第2章 兵火の傭兵ウォリア
1
逃がすものか。
戸という戸を外から塞いだ。柱に括りつけて動けないようにしたから二重錠。万一ほどけても煙の餌食。泣き叫んでもどうにもならない。誰も助けに来ない。誰も聞いていないのだから。
手始めに五重塔に火を放つ。特に意味はない。眼に付いた建物から燃えてもらう。周囲は山。燃え広がればさぞ絶景。
宝物殿の戸を蹴破る。埃臭い。咳き込む。祭られている輩の名など知らない。額に埋め込まれている石がなければただの巨大な像に成り下がる。床に叩きつけてもなかなか取り出せない。木像に諦めろといわれているようで腹が立つ。何か破壊力のありそうなものがあればいいが。
あった。幅広の大剣。錆び付いているが。
木像の額に突き立てる。簡単に真っ二つ。ごろんと転がった。
奇石無鬼ナキ。
ずっしりと重い。これにどんな力があるのだろう。これだけ大層な場所にあるのだから相応のものでなくては困る。ついでだからこれも貰って行く。炎に食わせるには惜しい。目も当てられないほどの刃こぼれの割に凄まじい切れ味。面白いくらい手に馴染む。
轟々という音が近い。そろそろ潮時か。
石が先ほどより重くなった。厭な重さだ。死骸のような重さ。
燃え盛る炎にかざす。
常世の闇より深い黒。
眼。
眼だ。ほとんどが黒目。
見透かされている気がした。いままで何をしてきたのか。これから何をしようとしているのか。
奇石が剣先に沈み込む。刃こぼれが修復される。飾るだけの遺物だったというのに。
霊木が炎に屈する。
≫我が名は、霊剣九九九ココノクキュウ。
2
長年戦乱の続いた大陸クレも香カラの天子によって一気に平和ボケと化してしまった。誰も戦争がしたかったわけではなかったのだろう。引っ込みがつかなくなった惰性でしぶしぶ起こしていたに過ぎない。そんな彼らだから、綺麗ごとを並べてくれる調停者の存在は心から喜ばしいものであったに違いない。
きっかけがつかめればあとは自動。天子は復興に関して何もしていない。調停が成功した記念に自国を天子廟てんしびょう香カラとし、自らの国を世界一の貿易港に仕立て上げた。国は外部から統治されるものではない。香カラ天子はそれがよくわかっている。保安のため各地に派遣された兵士団もほとんど形式的なもの。
斯くして大陸クレは、最大の大陸という性格とは裏腹に穏やかな安寧を取り戻したかに見えた。たった三つの禁域を除いて。
いずれも天子廟香カラの目が届きにくい西部に位置し、それぞれ意味合いは異なるが頑なに外部との接触を拒む。
この中で唯一、人族の侵入が不可能な区域。運がよければ戻れる廃墟戦跡陵サギとも、二度と出られない深淵沙漠丘メサとも異なる。踏み入ることさえ叶わない内陸部。
お堀のように渓谷が取り囲んでおり、鬱蒼と茂る密林を臨むことが精一杯。外部の者がつけたその名は外観そのままの形容でしかない。溝の下部には不可思議な色合いの液体が張られ、そこまでの到達距離は目算の域を超えている。無慈悲な渓谷を眼の前に大切に抱えてきた跳躍の勇気は漏れなく霧散する。実際に跳んだものがいるかどうかはさておき、渓谷自体に強力な結界が張られているらしく、例え優れた術で何十メートルを渡ったとしてもそもそも侵入は無理な話で、無理矢理こじ開けようとすると手痛いしっぺ返しを食らうことは目に見えている。
要するに、翼もなく生ぬるい術しか持たない我々人族ヒュムを受け入れないということをわかりやすい形で示してくれている。みだりに侵すことさえ避ければ向こうも何もしない。大陸の一区間がそのような状況だろうがなかろうが誰も困らない。天子も兵士団を派遣しないことから最初から眼中に入れていないことがわかる。
まさか自分がその地に踏み込むことになろうとは。
いや、実際はまだ渓谷を臨んでいる状態。必死で手立てを考えているが昨日の今日で容易く思いつけばとっくに誰かが侵入に成功している。
まるで蜃気楼。幻なのかもしれない。
人族だけはいないことは確か。とするなら何族が覇権を握っているのだろう。覇権という概念が存在しない楽園という可能性もある。ぐるりと一周して何が得られるわけでもない。無駄に疲労しただけ。
≫莫迦者が。
≫つくづく無駄が好きな奴よの。
「方法がないか」
≫無いな。
黙る。
≫どうした。もう諦めたのか。
「あんたに言われると言い返せない」
≫底抜けの莫迦が。
「向こうは何がある」
≫さあな。行ったことがないから適当なことしか言えんよ。
「適当でいい」
≫ノームだ。
「濃霧?」
≫わざとやっとるだろ。
「いや」
≫人族を嫌っとるわけじゃない。
≫住んどったらたまたまこうなってただけだな。
「じゃあなぜ侵入を拒む」
≫適当だと言ったはずだが。
だとするなら。
≫何をする気だ。
「斬り込む」
≫感心せんな。お前さんらしくもない。
「術ならあんたが何とかできる」
≫信用してくれるのはうれしいが。
≫届かんぞ。
「届かせる」
≫焦っとるな。
「頼むぞ」
≫言っても聞かないか。
力いっぱい振り下ろす。音は。
した。
「どうだ」
≫来るぞ。気を抜くな。
一斉放射。無鬼なら一掃。さて第二波。
来ない。九九九の有効範囲の僅か前方に障壁。それが一斉射撃を跳ね返す。
≫違うのが来よったわ。
「奇遇やね。俺もあっち行くん」
薄い茶色の髪が空に透ける。背は低いが眼力は相当。如何にもなローブが魔術を操る者を象徴している。
(尾行けられたか)
≫お前さんが気づかんこともあるまい。
「来るえ」
無鬼があれば大したことはない攻撃だが鬱陶しい。人海戦術の延長。
錬金術師アルヒミストはどうやってここまで。
廃墟戦跡陵サギから渓谷密林暦マヤに行くには最速で一日。北回りの海路で西部に渡り陸路を延々進む。もう一つの方法は南回りの海路。こちらは陸に上がってからの距離が倍あるので二日は覚悟したほうがいい。陸続きだから陸路が最短距離のように思われるがそれは出来ない。確かに直線距離なので突っ切ることができれば半日で辿り着けるだろうが、それには深淵沙漠丘メサを通らなければならない。
踏み込んだが最期、遺体になっても出られない。そんな場所を通ってこれるようには思えない。とするなら北回りか南回りだが、ケガ人を置くため闘技場コロセオに寄っていただろうから所要時間が合わない。
「どうやった」
「話しかけたったらあかんのと違う?」錬金術師が言う。
「海路か」
「あー、ここまでね。せやなあ、どやったかな」
放射が已んだ。
厭な間だ。呼吸器官を支配されているような。
「怪我、治らへんて」
「だろうな。あいつはそうゆう奴だ」
拳闘士ブルーザ。
「なんや知ったはるみたいやね。昔の連れやったり?」
「治すつもりか」
「自称錬金術師に出来へんことはない、ゆうて大見得切ったん。手ぶらで帰れへんよ」
「何を知ってる」
「あっちにええもんがいる、ゆうことくらい」
「いる?」
「よおわからへんの。たぶんいる、でええと思う。あーごっついの来おった」
表皮にぶつぶつの斑点。鱗はごつごつというよりぬめぬめ。炎に包まれた巨大なトカゲが渓谷を登ってきた。
≫サラマンドラの亜種だろうな。
(亜種?)
