだことは。

 風の感じ方。それだけ。

 さようなら。

 ゆっくり休んでください。



      4


 相部屋を拒否して正解だった。眼が冴えて仕方ない。

 師匠のことを思い出してしまった。最期の日。師匠は最期だなんて思ってなかっただろうが。追い返されても、師匠が眠りから覚めたころもう一度会いに行ってそして。いや、何も変わらない。少し眠ったくらいで師匠の気が変わるとも思えない。

 頑固なんだ。あの人は。

 検索詠唱。だれか。起きてる。

 だれだ。

 錬金術師ならいい。と思ってしまったのはなぜだろう。話がわかる。いい話し相手。僕の会話に付いてこれるのは彼と。師匠くらいの。

 ちがう。これは。

 一人は錬金術師だけど、もう一人は。

 遠いな。空?

 竜ドラゴン。伝説の勇者とかいう怪しいあいつか。

 何を話してるんだろう。盗み聞き。

 違う。これは。

「枕が合わなかったか」

 吃驚した。術に集中すると目視できる手近な範囲が疎かになる。僕の悪い癖。

「君こそ」

 傭兵だった。

「見張りだ」

「なんの?」

 顎でしゃくる。そっちには何もない。空くらいの。

 空?

「見えるのか?」

「いるのはわかる」

 そういえば。

 学長やら悪魔やらで立て込んでたときあいつは。「どこ行ってたんだろう」

「胡散臭い」傭兵が言う。

「同感だ。竜を使役できるなんて」竜族ドラゴしか。人族には不可能だ。

 まさか。いや、でもそんなこと。

「あいつがやったんだろ」ビザンティオの奇襲。傭兵が言う。

「学長じゃないのか」

「クレンゲテーネのほうだ。いろいろがおかしい」

 気づいていたのか。直感。に近い。

 僕みたいに知識を総動員して仮定を導き出す思考方法とは根本的に違う。僕にはできない。

「いろいろ、の内容を聞かせてくれないかな」

「竜族がここまで降りてくることがまずあり得ない」傭兵が言う。「降りてきたとしてもあいつらは見た目が怖いだけで内面は穏やかだ。人族に迷惑を掛けるようなことはしない。第一地上は狭い。あいつらが翼を広げる広さはここにはない」

「それ、君一人で?」構築した思考なのか。直感型の傭兵にしては。

「こいつらが言ってた」大剣。九九九ココノクキュウ。

 だったかな。無鬼ナキのほうが主だろうけど。

「目的があって降りてきたとしたらどうかな。もしくは誰かに唆されて」

 ああ、そうか。それが。

 空。

「あいつが竜を操ってなんか企んでやがる。ツネアが探ってんだろうが」

「へえ、信用してるんだ」錬金術師に関しては。全面的に。

「俺はそうゆうのは向かない。あいつが尻尾出したらバトンタッチだ」

「尻尾か。本当に出すかもよ」

 竜族だとしたら、竜に戻る。人族に擬態して。

「唐突で悪いけど、君にも師匠がいたんだろ。師匠といわないのか。名称はよくわからないけど」

 黒曜と乳白の数珠。

 怪訝そうな眼。当然か。第一印象が悪すぎた。

「気に障ったなら謝るよ。錬金術師が片を付けるまでのつなぎの話題としては重かったかな」

「生き返らない」傭兵が言う。

「意図が違って伝わっているようだね。錬金術の効能について語り合う場を提供したんじゃないよ。君の昔話が聞きたくなった」

「俺が殺した。それだけだ」

「僕は殺したくなんてなかった。師匠に会いたい。僕は師匠に憧れて魔導を極めようと思ったんだ。だからもしかしたら、君も同じなんじゃないかと掠めてね」

 無言。相槌とかゆう気の利いたこともしてもらえない。

 別にいい。嫌われるのには慣れてる。師匠以外には僕は。

 師匠だって。僕を。

 そんなに期待もしてなかったかな。僕が思い上がってただけで。

 見もしない。ずっと視点は空。

 空?

