AURUM FLAVUS
伏潮朱遺
第1章 金欠の錬金術師アルヒミスト
0
「そうやってどこまでも逃げ続ける気かな」
声がした。
頭の中に。
話しかけられるのは、神か或いは。
「創造主ってとこ」
「嘘くさ」
さっき開いたばかりの封を見抜かれている。
開くべきが来たときに開くように封をしておいた。
その封が、
開いたのだ。
まさかそれを見計らって?
「君のことなら何でも知ってるよ」
そうらしい。
鎌掛けの線はこのあと消える。
そんな気がする。
「僕はね、君がこちら側に来るのをずっと待っていたんだ」
「そないな言い方やと俺がとっくにそっちにおるみたいやな」
「そうじゃないのかな?」
つん、と肩をつつかれたような幻影。
違う。
幻術マボルシの一種だろう。
臆するな。
恐怖すれば足元をすくわれる。
「君は、僕の仲間になるべきだよ」
「根拠なんあらへんのやろ。断ったらどないなるん?」
「どうしようかな」
わざと間を置いた。
俺に想像させるために。
「まどろっこしいよね。僕は単刀直入が好きなんだ。いま思い出したよ」
亜空間に閉じ込められたわけでもない。
移動のための精霊を錬成しようとしたところだった。
海。
眼下に海が見える。
「君が
振り向くな。
見ろ。
ただその海原だけを。
「動揺してるね?」
「しとったらなんやの? 返す?なんのことかさーっぱりわからへんなぁ」
「僕は、君のことなら何でも知ってる。これ以上僕に無駄な言葉を言わせないでくれ」
風が攫う。
落ち着け。
落ち着いている。
うろたえるな。
平常心を保って。
風?
海は凪いでいるのに。
風が吹くだろうか。
「決心はついたかな? 君の長所は即断できる決断力だと思ってたんだけど」
「そら買い被りすぎやわ。俺はなぁんも決められへんよ。決められへんさかいに」
いまここにいる。
決められないから。
「逃げとるんやわ」
言わせるな。
全部知ってるくせに。
声の主が笑ったように思えた。
「そうだね。少し昔話をしようか。君の持ち出したソレにも関わることだよ」
「それ、長がなる?」
「一瞬だよ。君が認めればそれで終わり」
たぶん、
そこにいる。
見えないが。
気配がある。
強大で闇より深い。
禍々しさと清々しさを併せ持った。
「君は僕になれなかった僕だよ」
「意味わからへんけど」
「これからわかる。わかってもらわなきゃ困るんだ。なんのために君にその力を持ってもらったのかわからないからね」
その力というのは、錬金術のことだろうか。
だとするなら。
「ようやくわかったかな? 僕は君の」
師匠。
もしくは、それと同等の。
「冗談じゃないよ。僕は錬金術を憎んでいる。あんな術なければよかったんだ。あの術がなければ僕の兄は」
「逆恨みと違う? やめたってよ」
「まぁそれはいいんだ。昔話だったね。十三の碑文―――というかタブレ・エメラルデだけど、アレを揃えたところで君の願いは叶わない」
それでも。
「集めろゆうてはるしなぁ。願いは叶えてやりたいさかいに?」
「ふぅん、弱ったな。べた惚れみたいだね」
「せやね」
海を渡ってそれで。
これから目指すのは。
「
ぜんぶお見通しか。
予定表にびっちり書かれているのかもしれない。
「それに、君の連れてるソレ、そいつの故郷でもある」
「さっきからソレソレって。むっちゃ失礼やな」
「名前を知らないんだ。いや、知ってるけどそれは本当の名じゃない。本当の名じゃないと呼ぶ意味ないからね」
「縛れへんもんなぁ。そうゆう術なん?」
術師系はもれなく言霊使いで間違いないが。
中でもとりわけ言霊に特化した術使いが、出日臨君央ヨウにいたと聞く。
だいぶ前の話だが。
およそ―――
「二千年前。僕は尊敬していた兄に裏切られた。散々だったよ。あのときの顛末はいまでも夢に見る。悪夢だ。僕は兄を生き返らせたい。生き返らせて思い知らせてやりたいんだ。あなたがやったことはこんなにも間違っていたんだと」
「やっぱ逆恨みやないの」
「なんとでも言うといい。そのためには錬金術が必要だったんだ。君だよ。僕は君を利用している。君が錬金術の粋を修められるように」
「自分でやらはるゆう案はなかったん?」
「嫌だよ。どうして僕があんな忌々しい術に手を染めなければいけないのか。もうわかったんじゃないかな? 十三の碑文に書かれている、いや、封じられているものがなんなのか」
それでも。
そうだとしても。
「集めるしかないやろ。俺の願い?んなもんどないでもええわ。俺が叶えたいんはたったひとつ」
なぁ?
ヤオヨロヅ。
「君はそう呼ぶわけだね。それもまぁ間違いじゃない。好きに呼ぶといいさ。ソレの現持ち主は君だ。どうするもこうするも君の自由」
「せやったらええやん。もう解放したってくれへんかな。俺かて先を急いで」
「ソレは神でもなんでもない。ソレが何を目的でタブレ・エメラルデを揃えろってゆってるのかわかってるかな? 揃えるとどうなるのか。君は知らされていない」
へえ、それは。
知りたくない系の昔話だ。
第1章 金欠の錬金術師アルヒミスト
1
あかんわ。
もう何遍唱えたかわからない。
困った困ったと言っていられるうちは本当のピンチではないのだろう。だからきっとまだ何とかなる可能性を含有しているとみていい。希望も含めて。
レトルト内を覗き込んで餌を注ぎ込む。人の生き血。勿論自分のものではない。
血を見ると倒れる部類がいるがそんなことはない。倒れていられない状況にあれば克服くらい容易い。要するに、以前は苦手だった。
形はほぼ完成に近い。気持ちが悪いので描写は控える。あと二日といったところか。その二日がネックなのにその二日の間ここにいられるか、と一瞬だけ考えて脱力。
あかんわ。
また言ってしまった。
レトルトのこれが外に出たら是非相槌を打ってもらいたいところだが。
「おうおーう、いる?」
来た。
急いでレトルトを地下通路に隠して部屋を確認する。あまりに返事が遅いと扉を壊されかねない。以前それでひどい目に遭った。雨風を凌ぐために建物内にいるというのに。
「まだ寝てる? 時間だよ」
「おります。すんません」あくまで平常を保って扉を開けた。
焦点はできるだけぼやかす。遠くを見るようにして近くを見ない。つまるところ何も見るつもりはない。
彼女は、天子直属の監察官。エメ。
「もう何遍もゆうとるんやけどね、天子サマに見せられるもんなんかまだ」
「それも含めてさ、ちょっと顔出さない?」監察官の口調は軽く顔はにやけているが。
「命令なんかな」
「はいはい当たり前。すぐ準備ね。いーち」恐怖のカウントダウン開始。
外出着に着替えて屋外に出るとぎりぎり二十のに、を発声するところだった。危ない。命拾いにもほどがある。毎日これを繰り返されている身にもなって欲しい。
無駄に巨大な城のすぐ傍に研究施設兼住居として小屋を宛がわれているのだが、城から眼と鼻の先とはよく言ったもので、どんなに寄り道をしても五分もあればボロ小屋の壁はノックできる。
用があるなら自分で来いよ。
いつも思う。わざわざ自分で来ないことで天子様としての威厳を発揮できると考えているのだから浅はかにも程がある。どの道天子というのは暇なのだ。黙って踏ん反り返っていればそれでお役目充分。人形でも代役可能。
「なんか変なにおいしない?」監察官が眉をひそめる。
「香辛料やないです?」
「ううん、君からするんだよ。何日お風呂入ってない?」
「あー、どやったかな」
監察官は顔をしかめて三歩前をすたすた歩く。こちらとしても並んでくれないほうがありがたいので構わない。
最大の大陸クレ。その広大な大陸全土を統治する天子様が城を構える城下町香カラ。
香カラには貿易港があり、自動的に人の往来も並でないが、港の警備がしっかりしているため町どころか大陸全土が平和ボケそのもの。争いの引き金になるようなものはその入り口で根こそぎシャットアウトされる仕組みになっている。それでも新しいものはとりあえず取り入れるのが香カラの強みであり、世界の最先端がこの港に集まってくるといっても過言ではない。
いつにも増して城の門から延びるメインロードが賑やかだ。まだ昼なのに花火も上がっている。色とりどりの花が飾られその花びらが風で舞う。
鼻に当たった。これの匂いだと指摘すればよかった。後の祭り。
「今日、なんかあらはるの?」
「そっか知らないか。でも天子様から聞いてない?」監察官が言う。
「わからへん」
「うーん、君には知ってもらいたかったと思うなあ」
「なんで?」
衛兵が電撃的に道をあける。監察官が相当偉い地位にいるのだということを思い知らすために見せ付けられているような気がしてならない。何から何まで嫌味な行事だ。
中央から右と左に半分ずつ分かれる扉をうんざりするくらい通過して、ようやく天子様の御前に辿り着く。
奥に行くにしたがって扉が大きくなるようだがそれに反比例して通過できる人数が減る。可能なら自分もどこかの検問に引っ掛かってはいさよなら、となりたいものだがそうなった場合困ることも出てくる。
妙な音楽とともに仰々しく最後の扉が開く。毎度吹き出しそうになる。監察官を横目で確認してもなんら表情に変化がない。きっと耳が詰まっているのだ。
艶々の絨毯に膝をつけて奇奇怪怪な登場シーンをやり過ごす。許可が下りないと直接天子様を見てはいけないらしい。最初それを破ってえらい目に遭った。国が違うとタブーが違ってややこしい。留意すべき事項ならば最初に説明してほしい。
「顔を上げろ」天子様のお許しが出た。
監察官がお決まりの挨拶をする。とにかく長いだけで中身がすかすかな。
最も低い位置から見上げればこうも神々しく見えるのか。改めて認識する。
座り心地の悪そうな上に趣味の悪い椅子が最上段に設置してある。そこにどうでもよさそうな顔で下界を見下ろしている天子が一匹。
「出来たのか」
「まだです」正直に嘘を言った。
「確か今日までだと聞いていたが」
「そやったと思いますね」
責任追求している割には語気に活力がない。下々の前なので形式上尋ねているに過ぎない。それか単に何十枚も重ね着する衣装の重みに屈しているか。いつもより枚数が多い気も。気のせいか。
「約束が守れないならそれなりの罰も覚悟してもらうが」天使が言う。
「ああそらもうご尤もです」
天子のおざなりな合図で側近以外の面々がさっと退場する。蜘蛛の子散らすように。
ワンテンポおいてかつんかつんと靴音が近づく。あらん限り勿体つけて。
「フツーにしていい」天子の溜息が降ってきた。
「むっちゃトロいわ、ずアホぉ」
側近のカネイは相変わらずへらへら笑っている。彼は天子様のお戯れについて熟知している数少ない人間の一人。あとは監察官くらいか。他は誰も知らない。どうかこのまま知らないでいてもらいたい。
「期限が切れるから何かでっち上げないといけないな」天子が言う。
「そのことなんやけど、俺は別にここにおらんでも」
「金が要らないのか」
大陸全土の民に見せてやりたい。天に代わって民を治めるという天子様が地べたに座っている。
「だいたい俺は錬金術なんかどうだっていい。ちょうどいい機会だ。考え直さないか。おい、ちょっと外せ」
「はあ、畏まりました」側近が扉に手をかける。「何か御座いましたら」
「いい。何もない」
ついに側近すらも追い払う。この状況で暗殺されたら誰にも文句は言えない。
「信用しすぎなのと違う?」
「今日何の日か知ってるか。だいぶ前から言っといたはずだが」天子が言う。
「さあ、なんやったかな」
「俺の誕生日だ」
「へえ、そんで?」
「あんなボロ小屋じゃなくて城に住めばいい。部屋などいくらでも」
「せやからね、俺はお前やなくても」
「俺はお前がいい」
天に代わって民を治めるという天子様が、どこの馬の骨ともわからない自称錬金術師に心底入れ込んでいて、民が汗水垂らして手にしたささやかな糧から納める血税をほとんどそのわけのわからない自称錬金術師に貢いでいるとしたら。
民は嘆くほかない。
「お世継ぎはどないするん?」
「お前がエリクシルだのを造って俺が不老不死になればいいだけの話だ。まだ出来ないのか。早くしろ」
「それはまあ、おいおいやけど。俺はな、お前から離れたいゆう」希望があったりなかったり。
「離れて生活できるのか」
「いや、そらまあ、いろいろ」
「出来ないだろ」天子が真顔で言う。「研究資金ならいくらでもやる。だから俺のものになれ」
会話の噛みあわなさが甚だしい。よくぞここまで人の話を無視して勝手な将来設計を。
思い起こすのもうんざりだが最初からこうだった。
わけあって国外逃亡し、その辺にいた船にただ乗りして辿り着いたのがこの港。夜だったこともあり町の配置がよくわからなかった。やけに高々とそびえ立つ城が気になりこそこそと裏に回ったらふらふらと散歩する髪の長い男に見つかった。黙らせることも出来たのだが情けないことに空腹で、その男の第一声があまりにも間抜けで。
夜這いか。
母国語と違うはずなのに幸か不幸か聞き取れてしまった。隙を突かれて押し倒されたところで記憶が飛んでいる。
眼が醒めたら天蓋付きの弾力のありすぎるベッドに寝かされていた。服が剥がされていなかったのでそのまま逃げようかと思ったらタイミングが悪いことに男が戻ってきた。ほぼ全裸で。シャワーを浴びていたらしく髪が湿っている。嫌な予感がして身振り手振りで気を失っている間の出来事の補完を求めると。
憶えてないならいい。
とかわけのわからない自己完結で済ませようとしたので思わず下腹部に蹴りをお見舞いしてしまった。男が倒れるのと同時に壺がなんともいえない音を出したので、側近が駆けつけてさらにややこしいことに。
恐れていた最悪の事態は免れたもののその男に気に入られ、うっかり住む場所がないと口を滑らせたことにより半強制的に同棲を決められる。だが男は明らかに同棲が目当てではない。それ以上のことを求めてくるのも時間の問題。早々に眼を盗んでおいとましたのだが、その男のしつこさといったらうざいの一言では到底片付けられない。
その男こそ過去何百年と戦乱を極めた混沌大陸クレを収め、阿鼻叫喚の荒地をたった数年で平和ボケ大陸に代えた張本人だった。一体どうやったのか想像に難い。いくら天子様といえども絶対に不可能だ。
「泊まっていくだろ?」天子が言う。
「はあ? なんで?」
「そのくらいのことはしてもいいんじゃないか。第一今日は」
「あー知らん知らん。せやった、ちょお腕出して」
「ああ」
天子の鬱陶しい袖を捲り挙げて二の腕を紐で縛る。その非健康的で蒼白い肌に注射針を当てる。餌としてレトルトに注ぎ込んでいる血の出資者はここにいる。
エリクシルを使う本人の血でないといけない、と大ホラを吹いたのですっかり信じ込んでいる。いまでは黙ってても無言で腕を差し出すまでになった。食事係に命令して血液を増やす食品を調理させているらしいので本当にお人好しというか単純というか。
自称錬金術師はエリクシルなんか造る気ないのに。興味がないといったら嘘になるが優先順位でいくと低い。それにあからさまに造れ造れと言われると造りたくなくなる。
「泊まっていけ」天子が言う。
「あんなあ、これ定期的に補充せんと」
「おい、部屋」
側近が情けない返事をしてぱっと走っていく。部屋の用意は形だけ。どうせ一部屋しか必要なくなる。
用意された人間が夜までに逃亡するから。
2
血液を与える時間だと説得してボロ小屋に戻る。地下通路につながる蓋を開けてレトルトを覗き込む。危ない。血液切れで弱っている。即刻補充する。
もうすぐ。
思わずにやける。
せめてこれを完成させてからにしたかったがそうも言っていられない。予定は未定。常に最適な状態を選ぶ必要がある。持ち出したい荷物もない。
さらば天子廟香カラ。
「そうはいかないんだな」
柱の陰から影が二つ。誰なのか言わずもがな。
監察官と側近。
「天子様がお待ちです。お戻りください」側近が言う。
「厭や、ゆうたら?」
発砲。
監察官が撃った。「次は中てるよ」
「中てはったら天子様に顔向けできひんのと違う?」
鉾槍。
側近が抜いた。「お戻りいただけると」
「ほんま忠実やねえ」
レトルトを抱えたまま詠唱。動きが止まればそれでいい。
空気アル。
エーテル抽入。
ヒット。
逃げろ。呼び止める声も無視。
森を抜けたあたりでちょっと休憩。
「約束が違うじゃないか」天子様も登場。
こっそり詠唱。
いざとなれば死なない程度に拘束する。
「どうやって暮らすんだ」
「そらまあ適当に」
「何が不満だ」
「そらもうぜんぶ」
天子が拘束された二名を見遣って。「離してやれ」
「時間経てば解けるんやけど」
「どうしても行くか」天子が言う。
「せやね」
「俺が嫌いか」
「嫌いやね」
「なんだ?それ」
ようやく気がついたらしい。単に暗いからよく見えないだけかと思ったが。
「どういう効能があるんだ」天子が言う。
「なんも」
レトルト内が沸騰する。まさか。
容器が内部圧力で破損。
小さな人型の。
「なんだ?」天子が言う。
「ちょお下がっといて」
第一号はコントロール不可か。だとしたら。間に合うか。
詠唱。
火気マル。水気ヘル。
エーテル混合。
ヒット?