≫四大精霊がこんなところで門番などせんよ。
≫悪く言えばニセもんだ。
「シルフィードやらウンディーネやらも出てくるのと違う?」
≫あり得るな。まあ亜種だろうが。
炎の柱がぐるりと周囲を取り囲む。熱くないのは無鬼のおかげだ。
錬金術師が詠唱する。
なにも。
出ない。
「あかん。思うとった通り」
≫亜種でも力は本物のようだぞ。気を抜くな。
「どうゆうことだ」
「俺の力、おんなじなん。火気マルゆうんがこれ。シルフィードが空気アル、ウンディーネが水気ヘル。で、ノームのおっさんが土気ソル。つまり親分に教わった術をそっくり返しとるようなもんやさかいに。ダメね」
「濃霧?」
≫お前さん、やはりわざとやっとるだろ。
(いや)
「どないしよ」
「庇えないぞ」
「それは気にせんでええよ。攻撃できへんけど通じんから」
(斬れるか)
≫望んでないかもしれんな。お前さんたちを入れたくないだけで。
確かにトカゲは炎で堤防を張っただけで特に何もしてこない。舌がちろちろのぞく度にぱちぱち火花が上がる。
(手は)
≫平和な方法があるじゃないか。お前さんには向かんが。
「錬金術師、あれと話が出来るか」
「出来んことはないな。せやけど、話してはいどうぞやったら誰も苦労せえへんよ」
「誰もやろうとしないから誰も入れさせてもらえないんじゃないか」
錬金術師が眉をひそめる。
≫相も変わらず無茶苦茶だな。呆れられとるそ。
「なんでここ来おったん?」
「弓取りのケガは俺のせいだ」
「協力ゆうことで手ェ打ったるよ」錬金術師が言う。
「今回だけなら」
≫好かれとるんじゃないか。
(どういう意味だ)
錬金術師はトカゲに呼びかける。何と言ったのか聞き取れなかった。しかし結果はすぐに出る。
炎が一瞬で退く。
3
この一帯がそう呼ばれるようになるまでさほど時間はかからなかった。
もともと何かの遺跡的建造物があったようだがいまは単なる瓦礫と砂。たった一人の魔女の要らない、発言によって消えてしまった文明。そこで戦争をするのだから転がる屍量は相当。墓場より虚しい。その雰囲気を好む人間も少なからずいる。脳天から爪先まで血に染まる殺戮集団には相応しい無の要塞。
「珍しいじゃねえのオニ。んだよ?」一番。
スサに纏わりつく血のにおいが最も強烈で禍々しい。最も遠い位置にいるのに嗅覚が麻痺しそうなほど。他も同等のはずだから隠しているか、いちいち落としているか。
人員点呼。するまでもない。
「んで、本題を聞こうか」七番。
七人。
「武世来アームエイジドダンは解散する」
驚いた顔。二人。
そうでもない顔。残り。
「久し振りに会ったと思えば冗談大会かよ。け、やめやめ。帰る」一番。
くすくす。三番。
ひそひそ。六番。
「いくら単なる寄せ集めとはいえ理由くらいお聞きする権利はあると思いますがね」四番。モロギリはわかっていて訊いている。
七番。ナタカも目を瞑ったままなんら動じない。
この二人の反応は予想していた。
「まさかとは思うけど厭きちゃったとか?」五番。ダイも一応訊いておこう、といった感じで言葉を発したに過ぎない。
≫言ってやれ。
「お前ら何人殺した?」
スサがげらげら笑い出す。「数えたこたねえなあ」
「そんなのいまさら」二番。
スサとクウに歯止めは利かない。彼らの信条は殺すために殺す。
「なるほど。殺戮集団に嫌気が差したわけか」七番。
「これは是非本心を伺いたいものですね」四番。
ナタカとモロギリはほとんど独り言。彼らはすでにこの先を決めている。
「きらい」三番。
「そうだよね。勝手にそんなこと言われてもね」六番。
リマとリクマが同時に消えた。空間歪曲。リマは機嫌を損ねると即行でいなくなる。仲のいいリクマを連れて。
ダイが頭を掻く。「解散てゆーか最初っからばらばらじゃんねオレら」
彼が何を思ってこの集団に属する至ったのかよくわからない。殺戮にも集団自体にも興味があったとは到底思えない。
「つまり、オニだけやめるって事かな」ナタカはたぶん。殺戮の次の段階を目指している。
「違う。解散だ。武世来はすでにない」
「意味わかんないんだけど」クウがぶつぶつぼやいている。不満が渦巻いているとこうなる。視覚狭窄。
≫本心を言ってやれ。
「方向を間違えた。俺はこんなことしたかったわけじゃない」
「自分の生まれ育った国滅ぼしといてそうゆうこと言いやがるわけか。なに?くだらねえにもほどがあんじゃねえのよ」一番。
「それなら何がしたかったか教えていただきたいですね」四番。
「わからない」
ナタカはぼろぼろの大剣を担いで背を向ける。「オニらしい返事で安心したよ。わかった。解散だな」
「オレもそれでいいよ。んじゃーね」ダイはにかと笑って手を振る。ナタカと反対方向に去っていった。
七マイナス四。
「おいおいなにカッコつけてくれてんの? 莫迦じゃねェ?」一番。
「ねえ、ぼくにもわかるように説明してよ」クウが詰め寄る。怒りのあまり問いかけの言葉が出なかったようだ。解散と言ったときにも放心して眼が泳いでいた。「オニがそんなこと言ったらぼくはどうすればいいわけ?」
「殺しをするな」
「はあ? だいじょーかよ?」一番。
クウとスサを横目で見ながらモロギリが息を漏らす。
「なに嗤ってやがんだよ、てめえ」一番。
「首領が解散と言ったら僕らはただ唯々諾々と従うしかありませんね。それともオニがいないと何も出来ませんか、君たち人殺し大好き組は」四番。
スサが眉間にエネルギィを溜める。クウは眉を寄せた。
「解散ということは、そのあとについて個々人の自由でよろしいでしょうか」四番。
「な、てめ、まさか」
声を上げたスサにモロギリが微笑みかける。「実を言うと僕は大いに失望しました。久し振りにオニに会えると思いましたからある程度は覚悟していたつもりでしたが。しかしいきなり手を離されても部下は路頭に迷ってしまいます。そういうわけですので、許可しない筈はない、と期待しても」
「お前何考えてんの? オニが首領じゃないなら」二番。
「別に君は誘ってませんよクウ。僕が誘いたいのはスサ。どうですか。ちっとも悪い話じゃないと思いますがね」四番。
スサは口の端を引き攣らせてモロギリを睨みつける。
「ううん怖い顔」四番。
「正気かよ」一番。
「オニは駄目とは言いませんね。どうです?」四番。
「ぼくはヤダからね。なんでそんな」二番。
「構わない」
「ほら」四番。
「だが」一番。
視線が集まる。二種類の。
「俺は首領でもなんでもない」
「それは承知しています。勿論、オニの気に障るのならピリオドでも何でもどんどん打ちに来て頂きたい」四番。
「は、イカレ狂ってんじゃねえの?」一番。
「それは承諾ととってよろしいですか」四番。
「ちょっと何勝手に」二番。
「クウ。いまなら俺の権限で入れてやってもいいぜ? 新生武世来」一番。
「オニがいないんだよ? そんなの。オニも何か」二番。
「次に会うときは容赦しない」
「それまでにこの禁域のルールを変更しておきます。生きて帰れない、というのから運がよければ帰れる、というように」四番。
「け、ぬりィな」一番。
「次の首領が気にしないように思われるのですが」四番。
スサの眼に禍々しいものが宿る。モロギリは初めから彼を勧誘するためにこの殺戮集団に入った。ようやく自らの思うとおりに運んで満足かもしれない。
七引く六は。
「許さない」二番。
銃口が眉間に。さすが速い。
「撤回してよ」クウが言う。
「殺すか」
引き鉄に指。微かに震えている。
「殺せるか」
「ぼくは武世来なんかどうでもいい。何があったの? わけわかんない誰かに何かよくわかんないこと言われた? 誰? いまから殺しに行ってあげる」
「俺が決めたことだ。その気があるなら相手になる」
銃口がほんの僅かだけ離れる。力が抜けただけのようだが。「つまんないよ。いつからそんな」
「以後できる限り顔見せるな」
トリガを引く音。弾が入っていたら頭を撃ち抜かれていた。
「オニはぼくが殺すから」
4
トカゲが炎を吹いて渓谷に橋を渡す。吊る部分が無い吊り橋に似ている。再三言うようだがまったく熱くない。触るとむしろ冷たいような気がする。
≫何てゆったか気にならんか。
(いや)
≫言い換える。そやつに訊いてくれんか。
「何て言った」
「自称錬金術師のツネアゆいます、ゆうただけ」
≫なるほど。こやつ、なかなか賢いな。
日の光も通さないほとみっしりと樹林が植わっている。湿地のにおい。先頭にトカゲ。たまに錬金術師が息を漏らすので会話をしているのだろう。
根の辺りに何かがいる。すごく小さなもの。横目で捉えることは出来るのだが、しっかり見ようと思うともうそこにはいない。
「せやった名前」錬金術師が隣に並ぶ。
奇妙なにおいがした。血のにおいに慣れて嗅覚が狂ったせいでよくわからない。
「言う必要ない」
「何したはるん? ただの復讐者には見えへんけどね。傭兵ウォリア?」
「雇われてない」
「いくら?」
トカゲが移動をやめて舌をちろちろ覗かせる。小石に囲まれた部分。地面に木造の扉がある。拳ほどの大きさしかない。足で踏みつけたら簡単に壊れてしまいそうだ。
錬金術師が頷くとトカゲは向きを変え、辿ってきた道を引き返していった。
「ここやて」
「入れないだろ」
≫別にお前さんが入らなくてもいいだろうに。
錬金術師が戸を指でつつく。「すんませんけどお」
間。
「出てこないが」
「警戒レベルが強いのと違う? ちょお離れよか」
三メートルほど距離をとって見守る。錬金術師はきょろきょろしている。樹木の根元にちらつく何者かを捉えようとしているのだろう。
≫いちいち強情だの。名前くらい減るもんじゃなし。
(必要がない)