 なにをやってたんだ。主語はもちろん僕じゃない。

「あいつら連れて避難しろ」傭兵が床面を蹴る。

「君一人じゃ」

「俺の役目だ」九九九と無鬼。装備面は侮ってなんかいないけど。

 僕がバックアップなのが気に入らない。みてろ。

 検索詠唱。

 ほら、起きてる。気配には敏感そうな二人だ。

「彼らは平気だよ」武闘士と冒険士。

 錬金術師が何とも例えようのない複雑な笑いを浮かべて。空から降りてくる。

 まさか。竜族を怒らせたんじゃないだろうな。

「ああすまんすまん。そろそろ気ぃついてもらえたらええなと」

「無事か」傭兵が無意味な確認をする。

「なんとかな」見ればわかる。

 それに、あのしたたかな錬金術師が無理をするとも思えない。要するに、探りを入れられない状況に陥ったため。戻ってくることを余儀なくされたのだろう。

 バレた。バレるのは承知の上だから。

 空。

 厭な暗さだ。夜よりももっと。

 出発前クレンゲテーネで遭遇した竜よりはだいぶ小柄だけど、数が。

 十体か。

 それぞれに属性があるようだ。なるほど。厄介な。

「目的は暇潰しってところかな」十体の中央にいる勇者が言う。

 勇者だなんて称号でしかない。

「せっかくこれだけの力があるのに一族は穏便にのうのうと生きることしか思い付かないからね。死んでもらったよ」

「竜族滅ぼしたゆうこと?」錬金術師が口の端を歪ませる。

「僕とこいつらがいる。空って案外狭くてね。地上も地下も欲しくなった」

 傭兵が構えたけど遮る。こんな数僕ひとりで充分。

 気に入らない。

 間違ってる云々ではなく思想そのものが僕と相容れない。

「ええの?三等分しよか?」冗談とお節介。錬金術師は僕の実力を認めてくれている。

「中枢を叩けばいいけどそうもいかないから」同時に。

 蹴散らしてやる。

 検索詠唱。

 咆哮。音を掻き消す気だ。つくづく愚かな。

 確かに未熟な魔導師は音声が発動の引き金になるけど、僕は。

 無声かつ高速で。

 第一陣を防壁。第二陣。それが来る前に。

 検索詠唱。

 火。

 水。

 風。

 木。

 土。

 氷。

 雷。

 地。

 天。

 闇。

 光。そうか。自称勇者自身が。

 鞘だけの剣。そこに竜を宿して使うから鞘だけなのだ。

 興味深い。

 風の竜が消える。

 剣は風。

 風。

 師匠の。

 負けない負けるものか僕は師匠に勝ったのだから。

 なんで逃げなかった?師匠なら逃げられた。師匠だけ逃げればよかった。

 師匠以上の魔導師は後にも先にも存在できない。

 逃げてください。

 首を振る。

 あなたはここで死ぬべきではない。

 首を振る。

 どうして。

 弟子の後始末は。

 僕の。

「おい」傭兵の声。

 まずい。余計なことがよぎって。

 検索詠唱。間に合わない。

 なんでもいい。

 何か発動を。駄目だ。

「危なっかしくて見てられるかよ」傭兵が僕の前方に。

 なんで。

「悪いか。ツネアはお前を信じて置いてった。俺はお前と」一緒に戦おうと思って。

 なんだよ、それ。

 無鬼による術の無効化。属性攻撃も然り。

「ビザンティオを壊したのは僕」勇者が満面の笑顔で言うセリフにしては不謹慎だった。

「だろうね。でもそんなことどうでもいいんだ。きみが何を企んでようが暇潰しでこんなことしてんだろうが」

「じゃあ止めないでくれたって」

 風。

 認めよう。僕は風が苦手だ。

 検索が鈍る。

「ここで止めなかったら僕ら諸共消す気だろ」

「見なかったふりをすればどうかな」勇者は余裕の表情。微笑んでる。

 嘘くさい。

「そんなこと」

 できるはずがない。

 ビザンティオに足を運ぼうといったのは僕であり僕がその後始末を。

 詠唱。

 検索は必要ない。見せてやる。師匠の技を。

 最高の召喚師に贈られる称号。

 召喚従執師ショウカンジュウシュウシ。そう呼ばれた師匠の。

 契約刻印をなぞる。指先。

 清々しいほどに熱くなる。

 脳髄が冴え渡る。風。

「ちょっと待ってくれない?」勇者が両手を前に。

「死にはしない」

 臨めるかもしれないが。死を。

「わかった。降参。もうこんなことやめる」

 嘘くさい。

 傭兵も胡散臭い顔で睨む。

「本当だよ。ほら、お前たちも帰るよ」勇者が指をぱちんと鳴らすと。

 十体の竜が一斉に。

 消える。

 剣が鞘だけに。

 新たな気配。騙し討ち。

 ちがう。これは、さきほどのとは。

 空。

 もっと。

 空より。

 もっと禍々しい。人族でも竜族でもないこれは。

 黒い翼の。

「至急お戻りくださいますよう」

 ヴァンパイア。



      5


 国を乗っ取られたと聞いて、皇帝に別れの挨拶もほどほどに大至急駆けつけてみれば、なんだこの。

 まるで変わらない平和ボケっぷりは。気づいていないのだろう。彼らは魔素を感じ取る能力が退化してしまっている。すぐ隣、或いは頭上をふよふよと漂われていたところでまったくもって影響がない。

 実質乗っ取られていないのでは?

 と思って城に行ってみても、ほら。最悪の状況を避けるため舞い戻った僕たちのほうが異常に映る。伴奏師なんか、背中に悪魔背負って微笑んでいる。

 気づいていない。誰も。

 彼女以外は。

「謂わば人質なのです」

 狙いは。錬金術師が苛々絶頂の表情を浮かべて睨む。ついさっきまで戦闘状態にあって、緊張をほぐす前に新たな緊張の火種を持ち込まれたからだろう。一睡もしていない。そうゆう機嫌の悪さだった。

「指揮師が攫われました」

「僕らに取り戻せと、その依頼ですね?」一応相槌をしておく。

 悪魔は消え入りそうな声で頷く。城に棲み着いたヴァンパイア。錬金術師が精霊の眼を使って目撃したのは彼女のことだったらしい。

「わたくしは、初代の頃より国を見守ってきました。ご存知のように、わたくしたちは人族の血液を摂取することで存在を保っています。定期的に、しかも永続的に人族の血液を得ることはとても困難なのです」

 人族とヴァンパイアでは寿命も時間の流れも違う。僕にとっては興味深い話が展開されつつあったが。

 錬金術師は終始どうでもよさそうな構えで。「事情やらなんやらはそっこの最高峰に聞いてもろたらええよ」

「どこに行くんだ」勝手な行動は慎んでもらいたい、という意味で呼び止めたのだが。

「決まっとるやろ」

 傭兵が場所を訊く。たぶん、無鬼の代弁だろうが。

「さっさか案内しぃ」錬金術師はひどく機嫌が悪い。

 礼拝堂。

 なんだってそんなところに悪魔の本陣が敷かれているのか。

「どこなん?」

 〉〉ついてきて。

 勝手知ったる冒険士に連れられて。のはずが、ヴァンパイアが動こうとしない。

「なにをもったもた。置いてくえ?」

「そうしてくれ」

 一瞬だけ不審な顔をされたが。おそらく通じている。

 これは僕の役目だ。「まだ話し足りないことがある。しかもそれはこれから行なおうとしていることに深く関わりのある重要な内容の」

「できればそちらの」武闘士。

 へ、と間抜け面を曝すな。

「神遣葬弓カムヤリソウキュウを宿されていますね」

「わかるんすか?」神験で一目瞭然だ。彼もようやくそのことに気づいた。

 肩を撫でる。

「その力は魔族滅却に大層有効です。その験を眼にしただけでいまにも消滅してしまいそうなのです。わたくしは恐い。もし可能でしたら何かで覆っていただけると」

「ご、ごめん」武闘士は頭部に巻いていた布を外し、左肩に。

 そんなことをしても、なんら効力は薄れないだろうに。気休めにすら。

 待て。

 肩を覆う理由。

「駄目だ」

 黒い羽から多数の蝙蝠が飛び立ち、瞬く間に武闘士の。

 とはいかせない。詠唱不要の僕に速さで対抗しようなんて。

「振り払え。血を吸われては」

 遅い。

 動き自体は武闘士も相当なのだが。身体の動きに限ったことであって。

 思考速度は。

「射て!」

 遅かった。

 国を乗っ取った悪魔というのは。

「説明願えますね?」武闘士をこちらに取り戻してから言う。

「本当の狙いをお話しする前に立ち去るからです。勇み足が災いしたのですよ。今頃彼らは」ヴァンパイアが微笑む。真っ紅な瞳。「勝てません。大人しく忠告に従っていればよかったのです」

 のた打ち回る武闘士を鎮める。眠らせた。

 患部は。

 神験。無数の斑点が。

 紅い。

「何を」

「おわかりのはずです。人族で最も聡いのは魔導師ですから」

「本当の狙いとやらをお聞きします」

「ご安心ください。神遣葬弓は無事です」

「何をしたと訊いているんです」

 そちらがヴァンパイアならこちらは。

 召喚。

 太陽の。

「貴女が活動出来るのは夜のみだ。文字通り時間の問題なわけです」

 とっとと朝にしてしまえばいい。

「どうか冷静に」ヴァンパイアは悲痛な叫びを。黒い翼を広げて日陰を作ろうとするが。

 そんなものがまるきり意味がないくらい輝かせてやる。

「これが冷静でいられますか」

「勘違いです。わたくしはただ」

「ただ?」

 だいぶ弱ってきた。闇黒色の煙が立ち昇る。

 太陽の象徴。

 もっと。もっともっと輝け。

「勝てないのです」ヴァンパイアは息も絶え絶えに言う。

「それはそうでしょう。貴女の計らいのお陰で」勝利の要因たりうる僕ら二人をここに残したのだから。「それとも朝を待っていればよかったとでも仰るのですか」

「お願いです。それを」太陽を。

 隠して。

「厭だと言ったら」

 跪く。

 膝が地面に。

「ち、がうよ」武闘士の眼が開いた。顔色はいまだに悪いが。

「平気なのか」

「うん、ちょっちビビっただけ」

 どうゆうことだ?