いや。吸収した。
「お前、何して」天子が言う。
「ええから。手下連れて」
自分の子どもを殺すようで気が引けるが。致し方なし。
瞬発力は低い。頭がいいだけ。それが強みであり弱点。
詠唱。
空気アル。土気ソル。火気マル。水気ヘル。
エーテル融解。
ヒット。
肉片と血液が飛び散る。
ごめんな。また造るから。
十三の碑文。そう聞こえた。
碑文?
「タブレ・エメラルデ」
なんだそら。自分で言っておきながらわからない。知らない。それが何を示すのかまるで。
本当に?
本当に心当たりはない?
「妙なことをするんだな、錬金術とやらは」天子が言う。
「逃げろゆうたやん」
天子が散らばった血液を見てあ、と言う。
バレたか。
「あんなあ、エリクシルなんやけど、ちょお大事なこと思い出してん」
「なんだいまさら」天子が言う。
「それ造るのに大事なもん忘れとってね。いまから集めてきたいんやけど」
「なんだ、持ってこさせる」
「いや、それがな、俺やないと発見できへんゆうか」
「どれくらいかかる」
「さあ、ぜんぶで十三枚あるさかい。大陸内にあるんやったら苦労せえへんけど」
「どうしてそうゆう大事なことを早く言わない」
「いや、なんやうまいこといかへんな、思うとったら足りひんものが」
「それでさっき壊れたのか。なるほど」
厳密には違う。しかし訂正の必要もない。
やはり血だけ見て自分の血液がエリクシル以外に使われていたことには気がつかないか。
よかった平和ボケ天子で。
「それは貴重なものなのか」天子が言う。
「そらもう。それ目当てで戦争もあるやもしれへんなぁ」
「十三か」君主がおもむろに胸のチョーカを引きちぎる。「もっていけ」
「これ見て俺を思い出せ、ゆう不純な動機があるんやったらここで燃やすさかいに」
「それでもいいが、貴重なものなんだろ? 金に物を言わせた強欲な権力者が隠し持ってる可能性がある。それに道中の資金も困るだろ。これを然るべき役人に見せればある程度カネを工面できる。有効に使え」
ペンダントトップのメダルには大陸クレの簡略図と天子廟香カラの文字が彫ってある。要するに天子様の証。
「ほんまにええの? これないと」
「誰も見ないだろ、天子の顔なんか」
なるほど。いい加減というかタブーを逆手に取ったというか。
「返しに来いよ」天子が言う。
「気ィ向いたらな」
タブレ・エメラルデ。
十三の碑文。
わけがわからない。
使命感とは程遠い。単にアホ天子から逃れたいがための言い訳。ちょうどそれらしい格好がついたのだから大いに利用させてもらう。
新しい寄生先を探す旅の。
3
また探しおって。
静かにしていれば絶対に見つからない。妹も知り得ない。
古今東西の宗教が交じり合う厳かな地。
うまい具合に住みわけがされて様々な信仰が並立しているわけではない。互いに宗教を認め合い共存が成功している稀有な場所。
しかしここを出てしまうと状況は一変する。それがフツー。
むしろこの地が異常なのだ。まるで何かの結界のように。
遺跡の陰でやり過ごす。探索者はすぐに諦める。面倒だから。
よし、いなくなった。
外に出ようと思って柱に手をかけたらまさかの、崩れた。
まずい。潰される。頭を庇う。
痛くない。遠くなる。落ちている。下に下に。
腰を打った。頭に瓦礫の破片が当たる。粉がパラパラと。
真っ暗。かび臭い。眼が慣れない。上空に小さな光が見える。
地下神殿か。弱った。戻れないかも。さっきの使いはもう帰っただろう。日が暮れればさすがに誰か捜しに来る。しかし日が暮れるまで何時間だ。
待っているのは性に合わない。適当に歩いてみる。
石造り。文様に見覚えがない。現存する文明ではないのだろう。滅びた信仰の上に成り立っているのがこの祭壇古都なのかもしれない。そう考えると恐ろしくなってきた。畏れのほうが近い。何かに躓く。
触ったら冷たくなかった。乾いている。
本。
眼を凝らしたら壁一面に本がみっしり詰まって。本棚というより壁自体が本で出来ているようだった。天井までぎゅうぎゅうに。分厚い書物が堆く。
押し潰されそうな錯覚。呼吸が首元で制限されているかのような。気味が悪くなってくる。抜け出したいのに。脚が動かない。眼球固定。暗闇で見えやしないのに。
読め。脳が命令する。
恐る恐る足元の本のページを捲る。見えない。読めない。
いまは亡き文明の書。
それを服の下に潜ませて駆ける。脇目も振らず。どうせ真っ暗だから脇目も何もないのだが。どこをどう走ったのか思い出せないが、気がついたら見覚えのある場所に出ていた。あんなに深い地下にいたのに。垂直方向に登った覚えがないのに。
すっかり夜。
持ち出した書物を月明かりに曝す。タイトルの部分が削られている。風化ではなく意図的に。中も虫食い的に破られ削られてまったく読めない。そもそも古代文字で解読不可なのだから無理な話だか。
読め。また脳が。
頭痛がする。カビのせいか。落下のせいか。
表紙の欠損部分に何かが浮かび上がったように見えた。一瞬の幻。
タブレ・エメラルデ。
十三の碑文。
中身も読める気がしてこっそり住居に持ち帰る。
一族は誰も心配していなかった。どうせいつものことだと高を括って相手にしない。別に捜して欲しいから隠れるわけではない。お勤めが厭だから逃げ回っているだけのことで。一日中なにもせずただひたすらに祈りを捧げろ、なんて誰が。妹が継げばいい。妹のほうが優秀だ。適任。
次の日にもう一度地下神殿に足を運んだ。今度は明かりを持って。やはり本が壁を形成している。一冊でも抜いたら抜いた人間が押し潰される仕組みになっている。知的探究心を餌にした凄まじいトラップだ。
しかしなぜあの一冊だけ落ちていたのだろう。ぐるりと見回してもそれが収まっていたらしきスペースはない。ということはあれは最初から床にあるべき書物。
誰でもよかった。拾って外に持ち出せば。
それは効力を発揮する。
4
役に立つかボケ。
天子様から有り難く頂戴したもとい借りたメダルは何の権力も発揮しないことが明らかになる。遺憾なく効果を発揮して然るべきの天子廟香カラにおいてすでに首を傾げられたり笑い飛ばされる始末なのだから、もうここを出ればただの装飾品以下に成り下がること請け合い。いっそ売り飛ばすか。記念コインくらいの価値はあるだろう。
陸路と海路があるのだがよく考えたら目的地がわからないのでほいそれと飛び乗るわけにいかない。強引に手と足が生えたような天子様から逃げられればあとは野となれ山となれのはずだったのに。城に戻って地図だの助言だのをもらうのも情けない。国外逃亡したときのように港に停泊する船に適当に乗ってみるのも手か。見たところほとんどが貨物専用の大型船。人一人紛れ込んでいても。
海に何か落ちた。船からだ。
船の上の人が海に落ちた人に向かって怒鳴っている。正規の乗組員に見つかって海に捨てられたようだ。香カラに入港するのは出航することより難しいはずなのだが事実そうでもないらしい。
やめやめ却下。あれと同じ目に遭うのも。
貨物船なら用心棒が欲しいだろう。どう見ても荷物運搬には向かない格好の人が睨みを利かせている。旅客船は圧倒的に少ない。人より物を扱う港だからなのだろう。
「あーもー。ですから、どうしたら聞き間違えられるんですか」
さっき海に落ちた男がまだ怒鳴られている。ずぶ濡れのまま気にするでもなくのそのそと船の縁をよじ登っているが、突き落とした張本人は大声で捲くし立てるだけでもう海に捨てようとはしない。ただのケンカだったらしい。過激なケンカだ。
「いいですか。私が行ってきますから見張っててくださいよ。前みたいなわけのわからない密航者はごめんですからね。わかりましたね?」
ずぶ濡れの男が微かに顎を引くと、一方的に喋っていた華奢な男が船から飛び降りて町のほうに駆けていく。綺麗で軽い身のこなしだった。上下運動に特化しているというより、全方向において繰り出される一瞬の間を察知できる天性。
古式ゆかしい船舶だが大きくて丈夫そうだ。荷物のほかに様々な雰囲気の人間も載せているので貨客船か。
ずぶ濡れの男がようやく船に戻った。服を脱いで水気を絞っている。彼は用心棒なのだろうか。上半身を見る限り筋肉のつき方が無駄でない。潮と陸の両方の匂いがする。
「すんませんけど、これ、どこ行かはるんですか」
「ああ」ワンテンポどころかフォーテンポくらいずれて男が返事したが、それ以上の言葉が続かない。
待てども待てども会話が展開される気配なし。一応返事はしたのだから聞こえていないわけではなさそうだ。男はじっとこちらを見ている。
「えっと、どこに」
「さあ」
「あの、あんさんはこの船の」
「ああ」
なんだかボキャブラリィが少なすぎる。それとも言語の問題か。香カラの公用語は貿易をするに当たって商人たちが編み出した実用的な言語であり、アホ天子に唆されて仕方なくマスタした。それで通用しないとなると。
母国語。
「この船、俺が乗ってもええですやろか」
「ああ」
「乗ってええ、ゆうことですか」
「早くしろ」
通じたのか。男は水気を絞った服と腰の布切れをおざなりにロープにかけ欠伸をする。いまここで俺が乗ろうが乗らまいがどうでもよさそうだった。メインマストの上方に飛んでいる鳥を見遣ってぼんやりしている。
彼以外に乗組員らしき人が見当たらない。ほとんどは堅気でなさそうなアウトローだったり、物見遊山ではなく確固たる野望があってこの船舶を利用しているようだ。話し掛けるのだけで金をぶん取られそうな雰囲気も。
「あーちょっと言ってる傍から」華奢な男が戻ってきた。
自称錬金術師は指を差されている。
「いちおう許可はもろうたんですけど」
「あんなのに会話を求めたって無駄ですよ。とにかく、この船の方針は私が決めるんです。降りてください」
「金やったら」
「そういう問題じゃないんです。さ、いまなら見逃したげますから」
「なにがまずいんやろか?」
「見ればわかるでしょ? これ、真面目な船に見えますか?」
「真面目な船やないんですか」言ってる途中で腕を摑まれる。相当強い力で引っ張られるのであっという間に縁まで。
この細腕からは予測不可能な力。乗客に目線を遣ってもげらげら笑っていたり口笛を吹いたり手を叩いたり囃し立てられる。恒例の出し物らしく誰も奇異な様子とは思っていない。
「別にいいだろ。一人くらい」海に落ちた男が言う。
「あのですね、その誰かさんの余計な優しさによるところのたった一人のせいで、いままでどんな目に遭ってきたか思い出せますか? 羅列してあげましょうか。どうですか」
先ほど海に落ちた男がこちらをじろじろ見て。「大丈夫。弱そう」
「ですから、見た目で強い弱いがわかったら苦労しないんです。それにあなたの目利きが当たった試しがありません」
「ぎゃあぎゃあうるせーな。もしなんかあったら」
「何かあってからでは遅いんです。さ、そこのあなた。とっとと降りていただけると」
ここに乗ったときから妙な匂いが鼻につく。甘ったるいような痺れるような。乗っている人間から発されているのか。それとも貨物。
「皆さん、戦争ですか」
「だったらなんですか。はいはい、降りて」
「おい、さっさと出してくれねえか」低い声だった。一人だけ離れたところにいた男が発したようだ。
散々冷やかしていた連中が一瞬でしんとなる。驚いたわけではなく竦み上がった。
男は傷だらけの太い腕で、己の腰までありそうな重剣を抱えている。長めの前髪の合間から鋭い眼光がのぞく。
華奢な男も空気に呑まれたのか眉を寄せる。
そんな中でもまったく動じないのがあの男。さすが海に蹴落とされても至極平気な顔でぽわぽわ欠伸をしているだけのことはある。単に空気が読めないだけかもしれないが。
「カイ」
「わ、わかりましたよ。ですが今度だけですからね。次はないんですからね」
「出すぞ」
お礼を言うべきか。男は再びあさっての方を向いてしまった。頃合いを見て何とか声を掛けよう。借りを作ったみたいで気分が悪い。
するするとメインマストに帆が張られる。淀みなく淡白な出航だった。乗組員は揉めていた二人だけ。しかし二人ともそれぞれ違った意味で海の男には見えない。
まず口達者というか単に喚いていたほう。首に提がっているのは宗教的な装飾品。天然石だろうと思うが、純度の高い翡翠の玉も交じっている。腕と首周りに刺繍の施された薄手の布を纏い、基本的にどの部位も若干肌との余裕がある。しかし素早い動きにもラグなく追随できそうなので、風通しの問題かもしれない。どことなく砂漠地帯を思わせる身軽な衣服で装備らしい装備は胸当てのみ。それもあまり頼りになるとは言えない。時に武器類は持っていないので肉体のみで戦うのだろうか。細身だが力は充分。
そして口下手というか少しばかりずれているほう。背丈は前述の男とそう変わらないが嫌味でない程度に筋肉がついている。頬やら腹やら腕やら脛やらに呪術的な文様が彫られている。古今東西の宗教が集う祭壇古都京キョウでさえお目にかかったことがないので局地的に口答伝承される秘術系かもしれない。それと似たような文様が衣服にも縦横無尽に駆け巡っている。全身で秘術の神秘性を体現しているような不可思議な感じがする。いまは何も手にしていないが術の発動には何らかのアイテムが必要。杖か装飾具か。
他の乗客も厳つい武具を携え、銘々何らかの術を会得している。やはり戦いに赴くのだろう。あんな凄まじい剣を携えていく場所なんか限られている。平和ボケ天子廟香カラが表立って戦争を起こしているはずはないので、他の大陸の猛者たちが港を回って傭兵を拾っていると考えたほうがいい。とすると香カラに寄ったのは物資補給。ここで拾って即戦力になりそうな人間はすべて天子様のために城勤め。
