第35話 エピローグ1・親愛について、あるいは嫉妬の仮面外れる時

 学校に来るようになって一週間も経つと、すっかり楓も慣れ直したらしく以前のように振る舞っている。

 また前みたいに色々隠してないか不安を覚えたりもする。それだけ楓は不器用で臆病なやつだから。そういうところも好きだけど。

 ただのろけ話をするにはまだ足りないことがある。

「いいか、見とけよ」

 前置きして、八科の頬にキス。楓の顔を見て、もう一度八科の頬にキス。

「ということだ」

「は?」

「友達同士のキスなんて恥ずかしくない。ましてや私の楓への想いはもっと強いから普通のこと」

「は?」

「私と八科がキスしたのに楓がしないのはおかしい」

「は?」

「壊れた玩具か?」

「早く死ね」

 楓がキスをしない。それが一番の問題だった。あとこういう風にふざけると楓は躊躇なく死ねというようになった。強い言葉だけど、これが楓なりの信頼なのかな……本当に悲しくなったらきついって正直に言うからな……。

 八科はキスされてもうんともすんとも言わない。これは恐らく快も不快もないから為すがままされているのだろう。

 私はとにかく楓とキスしたかった。できれば楓からしてほしい。

 信頼関係を明確にするにあたって様々な行動が考えられるわけで、それが楓が遠慮せず死ねとか言ってくるとか、八科がなんか楓に甘えただの強引に近づいただの、私は無抵抗で体を担がせたり、本音を話したりというのがある。

 ただ、楓の死ねは否定的で怖いし嫌な感じがするのは当然だ。でもあの楓が、こうやって学校にきてそういう今までしなかった態度をとるということ自体が嬉しくもある。だから今は見逃す。

 けど死ねは辛いじゃん、死ねは! だからキスしてもらう。それが分かりやすい親愛の表現で、私がされたらとても嬉しいからだ。それをもって、楓と心から打ち解けたことにする。

「八科、キスミーキスミー」

 言うと、八科はキスしてくれる。頬に。頬に。口……

「おまっ!」

「なにか」

「口は……待てやい……」

「失礼」

 当然のように言う。なんかこういうやり取りも最初はだいぶざわついたけど、最近はまあ見逃されている雰囲気になってきた。まあ、女子同士のスキンシップなんて珍しいものじゃないのだろう。ただ、私達がそれをするというのはみんな予想外だっただけで。

 にしても八科のキス、ちょっとヤバいんだよな。あの顔のまま、目を開けてキスしてくる。あの目、吸い込まれそうで怖いんだよな、最近ちょっとドキドキしてきた。私が好きなのは楓だからな。

「……ということなんだよ」

「は?」

 楓は頑ななままだった。


――――――――――――――――――


 八科、すっかりバスケ部員に疎まれている。実力がなまじある分、練習をサボったりしまくって私達と一緒にいるからだ。それでも最強の座は相当揺るがないし、部長のあの騒がしいやつも許してるから。

 でも、そのおかげで二人で話す時間が作れる。楓を抜きにして二人きりになるのは難しいところだが、休日にわざわざ家に来てもらうことで話をする場を設けた。

 その内容こそは。

「楓とキスしたくないか?」

「したいです」

「な! な! わかる、わかるよ八科。君の気持ちが痛いほどわかる……」

 同行の士と巡り合えた喜び、同じ相手を愛する恋敵であるかもしれないけど私達は確かに親友だ。

「行動で示す私達の親愛……私達が注ぐ楓への愛に対して楓はいまだにツンデレすぎる。本当は私達のことが好きなのに死ねっていうしキスしないしあまりにも薄情だ。私達はここに楓にキスしてほしい同盟を設立する!」 

「いいでしょう、具体的には何を?」

「……楓がキスしないと退学する、てのは?」

「厳しいですね」

 確かに。『やめちまえバーカ』なんて言われたら、もう私はニ度と起き上がれない……。

 たぶん楓が深く考えすぎているのだと思う。ファーストキスが特別だの、恋愛関係じゃないとダメだの、そんな感じに。

 私のはもっとフランクに外国人がちゅっとする程度の優しいスキンシップ、ま恥ずかしいっちゃ恥ずかしいかもしれないけど、そんなの恥じらう女子じゃないでしょ、あの万年お菓子食べ食べガールが。

「やはり、樋水さんにとって人との距離を縮めることは大きな勇気が要るのではないでしょうか」

「ふむ、つまり楓に勇気が出ないと無理と」

「そう考えます」

 流石八科、伊達に楓を見ていない。楓の臆病なところがそうさせるというのは大いにあり得る。

 勇気を出させる、その術を考えればいいわけだ。

「…………で、どうやって勇気出させる?」

「……どうでしょう」

 肝心の案が全く浮かばなかったので、おしまいになってしまった。


―――――――――――――――――――――――――――


 我々二人では思いつかない案であっても、三人寄れば文殊の知恵というように多くの人の知恵を借りれば解決できる問題はある、と愚考します。

 その結果、私と不破さんは、相談できそうな相手に相談することにしたのでした。


※ ※ ※

愛染「え、そんな悩んでんの? マジウッケーじゃん。友達同士のチューならちょっと強引にしちゃえばいんじゃね? チュチューって」


「楓~! チュチュー!」

「殺すぞ」


※ ※ ※


篠宮「八科さん、そんな恋愛で悩んでたんだ……。うーん、やっぱり場の雰囲気じゃない? 教室の人目があるところじゃなくて、家に誘ってとか、オシャレなホテルとか? 綺麗な夜景だね……なんて言っちゃって? で二人きりの時に……え、三人? え、どういう関係、それ」