 彼女は僕らを足止めしたかったんじゃ。先立って出掛けた三人の全滅を誘って。

「解いてくれたんだよね?」武闘士が言う。

「手荒な真似をして申し訳ありません。穏やかに説明できる余裕もなく」

 先の戦闘。神聖帝園ビザンティオの学長との一戦で、武闘士は神遣葬弓の証となる神験を歪められていたらしい。それならそうと。

「早く言えばいいだろう。紛らわしい」太陽を消す。

 再びの夜。

「ごめん。でもそれ言ったら俺、足手纏いになって」

「そのくらい僕がなんとかしていた。まったく、僕を誰だと」甘く見られたものだ。これというのも錬金術師が最高峰最高峰と皮肉るからで。

「これで勝てる?」武闘士が肩を見せながら訊く。

「お気をつけください。相手はわたくしとは違う」

 妖魔デモン。

「昼夜を問いません。太陽も月光も原動力として還元されてしまいます」

 武闘士の肩を覆う紅い斑点が引いた。元の綺麗な文様に。

「あ、駄目だ。駄目だった」

 ソフィ・ア・カデメイ元学長、もとい祓魔師には。

「効力を持たないかもしれません」

「かも、ではなくなかったのです。僕の術ならともかく」

 神術カムスベ、神遣葬弓神随が効かないなんて。

 なにか、仕掛けが。

「変なんなってたからじゃないの?」武闘士が首を傾げる。

「一時的ですが、わたくしの力を付与させていただきました」

「え、悪魔の?」武闘士が吃驚して肩を確認。

 僕も思わず観察する。見た目は特に変化はないようだが。

「お急ぎください。どうか、ユースケ様を」指揮師ディリゲントを。

 時空移動。座標固定。

 礼拝堂。

 咽るような花の香が。花の?

 おかしい。誰もいないではないか。花畑だって荒らされた形跡が。

「いないね」武闘士が言う。

 検索詠唱。

 無人。悪魔の気配も感じられない。

「場所違ってるのかな」武闘士が言う。

「そんなはずは」

 嘘を吐かれた? 否、彼女の唯一絶対の目標は国王を取り戻すこと。自らの存在が懸かっている。必死にもなるだろう。血が得られなければ消えてしまうのだから。

 錬金術師、いるなら何かサインを。

「お困りですかね、ええ」

 誰だ。武闘士が引き締まった表情で身構える。流石に反応速度がいい。

 見るからに出所不明の怪しい男。

「私ねえ、しがないお医者をしてます。こう見えてももぐりでしてねえ。ははは、大した役にも立っていない閑古鳥も泣き疲れた寂れた診療所で」

「用件を簡潔に願えますか」

「これはこれは、悪い癖が出てしまいました。ついね、長話になって脱線してしまう。碌でもないですよ、本当にね。弱りものです。そうそう、本題でしたね」

 医師。そんなものこの国に必要なのだろうか。

 医学といえば。

 東賊の。魔素に無視された出日臨君イズルヒリンクン央ヨウで発達した学問。

「お察しの通りですよ、すべてね。魔導師を侮ってなどいませんが、ええ。追放されたのです。お恥ずかしながら。ああ、単なる若気の至りですがね」

「味方すか?」武闘士は、相手が敵だったらこのまま殴りかからんばかりの勢い。時間がないことを充分に理解できている。

 武闘士に血が上っているお陰なのか、かえって僕は冷めてしまった。

「どっちだよ」

「まあまあ、そう焦らずに。ね、危ないですから」

「冒険士と知り合いですね?」僕は考え得る可能性の中で、最も都合のいい内容を提示した。都合がいい、の主語は。勿論僕ら。

 とにかく時間がない。一刻一秒が惜しい。

 自称医師が笑う。笑っているということがわかるまでに、これまた相当の時間を浪費してしまった。厭な感じの。残像がのちのち尾を引きそうな。

「ツグくんからその、伝言をね、お預かりしているんですよ、はい」

 そう言って、自称医師は掌を。

 旋環。

 冒険士の発明品。

 どうやら信用に値しそうだ。ぐだぐだ説明されるよりこれを見せれば一発。

 空間に文字が出現した。武闘士に配慮したのか、列島ヒムカシの言語で。僕は天子廟香カラの公用語だろうが、大陸プレウゼンの言語だろうが読めるし書けるし話せる。

「地底?」武闘士が素っ頓狂な声を上げる。「え、みんな」

 祓魔師に強制移動させられたそうで。彼のアジトが。

 魔界でなくてよかった、と。安心すべきだろうか。妖族エルフ相手では、僕に勝ち目はない。

「はあ、ご無事ですかねえ」自称医師が他人事のように呟く。他人なのだろう。

「ご同行されますか」我ながら意味のない質問だった。そして大概時間の無駄な。

「いえいえ、とんでもない。私なぞ、ただのもぐり医師。命に関わることはねえ、その、極力関わりたくないといいますか」

 武闘士に早く早くと急かされるが、こちらにも手順が。視界の隅でぴょんこぴょんこ跳ねないでくれ。

「気が散る」

 地獄はどこにあるのか。

 概念上の問題だ。下じゃない。況してや地面の下なんかには。



     6


 地底、の段階で気づくべきだった。音響オトビキ王国クレンゲテーネ国王奪還の最優先目標を最優先に置きすぎて抜け落ちていたのだ。ここは、僕らが容易く踏み込んでいい領域ではない。

 容易く踏み込めてしまう自らの能力値の高さを呪うべきだろう。普通通常は侵入できない。だから向こう側の住人も侵入者に対し眼を光らせていない。踏み込めないのだ。弓杜封界宮シンの結界は破ることができる。悪いけど、大したことはない。侵入を拒むために張られた結界は破ることができる。強固な手段による侵入をもって。

 しかし、ここ。

 里離叢地サトリソウチ爐ヨミの結界はそれと趣を異にする。決定的な違い。

 侵入を拒んでいない。踏み込んで欲しくなくて張られた結界ではない。いや、むしろ結界と呼ぶに相応しくない。結界ではない。入れるほうがおかしいのだ。どうやって地底に降りる? ほら、初期段階で脱落だ。