≫向こうは名乗っとる。最低限の礼儀じゃないかな。
(随分こいつの肩を持つ)
≫まさかもう一度錬金術師に会えるとは思わなんだ。
≫これが興奮せずにいられるか。
(禁術じゃないのか)
≫いろいろあったんだ。それこそいろいろな。
≫知りたいならそやつと仲良くしたらいい。
(入れ込むんだな)
≫ついな。錬金術師にはな。
(借りでもあるのか)
≫まあそんなところだ。
≫お前さんも自称傭兵なら見返り分くらいの働きをしたらどうだ。
≫闘技場コロセオ。高くつくぞ。なんせあれは儂より長生きで人気もんだからな。
「錬金術師。お前の目的が何かは知らない。訊くつもりもない。だから俺の目的も一切詮索するな。その条件が守れるなら、多少は工面する」
「仲間になる、ゆうこと?」
「好きに取ればいい。俺はケイ。オニと呼ばれることのほうが多い」
錬金術師の発する奇妙なにおいの正体がわかった。この世ならぬ物質をこの世に具現し保持するための副産物。
無鬼と同じ。九九九と同じ。
「オニゆうんは何やあかんな。俺、鬼見たことあらへんし。ケイちゃんでええかな」
「呼び方は気にならない」
「おおきに」
地面の戸がゆっくりと持ち上がる。赤い尖ったものが見えた。十センチくらいの。
「ああ、こっちです。すんませんね」
錬金術師の音声に驚いたらしく戸がパタンと閉まる。しばらく待っていたらまたゆっくりと戸が持ち上がった。
「えっと」蚊の鳴くような音。息を潜めていなかったら確実に聞き逃していた。「錬金術師、だよね」
「自称やけどね」
赤いものしか見えない。そこから出ないまま話すつもりらしい。「滅んだって聞いたよ」
「ああ、せやから俺が自称ゆうわけでね」
「もう一人は」
「怪しいもんやないです。な?」
「何でも出来ると聞いたが」
また戸が閉まった。錬金術師に睨まれる。
「遠い」
「こっちも段取りゆうもんが」
「埒があかない」
≫得意分野じゃないんだ。そう出張るな。
「ノームのおっさんは背丈だけやのうて気ィも小さいん。黙っといてくれへんかな」
静かに戸が持ち上がる。赤いのは尖った帽子かもしれない。「本当に錬金術師?」
「証拠見せよか」
錬金術師が小声で詠唱する。特に何も起こらなかったが戸がぜんぶ開いた。
小人が顔をのぞかせる。「僕に会いに来れるのは錬金術師だけだよ。そっちの人はちょっと」
「気にいらんかな」
「面白い石を持ってるね。それと剣と。うん。いいよ。怒らなければ」小人は尖った帽子も含めて全長三十センチほど。長い耳はリマのそれとよく似ている。目が細く、開いているのか閉じているのかよくわからない。「谷間ができてからめっきり訪問者が減ったよ。僕としてもあまり会いたくないからいいんだけどね。何の用?」
「俺に錬金術の粋、教えてくれへんかな」
「そうゆう人、久し振りだな。どうして知りたいのか聞くよ」
「連れがケガしてん。脚ボキっと。二度と走れへんゆうからあんさんに頼も思うて」
「その人は」
「置いてきたわ。お荷物やからね」
「うん。出来ないことはないけどいま初めて会った君に教えるのも」
「おい、渋るな」
戸がぱたんと閉まった。
「小人。隠れてんじゃねえぞ」
「ケイちゃん、頼むから黙っといてね」
静かにしていたらそろそろと戸が持ち上がった。赤い帽子の先端だけが見える。「やっぱりその人厭だな」
「あ、ちょお待っ」
戸が元の位置に戻る。錬金術師が駆け寄って呼びかけるが何も起こらない。
≫お前さんが悪いな。
(何とかしてくれねえか)
≫無理だな。ノームは気難しい。
≫錬金術師のお膳立てでも不可能じゃ望み薄だ。
「あかんわ。失敗」
「無理矢理こじ開ければいいだろ」
蹴り壊そうとしたら錬金術師に止められた。
「放せ」
「出直そ」
「ここまで来といて帰れるわけねえだろ。俺は急いでるんだ」
錬金術師がなにやら詠唱する。無鬼がある限り術は効かない。そんなこと重々わかっている筈なのだが。
「怖がらせたらあかんよ。見てみい」
≫よかったな。お前さんの得意技だ。
水を纏った魚みたいな生物。風の中心にいるイタチみたいな動物。それらが宙にふよふよ浮いている。
「こらまた可愛いらしウンディーネとシルフやな」
「退け」九九九を振り下ろすが手応えがまるでない。水と風を斬っているかのような。
≫あやつらが生物の体をしとるときでないと効かんよ。
≫焦るな。こやつらを追い払ったところでノームは現れん。
(じゃあどうするんだ)
轟音がしたかと思ったら聴覚が奪われた。耳鳴りがする。呼吸がしにくい。
竜巻。嵐。豪雨まで降り注ぐ。
「無事か」
「ああ平気。ゆうたやん、親分の技やて」確かに錬金術師の周りだけ凪のように静かだった。
濡れてもいなければ髪も風に靡いていない。真っ直ぐに地面に立っている。
≫気に入らんお前さんだけ排除しようという意志が感じられるな。
九九九はまったく意味がない。ただ疲れるだけで。この姿がよほど滑稽に映っているらしく錬金術師は高見の見物をしながらにやにや嗤っている。誰かがよぎったが誰だったか。
「見てないで何とかしろ」
「それもゆうたやん。効かへんの」
(おい、あんた)
≫謝ったらどうだ。
≫それがいい。なんと言ったか。土下座だ。
(それで治まるんだな)
≫わからんよ。
≫やってみる価値はある。
九九九を地面に突き立てて土に膝をつける。正座なんか何年ぶりなのか。見当をつけながら頭を垂れる。錬金術師がなにやら詠唱している。
違った。一緒に謝ってくれたらしい。
嵐は過ぎ去る。
5
傭兵ウォリアというのは悪くないかもしれない。金はないが力はある。
平和ボケ大陸クレで唯一戦争をしている地は廃墟戦跡陵サギということになっているが、これは外部観察よりもひどい。謎の殺戮集団の要塞がそこにあってそれを鎮圧すれば莫大な賞金が出る、というのも単なる噂。天子だって直属兵士団だって手に余る存在。奴らはそこを根城にしていた時期もあった。
いまは違う。武世来アームエイジドダンは解散した。新生だろうがなんだろうが潰してしまえばいい。それがかつて首領だった創造主の役割。奴らに敵う者などいない。無駄死にはやめろ。
≫苦労だな。あの時皆殺しにすればよかったものを。
(殺しはしたくない)
≫お前さんなりの最終忠告だったわけか。
≫つくづく口下手だな。正直に言わんと。
(どうせ伝わらない。ナタカとダイだけ回避できればと思った)
≫そうか。試みは成功したんだな。
≫七よりは五のほうが幾分か楽か。
列島ヒムカシの西に位置する大陸フランセーヌ。
面積は大陸クレの三分の一ほどだが世界的には二番目に広く、年中穏やかな気候が功を奏して人口もそれなりに多い。平和を掲げる天子廟香カラとそりが合わないようで、表向きは国交を断絶しているが、国家経済を担う商人は世界一の貿易港と仲良くしないわけに行かない。大陸クレが平和ボケを呈する遥か以前から大々的に戦争をしてきた歴史をいまも頑なに守り続けている。
その好戦的な大陸を統治する魔導公国オルレアの女王が軍備の強化に躍起になっているらしい。立国以来、陰に日向に公国を支えていた魔導師ウィザードの絶対的な不足により已む無く傭兵を雇うようにした、とのことだがなにやら裏がありそうだ。
魔窟城塞ヴェスヴィ。
大陸フランセーヌの西に浮かぶ絶海の孤島。
世界最高峰の魔導師が集う学術研究島であり、主目的は次世代を担う優秀な魔導師を輩出する学校ということだが、その島だけで独立国家を成していると言ってもいい。そもそも魔導公国オルレアが魔導公国と称するに至ったのもこの島があったからこそ。順序は明らかに魔窟城塞ヴェスヴィのほうが先である。初代女王は魔窟城塞ヴェスヴィにおける最高水準の魔術に目を付け、半ば強引に研究資金等援助をすることによって魔導公国オルレアを創り上げたのだ。結果、自他共に世界一と認める強力な魔術力、並びに知識の海とも言える魔導師の頭脳をも独占し、魔導公国オルレアは天子廟香カラ以上に繁栄を遂げるはずだった。その目論見は現女王の代であえなく崩れ去る。
魔窟城塞ヴェスヴィが一夜にして壊滅した。
島の中央にそびえ立つシンボル的な大火山が突如爆発し、噴き出した大量の火山灰の下にすべてが埋もれた。深夜だったこともあり、逃げることが出来た者は皆無。世界最高峰の魔導師といえども天災には敵わなかった、という皮肉だけを残して、魔窟城塞ヴェスヴィは単なる灰の島と化した。その日はちょうど年に一度の集会が行われており、世界中の魔導師が、故郷ともいえる魔窟城塞ヴェスヴィを訪れていた。無論、魔導公国オルレアの犬として働いていた魔導師たちも例外ではない。
逃げ延びた者は本当にいなかったのか。生き残りは存在しないのか。それでも全体の一割以下であり、同士の突然かつ不可解な死に疑問を持った者たちが何百人と魔窟城塞ヴェスヴィに派遣されるなり自発的に調査するなりして挑んだが、戻ってきた者は皆無という。生きて戻ってきた者がいない、わけではなく、魔窟城塞ヴェスヴィに行ったきり行方不明、というのが正しい。
それ以来、ミイラ取りがミイラになる図式でどんどん魔導師は減り、いまでは正規な機関で認められた魔導師は貴重な存在となり、彼らが先達となって行ってきた古代文明や古代文字の解読を進める研究分野は衰退の一途を辿った。
ただ、そんな状況が謎や秘境としてもてはやされ、一部の冒険士トレジャハンタたちの間で魔窟城塞ヴェスヴィ完全攻略をした者こそが冒険王トレジャハンタキング、などと吹聴された時期もあったらしく、好奇心の塊のような彼らにはさぞ魅惑的に映っただろうということは想像に難くない。