カイ、と呼ばれていた華奢な男と眼があったので持っていた一番大きな紙幣を出す。
「まあ、貰っておきますね。本当はそれでも足りないくらいなんですが」
「相場はどないなったはるんですか」
「ありませんよ。彼らが金持ってるように見えます?」
「いや、せやけど元」
「でも別に無償奉仕してるわけじゃないんです。気にしないで下さい。あなたはたまたま乗り合わせただけの他人ですからね。大人しく乗っていていただければ」
「クルーは二人だけなん?」
「ですから、あまり詮索なさいますと」
「やめとけ。海の餌にされっぞ」刺青のほうが衣服を叩いて乾き具合を確かめている。
「ああちょっと、舵は」
「大丈夫だろ。じゅんちょー」
「ところであなたどこで降ります? こちらとしますとすぐにでも」
「けちけちすんなよ。そいつ大したことねえぞ」
「それは一理ありますね。見たところ特筆すべき能力はなさそうですが」
ひどい貶されようだ。訂正するのも説明するもの面倒なので適当に誤魔化す。
「あなた無目的に移動してるんですか? とんだ道楽者ですね」
「戦争ゆうのはどこで」
「誰も戦争だとは言ってませんけど」
「せやけどね、なんやキナ臭い匂いするん。公に認められへんもん運搬したはるか。せやなかったらこのおっさんたちが」
斬るような風。寸止めで爪先が見えた。
「そちらもワケありのようですから何も聞かないことにします。ですからあまり私を困らせないで下さい」
「俺はしがない錬金術師アルヒミストです」
「え?」
「なんやあかんかな」
「錬金術アルヒミって本当の本当に?」
「まあ、自称やけどね」
男がぶつぶつと何かを呟いてきょろきょろする。他の連中は銘々に何やかやしている。重剣の男は見える範囲にはいない。
「錬金術って錬金術ですよ? 本当の本気であなた錬金術とか言うんじゃ」
「錬金術ゆうてもこっそこそ金造っとるわけやないよ。そらもういろいろ」
「そんなこと知ってますよ。そうじゃなくて錬金術師って、まさか。いやでも」カイと呼ばれていた男が相方を呼ぶ。
センジュと言うらしい。
「なんだ。舵見ろって言ったの」
「この人錬金術師とか言うんですけど」
「はあ?マジかよ」
莫迦にしたような笑い方をされたのでムと来た。
センジュはそら傑作といわんばかりに膝を打つ。
「錬金術師やったらオモロイんですか」
「お前どこ出身だ。田舎だろ」センジュが言う。
「確かに独学やけど、京キョウ莫迦にされたないな」
「んじゃ仕方ねえか。あそこは信仰が死んでる。祭壇古都てゆうだろ? 保存するだけの博物館ていう意味なんだよ。しっかし錬金術とはな」
「あんまり笑ったら失礼ですよ」カイが言う。「まったく、大体あなただって列島ヒムカシ出身」
「俺はそこじゃねえ。もっと北」センジュが言う。
どういうことだ。錬金術が死んだ学問のような。
「悪いことは言わねえ。錬金術なんて時代遅れのもんはやめろ」センジュが言う。
「なんで笑わはるんやろか」
「いままで錬金術師て言って誰にも笑われなかったんですか」カイが言う。
「あったら訊かへん思うけど」
「これは親切です。プライドに傷を付けたくないならみだりに錬金術師を名乗るのはやめたほうがいいですよ」カイは、過呼吸になったセンジュを足蹴にして言った。「錬金術はインチキです」
5
夜になってからこっそり部屋を出る。舞殿の周囲なら昼夜問わず明るい。消灯の時刻が過ぎると誰も出歩こうとしないため発見される可能性は皆無。
地下神殿から持ち出した本はほぼ解読できた。解読というより書物のほうから勝手に内容が染み込んでくる。滅びた文明の古代文字だろうが人為的な虫食いだろうが関係ない。これは天啓。これを記した何者かが秘術を復活させようとしている。
あとは実践。素質はあると信じる。基礎は四つの元素。
空気アル。土気ソル。火気マル。水気ヘル。これの組み合わせに秘薬エーテルを調合する。効果はわからない。とりあえずやってみろということだろう。
どくどく脈打ってるのがわかる。失敗がどうということではなく。成功が怖い。まずすべての基準。
詠唱。
空気アル。
エーテル注入。
何も起きない。失敗か。ざわざわ聞こえる。どこだ。後ろ。
舞殿がない。
違う。潰れている。徐々に柱が消えて静かに屋根が落ちたらしい。まずい。もう一度遣ったら直るだろうか。
詠唱。
空気アル。
エーテル抽入。
ゆっくり時間が撒き戻る。柱が出現。直った。
どうやら効力は固定されているわけではなくその都度望んだ内容らしい。確かに舞殿が壊れたら面白いとは思ったが。
出来た。
他も試してみたいが今夜はここまでにする。楽しみは取っておこう。
最近まともにお勤めに出ているせいか一族から奇異な目で見られる。真面目になったら真面目になったで何やかや言われる。どうすればいいというのだ。
屋敷内で妹を見かけたので声を掛けてみる。相変わらず重ね衣の裾が整っている。どこぞの不真面目な兄と違い走ったりしない証拠だ。
「皆さん噂してはりますよ」妹が言う。
「ほお、なんのやろか?」
妹が肩を竦める。単に挨拶だったようだ。
「夜中こそこそどこぞに行ったはるとかなんとか」妹が言う。
「ああ、まあな。オモロイさかいにな」
「遺跡に行かはったんやありまへんか」
「なんやお見通しやね。内緒にしたって」
「無理どす。情報源はウチやあらへん」
「へえ、そらあかんな」
「しょーもない術に手を染めたはるとかゆうて」
「ないない。心配しすぎやわ」
ちっとも心配しすぎではなかった。次期祭司である妹に知られているという時点で致命的。それに気がついたのは四元素を自在に操れるようになった日。
やけに静かだった。消灯時間を過ぎているのだから当たり前とも取れるが平常と質の違う静けさ。知らないうちにすぐ喉元まで迫ってきているような鋭い静寂。
気分の高揚が一瞬にして醒めた。ようやく自分のしたことについてわかった気がした。舞殿に行くのをやめて布団でうとうとしていたら障子枠がかたかたと鳴動した。
嫌な夜。予感だけは当たる。
普段移動範囲の狭い妹が離れの奥にある兄の部屋を訪ねてきた。息を切らしている。重ね衣の裾が乱れ放題。これ以上に異状だという証はない。
「逃げはってください」妹が言う。
声もしない。物音も。そうゆう一族。
排除すべくは音も無く消す。
「もうおるんやないかな」
「おるや思わはりますか。ウチが継ぐんはどこの信仰やて」
「俺はええんやけど、バレたら」
「
思わず吹き出す。
「そらあかんね。真似しおってもええことあらへんえ」
「ウチは
「おおきにな」
詠唱。
火気マル。
エーテル抽入。
明るくない明かりで夜道を照らす。走れ。駆けろ。
一族総出でかかってきたらさすがの妹も不利だろう。置き土産でもしておこう。
詠唱。
火気マル。水気ヘル。
エーテル混合。
屋敷内で幻の火災と水害を起こす。走れ。駆けろ。港まで出れば。
6
詠唱。
空気アル。水気ヘル。
エーテル混合。
船ごと気泡内に。幻の沈没劇。彼らは驚いて声も出ない。
見たか。錬金術は。
「センジュ」
「おう」彼のアイテムは杖だった。印術の文様だらけの。無駄だ。
転覆まであと。
「わからねえ」センジュはこの幻を解読しようと試みたようだった。
「そんな」カイの表情が曇る。
厳つい連中が慌てふためく。顔に似合わず。格好に似合わず。
叫べ喚け。
「あなたまさか」
「これでもインチキてゆわはるんか」
重剣の男は妙に落ち着いている。仕組みがわかったらしい。
「インチキや、ゆう説明してくれへんかな」
「だってインチキなんですよ。どの文書にも」カイが言う。
「それ、イカレとるのと違う?」
詠唱。
土気ソル。水気ヘル。
エーテル混合。
船のマストを大木に戻す。
重剣の男はやはり関心がなさそうだ。印術師ソーサラのセンジュは必死に事態の好転を呪う。
カイは乗客に指示して海水を掻き出している。それが幻とも知らず。もしかしたら知っているのかもしれないが、眼前でここまで惑わされたら無理もない。
「やめていただけませんか」カイが言う。
「インチキやったら信じへんはずやけど」
印術師のセンジュがマストに文様を彫り付ける。
陣。
「センジュ、インチキていうのはまさか」カイが言う。
「方便か」センジュが息を吐く。
乗組員は目線で会話する。
「わかりました」カイが言う。「私たちが間違っていたようです、というより文書が。何か裏がありそうですね、錬金術師の方」
詠唱破棄。
エーテル解放。
すべて元通り。
乗組員含め厳つい連中が一斉に尻餅をつく。
重力。
重剣の男が剣を布で包む。こっそり抜いていたようだ。剣の先端近い部分に黒い石が埋め込まれている。あれは奇石。名前までは失念したがどこかで。男は右手首の装飾品を指先までずらして鼻に当てる。眼を瞑って何か呟いた。乳白と黒曜の数珠。だとしたら彼の出身は。
列島ヒムカシの北部に位置する
しかしあの国は何年も前に滅んだと聞いて。
「私たちの調べたすべての文献が方便で塗り固められていたとするなら、方便で塗り固めた何者かがいる、ということですよね」カイが言う。すらすらと。「錬金術師は二千年前に忽然と姿を消していますから少なくともそのくらいは」
「二千年?」
「あれ、知りませんか」カイが言う。「錬金術について調べると一番最初にぶち当たる壁ですよ」
知らない。
知らないことがあるなんて。
「いや、俺の入った方向が裏道やさかいにな」
「二千年前の絶滅はいいとして、そのあとで歴史が塗り替えられたわけですか。復活を望まない何者か。それとも復活を恐れる」
「後者じゃないか」センジュが口を挟む。「そうでなきゃこいつが説明つかねえ」
「錬金術が復活すると大変な事態が発覚する。だからあからさまに禁術に定めるのではなくインチキとレッテルを貼り、万一興味がいっても大したことないなんだこの程度かつまらない、と思わせるのが狙いですね」カイが唸る。「なるほど、まんまと引っかかって今の今までインチキだと馬鹿にしていたわけですか私たちは」
この二人はただのクルーではなさそうだ。知識量はこの場にいる人間の中で群を抜いている。技量はまだ正確に測れないが。
「申し遅れました、私、武道士モンクのカイです。こっちは」
「印術師ソーサラのセンジュだ。よろしく」
ふたりとも列島ヒムカシ出身、と見当をつける。このクラスは列島ヒムカシでは至極メジャだから。特に北のほうで。
「ああども、ツネアゆいます。自称錬金術師の」
「では、自称錬金術師のツネアさん」カイが笑顔で言う。「錬金術を独力でマスタされた経緯についてお話願えますか」
「こっちのほうがいいだろ。来い」センジュが親指で招き入れる。
案内されたのは小さな部屋。船長室だろう。テーブルに椅子が二つ。センジュがいけね、と言いながら舵を見に行かなければ席に着くのを遠慮していた。
壁に色褪せたぼろぼろの海図がピンで留められている。写真も数枚。しかし彼ら二人は写っていない。船の前の持ち主か。
「船長ですよ」カイが言う。
「ああ、すんません」
よく見たらどれにも共通して写っている人がいた。
胸板の厚い、感じのよさそうな海の男。
「船さえありゃ万能だ。これが船長の口癖でして。ほら、そこの古びた海図、もう使われてないんですがそこの隅に虫が這ったような跡があるでしょう。船長が私たちが忘れるといけないからって記してくれたんです。そんなことメモしなくても憶えてますよ。一日に百回は言うんですから」
何を言ったらいいかわからなかったので。とりあえず相槌を打つ。
「船長、どうなったと思いますか」カイが苦笑する。
「この世にはいてへん感じやけどね」
「船があっても万能じゃないんです。船があっても船長がいなきゃ。船長はそれに気づかないまま海に還りました。おしまい。というわけで、お世話になった私たちが船長のやってた仕事、じゃありませんか、とにかくこれを続けてるんです。乗船を拒否したのは単に私たちの都合です。もし船長なら断ったりはしなかった。底抜けのお人好しでしてね、何遍も何遍も危ない目に遭ってるんです。でも船長の度量は海よりもずっと広い。なんやかや揉めているうちに仲良くなってるんです。変な話ですよね、これから戦いに行くってのに。死ぬかもしれないのに。ああもう本当に」
いつの間にかセンジュが扉に寄りかかっていた。音を立てずに入ってきたのだろう。気配すら消して。
「だいぶずれてたでしょう」カイが言う。航路のことだろう。
「まあ誤差範囲だ」センジュが大真面目な顔で言う。
「なんですかそれ」
それで二人とも船長と名乗らないのか。
船長はあとにも先にもたった一人。
カイに詰問されて錬金術との出会いから国外逃亡までをダイジェストで一気に喋った。どこぞのアホ天子相手なら細部の都合が悪い部分をいくらでも誤魔化せるが彼らはそうは行かない。作り話をするとすぐに見抜かれる。単に嘘が下手だという線もあるか。
ふたりがぶつぶつ相談を始めた。居づらくなったので外に出ようと思ったとき、狙ったかのようにセンジュがテーブルに手をつける。ちょっと大きめの音がした。
「錬金術師てのはべらべら言わねえほうがいい」
「なんや、評判芳しないみたいやしね」
「そうじゃねえ。なんつーか、俺らの自信だ」
「自信てなんですか。揺れるほうですか」すかさずカイが言う。「ツネアさん、錬金術というのは現在ではタブーと同義です。さっき眼の当たりにして確信しました。それと現存する錬金術師はあなたひとりだけです。たった一人です。それをお忘れなきよう、充分お気をつけて」
「それよか、どこ行くんだ。その十三の」センジュが言いよどむ。