 今更引き返すにしても、現にクレンゲテーネ国王は攫われてしまったわけだから。取り返すまでは戻れない。それに僕一人で戻ったところで。おそらく、僕以外に地上に戻れる術を持つ者はいない。いやしない。錬金術師たちは強制的に地底に連れ去られたのだ。

「見てないですよ」

「知らナイわね」

「誰よそれ」

 そんなはずは。

 とにかく無駄な戦闘は回避したい。彼女たちを逆撫でないように。

 小さい順にアカクロシロ。便宜上そう呼ぶことにする。そんな色合いの衣装だ。茜がリーダなのかもしれない。残りの二人が目配せする。招かれざる客の処遇をどうするか。

「時間がないんだ。知ってることあるなら」

 言った端から。

 武闘士。君は本当に期待を裏切らない。

「申し訳ありません。事情が事情なだけに気が立っていまして」僕が急いで場を取り繕うも。

「お前たちが」裏で糸を引いて。

 るわけがない。よく考えろ。考える頭がないのか。そうか。通訳しようが意味がない。そうは思っていないのだから。

 まずい。

 黙らせるか。しかし、彼なしでは祓魔師に勝てない。

「私じゃないですよ」と茜。

 列島ヒムカシ、西都。祭壇古都京キョウの巫女の装束を思わせる。腕の勾玉がさらにそれを強固なものにしているが、巫女特有のあの神懸かった雰囲気が感じられない。場所柄退化してしまったのだろうか。それとも巫女らしき装束を身に纏っているだけなのか。

「そうよ。あり得ナイじゃない」と緇。

 同じく列島ヒムカシ、東賊。出日臨君央ヨウで発達した医学、を司る医師アルツト、のサポートをする看護師ナースの衣装に似ている。が、あれは白だったような気がする。首に聴診器のようなものを掛けており、点滴スタンドらしきものを引きずっている。

「なんでそっちのことに干渉しないといけないのかしらね」と皦。

 列島ヒムカシの西。広大な大陸において女性が身に付けている民族衣装を、より豪勢に改造した。腰の大きなスリットに視線が漏れなく固定される。頭部の飾りといい、腕に纏う毛皮といい、ヒツジを連想させる。異質なのは右手の刃物。

 それで向かってこられた場合の対処法の中から最も有効な策を念頭に置いておく。いざというときに役に立つ。いまのところ、皦からしか殺意は感じられない。

「先ほども言いましたとおり、僕たちは貴女方の国を踏み荒らしに来たわけではありません。連れ去られた王と仲間を」

「見てないですよ」と茜が皦を見る。「観てたらチャナルが殺ってますね」

「ズルいじゃない?」と緇も皦を見る。「あたしをダしヌいて」

 皦は、面積の広い、物騒な刃物を振り下ろす。茜と緇に言い掛かりをつけられて腹が立ったわけではないらしい。

 刃先は僕に向いていた。「何人いたのかしら」

「仲間が3人と王が1人の合計4人ですね」

 竜族の勇者とやらは省く。あんな奇襲は裏切り行為だ。

「4人」と皦。

「ナニよ。心当たりあんじゃない」と緇。

「見たのですか」と茜。

「もう1人いたと思ったけど」と皦。

 祓魔師エクソシストのことだ。「仲間ではありません。そいつが連れ去ったんです」

「おんなじ匂いがしたわ」と皦が、緇に指をさす。

 ということは、緇も。「ちょっとちょっとヤメてよね、あんな低臭」

「見たのですか」と茜。

「スンゴい臭かったのよ。記憶にトドめたくなかったの」と緇。

 茜以外は目撃していたらしい。

 ああ、そうか。確かに第一声を分析すると、

 茜は、見てない。

 緇は、知らない。

 皦は、誰なのか。

 落ち着いて言葉の意味を突き詰めればよかった。その意味ままではないか。武闘士もようやく信じてくれたようだ。彼女たちと無益に戦うことがいかに無意味かということが。

 おそらく、彼女たちはとても強い。

 僕らが束になって敵わない相手ではないが、できるならそれは避けたい。時間だって無限ではない、僕ら人族ヒュムにとっては。

「案内していただけませんか」記憶にとどめたくないほどのすんごい臭いとやらの奴のところへ。

 緇と皦が示し合わせたかのようなタイミングで。

 茜を見る。「どうしますか。あたしが決めれないですね」

「そいつは、悪魔を狩り天使を讃える祓魔師とは正反対の」

「どうりでヘリオルとおんなじ匂いがしたわけ」と皦。「良かったわね。お仲間で」

 ぼごぼごと沸き立つマグマの川に、今にも腐り落ちそうな吊り橋が架かっている。皦、緇、茜の順に。すたすたと。怖くない、というよりは、落ちてもどうということもない、に近い。そうゆう足取りだった。溶岩が赤く揺らめく。灼熱の風が纏わり付く。

 禍々しいまでの存在感。武闘士がしきりに、左肩の御験を撫でる。そこにあるかどうか確めたいのだろう。

「恐いのか」愚問だった。

「なんか、あっつくて。さっきから」武闘士は、左右に展開する岩肌の陰からこの珍道中の動向を窺う異形な気配に、神経をすり減らしているようだった。

 悪魔デヴィル。妖魔デモン。僕には見分ける術がない。見分けるだけの意味がない。契約さえ交わしてしまえば、どちらとて。召喚魔。召喚を極めた師匠も、少なくない数の魔族と契約関係にあった。

 僕にも。いる。彼らの故郷にお邪魔させてもらっている。もし出食わした際の、可も不可もない程度の挨拶は考案しておいても。

 灼熱の地形を通り過ぎると、逆方向に雨の降る、いや、雨ではない。色とりどりの点滅。闇の一層深い。皦も緇も茜も、いつも間にかいなくなっていた。

 筒状の奇怪な物体から、その色彩の玉が生成されているようだった。心なしか僕に集まってくる。手の平はすでに覆いつくされていた。まさか、これは。

 ひとつの仮説を抱きつつふと、武闘士を見ると。案の定、彼の周りは、闇が厚い膜を。

 要するに、光の玉が彼を避けている。

 とすると、やはりこれは。

「流石は名に高いヴェスヴィの」喉元を鷲摑みにされた感覚。刹那。

 自動的に反射的に検索詠唱をしている自分と、そんなことをしても無駄だと抑制しようとする自分がせめぎ合う。

「野暮なこと。思慮の深さこそ、そなたら魔導師取り柄」

 取り巻いているこれは、魔素だ。僕ら魔導師が魔法を使う際の燃料。

 魔導師にとって、今の状況は、いつ火がつくともわからない。揮発性燃料の中で摩擦を起こしているに等しい。

「不用意に動くでない。仲間など恙無し」強烈な光源。

 眼を閉じても防げない。焼ける。

 検索詠唱。するまでもなく、

 武闘士が。僕の前に。

「すっごく居心地悪いんだ。なにこれ」こともあろうに、光源に向かって。

 神遣葬弓神随を。放とうと。

「ごめん。腕が勝手に」僕に対する謝罪じゃない。彼は僕と光源の間にいる。

「神実の」カムザネ?必死で意味を思い出す。「制御せんと溺るる。人に堕つる。世は滅ぼせぬ。そなたの概念の、世は外にいてる。射たば射て。さすれば」

 魔素そのもの。魔族というものは。

 こんな中にいて、どうして中てられない。地底から漏れ出した僅かなそれを駆使し、魔導師が操っていたとでも?なんという愚かな。思い上がりにもほどがある。全系統魔術スベラマヌツスベを同時に詠唱しろ、と。囁かれる。召喚魔が僕のこの手から現れたがっている。