 ということで不破家。

「……綺麗な蛍光灯ですね、樋水さん」

「え、どういうこと?」

「こんな日には、なんだかロマンチックな気分になりませんか?」

「本当にどういうことか分からないんだけど、不破さん、分かる?」

「見て楓、窓から町が見えるでしょ? この街並み……なんか、よくない?」

「頭大丈夫?」


※ ※ ※


夢生「キスしてほしいのに全然してくれないって、恋人として空気が読めてないってことじゃん。お姉逆ギレしたら? どうしてわかってくれないの!? 私のこと愛してないの!? みたいにさ。そしたら私が不甲斐なかったー! みたいに……なるかな?」


「楓、どうしてキスしてくれないの!? この分からず屋!」

「なんでキレてんの?」

「どうして怒ってるかもわからないの!? この……この分からず屋!」

「語彙」


※ ※ ※


郁夫「お前はまず表情が変わらないから真剣さが伝わらないのかもな~。軽い感じのキス? ナハッ! そんなのないでしょ! 真剣にしてほしいなら、それだけ真剣な気持ちをぶつけた方がいいよ、お前は、昔から真面目な子だったしな……」


「樋水さん、両親と死別し、たった一人の兄にも信頼されず、誰一人私に近寄らず、一人突然できた恋人にもフラれ誰も信用できず一人で生きていこうと悩み抜いていた私を救ってくれたのは、貴女です。貴女が私にとって、生きる希望です。キスしてください」

「重いんだけど……」

「キスしてくだされば、私は、幸せです」

「結局それか……しーまーせーんー! そんな不純な動機のために自分の重い経歴を利用しないでくださいー! 人間性を疑うよ!」

「本気ですが」

「じゃ、よしよしはしたげる。よしよし……」


※ ※ ※


暮田「……そんな下らないことで悩んでるの? はっきり言うけど、本人が嫌がっているのに無理矢理接吻しようなんて犯罪になりうる。本当に樋水さんを愛しているというのなら、自分から無理に迫らずに、彼女がそうしてくれるまで待つべきよ」


不破「……」

八科「……」


※ ※ ※


「――なんて、話をしたのだけれど」

「うわぁ……ごめんね、暮田さんにまで迷惑をかけるなんて」

 あの後、また天才二人がこそこそどこかに行ったから、逆に私が樋水さんと二人きりになった。

「随分面白い関係になったんですね」

「人の関係を笑わないでください。……これでも真剣に悩んでるんです」

「笑いはしません」

 そう聞けて、悩まし気に語る樋水さんを見て、それで十分だった。

 まるで雪解け水のように清らかな感覚が私の中を流れる。

 友達のことをどうでもいいかのように語っていたこの人が、きちんと深い関係を結び、その関係について悩んでいる。

 八科さんが大事にしていた人だもの、八科さんのことを大事に想うようになるのは当然かもしれない。

「あの二人も真剣に悩んでいますよ?」

「キスについて? 不真面目ですよ、取り締まってくださいよ、風紀委員なら」

「全く、学業には不真面目ですね。でもあの二人は、樋水さんについては大真面目でしょう」

 うぐ、と小さな声を漏らして樋水さんは言葉を詰まらせた。それはきっと、彼女にもわかっている図星なんでしょうけど。

「わざわざキスしろなんて言いませんが、キスするにしても、断るとしても、彼女達と対等に付き合うなら同じくらい真面目に取り合ってやるべきですね」

 私は言いたいことを終えた。これ以上ここにいる必要もなければ、樋水さんを見守る必要もない。

 八科さんが部活に入ったと聞いて安心もしたし、彼女達の関係が予想以上に良好なことも見て取れた。

 風紀委員冥利に尽きますね。


※ ※ ※


 二人が教室に戻ってきた。不破さんの表情は、なんかばつが悪そうにしてちょっと戸惑ってるみたいな。

「あのさ……なんか、変に無理強いしてごめん。嫌がらせとかじゃなくて、私達はただ……」

「あ~わかったわかった、あのさ、本当に、恥ずかしんだよ。担ぐとか手繋ぐとかハグよりもっと恥ずかしくて。不安、なのはわかるから、わかるけど、もう二人を不安がらせるようなことはしないって約束するから、そういうのはちょっと待って」

 真面目に向き合うことにした。

 だってもう、私にはそれができるから。

 この二人となら、頑張っていけるよ。たぶん。

「~~~~~~~~~!!!! 楓やっぱり大好き~!」

 飛びつこうとしてくる不破さんを、素早く八科さんが羽交い絞め。油断も隙もないやつ。

「……はぁ、私も、二人のこと、だい、すき、だから、ね」

 やっぱり死ぬほど恥ずかしくて、もう二度と言うもんかって気持ちになるけど。

 八科さんがぽかんと口を開けて何も言えない様子を見るのが楽しくて、まあもう一回くらいはいいかなって思う。

「楓~~~~~~~~~!!!!!」

 あと、不破さんはうるさい。

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