十三の碑文。
タブレ・エメラルデ。
「待ってください。それ、何について記されているんでしょうか」カイが尋ねる。
「消された歴史じゃねえの?」
「でもそんなことのために十三も隠すでしょうか」
「ごっそり消されてんだぞ、よほどの」
「考えられるのはエリクシルの製造法。またはホムンクルス。まさか金の造り方てことはないでしょう。期待ハズレもいいとこですよ」
ホムンクルスがすでに成功していることは黙っておこう。触れなければバレまい。
「そもそも天啓だったんですよね。なにか降りてこないんですか」カイが訊く。
「ううん、まだなあ」
「あと三つ四つ港に寄りますけど香カラでも見たとおりほとんど密航です。この船自体はなんら悪いところもないんですけどやってることが大陸クレに君臨される平和の天子に盾ついているようなもんですからね。いまのところ黙認はしてもらってますが」
「大陸クレは安全弁があっからな」センジュが言う。「血気盛んな連中はそこで憂さ晴らせってことよ。それでも足りねえ奴は平和ボケ大陸出てけってな。あんなふざけた城立てて踏ん反り返ってる割にゃなかなか遣り手だよあの天子」
コメントしづらい。まさかの天子様が褒められているっぽいので参加もしたくない。
本当にこそこそした航海だった。天子に命ぜられて入国管理をしている役人たちもこぞって渋い顔をするがほんの短時間だけ、という約束で停泊を許してくれる。降りる人間は誰もいない。乗り込む人間は船の停泊を一所で揃って待っているわけではなくどこぞで船の気配を感じ取って方々からぽつりぽつりと乗ってくる。一港当たり十数名が乗り込むので、四港を通過した頃には相当の大所帯になっていた。
如何に自称錬金術師的なローブが浮いているかわかる。それでカイはあんなに反対したのだ。乗り込む順番があとになるほど殺気立っておりケンカをふっかけられこそしないがそれに近い雰囲気に満ち満ちている。一触即発とはよく言ったもので、その度にカイが空気を払拭する。いろいろなものに蹴りを入れて粉砕することで。
厳つい連中はそれにびびって静かになるわけではない。ある意味恒例行事らしくやんややんやと囃し立てる。一種のショウだ。彼らは単に暇なのだ。だから手っ取り早い暇潰しであるケンカという方法に頼る。それに近いことをこれから行うのだから無理もない。
「せやった、これ、どこに行かはるのか」目的地。
「ちょうど着きますよ」カイが答える。「
整備された港のようなものはなかった。岩場に強引に乗り付けるや否や、猛者たちが雄叫びとともに上陸する。立ち込めていた熱気が引けた。
「カイさんたちは」上陸しないのか。
「私たちはここまでです。わかったでしょう? ここ、周囲はずっとこんななんです。なんの交通手段もない。跡なんてとんでもない。ただの戦場。運よく生き残った者を連れて帰るのが私たちの役目です」
ここもあの地下神殿のようになにか文明があったのだろう。瓦礫と岩。完全な砂沙漠とまではいかないが不毛の大地。それが延々と。
数珠の男はすでにいなかった。
「降りたらあかんかな」
「死ぬぜ」センジュが忠告する。
「ホンマは戦争なんてしてへんのと違います? 陵サギゆうのが引っ掛かるな」
「そういうことにさせてください」カイが発言を遮った。「船長がそう言ってたので」
死人のみが踏み入ることを許された果て。おそらく還ってくる者はいない。戦の相手は大義名分の敵ではない。絶望してもなお生に執着する自らの肉体と揺るぎない精神。
「ひとりでその十三なんたら探すのか」センジュが言う。
「せやねえ、仲間もおらへんし」
「大陸クレならいいですけど、他の大陸に用があるなら一人ではちょっと」カイが言う。
「そないにまずいとこなんやろか?」
「出来れば私たちが傭兵にでもなってあげれればいいんですけど」カイが苦笑い。
「気持ちだけもろうときます。おおきに」
「おい、仲間なら闘技場コロセオが」センジュが指を一本立てる。
「あ、その手がありましたね」カイがぽんと手を叩く。「行きましょう。久し振りに」
「ちょ、待て。お前、あそこ死人出しちゃいけねえって」
闘技場コロセオ。
どうしてそれが仲間とつながるのか。
「あなたこそ、腕鈍ってるんじゃないですか。さっきだって」カイが言う。
「ありゃ反則だろ。お前だってちゃっかり」センジュが言う。
「じゃあ勝負します?」
「は、泣きべそかくなよ」
なんだかよくわからないが闘技場に向かうことになった。距離にしてどのくらいかかるのか訊こうと思ったがほどなく到着してしまった。
こちらは打って変わって生気の満ち溢れる街だった。大陸中の新奇が揃う貿易港香カラとは違った意味で栄えている。香カラは店も道等の人工物はおろか自然までも無駄なく区格が整っているが、ここは建物があちらこちらに点在し慣れていないと目的の店に辿り着く前にすれ違う屈強な男たちの威圧でバテてしまう。
店も強欲商人が見向きもしないようなありふれた武器やらそれに付随する物品。情報収集としての酒場や豪快な食事場。異国の匂いが絶妙な分量で混ざったあの風とは大きく異なる。血気盛んな猛者たちの熱気に満ちている。連中が降りる前の船舶と同じ。それに多少金銭的なしつこさが交ざっているか。
「ツネアさんはどうします?」カイが尋ねる。
闘技場はその名の通り、ある一定のルールの下互いに戦い合う場。センジュが言っていた安全弁はここのことか。確かに一種健全かもしれない。死人を出したら永久追放という最悪の不名誉を被せられることからも、ゲーム感覚で強さをぶつけ合う施設のようだ。
「やめとけよ」センジュが首を振る。「ここ、魔術等それに類する力は断固禁止だぜ? 取っちまったらなんも残らねだろ」
「出身もまあ、あの田舎ですしね」カイが頷く。
いちいちひどい二人だ。自分たちだってそう変わらないだろうに。単に西か北かの違いで。最初から出場する気はないので手を振って別れる。
別の入り口に回ると誰が勝つか、という博打としても楽しめるらしいがまったく興味がない。そんなもので金が殖やせるなら苦労しない。
出場希望者は入り口でエントリしその強さに応じてトーナメントに組み込まれる。どうやって強さを測るのか尋ねたところ出場回数だということだが、それは強さということにはならないような気がするが。通い詰めているバトル狂に対する配慮か。それとも無名の新人に対する当てもない期待か。毎日観戦している側にとっては新入りが気になるだろう。
そして、やはり闘技場には闘主チャンピオンが付き物。トーナメントを勝ち抜いた猛者にのみその称号が与えられる。
開幕時に現闘主の顔見せがあるらしい。観戦自体は寄付と名を変えた莫迦安い入場料で愉しむことができる。そのせいかぎりぎりに入場したらほぼ満席。フィールドが低い位置にあり、それを囲むように同心円状に階段がある。一人で三人分も幅を使用する威圧的な男たちの傍に行ってすんませんが、と言うわけにもいかないので一番高い位置の手すりに寄りかかる。
遠くて何も見えやしない。ここが異様に空いているわけがわかった。円の半径が大きくなるしたがって人の密集度が小さくなる。闘主の顔だけ見たら情報収集に行こう。
ストレートに尋ねるな。それは散々二人に忠告された。錬金術、錬金術師は口にしてはいけない。それならどうするか。店なら武器を品定めするふりをして、酒場なら新参者だと明確に伝えてうまく会話を引っ張る。レアアイテムならここぞと乗ってくる店主もいる。彼らを見つけたらこっちのもの。
それと仲間探し。
実は特に欲していないのだがあの二人がうるさいので仕方ない。腕のいい傭兵を雇うにはやたら金が要る。天子様秘蔵の記念コインでふらふら付いてきてくれればいいがそんなことは万に一つもあり得ない。お節介な船舶乗組員二人ですでに立証されている。
これだけ猛者が揃ってんだから一人くらい。とセンジュが。
私たちのように錬金術について謎に感じている好事家も。とカイが。
仲間探しについては自分が錬金術師と云う一点のみを伏せてさりげなく話題を出したほうがいい。錬金術イコール禁忌という等式が成り立っている以上、公の場でみだりに話せないのだから興味があれは確実に食いついてくる。そこを突けば。まあ、これは追々。運よく巡り合うことができれば。
数珠の男。
もし仲間にするなら彼がいいかもしれない。自称錬金術を一瞬で見破った能力は特筆に価する。それに滅んだはずの修験霊山塔テラについて絶対何か知っている。生きていればいいが。
「おー、やってんねえ」いつの間にか隣に人がいた。菓子を持っている。
外の屋台で買ったのだろう。古い油のにおいがして思わず鼻を押さえて通り過ぎたのに。味覚は平気か。
「ねえ、出ないの?」母国語。同郷か。しかし国が違うらしく多少抑揚が異なる。
列島ヒムカシはどこに行こうが文法も単語の意味も、ある程度共通なので不自由がない。だから祭壇古都などという常識外れの地域が存在するのだろう。
彼は、おそらく南の。
「いや、興味ないさかいに」
「やっぱ。うわあ、顔がそっちっぽかったから思い切って話しかけたんだけど。マジ、ちょっちうれし。どこどこ?」
「田舎」
「あー西ね。俺は南。かたっくるしーとこでさ、逃げてきちゃった。へへ」
同族か。さすがに理由までは違っていて欲しい。
頭の赤いはちまきが特徴的。左右に一つずつ、後ろに一つ端の部分が垂れているので最低二本。額の左寄りに大きなほくろがあり、はちまきの合間からのぞく。わざとそれが見えるように巻いているようだ。左腕に一風変わった刺青があるが南のほうの呪術だろうか。北と東はある程度オープンだが南は完全に閉じているのでそこに生まれ育たないと知りえない秘儀が主。センジュのものとだいぶ印象が違う。妖しいというより神秘的。肘までの長いグローブ。ズボン丈は膝程度なので動きやすいだろう。しかし腰にわけのわからないものを大量に提げているため走るときに揺れて邪魔だと思われる。
「ひとり?」彼が聞く。
「連れがな、出たはるん。せやから応援にな」
彼は眼の力が凄まじい。数秒と眼を合わせていられない。呑み込まれそうで。その眼でじろじろ見ながらぐるりと一周された。
「あーそっか。まほー禁止だもんね。残念だね」
訂正するほどの差異はないので黙っている。
闘技場がわっと湧いた。フィールドに闘主が現れたらしい。だが如何せんちっとも見えない。両手を挙げて歓声に応えているが顔が見えない。身なりはこれでもかと肉体を見せ付ける格好。要するに肌の露出が多い。闘主というだけあって不必要なくらい筋肉隆々。
「あの人さ、四回だったかな、勝ち抜いてて」彼が注釈をくれる。
「へえ、詳しなあ」
「そんくらい入り口に書いてあるよ。さては来るの初めて?」
「まあな」
「連続十回闘主で殿堂入り。殿堂入りすると引退。おまけに次から一ヶ月観客に徹しなきゃいけない。そんなに長い間君臨されると面白くないもんね。圧倒的な試合も面白いけど、十回も似たようなの見せられてたんじゃやる気もなくなるし」
「ほんなら、休暇解けたらまたトーナメント登るん? 面倒やなあ」
「うーん、どうだったかな。殿堂入りってそんなにいないからさ。それに一ヶ月も出られなかったらつまんなくなっちゃうんじゃない? もーいーやって」
「そか? オモロいんやない? 伝説のなんたら、ゆうて。盛り上がらはると思うけど」
いつの間にか闘主はどこぞに引っ込み、フィールドでは試合が始まっていた。厳つい男ヴァーサス厳つい男。差がない。カイとセンジュの出番はまだだろうか。
「トーナメント表あらへんかな」
「あっち。見える?」彼が指さす。
フィールドと階段の狭間に板があり、そこに対戦表がある。まだ予選のようだ。さすがにぜんぶの試合でトーナメントをやったら面倒で仕方ない。幸か不幸か彼らはしばらく当たらない。予選のブロックが違うのは知り合いだからだろうか。
「なんてゆう人?」彼が聞く。
「カイとセンジュ」どうせ楽に予選通過だろうから情報収集を先に済ませよう。
「あれ、行っちゃう? 知り合いの人、次」
「ええの。一瞬やと思うよ」
闘技場を出て適当に歩いてみる。閉まっている店が多いのは何故だろう。まさかこぞって観戦中では。
しまった。そこまで気が回らなかった。よく考えれば闘技場を中心に街が広がっているのだからここに店を構える人間はそれが目当てで然るべきだ。
それにここは何語なのだろう。香カラの公用語は通じそうにない。列島ヒムカシの言語を扱う民族はさっきの彼の口ぶりから言ってかなり珍しい。いまさらカイとセンジュに頼るのも。香カラから西に移動しただけなのでまだ大陸クレだろう。大陸クレなら香カラから派遣された役人がいるかもしれない。しかし彼らに相談すればアホ天子の耳に入ること必須。それは厭だ。
ぼやぼやしていたら闘技場の反対側に出てしまった。ここから入ると博打になるのか。確かにそれらしい身なりの連中が屯っている。
「おいおいそこのちっこいにーちゃん。もう始まってんぜ」
眼を合わせないようにしていたのに。何がいけないのだ。ローブは地味なつもりだが。
「賭けも愉しいぜ? ビギナーズラックって知ってっか」
「やってみろよお。案外おもしれーかもよ」
そうか。素人臭さがいけないのだ。それが玄人たちを惹きつける原因たる。彼らは賭けが目当てではなく、賭けた儲けを横取りすることが目的。
無視して立ち去ろうとしたら腕をつかまれた。なんだかこんなんばっか。
「行くなよ。つまんねーじゃねーか」
仕方ない。場外乱闘なら魔法類も可だろう。
詠唱。
待てよ。錬金術はやめたほうが。とか言ってる場合でも。
刃物が。
舞って。
あれ?