 地底?それも遂に否定される。地の深遠に降りるとそこは、海底。僕のいた深海書庫などまだ蒼かった。地獄のさらに先は。

 光源の中央におぼろげな輪郭。鋭い角を擁する黒い翼が。クレンゲテーネの城に棲みつくヴァンパイアとは比べ物にならない。絶えず変化する、背後に留まらない。相反するはずの炎と水が掛け合わされたかのような。

 魔素と凡そ馴染まない東賊の衣裳で着飾った。魔素の根源を支配する冥府の女帝。

 扇子で口元を覆う。

「射たぬのか」嘲笑と挑発。どちらも違う。

「射ったら取り返しが付かない気がする」武闘士の左手は、神の矢を放とうとしているが。右手は。それを迷っていた。指先が震える。「あなたと戦いに来たんじゃない。俺は」

「仲間は無事だ。安堵せよ」冥府の女帝の容貌を眼にすることも叶わない。

 魔族を統べる魔素の具現。魔導師はすべからくこの女帝の隷下だ。

 なぜそれに気づかなかったのか。気づけるはずがない。あの微温湯の魔素の中で。気づける奴の気はとっくに触れている。

 駄目だ。考えるな。魔導師の利点、深い思慮は命取り。

 踵の下が崩れ去る。幻覚。知識の海がたちまちに混濁する。

「だいじょー?」武闘士の顔がそこにあった。「蒼白いけど。休む?」

「神随は?」射ったのか。射ってしまったのか。「やめてくれ。駄目だ」

 射ってしまえばそれは。開戦の合図。

 滅ぼされる。欠片も残らない。

 恐い。怖い。

 僕が恐怖を覚えている。

「ほんとにだいじょー? どしたの?」

 声は聞こえる。意味も取れる。のだが、返答を許可されない。

 まずい。足手纏いは、僕だ。

「錬金術師たちは」

 目的を見失うな。僕が揺らいでいることを見透かされては。

 僕が。

 僕は。呑み込まれる。精神の座がばらばらに砕かれる。巨大魚が口を開けて。

「錬金術師は。ツネアは」訊くな。自分で、見つけられる。

 検索詠唱。届かない。魔素があり余っているのに。

 骨ばった触覚に絡めとられる。それが、祓魔師の使役する悪魔だとわかったときに。

 視界に飛び込んでくる。見たくもない。闇は覆ってくれない。光も惑わさない。

 鮮やかな。宙に浮く。

 輪の檻。傷だらけなのか血まみれなのか。

 錬金術師。仰向けで静止。手には精霊を創造するというチョーカ。

 傭兵。九九九に全体重を預け、片膝を立て沈黙。

 冒険士。耳を塞いで蹲る。旋環の粉砕された跡が。

 先に行かせるべきでなかった。彼らだけでは勝ち目は。

 どうして。

「ヘレンカイゼリン!」

 冥府の女帝は玉座で頬杖。

 暇潰しの殺戮劇を演じさせられる。

「そなたらの概念に興味などない」

 神随。武闘士が射たされる。紅いそれは。

 神格を剥奪された慣れの果て。

「敵わぬ。世には」

 ヴァンパイアも共犯か。まんまと。

「使うな。駄目だ」神力は否定される。

「わかってるよ。わかってるんだけど」暴走?武闘士は、闇雲に紅い矢を。「離れて。止まんない」

 国王は。黒の切り裂く鎌の。

 降りてくる。

 天使を滅し悪魔を擁する。背信の祓魔師。

「お待ちしてました」

 妙なる白き天使の異名を持つ国王に、悪魔が宿っていたとしたら。

「わたしはそれが欲しい」祓魔師が、鎌を振り下ろす。



      7


 師匠ならどうするだろう。考えては駄目なのだが、考えるほかない。

 武闘士の神随カムナガラが、魔に染まったいま、僕が。

 神術カムスベを使うしかない。が、それには大きな問題が。

 ここには魔素しかない。魔素が溢れている。攻撃系の黒術クロスベを使いたくて仕方がない。魔素を昇華させる必要がある。魔素生成の源で。

 できるか。できないといっている場合では。

 せめて。魔素を捏ねている間、この夥しい数のデヴィルを引き付けてくれる補佐がいれば。

「よそ見をされては困りますね」祓魔師が言う。触角とも牙ともつかない。速い。

 検索詠唱。間に合え。

 国王から悪魔を引っぺがすのに全勢力を割いていると思ったら大間違い。

 強い。ビザンティオを、たった一人で壊滅まで追い込んだだけのことは。

 霊魂術シノヒタマ。

 召喚術サモナとは異なる。単なるデヴィルの使役に留まらない。

「仕舞えないのか」たぶん、僕は苛々している。そんな意味のない問い。

 仕舞いたくても仕舞えないから武闘士は。

「なんか俺役立たずで。使いこなさなきゃいけないんだけど」赤い岩肌を露出させるだけ。

 誰か。誰でもいい。

「最高峰の魔導師のあなたともあろう方が、仲間に助けを求めますか」祓魔師がその傍らに、獰猛な獣を控えさせて。耳を劈くほどの咆哮。「紛れもなくあなたは群を抜いて強い。あなた独りで、わたしと渡り合えるだけの力は有しています。手を抜かずに本気をお出しください。何を躊躇っておいでですか?あのときの、故郷の二の舞を恐れておいでですか」

 知っている。ヴェスヴィを火山灰の下に埋もれさせたのは。

「国王からデヴィルを取り出したのち、君がどうするのか。それに依る」この期に及んで譲歩?違う。

 時間稼ぎでしかない。頼れるのは自分だけ。そう思っていたのだ。

 つい最近まで。全系統魔術スベラマヌツスベを修めたあの日からずっと。

「どうすると思われますか?わかっておいででは?」祓魔師が言う。

 女帝は。文字通り高みの見物。茜も緇も皦も。干渉はしないが、万に一つ、女帝に何ぞ被るものがあれば。彼女らは、参戦する。おそらく僕に敵対する形で。その隙に、祓魔師は再び逃亡を図る。国王から剥がした悪魔を連れて。