孤島に近付いた物好き連中の話では、島全体に魔術的な結界が張られており、上陸はおろか火山灰の一粒ですら持ち帰れないとのことだが、そうなるとなぜ魔導師たちが誰一人として戻ってこないのだろうか。彼らは一介の軍人より遥かに力を持っているし、その最高峰の頭脳に蓄える知識量も並ではない。現女王もその点が不満らしく、絶海の孤島の様子を定期的に探らせている。あくまで遠方からだが。
斯くして魔導公国オルレアは、歴史的な意味としてしか魔導公国の名を保てていない。改名しようにも対外的に負けを認めたようなものなので、意地になっているのだろう。この一連の騒ぎを、長年魔導師を不当に使役してきた魔導公国オルレアに対する魔窟城塞ヴェスヴィの反乱と主張する者もいる。しかし確かめる術はない。例え実際に上陸に成功したとしても。
(あんたはどう見る)
≫珍しいじゃないか。他人事に首を突っ込むなんぞ。
≫もしや気にしているのは連中のことか。
武世来アームエイジドダン。
(それはない)
≫だろうな。あれが埋まったときはまだお前さんがおったしな。
(何か知らないか)
≫さあ、どうだか。
≫それより話は聞いたほうがいいな。事実上落ちぶれたとはいえ女王の御前だ。
顔を上げると、女王が大きな溜息をついた。思えば最初に会ったときから女王は溜息ばかりついている。薄蘇芳を基調としたドレスも鶸色の短い髪も、頭部を飾る銀の王冠でさえもくすんで見える。
「ケイと言ったか。そち、行く気はないか」
「ありません」
女王の身の安全を第一に、と教育された輩がざわざわしだす。むしろいまは精神面を気遣ったほうがいいと思うが。無礼者や身のほど知らずは一体どっちだ。
すぐに女王はそれら有象無象を一掃する。そもそも女王が直接会いたいということだったからわざわざ来てやっただけのことで。
≫即答するでない。せめて悩んだふりをすべきだったな。
「よい。答えはわかっていた。戯言だ。忘れろ」女王が言う。
「用件は」
再び無礼者と叫ばれる。女王の脇にいる老人がうるさくて仕方ない。
短気な役人に、鼻先に剣を突きつけられたが特に気にならなかった。鎧が薄すぎて意味を成さないことは黙っておく。
≫財政難なんだろうな。頼むから儂等を振り回さんでくれよ。
(報酬を弁償金に充てればいい)
≫問題がすり替わっとるが。
「そちの意見が聞きたい。遠慮なく申せ」女王が言う。
「島は諦めたほうがいい。それと、この国は何と戦ってるんだ」
女王がまた溜息をつく。脇にいる老人がついに退場勧告を出したが、肝心の女王が去れと言わないのでまだ帰れない。
「じい、うるさいぞ。難攻不落要塞みたいな口を閉じよ」女王が言う。
老人はようやく黙った。睨まれたが特に凄みも何もない。
≫難攻不落要塞みたいな口、とはなんだろうな。
≫面白い女だ。儂は嫌いじゃないぞ。
「無駄に兵を使用するなといいたいのか。財政悪化は」女王が言う。
「戦争で得たものが失ったものの価値と見合っているか、ということです」
今度こそ、女王から退場命令が出た。魔導公国オルレアもかつての大陸クレと同じだ。単に引っ込みがつかなくなっただけのことで。安いプライドで民を皆殺しにしている。武世来より性質が悪い。止めるものがいないのだから。
≫お前さんが止めたらどうだ。
(頼まれてない)
≫頼まれたら止めるのか。
(わからない)
その後、魔導公国オルレアは、ほぼないに等しい国家財源のすべてをつぎ込んで世界中から手練の傭兵を掻き集める。火山灰に埋もれた無人島、魔窟城塞ヴェスヴィに総攻撃を仕掛けるが戦果は言うまでもない。
傭兵ウォリアというのは。
6
持久戦になってきた。
あれからずっと小人の住処の入り口で張っているが景色がまったく変化しない。
とうとう夜になってしまった。
暗いのは気にならない。そもそも最初から暗かった。夜だとわかったのは空気の流れが変わったからだ。木の根っこの辺りでうろちょろする小人も見かけなくなった。家に帰ったのか。錬金術師が野宿についてぶつくさ言っている。
「厭なら帰れ」
「あほお、帰れたら苦労せえへんわ」なにやら機嫌が悪そうだ。腹が減ったのかもしれない。
「食うか」
「なんやのそれ」
「口に入れると腹が減ったことを忘れる」
「毒なのと違う?」
「毒だ」
錬金術師は小刻みに首を振る。
≫お前さんの冗談はわかりづらいからな。
(冗談を言ったつもりはないが)
≫儂等が試せないのが残念だ。
「なあ、これ終わったらどないしはるん?」
「決めていない」
「せやったら、いくらで付いて来てくれる?」
傭兵を名乗った憶えはないのだが。
「金なら払っただろ。足りないなら」
「それはもう会うて断ったよ。俺は金なん要らへん。ケイちゃんがしたいことの邪魔はせえへんから」
「すでに邪魔だ」
錬金術師はそっぽを向いて黙ってしまった。木の根元に座っているのでさらに小さく見える。
≫言いすぎだぞ。
≫仲良くしろとは言わん。言い方の問題だな。
「ホンマは復讐やないのと違う?」
「だったらなんだ」
「
無鬼を炎にかざしたときのことを思い出す。
黒。曇りなき黒。
「山ぜんぶ燃えて。そのまま。故郷に帰りたないんかな」
「帰って何があるわけでもない」
「帰りたないの?」
「何もない」
錬金術師が横目で九九九をじろじろ見る。
≫ほおら、気づかれとるぞ。
≫どうするんだ。お前さんの不得意な言い訳か。
「詮索するなと言ったはずだ」
「そんなんどうでもええよ。ただな、いろんなとこ行かなあかんから、ケイちゃん一緒やと心強いな思うて」
「死にたいのか」
「死にたないからゆうとるんやけど」
あいつらも死にたくなかっただろうか。だったら逃げればよかった。そんなにきつく括り付けていない。燃え広がるまでには時間があった。山を下りるだけの充分な時間は。
山を下りる。
ことが出来なかったのか。
霊山に囚われている修験者が寄り代を離れることなど不可能だ。あいつらはあの山で生きる以外の選択肢はない。他の地で生きるくらいなら間違いなく死を選ぶ。殺して欲しそうな眼をしていたのは死にたかったわけでなく解放されたかったから。では何から。
思い当たるのは。
(あんたか)
修行中もずっと気になっていた。禍々しいほどの力。
無鬼。
≫否定はしない。
(俺を使って外に出たかっただけか)
≫端的に言えばそうなる。
まんまと利用されたとは思わない。外に出たかったのは同じ。
≫責めぬのか。
(あんたと出会わなくてもたぶん山はなくなってた)
結果も通過点もまったく同等。破戒僧には山の空気は息苦しい。
≫だったら答えは出とるだろ。
厭なにおい。刹那のうちに囚われて、囚われていることに気づく前に。
亡。
まさか。
≫まずいぞ。
錬金術師を突き飛ばすが、樹木の密度が大きすぎて幹に頭をぶつけただけ。間に合わない。無鬼が抗えない術がたった一つだけ存在する。
神術カムスベ。
あの弓取りの刺青を成長させたのはもしものときの保険だった。錬金術師を死なせないための。しかしいま弓取りは不在。自慢の脚を犠牲にして。
やはり俺のせいらしい。
「ケイちゃん!」
痛くはない。
はず。
実弾ではないから血は出ないが今回のは。
痺れる。違う。体が重い。違う。
頭がぼんやりする。違う。
ぜんぶ。
だから関わるなと言ったんだ。こんな疫病神に。
7
鬼と呼ばれた。
親はいない。兄弟姉妹もいない。生まれたときからたったひとり。鬼の子だ。親がいないのも捨てられたからだ。当然だ。鬼の子なら捨てても。
どこに行っても疎ましがられた。何もしていないのに。むしろ何もしないほうがひどい目に遭うことがわかった。だから良心が咎めそうなことは一通りやってやった。何をしたのかなんていちいち憶えていない。やった端から忘れてしまうような下らないことだらけ。たぶん人は死んでいないし、普通なら謝って回れば済む程度。
所詮鬼の子には当て嵌まらないが。
果ては里で悪戯が過ぎたせいで、村の大人たちに共謀して捕らえられ、気がついたら山奥に置き去りにされていた。別に構わなかった。帰っても何もない。誰も待っていない。
気味の悪い山だった。暗かったせいではない。暗いのは気にならない。誘っているが拒んでいる。拒んでいるが誘っている。誘っているほうを当てにして迷い込んだ先が。
修験霊山しゅげんりょうざん塔テラ。
名を知ったのはずっとあと。
そうゆう子がいっぱい来るんだよ。
そこの偉い人はそう言った。
修行というのはそんなにつまらなくなかったが、頭をつるつるにされるのが厭で来る日も来る日も逃げ回った。偉い人もそのうち諦めてくれた。
仕方ない。その代わり修行は人一倍だ。
よく見たら頭に毛が残っているのはたったひとり。それのせいかまたあの眼。変な奴だ。変な奴が来た。やる気があるのか。ないだろう。ないのになんで来るんだ。来たわけじゃなくて。そうか。
捨てられたんだ。要らないから。必要ないから。
掃除を押し付けられた。薪を拾ってくるのも当番制なのに。厭なこと面倒なことはすべて生意気な新入りにやらせよう。引き受けないとさらにあの眼が強くなる。
やりたくない。どうしてお前らのために。
偉い人は庇ってくれなかった。誰も何も言ってくれなかった。
だから。
どうすればいいか自分で考えた。
馴れ合いも連れ合いもご免だ。あんなのと仲良くするくらいなら。
山を下りてやる。
それは駄目だよ。
偉い人が首を振った。
なんで。こんなとこ望んで来たわけじゃ。
駄目だ。それをしたいなら。
死になさい。
意味がわからなかった。
死ぬ?
なんで?
たかが山を下りるだけで。死んだら山を下りれない。
死体になったら下りれる。
そうゆうことか。
いいものを見せてあげよう。
偉い人はそう言って古い小屋に案内してくれた。宝物殿というらしい。
たからもの?