刃物は舞わない。手から離したら意味がない。それを突きつけて脅すのだから。
「てめ、なにする」賭博野郎が手の甲をさすっている。石が当たったらしい。
視線の先に。
二メートルほどの男。腰ほどに達する大きな重剣を提げて。
鋭い眼光に屈して賭博連中が舌打ちしながら立ち去る。
「おおきに」
「こちら側に回らないほうがいい」男が言う。
「みたいやね。あ、船んときは」
「あいつらしょっちゅう揉めてる」心なしか疲労しているように感じられる。服が砂まみれ。顔も手も靴も汚れている。
血で。
「陵サギにおらはったん?」
「訊いてどうする」
「無事やったさかい。強いな思て」
仲間になって。
「試合、観いひんの?」
「興味ない」
一緒に。
「あの、な」
探して。
遠くで悲鳴。断末魔か。数珠の男が駆け出す。一瞬発した殺気量に臆して追いかけられなかった。
なに。
あれ。
脚の力が抜ける。地面に吸い取られる。
あの男は。
人を殺すために生きている。
7
結局、闘技場コロセオに戻るしかなかった。カイとセンジュは順調に勝ち進み次の試合に勝てば互いに戦える。どちらが勝ってもおかしくない。
なぜ戦うのだろう。愉しいから。強さを確かめたいから。
数珠の男の殺気がまだ身体に纏わりついている。あれに包まれたら死を覚悟するまでもなく一瞬で逝ける。芯の部分を恍惚で麻痺させるほどの清い浄化。
興味ない。
あの男にしたらこんなもの遊び以下だ。また誰かを殺しに行ったのだろう。体中に血を浴びて。
「おーい、間に合ったじゃん。こっちこっち」さっきのほくろの彼だ。今度は奇怪な色の飲み物を持っている。「フラれたみたいな顔してるよ?」
「まあな」
「え、マジ?」
返答が面倒なのでフィールドを眺める。ちょうど試合が終わって気絶した敗者が担架で運ばれる。気絶はありらしい。
死ななければいいのか。
死ななければ。
「つぎつぎ。知り合いの人。見てたんだけどさ、けっこー強いんだこれが。思わず魅入っちゃった。特にえっと、あっちの人」
ほくろが指さした先にカイがいた。カイの睨む先は対岸の対戦相手。厳ついムキムキ。どうもその手の男の見分けがつかない。体格は三倍以上。二の腕は丸太のようだ。あんなのとは戦いたくない。
戦いたくなんかない。
戦いは。
「始まる」ほくろが身を乗り出す。
フィードの中央に正方形の石畳が敷かれており、そこだけ5メートルほど高くなっている。そこから落ちたら終わりだろう。ルール以上にいろいろな意味で。
「ちょーカッコいい。俺、あーゆーの憧れる」ほくろが声を弾ませる。
「そか。あとでゆっといたるわ」
「うわ、ありがと」
ほくろがべた惚れするだけのことはあった。カイは主に脚で攻撃するのだが、その繰り出し方が鮮やかなのだ。蹴りが決まれば歓声が上がるだろうが、繰り出した瞬間から声援が起きることはまずない。カイはそのあり得ないことを起こしている。その上速い。緩急をつけてわざと弧を辿らせているようにも見える。
戦うのが愉しいのだろう。センジュもきっとそう。
あっという間に試合が終わってしまった。ムキムキ男は失神した。闘技場が太い声で満ちる。隣のほくろが自称錬金術師の大事なローブに妙な液体を零しそうになる。そのくらい興奮したのだろう。
「やっぱ西だからまほーばしばし?」ほくろが言う。
「そんなとこやね」
「へえ、すっげ」
「そっちは?」南。
「俺さ、素質なくって」
「そか」鍛錬しても鍛錬しても成果が出ないのなら逃げ出したくもなる、か。
「つぎ、えっと」
「センジュ」名前を補足した。
野太い声援とともにフィールドにセンジュが現れる。さすがに杖は携帯していなかったが体中の呪術文様が禍々しさを増している。対戦相手は驚くほど小柄だった。ムキムキばかり見ていたのでちょっと興味深い。フィールドに上がる際にバック転した。また野太い歓声が上がる。なんだか会場の熱気が異常だ。カイのときとは比べ物にならない。一種会場全体がトランスしている。この声援はセンジュに向けられたものではない。
赤いはちまき。三つの布がたなびく。落ち着きがないようで正方形に上がってもぴょんぴょん重力に逆らっている。
あれ?
ようやく隣が不在なことに気がつく。だってついさっきまで。あの会場まで少なくとも5分は掛かる。しかしそれを数秒にまで縮められる方法が存在する。
観戦席最前列から飛び降りる。
その歓声だ。奇しくもセンジュの登場と同時だったのだろう。
まったく気がつかなかった。
開始とやめの合図しかしないはずのレフェリがマイクを片手に何かを叫んでいる。闘技場コロセオがぐわんと揺れた気がした。実際揺れたのだろう。何千人と詰め掛ける屈強の男たちが一斉に飛び跳ねれば。言葉の壁で何を言っているのかわからなかったが雰囲気だけは伝わった。
ここに集まる観衆はすべてほくろの対戦カードが目当て。
そんなに人気者なのだろうか。この手のバトル狂には有名人か。
バトル開始の合図が早いか遅いか、センジュは一瞬でフィールドの外に飛ばされた。ほくろが何をしたのかまったく見えなかった。瞬きしてもいなくても結果は同じ。
カイにも匹敵するセンジュが負けた。
しかも相手はあの。
さっきまでここでばくばく菓子を食べ、ぐびぐびジュースを飲んでいたデコほくろ。
想像できない。思考がオーヴァーヒートしている。
闘技場がしんとなる。あれが捉えられたらおそらく向こう側にいるだろう。準決勝というフィールドの上に。闘主チャンピオンという椅子に。
ようやく歓声が上がる。
遅すぎる。何分経過した。人類はこれほどまでに遅いのか。ほくろはそれを容易く超えて。
何者だ。
ざわざわしている。ざわざわもするだろう。
見えた。見えない。問答。
違う。
突如フィールドの上に。
二人。
大きな剣がフィールドを真っ二つにする。数珠の男が乱入してきた。もう一人が瓦礫よりも高く跳び上がって奇声を上げる。
センジュの元にカイが。
ほくろは。
いない。
観戦者は我先に逃げ出すかと思いきや、ショウの一貫だと思っているのだろう。かなり盛り上がっている。尋常でない熱気。主催者も止めるに止められない。
しかしこれは遊びではなく本気の。
殺し合い。
数珠の男はまたあの凄まじい殺気。
相手は誰なのかわからない。眼が狂喜に満ちている。この男も同類。
人を殺すために生きている。
二人が階段に飛び移る。観客席が裂ける。人が避けた。数珠の男が追うほう。このままでは闘技場が破壊されるというのに誰も気に留めない。
このどさくさでなら。
詠唱。
「アブねっ」ほくろの声がしたと思ったら。
背中方向に吹っ飛ばされた。重い。
「だいじょー?」ほくろが庇ってくれたらしい。
奇声男はどこから持ち出してきたのか長めの棒を振り回している。最初は手ぶらだったはずだが。
「何言ってるかわからないよっと」
ターゲットがほくろに変更になったようだ。そういえば数珠の男は。
瓦礫に埋まって出られなくなっている。
「なんか出来る?」ほくろが身を翻しながら言う。
「時間稼いでくれたらな」
「三秒ね」ほくろは観戦席を跳び越える。
観客は須く破壊されたフィールドに目線を移す。狂喜男は動くものに反応するらしい。ただの獣。
詠唱。
空気アル。土気ソル。火気マル。水気ヘル。
エーテル融解。
フィールドだけに結界。一番危険なあれを中心に。
掛かった。
瓦礫の下から数珠の男が這い出る。重剣を地に突き立てて。剣に埋め込まれた奇石が煌く。
まずい。エーテルが揮発。
思い出した。
奇石無鬼ナキ。
術という術を無効化する。さらにまずいことに奇石はそれを持つものを。
最狂に押し上げる。
ほくろが危ない。もう一度やっても不可能だ。あの奇石がある限り。
そうか。それで。
あの男には効かなかった。
「ツネアさん、なにか」術はないか。カイが、センジュを肩に背負って客席に回ってきた。
「無理ですわ。なんや相性悪うて」
「嘘でしょ」カイがセンジュを落とす。
センジュ自身にも落ちる意志があったようだった。よかった。無事だ。
「なんで? 俺より」強い。ほくろが呟く。
「どう見てもあれは別格ですよ。暴れてるのは知りませんが」
「おい。あれ」センジュが手すりから飛び降りる勢いで。眼を凝らして言う。
「あーもーなんですかさっきから。のんきに観戦してる場合じゃ」
「武世来アームエイジドダン」センジュが言う。
「え」カイも眼を遣る。
「聞いたことあるだろ。あれじゃないか」
「まさか。だってあれは存在自体が」
「そりゃ知らねえよ。見た奴皆死ぬんだから」
ということは。ここにいる何千人という観戦客すべてが。
皆殺し。
「じゃどうするんですか」カイが言う。
「どうもこうも」センジュの顔が引き攣る。
フィールドからもわもわと煙が上がる。
その中から。
最狂の。
空笑。
せめて無鬼さえ止まれば。
「ね、どうなった?」ほくろが客席最前列の縁に立っている。「今度何秒?」
「あの剣手ェから放せへんかな」
「やってみる」
おまけだ。
「センジュさん、杖は」
「あれは格好だけ。なくたって出る」術の発動。センジュが言う。
「あのちょっこまっかしとるのになんやらええのを掛けたって」
「任せろ」センジュの印術文様がじわ、と光る。彼は詠唱を必要としない。陣で発動する。
最強の男が最速の男になったのに奇石に操られている男はなかなか剣を放そうとしない。放す気がないのか。まさか奇石に操られているのではなくて。
自らの意志で。最狂に。
暴れている男が大きく咆哮して姿を消す。文字通り消えた。瞬間移動系の高等な術は魔を司る一族または混血でないと不可能なのだが、彼はどう見てもそれとは思えない。
では他に仲間がいるのだろうか。
無鬼の暴走が止まる。
助かった。力が抜ける。
ほくろは愉しそうだ。こっちに手なんか振って。
間一髪で命拾いしたというのに観客は不服そうに喚く。何も知らないとそうゆうことが平気で出来る。
数珠の男が重剣を担いで闘技場を脱する。すごい執念。まだ追いかける。
そんなに殺したいというのか。
「あー」カイが耳を劈くほどの叫び声を上げる。
「なんだよ、うっせーな」センジュが言う。
「ここ滅茶苦茶ってことは私の決勝戦」
力が抜ける。
この人も相当だ。
8
錬金術師という素性を隠せといった人たちが錬金術で闘技場コロセオを直せと言う。人払いは不可能なので断ったらそれすら幻で何とかしろと言う。
ばっくれてええかな。
いいか。
闘技場を出てきょろきょろうろうろしてみる。博打用入り口に回ってもいないか。博打連中は懲りたらしく屯っていない。断末魔も聞こえない。
詠唱。
土気ソル。
エーテル抽入。
土人形。
自分で葬ってしまったホムンクルスを思い出す。やっと完成したと思ったのに。何がいけなかったのだ。レトルトから出たら死んでしまうというのに。
付いて来ぃや。ゆっくり歩くさかいに。
さすがに闘技場の周囲だけあって術具は扱っていない。レトルトも知らないらしい。レトルトはレトルトだ。それでホムンクルスを造る。
裏通りに踏み入る。一気に怪しくなった。明るさが三段階くらい下がる。呪いが掛かった腕輪。呪いが掛かった鎧。呪いが掛かった短剣。
掛かってへんよ。気のせいやと思うよ。
しかし黙っている。知らないふり。
端まで歩いたのに三流品しか扱っていない。大丈夫なのかここは。香カラなら間違いなく摘み出される。土人形が付いてきていないことに気づく。
はぐれた。
裏通りの入り口で倒れていた。誰かに踏まれたらしく脳天に靴跡がくっきり。可哀相に。性質上肩に乗せるのは不可能なので横を歩く。
遅々として進まず。
「妙な力だな」巨大な影かと思った。
吐き気を催すほど強烈な血のにおい。光を拒否し闇との同化を望みながら、闇を包含し光を超越した存在になろうとしている。大いなる矛盾も彼の前なら確固たる意志。
土人形が土に還る。奇石無鬼ナキによって。
「錬金術ゆうんやけど」
「ふうん」
錬金術と聞いてこの反応。あり得ない。
ますます仲間に引き入れたい。
「闘技場滅茶苦茶になってん。札付きなのと違う?」
「お前が直せばいい」男が平然と言う。
「なんでそないな面倒なこと」
「出来るんだろ」
「金取るよ」
数珠の男はくしゃくしゃの紙幣を無理矢理手に握らせる。ざっと数えただけで十枚はあった。知らない単位。大陸クレなら共通通貨のはずだが。
「足りなかったらイッセとルガに言ってくれ。町外れの酒場にいる」
「なあ、武世来アームエイジドダンゆうんは」
「知らなくていい」男の切り返しが著しく早かった。文末に被さったほど。