 ここで仕留めなければ。なんとしても。悪魔を剥がされた国王がどうなるかは、ビザンティオ皇帝のときに思い知ってる。

「よほどヘレンカイゼリンに気に入られてるらしいね。だからここを選んだ。君の好きなデヴィルの棲み処だからかと思ったけど。国王に憑いているのは、無名のデヴィルじゃない。違うかな」

 デモン。それもとびきりの。

「魔素の塊である魔族が、魔素の源泉である冥府から離れるには、いくつか方法があります」祓魔師が、指を三本立てる。

 ① 魔導師ウィザードと契約する

「知識を武器とする魔導師のあなたに説くのは非常におこがましいのですが」

 ただの契約だから。魔導師または魔族のどちらかが破棄したいと思えば、そこで切れる。原則として対等の関係。「中には、力づくで使役しようとするのもいるけどね。召喚系魔導師サマナウィザードの面汚しだ」力づくで使役しようとする輩。

 それが、お前だ。偽祓魔師。

 ② 妖族エルフに隷属する

「妖族は魔族と違い、魔素を無尽蔵に生成できます。魔素の濃度が強いところに存在することができるため、地底に留まるより遙かに強靭な力を得ることが可能です。しかし、魔族のプライドの高さから、この手段を採るものは、魔族の中でもとりわけ知能の低い悪霊ゴーストや魔獣キメラなどに限られます。最期は、妖族の養分として取り込まれるのが落ちですから。初めからそれを狙って、魔族を誑かす妖族も少なくありません」

 魔導師の天敵は、魔族ではない。魔族は契約できる。契約してしまえば仲間になる。精霊も、獣族も同様に。彼らに魔素を供給することと引き換えに、彼らと契約を結ぶのが召喚系魔導師。

 妖族エルフ。

 彼らと契約を結ぶことは不可能だ。なぜなら、彼らに魔素を与える必要がないから。

 互いに利益がなければ、人族でしかない魔導師と、誰が契約など結びたがるものか。

 魔導師が、妖族と対等の関係であろうなどと。思うことすら間違っている。

「あなた方は、絶対に敵わない。デモンにエルフに」

 それを克服しようと、鍛錬を積んでいるといっても過言ではない。

 召喚系魔導師、いや、魔導師という存在価値の限界。

「以上の二つ、ギブアンドテイクの契約関係、ハイリスクハイリターンの隷属関係、それらを凌駕する、かつ運さえあれば手っ取り早い方法が」

 ③ 人族ヒュムに寄生する

「重二重にご存知のことをくどくど説明するので誠に心苦しいのですが、人族には三つのタイプが存在します」

 一、魔法の素質があり、かつ魔法の使い方を知っている者

 一、魔法の素質はあるが、しかし魔法の使い方を知らない者

 一、魔法の素質もなく、したがって魔法の使い方も知らない者

「あなた方、魔導師の多くは」素質はあるが使い方を知らない。「これは余談でしたね。天子廟香カラの平和ボケの手本とも言える、音響王国クレンゲテーネ。この国も以前は、魔窟城塞ヴェスヴィと同じく」素質はあるが使い方を知らない。「だったのですが、あまりに平和ボケに特化したため、魔法そのものが退化してしまい、仕舞いには」

 素質もなく使い方も知らない。

「要点だけ聞こうか。魔導師を馬鹿にするのは許しがたい屈辱だけど」

 祓魔師が、大鎌をくるりと片手で回転させる。武器自体は実体でないのかもしれない。そうでなければ、その大きさと重さをそう軽々と操れる腕の筋力は。

「あと一歩です。いましばらくお待ちいただいてもよろしいですか」僕に、じゃない。

 冥府の女帝に。

「傷など負わせてみろ。そなたの飼い殺す、世の末梢諸共、爐ヨミの灰にしてくれるわ」

「御意に。ヘレン様」黒い輪が。二つ。十字に交わって。

 交わった部分が、国王の。背中に。

 殺す気はないようだが。国王から悪魔が引き剥がされたとして、そのあとは。

 用済みとばかりに処理するのか。

 用済みとばかりに返還するのか。抜け殻を、遺体を。

 祓魔師の、無駄に長いお喋りのお蔭で、魔素を捏ねる過程は完了したが。

 問題は。どうやって、活路を見出すか。

「要点でしたね」祓魔師が、僕に視線を寄越す。大鎌を構えて。「国王は、魔族に取り憑かれやすい体質ということです。ヴァンパイア然り、この」

 刃を突き刺す。

 国王の背中に、闇色の隙間ができて。そこから、デモン特有の禍々しい翼が。

 止められないのか。止めたくないのか。止める?どうやって?

 ビザンティオ皇帝のときと、唯一絶対の違い。すでに終わったこと。じゃない。

 いま、この眼前で起こっている。止められる。

 検索は済んでいる。詠唱も万端。

 あとは、想像し、創造しようとする意志。

 凡そ僕に操れない術など存在しない。神術カムスベだって。

「ヨイッチ」

 神の術は、僕だけでは不十分。本来神術を操るべき。

「肩を!」

 武闘士には、僕のやろうとしてることがわかった。了承の返答代わりに、笑顔。

「あんがと!」

 囚われの神験を解放する。紅い光が浄化される。

 光は、そんな色をしてない。紅ではなくて。

 光に色はない。

「喰らえ」射。

 神遣葬弓神随。国王から強制的に現れようとしている翼に向かって。

 命中。

 矢継ぎ早に。命中。命中。

「んにゃろおおおおおおお!!」武闘士は、神遣葬弓神随を乗っ取られたことに対して相当に憤っている。

 当然だ。

 僕だって怒りが収まらない。

 魔導師を「甘く見ないでほしいものだ」

 錬金術師たちが囚われている、檻の柵に。

 ヒビが。

 ごつごつの岩肌に衝突しないよう、術を。発動するよりずっと速く。

 光速の一筋。

 檻を壊したのも。いまの光も。

 僕じゃない。心当たりが一人。目立ちすぎる勇者。

「やっと出番が来ましたよっと」

 言いたいことは山ほどあったが。奇襲の件。いまのいままで一体どこで。そんなことより目下最優先事項は。

「任せる」

 武闘士が、持ち前の脚力で飛び上がり。国王を奪取。見事なまでの身のこなしで軽やかに着地。

「だいじょー。息ある」

 残るは大鎌。あれさえどうにかすれば。息がある?