そうだよ。ここには私たちがずっと守ってきた大事なものがある。
ただの像じゃないか。あんなの向こうにだって。
額を見てごらん。綺麗な石が入っているだろう。
真っ黒。
別にきれいじゃない。
これをかざしてごらん。
偉い人が蝋燭を渡してくれた。その火を近づける。
おいおい、燃やさないでくれよ。
炎は嫌いじゃない。見ているとすっきりする。
眼。一瞬石が。
どうしたのかな。
いえ。
気のせいだ。こんなのただの黒い石。腕にしているのと変わらない。
黒曜といったか。
名前。
物には名前があるらしい。偉い人にもあいつらにも、里の大人たちにも。
知らない。知りたくない。あってもなくても変わらない。欲しくない。厄介だ。面倒だ。鬱陶しい。
鬼でいい。
きっと鬼の子。
修行の合間、何度も何度も偉い人に内緒で宝物殿に入った。バレていたと思う。何も盗っていないから何も言わなかっただけで。
だったら何か盗んでやる。
何がいい。何が。そんなの決まってる。あれが欲しい。
炎にかざすと映える黒。確か。
奇石無鬼ナキ。
お前も鬼。同じ鬼。もしかしたら、あんたは。
あいつらは宝物殿にすら入ったことがないらしい。偉い人に可愛がってもらっているとして因縁をつけられた。嫉妬だ。見苦しい。修行もまともにしない莫迦どもが。
乱闘騒ぎになった。多勢に無勢で不利にもかかわらず。
勝った。
あいつらを動けなくしてやった。呼吸すら苦しくて敵わない。偉い人が駆けつけてきたときに、立っていたのはたったひとり。
鬼だ。
偉い人の口がそう動いた。
鬼じゃない。
鬼だ。
俺は鬼ってゆう名前じゃない。
鬼だよ。鬼だ。
違う。
違わないよ。そんな力は。
鬼としか。
気づいたら偉い人が床に転がっていた。突いても動かない。黒い液体が止まらない。
息は。
わからない。
わからない。
他の大人が来る前にあいつらを柱に括りつける。
偉い人は。
そのまま。
大人はぐうぐう眠っていた。あんなに騒いだのに。あんなに壊したのに。
お前らだってまともに修行なんかしていない。偉い人だけ。他はたったひとり。やっとふたりになったのに。
ふたり。
気づくのが遅かった。
もういい。
鬼だ。名前は。
鬼でいい。
あいつらと同じく柱に括りつける。
逃がすものか。
戸という戸を外から。
8
「クウ! いんだろ。出て来い」
≫大丈夫だ。
≫気を失ったのはほんの一瞬。
こんなところで死ぬわけには。
「クウ!」
血が出ない弾を撃てる銃なんかひとりしかいない。
「それ、誰?」クウの声。
姿はまだ捉えられない。最期の瞬間まで捉えられない可能性もある。
クウの得意技。
暗殺。
「答えないと次は中てるけど」
「てめえの相手は俺だろ。こそこそしてねえで出て来い」
「油断してるからだよ。ホントはもっと早く撃てた。ここに踏み込む前から尾行けてたのにちっとも気づかない。鈍ったよね」
≫ブラフだ。
≫いなかったぞ。儂等が保証する。
錬金術師は視点が覚束ない。よく見たら震えている。寒くもないのに。まさかすでに。
「一瞬が命取りって教えてくれたの誰だっけ」クウが言う。
「おい、しっかりしろ」肩を揺すっても眼が虚空を見つめたまま。
声が届いていない。
なんだ。クウは一体何を。
「ねえ、誰?」クウが言う。
「てめえには関係ねえよ。いいから出て来い。そんでこいつをなんとか」
「答えないと中てるってゆったよね。ぼくをイライラさせないでよ」
「狙うなら俺にしろ。こいつは」
「なんで庇うの? いいじゃん。どうせ死ぬんならオニを最後にさせてよ」
(おい、あんた)
≫そうゆうのは不得意なんだ。
≫右に同じだ。役に立てなくてすまん。
無鬼の限界を突くなんてモロギリあたりの考えそうなことだが。クウはモロギリに誘われてない。クウの独断かつ独走。
素手しか。素手なら確実に仕留められる自信があるがそれには。
姿が。
せめて場所さえわかれば。
≫増えたぞ。
視界が白くなった。違う。光ったのだ。
近いのは稲妻。雷。あの一瞬の煌き。
影。
いた。
「クウ!」
遅い。いくら暗殺が得意でも拘束されてから構えるようじゃ。
「ぼくの負け?」クウが言う。
銃を取り上げる。軽い。
「まだ殺さない。わかってるな」
「やだよ。なんであんなよくわからない奴」
なまじ拳闘士のリクマより細いのではないか。素早さと一瞬の判断力なら右に出るものはいない。加えて殺しに対する執着も。「何をした」
「撃った」クウが言う。
一段階強く絞める。
「この顔久し振り。いまなら死んでもいいかも」
腕が蒼白い。
「勝手に死んでんじゃねえよ。なにした。戻んのか」
「オニがぼくのところに戻ってきてくれたら教えるよ」
二段階。
「手はやめてよ。人殺しできなくなっちゃう」クウが言う。
「それをやめろと言ったんだ。出来ねえから解散したんだろうが」
左手の甲が視界に入る。
シリアルナンバ2。
「消せ」
「オニに彫ってもらったから消したくないよ。これがないとぼくは生きていけない」
こんなもの。
切り落とすことも。
「いいよ消して。いつも持ってるあれ、九九九でさ」
斬り落として。
「もう一度訊く。あいつは元に戻んのか。それともなんか工作が要んだったら」
「やだ」
三段階を一瞬だけお見舞いしてから。
絞めるのをやめる。
「言え」
顔が蒼白い。加減を間違えたか。
いや。
「死んだふりしてんじゃねえよ」
「一回死ねたかも」クウが首を回して眼元に手をやる。レンズ。「あーあ曲っちゃってる。直すの面倒なんだから」
銃を取ろうとしたので蹴り飛ばす。
視線誘導は見事だ。
「あんまり粗末に扱わないでよ。ぼくのじゃないんだし」
そういえば最後に見たのと違う。あれはもう少し小型だった。それに実弾を撃たない銃とはいえ、曲がりなりにも金属なのだからあんなに軽くはないはず。さっき持った感覚だとほとんど空気。
「盗品か」
「オニとお揃いだよ。リマが黒い石造ってくれて埋め込んだら面白いことになった」
≫そうか。それで。
(なんだ)
≫あんなところまで飛ばしおって。見せてみろ。
力を緩めた途端、クウが距離をとる。腕の間からするりと抜けた。体格差のせいか。
「今日はもういいや。オニに戻ったとこ見れたから」クウが言う。
「おい、まだ」
「心配しなくても時間経てば戻るし。取ってこなくていいよ」クウが何かを呟く。
右手に。銃が。
「これ、出したり引っ込めたり出来るから」
「リマか」
「またね」リマの空間歪曲。やはり尾行は嘘だった。
(あんたの知り合いがいるのか)
≫いや、そんなことはない。奇石はあるだろうが同じ性質は。
(造ったらしいぞ)
≫あのエルフ魔女ウィッチなら、或いは可能かもしれんな。
≫暗殺士アサシンの持ってた銃だが。
(知ってるのか)
≫見間違いだといいんだがまあ望み薄か。
(なんだ)
≫それは追い追いだ。まず錬金術師を看てやれ。
錬金術師は木に寄りかかったままぼうっとしていた。顔色は悪くないが震えはまだ続いている。
「聞こえるか」
「あーまあ」
声が届くようになっただけまだ快方に向かっているということか。
「痛いところは」
「痛いゆうか頭がんがんしおって」
「少し寝ろ」
錬金術師が眼を瞑る。寝息が途切れ途切れで落ち着かない。
疫病神。鬼。関わった相手は死に接近する。
警告を無視した奴が悪い。伝わらない口下手が悪い。
悪い。
悪いのは。
≫思い詰めるな。それをしないために儂等がいる。
≫振り回してくるか。いまなら許すぞ。
(いい。それより)
≫あれはあの弓取りの国のもんだ。
≫封印してあったはずだがどうやって持ち出したもんだか。
列島ヒムカシの南部に位置する
神遣葬弓かむやりそうきゅう
(操れるのか)
≫六宮リキュウは別だ。
≫極論すると、お前さんにも可能だよ。
(極論か)
≫そう残念そうにするな。六宮側にも選ぶ権利があるということだ。
≫しかし気になるのは儂の模造だな。
(まずいのか)
≫考えてもみろ。神術カムスベ以外は無効にできる儂が神術カムスベの六宮リキュウに埋め込まれとるんだ。
(無敵だな)
≫盗まれたなら大騒ぎだろう。詳しいことは弓取りに訊いてみるしかないが。
(解散してからってことか)
≫お前さんが知らないならそうなるだろうな。
≫よりによって厄介なもんを眼醒めさせてくれたじゃないか。
錬金術師が寝返りを打った。
≫ずいぶん寝苦しそうだ。お前さんの膝じゃ無理もない。
≫あっちの木の根のほうが柔らかいんじゃないか。
(さっきの光だが)
≫ああ、忘れとった。もういないぞ。
(何かいたのか)
≫まあ、気に留めるようなもんじゃない。
≫ノームの機嫌が直ったらお礼でも言うんだな。
誰だかわからないが助けてくれたなら有り難い。あれがなかったらクウを追い払えなかったかもしれない。
さて、寝ずの番でもするか。
どうせ寝付けない。
9
空気が変わってきた頃に錬金術師がのそのそと眼を開けた。自分がどこにいるのか理解するのにずれがあり、座標に気づくとばっと上体を起こす。勢いが強すぎたらしく樹木の幹に額が掠りそうだった。
「へ、あ、な、なに?」
「具合は」
顔色だけならよさそうだが。
「あ、そか。まあ、うん」
「ならいい」
一撃必殺を当然とするクウの性格からすればまずあり得ない。クウは本当に様子見だったのか。それに常に単独行動のクウがわざわざリマの空間歪曲を利用するところもおかしいといえばおかしい。
どちらにせよ、絶対に次はない。
「錬金術師。お前、何をしてる?」
「逃げとる」
「何から」
「国と天子と、まあいろいろね。十三の碑文て知らへんかな」
「さあ」
≫さあ、じゃないぞ。儂と話をさせろ。
(どうやって)
≫儂に触ればいい。ほら、早よせい。
九九九を包んでいる布を解く。
「その黒い石に触れ」
「え、なんやヨイッチみたいになるん?」
「たぶん声が聞こえる」
錬金術師が恐る恐る無鬼に手をかざした。
≫はじめましてだな、錬金術師。儂は無鬼だ。
「あ、どうも。喋らはるんですね」
≫吃驚することでもあるまい。精霊を操るお主なら受け入れてもらいたいものだが。
「ケイちゃん、まさかずっと?」
「ああ」
≫こやつ以外と話すのは疲れるから手短に言う。十三の碑文はどこで知った。
「どこやろ。本触ったら流れ込んできたゆうか」
≫本? まさか。
≫これは凄いな。二千年待った甲斐があったぞ。
「へ、いまの」
≫申し遅れた。我が名は九九九ココノクキュウ。霊剣のほうだ。
「え、あ、両方喋らはるんですね」
≫聞き分けはしなくていいぞ。こやつもしてない。
「そうなん?」
「ああ」
≫その書はどうした。
「置いてきたわ。荷物んなるし」
≫どこに。無事なんだろうな。
「あーどやろ。隠してあるさかいに。たぶん」
≫いいからどこだ。
≫興奮しすぎだそ。少し落ち着け。
「見たいん?」
≫だからどこなんだ。
「天子廟てんしびょう香カラ」
≫お主。
≫ううん、二千年は思いのほか長かったな。
「あの、なんやまずいこと」
≫気を落とすな。存在するならまだなんとかなるだろ。
≫マスタしたんだな。
「ええまあ、自称錬金術師ゆうてますし」
≫確認する。お主は本当に十三の碑文を探す気があるか。
「あります」
≫信じていいな。
「そらもう」
≫お前さん、疲れた。頼むぞ。
≫儂もだ。
「手を退けていい」
「へ、終わりなん?」急に声が途切れたので驚いたのだろう。錬金術師は無鬼をじろじろ観察している。
≫タブレ・エメラルデについても訊いてみてくれんか。
「たぶれえめらるでとか言ってる」
「ん、それ一緒やないの?」
≫基本は同じものを指すんだがいろいろあってな。少し趣が異なってしまった。
「同じだが違うそうだ」
「はあ?」
≫なぜ変える。そのまま言えばいい。
「基本は同じものを指すんだが、なんだ?」
≫趣が異なった、だ。
「おもむきがことなった」
≫音をなぞればいいというものじゃない。
≫せめてそやつが自称でなければな。
「自称でないほうがいいらしい」
「せやからノームのおっさんにな」
「教えてもいいよ」またあの消え入りそうなか細い声がした。
赤いとんがり帽子。リマみたいな耳。
錬金術師が両手で口を押さえている。驚いて叫びそうになったのだろう。戸が半分ほど持ち上がっている。
≫さすがだな。この一瞬で耐えたのは賞賛に値する。
「そっちの大きい人が侵入者を追い払ってくれたからね。うん。あの人怖かった」
「雷は」
「雷? うん。それたぶんツグ君だね」
「つぐくん?」
「僕の友だち。君たちも会うといいよ。錬金術師、こっちおいで」
「はあ」
「大きな人はちょっと待っててね」小人が赤い帽子を宙に放り投げると錬金術師は戸の中に吸い込まれてしまった。手の平ほどの大きさしかなかったはずなのに。
≫諦めろ。お前さんには無理だ。
(身長制限があるのか)
≫体重制限じゃないか。
≫機嫌がいいじゃないか。てっきり落ち込んでるかと思ったが。
≫というわけでお前さん。あの錬金術師と行動を共にせい。
(なんで)
≫どうせあやつらも同目的だ。あとは弓取りの小僧だな。
(乗れない)
≫散々協力してやったろ。恩返しだと思えば安い。
(俺は人殺しはしない)
≫わかっとる。だから錬金術師と一緒のほうがいい。
≫うむむ、列島ヒムカシの北と南が手を組むとは。
≫西もだぞ。できれば東も欲しいところだが。
≫何を言う。東の賊が使い物になるか。
(西?)