禁句。
「なんやさっきのと」
「殺すぞ」
禁句決定。ここに彼を人殺しにしている所以がある。
「その数珠、修験霊山塔テラのもんやないかな。そこ確か滅ん」殺気に満ち満ちた双眸で睨まれて口を噤んでしまう。予想できていたせいか怖くなかった。
霊剣の男は向きを変える。背中に付いて来るなと書いてある。
早急すぎたか。
町外れというのはどの辺りを指すのだろう。闘技場を中央にそれこそてんでばらばらに店が散らばっている。彼らに言うと追加が受け取れるということだろうか。
別に金なんか。冗談で言ってみただけなのに。
闘技場はてんやわんやだった。急遽雇われた労働者が、というかほとんどさっきの死闘を観戦していた物好きだろうが、瓦礫を外に運び出してフィールドの修復を図っている。どの道今日明日の復帰は不可能。バトル狂のフラストレイションが極限に達し発狂するのも時間の問題だろう。
「あ、いたいた。もう何やってたんですか」早速見つかった。カイは目敏い。
「センジュさんは」
「手伝わせました。ちょうどいいでしょう、体なまってるみたいですし」
「呼んできてくれへんかな。ちょお頼みあるん」
「何するんですか。使えませんよあんなの」
「直したるよ」
闘技場コロセオを。
9
どういう原理かわからなくても闘技場コロセオが直ればそれでいいらしい。
なんともお気楽な。
前にも似たようなことがあったのかもしれない。相当古い建造物なので過去に何度も破壊されていてもおかしくない。施設破壊等バトルを好む輩だっている。主催者もちょっとやそっと壊されたところで気にしないのかもしれない。一瞬で闘技場を元に戻せることができる高等術者も少なからず存在するし、只同然で人知れずこっそり闘技場を直すようなお人好しも然り。
町外れの酒場まで案内してもらうため、カイの決勝戦を見ていくことにした。相手は一番人気のほくろ。賭博側は迷惑かもしれないが。
「ほらよ」センジュが放る。
「あ、すんませんけどこれは」油で揚げたあの菓子だった。ここの名物らしくどの屋台でも扱っているとのことだが見ため以上においが美味でない。
「食わず嫌いだろ。ナグファんときも残してたな」
「なぐふぁ?」
「船の名前だ。戦舶ナグファ。いまはほとんど輸送船だがもともと海賊船だったんだと。まあ嫌いなら仕方ねえか」
野太い歓声にはもう慣れた。すっかり元通りのフィールドに選手が入場する。
カイは特にパフォーマンスなしだが、ほくろは観客にサーヴィス過剰だ。軽業師と名付けるに相応しい身のこなしでぴょんぴょんと宙を舞ってみせる。その度に観客が湧くので調子に乗っているだけかもしれない。
「どっち勝つ思いますか」
「カイの負けだ」センジュが言う。
「え、応援せえへんの?」
「応援で勝てるんだったらそりゃエンチャンタだな。失格だよ。それに掛けたところでカイの負けは変わらねえ」
確かにあの速さは脅威だ。実際戦った本人が言うのだから間違いないだろう。
開始の合図。
また見えない。でもカイはまだフィールドにいる。一撃目は避けた。
ほくろは。
いない。どこに。
「終わりだ」センジュがそう呟くのが聞こえたと思ったら、フィールドには一人。
ほくろだ。
カイが出てきたほうの入り口にレフェリが駆け込んでいった。まさかそんなところまで飛ばされ。恐ろしい。いつの間に、というよりどうやって。
ようやく歓声。ほくろは片手で逆立ちしてそれに応える。
「ちょい見てくる」センジュが駆け出す。
「頼んます」
ルール柄気を失っているだけだと思うが心配だろう。飛ばされた距離がセンジュのときの倍以上。かなり屈辱的な位置まで戻されているので意識を取り戻したらプライド的にキツい。出直せ、帰れ、という意味に取れなくない。
憧れる、と言っていたのを思い出す。期待外れだったのだろうか。これでほくろが今回の優勝者。次は闘主チャンピオンの座を賭けた対決。
闘主がフィールドに現れる。何かほくろに向けて訴えているが聞き取れない。言葉が違うと面白みが半減だ。それでも感情だけはなんとか伝わる。怒っている、のか。レフェリが出てきて闘主を宥めているようだが聞く耳持たず。摑みかからん勢い。ほくろは逆立ちをしながらそれを遠巻きに眺めている。
殴った。
あーあ失格だろう。会場もブーイングの嵐。試合が流れてしまうかもしれない。
レフェリがほくろの手を高く上げる。
不戦勝。
なんともつまらない結果になってしまった。せっかく闘技場を直した自称錬金術師の立場がない。決勝戦だってほとんど秒殺。闘技場がぐわんぐわん揺れる。野次と地団太。屋根がないのでぜんぶ空に吸い込まれる。フィールド目掛けて物が飛ぶ。レフェリは引っ込んだがほくろは跳ねながら飛んでくるものをヒョイヒョイ避ける。この状況を愉しんでいるようだ。
「腰抜けだねえ。棄権したいならそう言えばいいんだよね」
「瞬殺と追放、天秤にかけた結果だろ。どっちにしろ安いプライドだ」
「んじゃイッセーだったらどっち取った?」
「俺はそこまで行けないから問うこと自体おかしい。シードでもお断り」
「えーなにそれ。イッセーだって腰抜けじゃん」
「ルガも人のこと言えるかよ。だいたいあいつ、闘技場史上初の殿堂入りなんだから」
香カラの公用語だと思って耳をそばだてていたら凄まじい情報が聞こえてきた。
あのほくろが殿堂入り。しかも史上初。
人は見かけによらない、の典型見本だろう。人外の強さも頷ける。しかしカイもセンジュも知っていたはずだ。どうして教えてくれなかったのだろう。ここに来るのは初めてではないだろうし、史上初の殿堂入りなら有名人以外の何者でもない。
あ、違った。彼らは余計な情報しかくれない部類だった。
「どうする。帰るか」
「つまんないなあ。闘主の椅子もまた不動になるね」
「あ、ちょおええですか」聞き間違いでなければ。「イッセとルガゆうのは」
「え、なんで知ってるの? 知り合い?」
「いんや。初めてだけど」
二人とも同年代くらいだろう。騎士のような身なり。美しい模様の鎧。手前にいるほうが槍、奥にいるほうが柄の長い斧を提げている。鎧も武器もそれほど使い込んだ様子が見られないので戦うために戦っているタイプではなさそうだ。
「首と右手首に乳白と黒曜の数珠しとる人に聞いてな。金足らへんなら」
二人の顔が曇る。
「今度何したんだろうか」斧のほう。
「べ弁償金?」槍のほう。
「いや、せやのうて、ううん」訂正する必要はなかった。紛うことなき弁償金だ。
闘技場の修理代。
「えっといくら?」槍のほう。
「さっきここでバトったの観てはった?」
「げ、まさかその?」斧のほう。
「でもあっという間に直ってたよね。じゃ、てことはあれ」槍のほう。
自称錬金術師は頷く。
「すっごい。え、どうやるのさ」槍のほうが両手を挙げる。
「つーことは俺らでも払えないな。鬼の人、どこ行ったかわかるか」斧のほう。
「おにのひと?」
「おれたちそう呼んでるの」槍のほう。「ちっとも名前教えてくれないから。ほら、大きな声じゃ言えないんだけど戦うとき鬼みたいで」
それは反対しない。賛成もしないが。
その鬼の人から受け取った紙幣を二人に見せる。「俺にこれ握らせてなんやうろうろしとるみたいやけど」
「それじゃもうあんたの前には現れない」斧のほうが首を振る。「鬼の人が金渡すってことはそれで手切りてことだから」
「探せへんかな。金はもうええから」
「会ってどうするの? 鬼の人そーゆーの嫌うよ」槍のほう。
「下手すると殺されるかもな」斧のほうが頷く。
「武世来アームエイジドダンてなに?」
二人がそんなこと口にしないでほしい、みたいな顔で見てくる。
「ここで戦うとった相手、そのアームなんたらの」
「どこまで知ってる?」斧のほうのヴォリュームがかなり落ちた。内緒話より小さい。
「なんも」
「それならまだ大丈夫」斧のほうが周囲をきょろきょろと見回してから。「いいか、それは錬金術の次に禁句なんだ。みだりに口にしないほうがいい」
「そだよ」槍のほうが小刻みに頷く。「それ、もし団員の人が聞いてたらきみ、骨も残らないよ」
「せやけどさっきのは」
助かったではないか。観衆みんな無事で。
「さっきの人だけその点がぬるいというか」斧のほうが眉をひそめる。「むしろ気にしてない。だからこういう公共の場で平気であんなことが出来る。他の人は」
「ちょっとイッセー」と、いうことは。槍のほうがルガ。
「悪い。もうやめる」斧のほうがイッセ。「つーわけであんたもやめてくれ。さっきのはさっきのとして、鬼の人には関わらないほうがいい」
「希望額の十分の一くらいしか出せないかもしれないけどさ、よければこれから」ルガが指を差す。町外れの酒場とやらに案内しようとしている。
「いや」
金なんか要らない。欲しいのはそんなものではなくて。
「知りたいんやけど」
「お願いだからやめてよ、ね?」ルガが小刻みに首を振る。
「俺からもそれは」イッセが眉を寄せる。
「ほんなら誰に訊いたったらええの?」
「誰も知らないよ」ルガが答える。「知らないふりをしてる。あれは存在自体が伝説でね。姿を見たら殺される。おかげで目撃証言はゼロ。顔が知られているのはさっきの人だけだけど、まさか誰もあの人が団員だなんて思わない。結び付けない。記憶の浅いところから抹消してるから」
「せやったらなんであんたらは知ったはるの?」
「鬼の人に聞いた」イッセが答える。「これ以上は言えない。鬼の人もそれを望んでない」
埒が明かない。カイとセンジュに聞くよりも確かだから絶対に逃すわけにいかないのだが。
「陵サギにおるんやないかな。そのアームなんたらは」
「行ったのか?」
「その反応やと、正解みたいやけど」
イッセがばつの悪い顔をする。
「やめてよ。あそこは死体にもなれない」
「ほらなせーかい」
ルガがう、と仰け反る。
「二人とも行ったことあるのと違う? 運よく生き残って」
「生き残りのどこが運がいいんだよ」イッセが言う。
「なんやの、死にに行かはったん? そら残念やったね」
「別におれたち死のうとしたわけじゃ」ルガが言う。
「そんなら何しに行かはったんかな。鬼の人追いかけて?」
二人とも黙る。
図星だ。彼らも数珠男の言動なり何なりが気になって尾行したのだろう。そして廃墟戦跡陵サギに迷い込んで死ぬ思いをしたに違いない。
やはり生還者は幾らか存在することになる。ここからはカイとセンジュの領域だろう。
「わかったわ。おおきに。金はええよ。本人に取り立てる」
「ちっともわかってないだろ」イッセが呼び止める。「どうしてみんなあんなとこ行こうとすんだよ。なんもないんだぞ。なんもないところに加えて」
武世来アームエイジドダン。
俄然興味が出てきてしまった。
「イッセもルガも俺とは会ってへん。それでええやろ?」
「そんな」ルガが悲痛な顔をする。
「みすみす殺されに行くこと」イッセも同様の顔になる。
「俺むっちゃ強いやさかいに、心配せんといて。ほんなら」
観衆は七割方諦めて帰ったようだ。階段の全景がよく見える。フィールドは放り投げられた物だらけだった。ほくろはもういない。カイとセンジュはどこだろう。
「名前は」イッセが尋ねる。
「そうだよ、おれたちの名前だけ知って」ルガも同等に食い下がる。
「ツネア。自称まほーつかい」
詠唱。
空気アル。
エーテル抽入。
フィールド並びに階段のゴミを消す。
イッセとルガが息を呑む。何か言葉を返される前に闘技場を脱した。もしかしたら錬金術師だとバレたかもしれない。
それでもいい。錬金術をマスタする前から危険は覚悟の上。
よく考えなくともカイとセンジュに廃墟戦跡陵サギに行くと告げたら止められる。元より一人で行くしかない。しかしどちらに行けばいいのだろうか。
「そっち何もないよ」頭上から声がした。
「残念やったね、いろいろ」
「いーよ。予想してたし」ほくろは木の上から飛び降りる。くるりと回転して着地も完璧。
拍手をしてみる。
「へへ、ありがと」
「殿堂入りの、お前やったん?」
「あーあ、せっかく一ヶ月我慢したのに。まーたつまんなくなっちゃった」
「強いな」
「うん」
ここはフツー肯定しない。
素質充分。
「俺の用心棒にならへん? これからオモロイとこ行こ思うとる」
「いーよ。楽しそ」ほくろが手を出す。体格の割には大きな手だった。「俺ヨイッチ。たぶん武闘士ファイタ」
「ツネア。自称錬金術師アルヒミスト」
「へえ、やっぱすごいね」赤いはちまきが風に誘われる。「俺のお気に入りの場所、直してくれてありがと」