 皇帝のときとは仕組みが違うとでも。

「どうゆうことだ」

「目的は達されましたので」祓魔師が言う。大鎌に纏う闇色が、徐々に形を取り戻す。翼と角。国王に憑いていたデモンが。

 女帝の表情を曇らせる。

「だから、ゆったじゃない」

 なんだその、威厳もへったくれもない。若い娘のような口調は。

「こんなん反則やわ、セオちゃん。ウチのことは放っといてって」

「放っとけるわけないでしょ?ヒュムなんか、私たちよりずっとずっと寿命短いのよ?傷つくのはトルコじゃない。結局、モノにできてないんでしょ?」

 と、基本的に後で聞いた話なのだが。

 後で聞いて本当によかったと思っている。もし先に聞いていたら。

 こんな無駄な。

「無駄かどうか、わからへんよ?」錬金術師はそう言ったが。

 無駄としか。何も得ていない。

「マジんなった俺がバカみたいじゃん」武闘士、もっと言ってやれ。

 その通りだ。

 僕らより一足早く地底に向かった錬金術師たちは、全然別の場所で全然別の状況に出くわしていた。つまるところあれは、まったくの幻術。

 よく考えればそうだ。彼らがそんな簡単に、しかも三対一という絶対的有利な状態にもかかわらず負けるはずが。ないのだ。冷静な判断すら見失っていた。

 この悪魔騒動は。何十年も前に遡る。

 冥府の女帝には、何千年来の親友がいた。魔界中に顧客を抱える衣裳意匠家スタイリスト。女帝が付けた愛称に倣って、トルコと呼ぶことにする。

 トルコは、自らが妖魔デモンであるにもかかわらず、人族に。ゆうなれば恋をしてしまった。

 当然、その親友は反対した。種族の違い。なによりも、寿命の違いに。魔族からすれば人族の寿命など、くしゃみをする一瞬にも足りない。人族からすれば、魔族など恐怖の対象でしかない。認められない。やめて、それだけは。

 女帝が親友の恋路を断固として認めなかったのは、もう一つ理由がある。

 女帝もかつて、人族に恋をしていた。そのとき自分の味わった辛苦を、親友に味わわせたくなかったのだ。

「厭ねえ、恥ずかしい。もうそんな、どうでもいいのよ」とは言いつつ女帝の表情は悲しそうだった。

「あんときウチはせーだい応援したやん。やのに」不公平だ。トルコはそう言いたいらしい。

 結果的に喧嘩別れの形をとってしまった、二人は。今日のいままで交流を断絶したままだった。お互い魔族なので生死の心配はなかったようだが。

 仲直りをさせることが目的だった。というのは建前だろう。

 祓魔師の真の狙いは、女帝に気に入られることだ。魔族を統べる冥府の女帝とつながりができれば、自らの愛好する悪魔を獲り放題ではないか。そう簡単に転がされる女帝でもあるまいに。すべてを見切ったうえで、祓魔師に好き勝手やらせた可能性が高い。

「そんなことより」そんなこと。ほら、女帝にはその程度の。「ゆーくん、大きくなったわねえ。元気していて? やっぱり似てないのね」

 クレンゲテーネ国王が脳天からクエスチョンマークを放出させて放心している。意識を取り戻したはいいが。女帝並びにその親友、幹部の茜、緇、皦にあっという間に取り囲まれてしまった。危害を加えるつもりはなさそうだが、これは。なんというか。

 ハーレム?

「ほんまにねえ。先代よりそのにーちゃんに似てへんやろか」トルコが、国王の後ろから猛襲をかける。「このちーとも使われへん匂いが、もう。役に立たへんゆうんが」

 酷い言いようだ。確かにその雰囲気は否めないが。

「やめなさい、トルコ。怯えていてよ?」女帝は慈愛に満ちた表情で国王を見る。「ごめんなさいね。怖かったわね。安心して? ゆーくんの国も、そのお友だちの、トモルくんとゆったかしらね。海に浮かぶ園も、私がいる限り永劫不変に存在し続けるわ」

「は、はあ。それは、その」国王は冷や汗を流しながらただ頷くしかない。

「地上のことはエマイユから聞いているわ。困ったことがあったらなんでもあの子に言いつけなさいね。私がなんとかするから」

 エマイユというのは、クレンゲテーネの城に棲みついているというあの。ヴァンパイアのことだとか。そうか、あれも女帝の配下の。

 待てよ。そうなると、音響王国クレンゲテーネは。国王こそ天使という異名を取るが。その実体は、祓魔師の妄言でもなんでもなく。本当の本当に。

 悪魔が憑いている。

「さきほど、魔族が地上で生き永らえる三つの方法について話しましたが」祓魔師が唐突に話し出す。僕に話しかけている。「本当にその三つしかないのでしょうか」

「意味がよくわからないな」三つじゃいけない、とでも言いたげな。

「もしそうだとしたら、地上はこんなにも悪魔にとって棲みづらい。そうは思いませんか?」



      8


 地上へは、女帝が責任を持って送り返してくれるそうだ。僕の術をもってして帰れないことはないのだが、移動系は繊細な集中力を必要とする。疲労と徒労に終わった現段階で無事に地上へ戻るには、回復まで多少時間が要る。あくまで多少の。

 赤い壁紙が視神経を刺激する。客間に案内された。女帝の衣裳もそうだったが、東賊の様式が色濃く出ている。

 広く列島ヒムカシで見られる慣習。座敷、というんだったか。もくもくと香を焚いているおかげで、嗅覚の機能が著しく低下させられる。エメラルドグリーンの草を織り込んだ床面に、綿の詰まった正方形が敷かれて。

 どうするんだったか。ちらりと錬金術師を見遣ると、意味深な視線を返された。

「なんだい」その眼は。

「ああ、そか。ヴェスヴィ純粋培養のノト君は知らへんね」

「知らないわけじゃない。知ってるさ。ただ、文献でしか見たことがない。正式な方法を知ってるならそれを見てからでもと思っただけさ」

「知らへんのやろ?」

 悔しくなって、武闘士を見るが。どことなく哀れみの顔で。

「だから、なんだい?言いたいことがあるなら」

「え、まさかとは思うんだけど、見たこと」

 どうゆうわけか椅子が見当たらない。テーブルはあるのに。しかしそれも、脚が短すぎる。ソファと対になるならいざ知らず。ソファだって見当たらない。

 遙か床面に近いテーブルには、これまたエメラルド色の液体を湛えた器が人数分。異形と奇妙の境目に位置するかのような、果物?が皿に切り分けられている。

 野暮用(本人談)で離れた傭兵と、宮殿の探検(女帝の承諾済み)に出掛けた冒険士を待つ間、三幹部が僕たちを持て成すべく残ったわけだが。丁重にお断るするまでもなく、彼女らは漏れなく国王に夢中で。悪魔に憑かれやすい体質というのも困りものだ。