と聞いて思い浮かぶのは祭壇古都京キョウだが。あそこは確か皇族が住んでるとか住んでないとかで。
≫錬金術師のことだ。あやつ、もしやしたら。
≫いやいや過剰に期待をかけるのは。
しばらく経って、錬金術師が戸から飛び出してきた。服装なり表情なり、特に変わったところは見受けられないが。赤い三角帽子の先端がのぞく。
「お待たせ。ケガした人のとこ送ってあげる。どこ?」
「闘技場コロセオだ」
「あそこまだあるんだね。わかった」小人が赤い帽子を放り上げると瞬時に空気が変わった。土と木と湿気から。
石と汗と熱気に。
リマの空間歪曲より速い。あれは慣れないと足元がふらふらするのだが、小人のはちっともそんなことはない。通常の歩行と同じくらい滑らか。
「どこだ」
「ああ、こっち」
≫そやつがノームに何を教わったのか気にならんか。
(いや)
≫ゆうと思った。儂は気になるんでな、訊いてくれんか。
「何を教わった」
「要らんこと」
「言いたくないならいい」
≫いいわけないだろ、お前さん。
錬金術師が足を止めたのは町外れの宿屋だった。可もなく不可もない相場の。出入り口に見覚えのある二人が立っていた。船の奴ら。
「お帰りなさい。ずいぶん早かったんですね」武道士モンクが言う。
「あ、まあな。ヨイッチは」錬金術師が聞く。
「それがですね、それも含めてお話があってこうやって待ってたわけなんです」
黄色い髪のほうが面倒くさそうに欠伸をする。印術師ソーサラ。
「たぶん、近くにいると思うんですけど」武道士が言う。
「あーそか。ええよ。心当たりあるし」錬金術師が言う。
「すみません。見張ってようと思ったんですけどどっかの誰かさんがですね」武道士が言う。
「誰だよ。そのどっかの誰かさんてのは」印術師が言う。
黒い髪が黄色い髪の脛に蹴りを加える。速い。
錬金術師には捉えられなかった。何が起こったのかわかっていない顔で二人を交互に見る。
≫お前さんならよけれたか。
(わからない)
「痛てえな」印術師が言う。
「痛くやったんです」武道士が言う。「まったく、朝になってもぐーすかぐーすか。体内時計が万年夜なんじゃないですか」
「久し振りで疲れたんだよ。てめえが元気すぎ」
二人が口喧嘩を始める。というよりは黒いほうが一方的に捲くし立てて、黄色いほうが右から左に受け流すだけで。
「あーあの、俺ヨイッチ捜しに」錬金術師が言う。
「お願いします。ところで」黒い髪のほうと眼が合う。「ご一緒だったんですか」
「たまたまな。なに? 仲良おしたらあかんかな」
「いいえ、ただ珍しいと思っただけで」武道士が言う。
≫すっかり有名人だぞ。次から暴れる場所を考えたほうがいいんじゃないか。
「武世来アームエイジドダンと戦闘ってたな、確か」黄色いほうが気のない声で言う。「因縁でもあんのか」
「あったらなんだ」
「いや、悪い。詮索するつもりはねえよ。ちょっとまずいにおいがしたんでな」
鬼の。
≫深い意味はないぞ。
(わかってる)
錬金術師は真っ直ぐ闘技場に向かった。トーナメントが行われていないときは閑散としている。フィールドから一番遠い観戦席に弓取りがいた。ぼんやり虚空を眺めている。
「ヨイッチ」
「え? どうして」弓取りが言う。
「ここしかあらへんやん」
弓取りは錬金術師の後ろに焦点が合っている。
≫お前さんを睨んでるんじゃないか。
「邪魔なら」消えるが。
「ええよ。ヨイッチもそんな顔せんと、な」錬金術師が言う。
「別に厭じゃないよ」
≫嫌われとるじゃないか。
「脚見せてくれへん?」錬金術師が言う。
弓取りが脚を伸ばす。何かで固定されて包帯が巻かれていた。この脚で闘技場の最上段まで上がったのは相当辛かったと思うが。錬金術師が首の飾りを外して指を噛む。流れた血を水晶に塗りたくって詠唱。
≫精霊を貰ったな。
(どうゆうことだ)
≫見ておれ。
気体のような液体のようなものが空気と混ざって。
人のような。それの手が弓取りの脚を撫でる。錬金術師がもう一度詠唱するとそれは消える。
弓取りは眼をぱちくりさせているだけ。状況把握が出来ていない。
「ちょおじっとしとってね。繋がるまで時間かかるさかい」
「あ、うん」
≫これは化けるやもしれん。
(あんなんで治るのか)
≫まあ、精霊召喚は儂で無効化出来ん部類だからな。
≫弓取りに六宮リキュウについて訊いてくれんか。
「おい、六宮て知ってるか」
「え」
「知ってるんだな」
≫いいか。言い方の問題だからな。
「ケイちゃん?」錬金術師が言う。
「うかうかしてるとお前の国は滅ぶぞ」
「な、なんでそんなこと」
「六宮が盗まれた」
弓取りの顔つきが変わる。
≫だから直接すぎると。
「うそ。なんで」
「嘘じゃない。脚が治ったら帰れ」
「そんな、だって」
「弓守キュウシュ様!」背丈ほどの大弓を抱えた男が走ってくる。転がるように弓取りの前に跪くが、息が続かず音声が途切れる。
「え、な、なんで、ソツ? どうしてここ」
大弓の男が咳き込む。呼吸の仕方を間違えたらしい。吸いながら吐いた。
「えっと、落ち着いて。ゆっくりでいいから」
「は、はい。よくぞご無事で。やっと神随カムナガラを御遣いになられましたね」
弓取りがあ、と声を漏らす。眼も泳ぐ。
≫神随の波動を察知したんだろ。
≫儂も見てみたかったぞ。
「畏れながら申し上げます。先日六宮リキュウの封印が解かれ、その上賊に」大弓男の肩が震えている。「一刻も早くお戻り頂きたく参上致しました。どうか」
弓取りが首を振って立ち上がる。「やだよ。厭だ。俺は」
「弓司キュウシ様だけではもう限界なのです。至宝秘具六宮さえあのようなことにならなければ、このまま弓守様のお気が安まるまで、という意見も出ていたのですが流石に」
「やだ。やだったらヤダ。帰ってよ。俺はあんなとこ。それに六宮だって全然知らないし」
「最早頼れるのは貴方様だけなのです。お願いです」
≫やれやれ、小僧も逃亡勢かの。
錬金術師の様子がおかしい。精霊だのを呼んでからあまり動いていない。話についていけていないだけにしては何か。
まさか。
「おい」錬金術師のローブを捲りあげる。
弓取りの怪我とまったく同じ箇所が赤く腫れていた。立っているのがやっとの痛みのはずだが。
≫そうか。こやつ、まずいもんを。
「我慢してたのか」
錬金術師は苦笑いしてローブの裾を戻す。
「痛い痛いゆうて痛み引くんなら泣き叫んでもええんやけどね」
「ノームから教わったのがこれだったから黙ってたのか」
「心配してくれたん? おおきに。せやけどこれな、一日だけやから」
≫全治数ヶ月、いや一生もんの痛みを一日で受け取るんだ。
≫何もこれを貰ってこんでもいいだろうにな。
「これしかなかったのか」
「一応な、選択肢もあってん。せやけどこれ以外はリスク少ない代わりに一瞬で治らへんの。まほーみたいに見えへんなら、意味ない思うてね」
「魔法?」
「見せたかったん。素質ない、ゆうてたから」
「莫迦か」
「莫迦でええよ」
背を向けて腰を落とす。九九九はいったん下に。
「何の真似やろか?」
「乗れ」
息の漏れる音がした。「なんや、けったいな奴やな。ケガ人には優しいんやね」
「気のせいだ」背中に温度を感じてから立ち上がる。
軽かった。九九九よりずっと軽い。
10
宿屋の前で降ろそうと思ったら首を振られた。
「なんだ」
「ヨイッチが気になるん。捜してくれへんかな」
「なんで」
「乗りかかった舟やん。頼むわ」
≫付き合ってやれ。
(なんで)
「六宮リキュウて?」錬金術師が聞く。
「知らん」
「武器?」
「知ってるじゃないか」
「俺撃ったやつ?」
「もう平気か」
「こっちのほうが痛いな」
後遺症が残る部類でないならいいが。
「どっちだ」別れ道。
「ひとりになれそうなとこ、あらへん?」
「ありすぎてわからない」
「ほんなら、ケイちゃんがひとりになりたいとき行くとこ」
闘技場コロセオを背に延々と南西へ進むと草原に出る。深淵沙漠丘メサとの境界地。そちらに近付くにしたがって、草丈が低くなり景観は徐々に枯れ色が増える。
いた。
「おおきに。降ろして」
弓取りは気配に気づいてバッと身構える。反射神経はなかなか。
「ソツは?」
「さっきの人? おらへんよ」錬金術師が言う。