10
ここを廃墟と言ったのは誰だ。
船から見えたのは確かに沙漠だった。しかしいま眼前に見えるのは巨大な城塞。最強の武闘士ヨイッチの言う通り北東方向に歩いてきたはずなのに。
「間違えたのと違う?」
「いーや、合ってるよ。においがそう」
とするなら考えられることはひとつ。
幻術。
でもそれなら簡単に破れる。綻びがわかるのだ。いくら手に苔むした石の感触がしようが蹴って爪先が痛かろうが。相当高度な幻術なのだろう。並の魔術ではこうはいかない。特に人族ヒュムが操れるような知識魔術では到底。
ふと思い出す。闘技場コロセオで奇声男は瞬間移動系の術によって消えた。それを遣った者ならばこんな城塞の一つや二つ出現させるも引っ込めるも容易い。
「なあ、武世来アームエイジドダンて知っとる?」
「あれって噂じゃないの? 誰も見たことないって」ヨイッチが言う。
「おるかもな」
それもすこぶる魔術に特化した種族が。敵う自信がない。数珠の男であれだけ苦戦したのだ。会えれば儲けものだが会えたときが正真正銘の最期。
情報のアウトプットを求める。
「えっとね、なんとか教団みたいにいっぱいうじゃうじゃいるわけじゃなくってね、少数先鋭の集まりみたいだよ。あ、でも集まりじゃないのかな。なんてゆーか、都合がいいから一緒のチーム組んでるだけで」
「よお知っとるね。べらべら話すと殺られる、ゆうて」
「殺すってことは会いにくるってことじゃん。ちょっと会ってみたい」
最強で名を馳せた彼らしい意見だ。
入り口らしきものが見当たらない。城塞は高さが十メートルはある。登るのは不可能。一周したら明日になってしまうだろう。もう日が沈みかけているというのに。
「どっする? 引き返す?」ヨイッチが言う。
「出来へんこと言わんといて。ちょお退いとってね」
詠唱。
火気マル。水気ヘル。
エーテル混合。
城壁に当たった瞬間霧散した。やはり結界。それもかなり強固。
「え、え?ダメってこと?」ヨイッチが言う。
「ちょおそこ攻撃してみ」
「ここ?」ヨイッチが跳ね返った。物理も不可能。
ならば。
「来るなと言ったが」最下部の重低音。
後方に血の気配。禍々しいほどの威圧感。
ヨイッチが身構える。「なに、だれ?」
「帰ったほうがいい」鬼の人だ。
ふと、この二人の戦いを見たいと思ってしまった。
いかんいかん。そんな場合では。
「武世来ゆうんは何人組なん?」
「知ってどうする」数珠の男が言う。
「それに見合う仲間作るん。いまなら空きがあるんやけど」
数珠の男は霊剣を抜いて城壁を斬りつける。斬ったのは結界だろう。奇石無鬼ナキならそのくらい造作もない。
「ここにおるんは誰?」
「お前らに敵う相手じゃない」そう言うと数珠の男は城壁の中に消える。
追おうと思ったときすでに内部にいた。
ヨイッチの俊足。
「おおきに」
「まーね」
壁に触ったら結界は修復していた。無鬼の力でも数秒が限度。
なんとも恐ろしいところに来てしまった。
「来たのか」数珠の男が息を吐く。
「来ちゃ悪いかよ」ヨイッチが口を尖らせる。
数珠の男がヨイッチを観察する。主に左肩の神秘的な刺青。
ヨイッチもその目線に気がついたらしく肩を手で覆う。「なんだよ」
「弓取りか」数珠の男が言う。
「だったらなに?」ヨイッチが言う。
数珠の男は霊剣の切っ先をヨイッチに向ける。鼻先で寸止めすることがわかっていたようだ。
ヨイッチは瞬きもしない。
「それに触れ」数珠の男が言う。
「なんで」ヨイッチが言う。
「損はない。早く」
ヨイッチはいやいや手を伸ばす。それ、というのは無鬼のことらしい。城塞内は蝋燭の明かりだけなのだが、その暗さでも石の存在感は突出している。
何も起こらない。
ように見えるが。肩に彫られた文様が生き物のように蠢いて。「なにこれ」
ヨイッチが手を離すとそれは已む。しかし文様の範囲に広がったような。鎖骨の辺りまで伸びている。
「弓は」数珠の男が霊剣を降ろす。
「だからなんでそんなこと」ヨイッチが言う。肩をさすりながら。
「持ってたほうがいい」
「弓使うん?」
「知らないよ」ヨイッチの声が棘棘していた。眼も合わせてくれない。
一本道のようだ。歩けども歩けども景色が変わらないがそもそも幻の中をうろうろしているわけなので迷うも何もない。先頭を数珠の男。最後尾をヨイッチ。二人の歩く速さが噛み合わない。前に合わせると後ろを置き去りにすることになり、後ろに合わせると前に置き去りにされる。
「なあ、不貞腐れとってもええけど」
「あいつなに?」ヨイッチが言う。
「さあなあ。俺が知りたいわ」
「伏せろ」数珠の男の鋭い声。
髪が数本切れた。頭のすぐ上に巨大な手が。近いのは悪霊ゴーストのマントの下から飛び出す半透明のそれ。指先が異様に尖っている。数珠の男が何かを呟いて霊剣をそれに突き立てる。
限りなく実物に近い幻。
振り返ると似たような手がもう一つ。ヨイッチが蹴りを入れているが。
「退いてろ」無鬼は効果覿面。
ヨイッチがまた口を尖らせる。「余計なことすんなよ。こんなの」
「弓もないのにか」
「弓なんか」
「来るぞ」
次は巨大な脚だった。先ほどとは違い扁平的な巨兵ゴーレムのそれに近い。それで侵入者を踏み潰そうという魂胆だろうが。霊剣が幻の脚を掻き消す。
それと同時に城塞が上下に揺れる。左右にも揺れてきた。立っていられない。
効くか自信がないが。
詠唱。
土気ソル。
エーテル抽入。
天井と床の間に足場を形成。
ダメか。空間自体が震動している。壁の石が崩れて床部分に堆積する。高い天井はそのまま。一体何を。
「その怪しい術は使うな」数珠の男が振り返る。
「考えあるんかな」他に手がないだろうという非難。
「あいつには効かない」
瓦礫の崩壊が何を意味しているかわかったときには周囲は広場になっていた。いや、公開処刑場のほうがいいか。下は赤茶の煉瓦敷き。中央が一段高くなっていてそこに錆付いたギロチンが設置されている。
じゃら、という鎖の音が響く。他の領主の所有物と区別するためにその目印として自らの奴隷に与えたのがアクセサリの起源ならば。
「げえ、なにあれ」ヨイッチが素っ頓狂な声を上げた。
「戦う気がないなら下がっていろ」数珠の男が前に出る。
石で造られたこの巨兵は。
「あいつって」
「跳べ」数珠男がそういうが早いか巨兵の拳が振り下ろされる。
煉瓦が粉々に。その部分にくっきりと拳の型が。数珠の男が注意を喚起してくれなかったら確実に潰されていた。口調はつっけんどんだが助けてくれているのかもしれない。単なる足手纏いに眼の前で死んでもらったら寝覚めも悪かろう。
巨兵が動くたびに全身を拘束する鎖が空を切る。
「ほーら、大人しくしろよ」またも高いところから声が降って来る。
「ちょおヨイッチ」注意喚起をしようと思ったが。
「へーきへーき。うわ」
道理でいないと思ったら巨兵の頭によじ登っていた。鎖に摑まったのだろう。大すぎてよくわからないが、巨兵が頭部のゴミを払い落とすべく手を振り上げたのをかわしたところでバランスを崩したらしい。なんとも危なっかしい。
「なあ、無鬼で」斬れないか。
「こいつの原動力がわかるか」数珠の男が言う。
「あ」そうか。先ほどの幻術のように、何らかの術によって生み出され創造者のコントロール下で動いているわけではない。確かに石から巨兵を造り出す最終段階で呪文が必要だがあとは命令通りに動くだけの単なる人形。
霊剣は使えない。錬金術も不可なら。
「うわあああちょっとちょっと、ムリムリムリ」ヨイッチが叫ぶ。
「生きとる?」
「なんとかー」声は元気だ。相変わらず最強。
「さっき弓とかゆうとったけど、まさか」
列島ヒムカシ南部に位置する封鎖村。
外部に知られていることは唯一つ。
弓を取って神事に携わる。
「刺青でわかった」数珠の男が淡々と言う。「だが弓がなければ」
「弓てどないでもええの?」
「列島ヒムカシ式のものなら」
自称錬金術師は暴れる巨兵の脇を回ってギロチン台に上がる。
詠唱。
空気アル。土気ソル。火気マル。水気ヘル。
エーテル融解。
思い出せ。一度だけ、ただ一度だけ見たことがある。まだ年端も行かないガキのとき
その弓だ。
本来は、とある特別な樹から作られるのだがいまは亜流で。効力は劣るが不可能ではない。矢も弦も要らない。弓取りが自ら創り出す。矯める者に神を降ろすといわれているその弓の名は、
神遣葬弓カムヤリソウキュウ≪神随カムナガラ≫。
「ヨイッチ!」
「貸せ」数珠男が巨兵を飛び越える勢いで放り投げる。
高度完璧。
「え、こんなの、どーして」ヨイッチが吃驚している。
手にはしっかりと。弓が握られて。
「ええから。そのデッカイの、額になんや書いてへんかな」
「ないよー」ヨイッチが大きく☓を表す。
そうゆう仕組みではないのか。
「どこでもいい。撃て」数珠の男が怒鳴る。
「でも俺」
「そいつを止められるのはお前だけだ」
「頼むわ」
ここから見えないのがなんとも口惜しい。彼ら弓取りが放つ聖なる矢は吐息を封じるほどに美しいのだ。
「早くしろ」数珠の男が言う。
まだ撃ってなかったらしい。巨兵が大人しくなったからてっきり。
数珠の男が莫迦力で抑えていただけだった。
「なにやってる」
「だって」ヨイッチが言う。
「落ちこぼれか」
「ち違うよ。ヤダ。俺弓なんかヤだからね」
洒落か。
ちがうちがう。真面目にやらなければ。
「ほんの一瞬やん。そいつ止めへんとあ」かん、と言おうと思ったら吹っ飛ばされた。
砕けた煉瓦の破片が顔に。
数珠の男の抑止が限界に達した。巨兵が暴走を再開する。
数珠の男が睨みつけた先にひらひらと宙に浮く黒い布。半透明の巨大な手が襲い掛かってくる。悪霊ゴースト。
増えてしまった。
「ヨイッチ!」
「弓取り、そいつ片付けてさっさと降りて来い」数珠の男が声を上げる。
何かが煌いた。悪霊がギロチンの刃を取り込んだらしい。その状態で突進してくる。視界がよくない。目に生温かい液体が流れ込んでくる。
血だ。眼の上を切ったらしい。
「これもムリなん?」錬金術が効かないかどうかという意味。
「こいつが相手に出来るのは生者だけだ」数珠の男が言う。
避けるのが精一杯。しかも反撃方法は皆無。頼みの綱も沈黙。
だが動きを止めるだけなら。怪我もたまには役に立つ。
血液をチョーカトップのガラスに塗りたくる。
「おい、錬金術は」数珠の男が言う。
「ゆうたはずやけどね。俺は自称錬金術師、やて」
チョーカは紐部分がチューブになっている。傾け具合によってトップのガラス内に流れ込む物質量を調節。中身を補充しないと使えない。面倒なので滅多に使わない。遣いたくない。面倒なのだこの細い管に詰めるのが。
「囮頼むわ」
数珠の男が駆け出したのを確認して。
詠唱。
メルクリウスサルファスハルス。
精霊幽帝レニ。
悪霊を拘束しろ。
「なんか、変なの」
首筋をひやりと撫でられた錯覚。
しまった。詠唱に気をとられて。
背後。
振り返る意味はない。おそらく幻術。数珠の男もヨイッチも気づいていない。
自称錬金術師一人を狭間の世界へ。
「あれ、ちょーだい」声が言う。
召喚したばかりの精霊が空に磔られている。わざわざ喋れるようにしたのに口の部分を封じられている。こんな高等術が詠唱なしで出来るのは。
純血の魔女ウイッチ。
「レニやんのこと?」
「ほしい」か細いが透明度の高い声。
パノラマが空洞。姿は見えない。魔に特化した種族エルフはこのくらいのことは造作もない。
「もらった」
「あかんあかん。なに、勝手にそないなこと」
「ダメなら」
と聞こえた瞬間天と地が反転した。
首が苦しい。凄まじい力で押さえつけられている。幻術ではなく。直に。
「沢山いるんじゃないどうせ。一匹くらいあげてやって」低めの掠れた声。先ほどのエルフとは別人らしい。
大陸クレの天子が君臨する香カラよりさらに東の地域で見られる民族衣装に近い。丈の長いタイトスカートなのに両サイドが裂けていて太腿が完全に露出している。
声が出せない。首も動かせない。要するにこれは脅迫ではなく。
「助け? 期待しないで。あの子が君に興味持っちゃって。面白いことするまで見逃してあげてたってわけ。神遣葬弓の子はやる気ないし」
しかしもう一人。
せっかく幻術が解けたのに。いや、解いてもらった、が正しい。
「問答無用でむっちゃくちゃ強いのと割かし強いのがおったらどっち倒さはる?」
「前者がエルフで後者があんた、ゆうこと?」
「そうゆうこと」
喋らせるためにわざと力を緩めてもらったが、その反動なのか、さらにきつく締められる。