「えーあのう、その、すみませーん。お手数かとは思いますが」国王が僕らにヘルプサインを送ろうとしているのだが。届けようという意志が弱々しすぎて。

 まあ、殺されかけたら助けないでもない。楽しそうじゃないか。

 本当に君たちは。

 錬金術師も武闘士もグルになって僕を嵌めようとしている。僕がなんらかのアクションを起こすまで立ちっぱなしでやり過ごそうとしている。

「あのさあ、そうゆうのは」

「せやけどねえ」

「だって」

 面白がりやがって。

「どこにどうやって座るわけかな。つまりは」

 見るに見かねたのか、よりにもよって祓魔師が教えてくれた。正方形の上に座るのだと。膝を折り畳んで。

「正座というんです。そしてこれ」エメラルド色の液体の入った器。「煎茶というんですが、これを静かに戴きます」

「すまない。まったく知らないわけじゃなかったんだ」

「嘘っぱちやん」

「だよね」

 意地悪な列島ヒムカシ出身者を睨みつけた。

「しばらく黙っていてくれるかな」

「話が途中でした」祓魔師が僕の斜め前に、正方形を持ってきて座る。「わたしはその三つの方法に依らず、悪魔を地上に招待したいと考えています」

「招待してどうするんだ? 戦争でもするのかな。魔族を煽って」

 人族に対する、魔族の感情は。

 決して悪くない。しかしながら友好関係にもない。いうなれば不干渉。

 魔素に直接関わる、僕ら魔導師以外は。魔族と関わるきっかけも理由も存在しない。

 し得ない。

「あなたがた魔導師は、都合のいいときだけ悪魔を呼び出します。召喚しなければ、悪魔は地上に出現できません」

「そうゆう契約なんだ。都合のいいときだけ呼び出す代わりに」魔素を与える。「何か問題があるだろうか」

「妖族は」祓魔師は僕の挑発に乗ってこない。淡々と続ける。「悪魔を搾取します。強大な力は得られるかもしれない。ですが、養分というのはあんまりかと」

「何が言いたいんだい? 回りくどい話は好かないな」

 そういえば、いま思い出したが。

 都合のいいときに現れるあの奇襲勇者。どこ行った?

「ケイちゃんたち遅いな」錬金術師が茶を啜る。

「見に行ったほうがいい感じ?」武闘士が謎の果物?を頬張る。「あ、これ、うま」

「どれ? ああ、いっちゃんグロい思うて手ェ出さへんかったのに」

「ところで、僕らが大変な眼に遭ってる間、君は一体どこで何を」

 祓魔師が僕の視界で存在感を誇示する。「魔導師のあなただから話を持ちかけているのに腰を折らないでください。わたしは真剣に、悪魔について」

「悪いけど、僕は君の卓越した悪魔論に付き合えるほど悪魔について秀でていないよ。知ってると思うけど、僕ら魔導師の専らの研究対象は」古代文明ならびに、そこで使われていた古代文字。「悪魔も、おまけに天使でさえ僕らの興味の対象外だ。それでも物好きはいてやれ悪魔だやれ天使だとか、極めていたのもいたかもしれないけどね」

 僕が滅ぼした。中に、いただろうか。

 悪魔は、召喚系魔導師と関わりがないわけじゃない。

 天使は、なんだ?よく考えたら、よくわからない。天の使い?天とは。

 神?

 いや、違う気がする。もっと別の概念。

 そういえば、これもたったいま思い出したのだが。

「カムザネってなんだろう」武闘士に言ったつもりだったが。

 武闘士は聞き取れなかったとばかりに。「え、なに?」

「かむざね?」錬金術師が眉をひそめる。「なんやの、それ」

「ヘレンカイゼリンが言ってたんだよ。ヨイッチのことを」カムザネと。「だから心当たりがないかと思ってね」

 錬金術師が武闘士を見る。武闘士はにへら、と笑って。

「なんで笑う」僕は真剣な話を。

「いつの間にそげに仲良うなったん?共闘のおかげなん?」

 あ、しまった。つい。名前で。

「いいじゃないか。僕が誰をなんて呼ぼうが。君だって好きに呼んでるだろう。同じだよ」

「せやったら、俺も名前で呼んでくれへん?錬金術師とか、長いわ。ツネアて」

「俺も呼び捨てていい?ノトって」武闘士が便乗しようとする。

「好きにしてくれ。構わない」

 錬金術師と武闘士がハイタッチ。そんなに喜ぶようなことだろうか。

 名前くらいで。

「わたしは、悪魔を」祓魔師はとうとう勝手に喋りだした。例え部分的でも僕の耳に届きさえすれば、というやけっぱちにみえた。「地上に留まらせ、絶えず大量の魔素を与え続けることができます。わたしを媒介に」

「三つのいいとこ取りだね。ふうん、それで?」

「自らの体内で魔素を生み出せる最強の悪魔を、わたしは創りたい」祓魔師は錬金術師に話しかけた。「力を貸していただけませんか?」

「せやからね、さっきっからノト君が訊いとるんやけど、そげに最強な悪魔創ってどないしたんかゆう」

「おわかりいただけませんか」

「わかるもなんも。なあ?」錬金術師が腕を組む。「目的がはっきりせえへんことには」

「話したら、きっと助力していただけない」

「ほーら、なんやらいかがわしこと考えて」

「違います。それは」声を荒げたが、そこで言いよどむ。祓魔師は言いにくそうに下を向く。「違うんです。そんなつもりじゃなくて、ただ」

「言えないんだったら、話はそこまでだよ。とっとと帰るといい」悪魔の力を借りて地底に降りてきたんだ。戻れないはずはない。

 仲間になんかして堪るか。という意味を込めて錬金術師に視線を送ったが。

「わけありなん?」

「ツネア!」僕も声を荒げる破目に。しかもつい、名前を。「やめてくれないかな。何を考えてるか知らないけど」

 錬金術師が、口の端だけ上げて笑うという独特の笑い方をしたときは注意したほうがいい。絶対になにか、よからぬことを企んでいる。僕にとって。

「え、ツネアん。マジ?まじで」武闘士がぴょんこぴょんこと跳ねる。テーブルの上の器の中身が零れそうだった。

 錬金術師が首を振って制止する。「行儀悪いえ?ヨイッチ。まだなんもゆうてへんよ」

「でも、そうゆうこと?だよね?わー」なんでそんなに嬉しそうなんだ。

 こいつが、したことを思い出せ。

 生き返ったとはいえ、皇帝を一度は殺している。司令官、首相も瀕死寸前。国も壊滅まで追い込んだ。神聖帝園ビザンティオを敵に回すことになる。それだけは避けたい。なんとしても。

 音響王国クレンゲテーネだって、いい顔はしないだろう。他ならぬ国の代表を人質にとられたわけだから。事情を話したところで、あの宰相に鼻で笑われるのが落ちだ。

「僕は反対だな」

「せやからね、まだなんも」

 襖が勢いよく開く。真っ黒い影。かと思ったが、

 傭兵。

「おかえりー」武闘士が嬉しそうに手を振るが。

 なにやら様子がおかしい。眼が合わない。

 僕とだけ、かと思ったが。誰とも合ってない。

 ここにいるものは見ていない。

 ここにいないものを見ている。

「どないしたん?」錬金術師が近寄るが。「野暮用は」

 振り払う。

 眼が。

「ここでお別れだ」

 人族ヒュムを超越していた。

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