「連れ戻しに来たんじゃないの?」
「なんで」
どうやらあの大弓の男と共謀しているのだと思い込んでいたらしい。錬金術師もそう説明する。
「よおわからへんけど、その六宮ゆうのが盗られたん?」
「みたい」弓取りはちらちらこちらを見ている。
「取り返したったらええやん」
「え」
「さっきの人、それ取り戻されへんからヨイッチに助け求めたのと違う?」
「あ」
「なあ、ケイちゃん。これで目的被ってへんかな」
「なにが」
「一緒に来たってよ」錬金術師が言う。
「誰が?」
「こいつと?」弓取りと発言が同時だった。
「こいつ呼ばわりされる憶えはないが」
「だって、え、なんで、なんでそうゆうことになってるの?」また同時。
錬金術師が口元を緩ませる。痛みを我慢している自嘲の笑みではなさそうだ。
「息ぴったりやん」
「ね、ねえ、どうしてこいつと目的カブってるの? まさか六宮かっぱらったのって」
「ケイちゃん情報やと、武世来アームエイジドダンらしいわ」
弓取りがぶんぶんと首を振る。後退りして自らの脚を見遣る。リクマを思い出しているのだろうか。
「ケイちゃんは武世来潰したい。んで、ヨイッチはその武世来が盗んだもんを取り返したい。ええやん。利害一致」
「やだ!」
「なんで」錬金術師が言う。
指を差される。
「俺、こうゆうの好きじゃない」
「そうなん? ケイちゃん強いよ」
「強くたって。あ、でも二度も逃げられてるじゃん」
「まあ、せやけど」
≫錬金術師にしたら三回じゃないか。
≫儂等にしたら、そうだな。数えてないな。
「なんやら弁解する?」錬金術師が言う。
「いや、逃げられたのは本当だ」
「ほら。だからダメだよ。こいつと一緒に行ったって意味ない」
意味ない。
≫おい。
(わかってる)
九九九はあいつらを抑えるための剣だ。ここで無意味な乱闘するためのものではない。
無意味。
≫しっかりせい。
(悪い)
九九九の刃先を下ろして呼吸を整える。
威嚇してしまったようだ。錬金術師と弓取りの眼があの時みたいに。
違う。
違うのだ。見るな。
見なければ。
「ケイちゃんはどないしたい?」錬金術師が言う。
≫断るでないぞ。
「邪魔をしないなら構わない」
「邪魔ゆうのは、武世来を潰すゆう使命に対して?」
「ああ」
「ヨイッチは?」
「ちょっと待って」弓取りはそう言うと、左肩の刺青に触れて何かを呟く。
≫まさかこんなところで射んだろうな。
≫いや、何かおかしくないか。こう、妙な感じが。
九九九を構えて空間定位。誰だ。順番なら。
まずい。こちらには完全荷物の手負いがいるというのに。いや、むしろそれを狙ったとするなら。そんな卑怯なことを仕出かすのは。
ひとり。
「ちっともお変わりありませんねえ、オニ」フードとマントに覆われてほとんど影。口元だけが外気に触れる。
現時点最強のスサに次ぐ実力。魔を統べるリマより厄介な術師。
シリアルナンバ4。
モロギリ。
「誰だ」弓取りの周りに光が集まる。神随カムナガラを矯めて。
「なんでしょうね、この溢れんばかりの殺気は。僕もただの顔見せのつもりで参上しましたのに」
ニヤニヤ笑いが鼻につくのか、脚の痛みなのか。錬金術師が眉をひそめる。
「あんたも武世来の?」
「ああ、貴方様ですか。あの無慈悲殺人マシーンのクウが見逃したという逸物は。なんでも錬金術師が滅んで二千年というこのご時世にトップクラスの禁術と謳われる錬金術師だと耳に入れまして僕も多少興奮しています。是非その真偽のほどを伺いたい」
「見せたってもええよ」
「そうですねえ。眼にしたいのは山々ですが一方的に見せて貰うだけですと不公平に当たります。ですから今回は断腸の思いで保留にさせて下さい。楽しみは次回にとっておくことにします。第一、君。立ってるのやっとでしょう?」
やはり気づいている。
出来るならモロギリだけは相手にしたくない。相打ちすらできない。
「そうでした。
こいつには死の概念がない。
「なかなか素晴らしいものを隠し持っていらっしゃったようですのでちょっと拝借させていただきました。いまここで、見せびらかしても構いませんか?」モロギリがマントから手をのぞかせる。そこに。
柄の長い大鋸が。
≫見ろ。刃の部分だ。
闇色の眼。紛れもなく。
≫やってくれたな。エルフ魔女ウィッチ。
無鬼ナキ。
「それが困ったことにこやつの名前がわからないのです。教えていただけませんか」
「返せ」弓取りが神随を放つ。
大鋸に中る前に消滅。
「どうかお気をつけ下さい。確か神遣葬弓というのは意味のない発射で消えてしまうと伺ってますがねえ」
「こっちのほうが強い」弓取りが言う。
「そうですか。しかし六宮で寄って集ってかかっても果たしてそのような威勢のいい口が利けるでしょうか」
「他は」
「僕が拝借したわけではないのです。単におこぼれを貰っただけで」
「リマか」
モロギリの口元が嗤う。
「さすがですねオニ。珍し物好きなリマちゃんが兼ねてより狙っていたようなのですが、生憎と弓杜封界は封鎖村でして。相当苦労したそうですよ。まさか人の中に」
神の矢。
また消える。
「はいはい弓守サマ、あまり無駄なことなさらないで下さいね」
「その人たちは」弓取りが言う。
「寄り代の方ですか? さあ。お零れに与っただけの僕らには知る由も。それよりも名前を教えていただきたい。どうやら六宮というのはどれもこれも強情でして、自らの名前を知っていないと力を発揮してくれないのですよ。あの拷問好きなリクマちゃんが随分ねちねちいたぶったらしいのですが全然口を割って貰えなかったと怒り心頭のご様子で。ああ、ようやくいま思い当たりました。過去形ということは寄り代の方々、もう駄目かもしれませんね。すみません」
神の矢が二射。
かなり大きい。相当矯めて。
「誰がお前らなんかに」
「それは残念。では、急遽予定を変更して」
地面が鳴動。揺れ方が異常極まりない。突如暗雲が立ち込め世界が闇黒に染まる。
カタカタカタカタカタカタカタカタ。ギイギイギイギイギイギイギイギイ。油の切れたカラクリ音とともに闇黒地面から何かが迫り上がってくる。
髑髏と屍の腐臭。嗅覚が麻痺する。顔をしかめる程度では防げない。
気味の悪い緑の十字架。
「力ずくでも」
「ソツ!」
大弓の男が磔になっていた。目立った外傷はないがそれがモロギリの遣り方。
屍術師ネクロマンサ。
大鋸の刃を男の右腕に添える。
「さあて、まずはこちらから」
「やめろ!」弓取りが叫ぶ。
「ああ、腕は駄目ですか? それなら脚にしましょうか。ううん、そうですね。確かに弓術士アーチャが腕を失ったら文字通り致命傷ですからねえ」
弓取りが緑十字に駆け寄るが、どろどろとした不死者ゾンビが地面から出現してゆく手を阻む。不死者に神随は効果覿面なのだが如何せん数が多すぎる。射ても射てもうじゃうじゃと。まるで切りがない。
錬金術師は遂に膝をついた。ローブの裾からのぞいた脚がとても直視できる色ではない。
「おい」
「俺はええから。ヨイッチの」口は利けるので詠唱して何とか持ちこたえている。
≫お前さん、人のことを心配している場合じゃないぞ。
弓取りが射損ねた不死者が襲い掛かる。九九九では斬れない。なんとか第一撃をよけると、錬金術師が始末してくれた。
「悪い」
「気にせんといて」
≫これは従うしかなかろう。小僧には少々酷だがな。
≫お前さんにも負担が増えるぞ。なんせ六宮なんぞ列島ヒムカシの。
「弓取り!」
「本当にオニは賢いですねえ。貴方が首領をしていた頃が懐かしい。もしかしたら武世来は解散すべきではなかったのかもしれませんね」
刹那。
詠唱と神の矢が。
已んだ。
「あれえ? ご存じなかったんですか? 困ったな。オニは僕たちのことが嫌いになってある日ぽんと放り出したんですよ。ねえ、そうでしょう? いままであんなに仲良くしてくださっていたのに。貴方に教わったことは一生忘れません。それこそ人の殺し方から国の滅ぼし方まで手取り足取り」
視線。
また、あの眼。
慣れている。気にするな。
最初に戻っただけだ。
≫何をしておる。
振り出しに。
戻っただけのこと。
≫気を緩めるな、おい。聞いておるのか。
「ケイちゃん?」錬金術師が言う。
「なんだよ、お前やっぱり」弓取りが言う。
やっぱり?