彼女は何者だ。
どう見ても細腕の丸腰。しかしヨイッチという武闘士ファイタの例も。
「首絞めてるから瞼の血止まったよ。じゃ、仕上げ」
一気に意識が遠くなる。抵抗という概念すら握り潰される。こんなことなら詠唱なしの術を編み出しておけばよか。
視界の隅に。
光の線。
「痛いなあ。渋ってたのはなんで」女が言う。
「そいつから離れろよ」ヨイッチだ。
力が弱まったのを察知して脚を振り上げる。軽くかわされたが彼女から距離を取ることに成功した。喉の辺りに異物感が残る。咳き込んでも声が出づらい。
精霊幽帝レニはたぶん還った。せっかく切り札を出したのに完全無意味だ。
「ダイジョブ?」ヨイッチが心配してくれる。
「なんとかな」自分の声でないように聞こえる。しばらく詠唱不可だ。
ヨイッチの手に光り輝くもの。
弓が。
「それ」
「あんがと。ちょいピンチだからさ。頑張っ」
「余所見しない」
速い。ここに光速の武闘士がいなければ骨ごと砕かれていた。
「あっちいってて」ヨイッチが眼線で示す。
「もう一回撃たはるの?」当たらないようによけてろという意味か。
弓を放つだけの時間が取れない。闘技場コロセオ殿堂入り闘主チャンピオンが易々と押されている。ついに弓を地に。煉瓦に当たってかつんと鳴る。
拳闘士ブルーザ。
拳から繰り出す波動だけで人を殺せる。
「ほらほらしっかりして史上初」
どんどん後退する。避けるだけで精一杯。掠れば怪我では済まない。
なんとか時間稼ぎが出来れば。考えろ。何かあるはず。
早く速くはやく。
「葬弓て神術カムスベじゃない? 私には」女が拳を繰り出す。
「ヨイッチ!」
彼が跳ねたとき。拳が膝にめり込んだ。
「効かないよ」
着地したヨイッチは自らと脚と相手の顔を一度ずつ見遣って、地表にエネルギィを吸い取られたかのようにふわりと倒れる。こんなにも時間が要るのか、衝撃が激痛に変化するのには。
声なき声。
絶対に砕けた。自慢の脚が。
あれではもう。
「さあて、仕切り直し」拳闘士が言う。
詠唱。
ダメだ。遅すぎて。声だってまだ。
「ま、だ」ヨイッチが言う。
拳闘士が脚を蹴り上げる。離れない。ヨイッチは拳闘士の足首を摑んだまま葬弓に手を。しっかり矯めて。
命中したのに。
「もう一度言ってあげる。私にはそんなの効かない」
ヨイッチが何度も光の矢を生み出す。何度も何度も命中するのに。体に触れた瞬間に消えてしまう。
「つまんないなあ。天下の闘技場もなまったもんよね。君ら壊したら砂にしようかな、ここみたいに」
ぐわん、と空間が歪む。エルフが城塞の幻術を解いた。広場に石の塊が流れ込んでくる。それで生き埋めにするつもりなのか。まずい。逃げるにしても眼前には拳闘士。
数珠の男は。
「心配? オニは死なない。だから私たちがいる」拳闘士が言う。
「いこう」エルフの声だ。
姿はまだない。すごく遠くにいる気もするしすぐ耳元にいる気もする。
拳闘士はヨイッチをギロチン台に放り投げる。折れた膝が地を滑るように。わざと。
「そだね。放っといても死ぬ」拳闘士が言う。「それより闘技場久し振りだなあ。私の殿堂入りって史上から抹殺されてんだっけ。記念すべき十人目の挑戦者、死んじゃったもんね」
「や、めろ」ヨイッチが言う。
「喜びな。君が闘技場史上最初で最後の殿堂入りとして後世に語り継がれることになるんだから。あ、語り継がれないか。みんな喋れなくなるかなあ」
立ち上がれない。
脚が折れているのだから。
立ち上がれない。
石の塊が全身を覆うのだから。
だけど立ち上がるほかない。
神術は神との同一をもって身験となる。
「まさかきみ、いま」
神様。
拳闘士の口がそう動いた。
俄か弓が破片となって虚空に散らばる。拳闘士の拳から出た波動かと思ったが違う。彼女は初めて奇異な眼をした。一斉にがらがらと崩れる石の塊が動きを止める。まるで時間を止めたかのような。空間を高貴なまでに凛と氷結させたかのような。
生み出すのは弦と矢だけではなかった。神遣葬弓≪神随≫の材料はそれ専用の聖なる樹ではなく。
弓取りそのもの。
「それは知らなかったな。さすが鎖国村」拳闘士が言う。
刺青が左肩から指先に移動ししなやかに弧を描く。光差す蒼穹に輝くばかり弓。
美しい。
その言葉を具現化するにはこれが最も相応しい。
拳闘士もすっかり魅入っているらしく動けずにいる。神遣葬弓≪神随≫が早撃ちに向かなくてもいいことがようやくわかる。標的は決して逃げない。逃げる等背くに類するという言葉の一切が失われる。
弓取りは神々しくゆっくりと。
矯めて。
放つ。
拳闘士に突き刺さる寸前に透明な障壁が出現。光を無に帰す。エルフ魔女の防壁。カウンタでなかったのは意味がないからだろう。この光景をどこぞで眺めながらタイミングを計っていた。
「へんなの」というエルフの緩い呟きとともに拳闘士が消える。闘技場を破壊した奇声男とまったく同じ仕組み。
再び時間が動き出す。石の塊が崩壊を再開。
弓取りは。
11
「や、やめろよなにやってんだよなんでお前降ろせやだやだ」意識が戻ったヨイッチが暴れる。
「生きてたのか」数珠の男が躊躇いもなく背中のお荷物を沙漠に捨てる。
打ち所が悪かったらしくケガ人はさらにけたたましく吠える。仲良くしろ、とは言えない。声が出ないとかそうゆうことではなく。
拳闘士ブルーザが消えたのとほとんど入れ違いで数珠の男が広場に戻ってきていた。顔は相変わらず何を考えているのか読めなかったが疲労の色が滲んでいることは確か。
エルフ魔女ウィッチには勝てなかったらしい。
ヨイッチが気を失っているので何とか担ぐなりして運ぼうと思ったのだが、筋肉のつき方がよすぎるのか見た目よりかなり重い。おまけに事態は急を要する。幻術とはいえ甘く見ると簡単にあっちの世界に行ける。それは自称錬金術師が一番よくわかっている。
ふと数珠の男を見遣ってみる。気づきもしない。
「こいつ、怪我しとってな」
「幻術だ。死なない」そんなきっぱりと。
「あんなあ、舐めたったらあかんよ。耐性あらへん奴は」
「なさそうには見えない」この巨漢に気を利かせる、という意識はないのか。「お前がなんとかすればいい」
「声聞かはってよ。出えへんの」
「出てるじゃないか」
わざとらしく咳き込んでみる。
数珠の男は霊剣を肩に背負ってすたすたと行ってしまう。
「あほお、運べゆうとるの」
「なんだ。最初からそう言え」
という紆余曲折の末ヨイッチを数珠男の背中に乗せることに成功したのだが、幻術の城塞から脱するとヨイッチは眼醒め、自分の接しているものが地面ではないと気づいて暴れ始めたというわけだった。
すっかり夜が明けている。何十年も経っていなければいいが。
「ねねえ、なにが起きたの? なんでこいつが」ヨイッチが言う。
「へ、憶えて」ない。
ヨイッチがぶんぶんと首を振る。そして自分で立とうと思って足に体重をかけ、情けない悲鳴を上げる。
「そーだった。歩けないじゃん。すっかり忘れてた。それにしてもなんか声変だね。叫びすぎ?」
力が抜ける。あの崇高な神懸かりはまやかしか。
ヨイッチに手を貸そうと思ったら首を振られた。片足で充分だと胸を張ったがよろけている。しかし数珠の男であれだけ拒否したのだから無理に手伝わないほうがいいだろう。
「なあ、さっきの」
「忘れろ」数珠男は冷たく言い放つ。
「武世来アームエイジドダンゆうのは少なくとも三人はおるね」
数珠の男が鋭い目つきで睨んでくる。
名を出すたびにこの顔。そんなに嫌いなのか。それほどまでに憎らしいのか。
「え、ちょっとなに? 何の話?」ヨイッチが話題に加わろうとするが。
「死にたくないなら金輪際一切関わるな」数珠の男が冷たく言い放つ。
「そっくり返すわ。なんでそないに関わるん? 死にたいの?」
「え、ちょっとちょっとどゆこと?」ヨイッチが言う。
「お前に言う意味はない」数珠の男が言う。
「ほんならなあ、なんで意味ないはずの俺やヨイッチ助けたん? 眼の前で死なれると迷惑やさかいになあ。せやのうたらなんやら目的が」
「あいつらに目的なんかない。ただ殺戮だけを愉しむどうしようもない連中だ。錬金術如きでどうすることも」
「
数珠の男と睨み合う。膠着ほど無意味な会話はない。
「復讐なん?」
「そう思いたいなら思えばいい。ここでさよならだ。次に会っても声を掛けるな」
「会えたらな」
数珠の男は北に向かう。
自称錬金術師、並びに弓を持てば神懸かりの武闘士は南西に戻る。廃墟戦跡陵サギとの境界にカイとセンジュがいた。二人に黙って出掛けたのをたったいま思い出す。いつもながらセンジュはどうでもよさそうだが、カイの眼線が。
「あ、おはようさんです」
「おはようじゃありませんよ」カイは怒っているというよりは。「行くなって念を押したでしょう?」
「行ってへんよ。ただ散歩」
「散歩も同じです。まったく無事だったからよかったものの」心配していた。
「武世来アームエイジドダンか」センジュが言う。
「いまそんな話してませんけど」カイが言う。
「悪いがそっちの殿堂入りがケガしてる。診てやってくれねえかな」センジュが気づいた。
ここまで何とか片足で跳んできたが最強と謳われたヨイッチもさすがに疲れたらしく力なく応える。
「え、ちょっと折れてるじゃないですか。なんで立って」カイが言う。
「会ったのか」センジュが言う。
「まあ。ひとりふたり」
叱られる。それとも怒鳴られる。身構えていたら頭を掻き混ぜられた。
「元気そう、でもねえか」センジュが言う。「一丁前に傷作りやがって。よかったよかった。心配してたんだ。カイはああ言うがぎゃあぎゃあぴーぴーうるさくてな。お前らがいなくなったってわかって乗り込もうとしたんだぜ。止めるの苦労したよ」
そうか。この二人はすでに他人ではなかった。錬金術だってすでに知られている。
いや、そういう次元ではなくて。
「すんません」
悪いことをした。せめて断って。いやいや断ることが出来ないから黙って出てきたのではないか。つまるところこの方法しかなかった。
カイが患部を触るたびに最強で最速の男が悲鳴を上げる。ほぼ半泣き状態だが無理もない。完全に骨までいっているのだから。
「一応固定しときましたけどこれ、誰がやったんですか」カイが言う。
「やっぱ酷えのか」センジュが覗き込む。
「ええ、容赦ないんです。普通こんな凄まじいこと、肉を切らせて骨を絶つくらいの覚悟がなければ不可能なんですけど、たぶん相手は何のダメージも受けてませんね。それに相当慣れています。治らないこともないんですが完治とまでには」
「え、おい、じゃあ」センジュが言う。
カイが苦々しい顔で頷く。
「治んないってこと? 俺もう」
ヨイッチは何だった?
闘技場コロセオ殿堂入り闘主チャンピオン。
「歩けます」カイが言う。「私ならあなたを歩かせることが出来ます。ですが歩行が限度です。それ以上の激しい動きは」
「嘘やろ? そないに」
ヨイッチは何が得意だった?
並の眼球では決して追えない光速で瞬殺の軽業。
「こいつが言うんなら間違いないだろうな」センジュが言う。
あの拳闘士は。
死ぬよりひどいことを彼に残していった。
「とにかく少し休みましょう」カイが言う。「だいぶお疲れのようですし。宿を取ってあります。さあ」
ヨイッチが差し出されたカイの手を払う。
誰も何も言えない。言えるはずがない。すべてを奪われてしまった者に掛ける言葉は。
「行きませんか」カイが言う。
「ほら、肩貸してやっから」センジュが言う。
聞こえていない。地面を睨んだまま動かない。
二人が目線を交わす。やれやれ、と同義。
「先、行っててくれへんかな」宿の場所を聞いて二人と別れる。
ヨイッチはぴくりとも動かなかった。斜め横に座る。
「行っていいよ」ヨイッチが言う。
「俺な、自称錬金術師なん」
「知ってるよ。別に莫迦にしないし」
「脚、治したろか」
ヨイッチが顔を上げる。驚きというよりはそんなの嘘だね、という確認だった。
「嘘やないよ。俺は自称錬金術師やさかい」
「いいよ。そうゆうの、あんま」
「せやから、嘘やないの。信じへんでもええけどちょお待っててくれへんかな。噂だけやからね、探さな」
間があった。ヨイッチは返事に戸惑っている様子で。
「噂? え、何を探すの?」
「そらまあ、おっさん」
さらに戸惑った顔が面白かった。最強らしくなくて。
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