そうか。
だから弓取りには。
「はいはい、そこの不死者さんたち、そっちの大きい人には攻撃しないで下さいねえ。戦意喪失した人いたぶるのってホント面白くないんですから」
敵意と。
「仲間だったのかよ、あんな奴と。俺の仲間ぶっ殺して六宮盗んだ奴らと」
排除を。
「ケイちゃん?」錬金術師が言う。
「答えろデッカイの!」弓取りが言う。
「仲間なんてそんな生易しい関係じゃあありませんよ。オニは世界中駆け回って僕らを集めてくれたんです。最強の殺戮集団を創るために厳選されたのが僕たち七人。要は創始者ですね。僕らには神も同じ。でも酷いんですよ。その神はある日急に被造物である僕らを見捨てて皆殺しにする、とか仰るんです。ねえ、充分同情の余地はありますよね」
≫揺らぐな。そう決めただろ。思い出せ。お前さんの。
よく聞こえなくなってきた。
緑の十字。磔られているのは。
よく見えなくなってきた。
黒い。黒い。
赤い。
名前は。
鬼。
それとも。
よくわからなくなってきた。
ああまた。
手が。足が。体が。頭が。
黒く染まる。
11
「わ、マジかよてめえ、名前もねえの?」一番。
「そんなんで集められちゃったのか俺たちは」七番。
「でもなんつーかさ、らしいよね」五番。
「ですね」四番。
「きらいじゃない」三番。
「いいんじゃない? 別に名前くらい」六番。
「ねえ、ないならぼくが付けてあげるよ」二番。
「げ、お前には任せらんねえよ。ぜってえ俺のほうが」一番。
「何言ってるんですか。貴方たちには学がないんですからここは僕が」四番。
「さりげに酷いよねこの人。ううん、真っ黒っつーか」五番。
「くろい」三番。
「黒いねえ」六番。
「黒くて結構ですよ」四番。
「黒いっつったら、こいつも黒いぞ」七番。
「あ、ホントだ。うーん、カラスみたい?」五番。
「カラス、すき」三番。
「んじゃダイの案でカラスかよ」一番。
「それ、安易すぎ」六番。
「ここは平和的に一番大量に人を殺した方に権利を与えるというのは」四番。
「うげえ、出たよ。モロギリの嘘くせえ平和的解決」一番。
「ちっとも平和じゃないし」二番。
「きげん」三番。
「リマがやるんなら私も賛成。いつまで?」六番。
「おいおい、落ち着けリクマ。趣旨違ってきてやしないか」七番。
「ちょっと勝手に話しつけないでよ。最初に言ったのぼく」二番。
「じゃオレもやろっと」五番。
「なんかやる気しねえなあ」一番。
「スサは不参加、と」四番。
「おい、てめ誰も参加しねえとは」一番。
「俺はどうでもいいな。第一決め方がなあ」七番。
「ならどうすれば参加されます? ナタカさん」四番。
「ぼくだってヤダよ。そもそもぼくが言い出したんだから権利はぼくの」二番。
「クウも不参加、と」四番。
「ねえ、ぼくが決めていいよね? えっと」二番。
「いっそみんなで一文字ずつってもはどうだ?」七番。
「一文字って、少なくない?」六番。
「じゅうよん」三番。
「ばっかじゃねえの? 長えよそんなん」一番。
ケイでいい。
≫なぜだ。
「なんで?」一番。
「それまたどういった理由で?」四番。
「どうゆうこと?」六番。
「どして?」五番。
「いみ」三番。
「ケイがいいの?」二番。
「でいい、て言ったぞ」七番。
なんとなく。
「なんとなくってお前。自棄か」一番。
オニでいい。
≫お前さん、鬼は。
「本当にオニでよろしいのですか?」四番。
「オニつよい」三番。
「え、霊のことでしょ?」六番。
「なにそれ、知らないよ」二番。
「えっとばけもんだっけか?」五番。
「俺も知らないが」七番。
「おい、解説役」一番。
「首領がよろしいと仰るなら僕もそれに従おうと思いますが」四番。
「なんだよそれ」一番。
「オニかっこいい」三番。
「魂のことなんだけどなあ」六番。
「全然わかんない。ねえ、ぼくに説明してよ」二番。
「えー、ばけもんぽくないよね」五番。
「ま、お前がいいならいいがな」七番。
≫儂は賛成できんな。
呼ばなければいい。
≫そうゆう問題でもなかろうが。
≫なんだかわからんがケイにしろ。
好きに呼べ。
「オニ」モロギリの声。
「でっかいの」弓取りの声。
「ケイちゃん!」錬金術師の声。
手は。足は。体は。頭は。
よかった。
黒くない。
緑の十字架もなくなっている。草の少ない草原にぽつんと。
ひとり。
ふたり。
さんにん。
よにん。
ごにん。
ろくにん。
しちにん。
潰したいわけじゃない。殺したくなんかない。
解散なんかしなくたって。
伝われば。
それで。
武世来アームエイジドダンは。
「ケイちゃん!」錬金術師の声がした。
≫しっかりせい。
ああそうか。
またやったらしい。闘技場コロセオのときも。廃墟戦跡陵サギのときも。
≫案ずるな。お前さんが与えた被害はない。
「モロギリは」
「帰ったよ。ケイちゃん暴走したったからオモロないゆうて」錬金術師は赤く腫れた足を引きずっている。「せやけどね」
視線の先に。
ひとりは倒れ。ひとりは膝をついて。
「生きてるのか」
「たぶん、ね」錬金術師が言う。
なにか。
落ちた。
「おい!」
支えると玉のような汗。体温調節のために出たにしては。
まさかまたあれを。
ただでさえまともに足が動かない状況で。その痛みだって生半可ではない。
「あのさ、ちょっと訊きたいんだけど」弓取りは、背を向けたまま。目線は倒れている男に。「どうしてツネアんがそんなことになってるの?」
「相手の痛みを吸い取って自分に」
「そうゆうことじゃない!」弓取りが振り向いた。
眼が。
またあの。
「俺の脚はそうゆうふうに治してもらいたくないよ」
違う。
「すまへん」錬金術師が言う。
違った。
「謝るくらいならしないでよ。厭だよ。どうして俺なんかのためにそんな」弓取りがこちらに近付いてくる。
眼は。
「ホントに武世来の首領とかしてたの?」
やはり違う。
「ああ」
「武世来創ったってのも?」
「ああ」
「じゃあ俺の仲間殺して六宮リキュウ盗んだのは?」
「武世来は解散した。そのあとだ」
「それじゃあ関わってないんだよね? 信じていいの?」
「そうとは言い切れない」
間を取られた。
離れる。
「あいつらがやったなら俺が関わってないわけがない」
「ヨイッチ。ケイちゃん責めんといて」錬金術師が眼を開ける。喋るのもやっとのはず。
「ツネアん」
「よおわからへんけど、仲良うしたって。な?」
仲良く。
してもらえるのだろうか。
鬼なのに。武世来の首領だったのに。
脚を砕いたのも。六宮を盗んだのも。そのために最低六人は仲間を殺したのも。
すべて。
鬼が悪いのに。
「弓取りってのやめてくんない? 俺はヨイッチなんだからさ」
「ああ」
≫ほら、何をしとるか。
(なにが)
≫こうゆうときはだな。
「名前。なに?」弓取りが言う。
「ケイちゃんやゆうてるやん」錬金術師が言う。
「知ってるよ。でもケイなんとか、かもしんないじゃん」
「俺はケイしか聞いてへんけどなあ」
「そうなの?」弓取りが言う。
「ケイでいい」
「ケイなんとか、じゃないの?」
「あったかもしれないが忘れた」
「え」
「なんやのそれ」錬金術師が言う。
鬼だってよかった。
「オニでもいい」
「ううん、それはやっぱおかしい思うさかいに」錬金術師が言う。
「あ、そっか。さっきの人も言ってたっけ」弓取りが言う。
本当は鬼なのだから。
「違うよね。ケイのほうがいいかも」
「俺もそう思うてな」
「好きに呼べ」
錬金術師、ツネアか、を背中に乗せる。体のどこを動かしても軋むというのに決して顔には出そうとしない。こうゆうのは厄介だ。
「弓守様」
「ソツ?」
大弓の男が意識を取り戻したらしい。弓取りが彼の手を握る。
「よかった。ご無事で。何よりです」
「ソツは? 痛いとこない?」
「はい。ご心配をお掛けしました。もう平気です」
「そっか。あのさ、ソツ」弓取りが言う。
「はい」
「国には帰らない。いまは厭だ」
大弓の男、ソツと言ったか、が哀しそうな顔をする。モロギリの術の後遺症はツネアが代わったせいか特に不自由はなさそうだ。
「だって、六宮リキュウ盗られたままのこのこ帰れないよ」
弓取り、でなくてヨイッチだった、と眼が合う。無鬼によって増幅された神遣葬弓カムヤリソウキュウ神随カムナガラの証が妙に神々しく見える。こうゆうのも厄介だ。
「一緒に行こう」ヨイッチが言う。
「ああ」
「そらええわ」ツネアが言う。
鬼は鬼でも。
いい鬼がよかった。
いい鬼なら悪いこともしないし。
≫厄介か。
(厄介は嫌いじゃない)
いい鬼なら。
ケイになれる。
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