第33話 篠宮華火・欲
言い訳めいた後悔ばかり渦巻いていた。
二人の言葉を見ないようにしても私の頭には二人の顔が浮かんでは消える。テレビも見ずに一人でぼんやりし続けて、寝るかお菓子を食べるかしかしていない。
父は一言、学校に行った方が良いなんて言ってて無視した。恐れていたのが嘘みたいなくらい、頼りなくて覇気のない顔に見えた。
怯えていたのが嘘みたいに脅威を感じなかった。私が何に怯えていたのかも今となっては分からない。
ただ思考はしないように心掛けた。何かを考えてしまうと、それが言い訳や後悔というものになってしまう気がしたから。
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「八科、そこまで……」
自分の頬を触り、濡れた指を興味深そうに見つめて、ようやく八科は己が泣いているという事実に気付いたようだった。
「……涙ですか」
「ああ、八科も泣けるんだ。はは、は……」
まったく、何から驚けばいいのやら。楓は学校辞めるって言うし、八科は泣いてるし。
「私の顔は、形を変えていますか?」
「……えっ、それは……」
表情は変わってない。それを言う前に八科は「そうですか」と短く言って涙を拭いた。
そしたら、そこにあるのは元の八科だった。
「八科、」
「これからどうしましょう」
「これから、って……」
何か言おうにも、先に言われると、何も言えない。
ついでにこの後のことも何も考えていない。
とりあえず、まず引き留めないといけない。楓が高校辞めたら私も八科も全然楽しくなくなるだろうし。それは絶対。
あと私は謝りたい。んで水臭いじゃんと言って抱き締める。
「引き留めて抱きしめる。くらいか?」
「引き留められるでしょうか、我々に」
「家行けばいいじゃん」
「私は樋水さんの住所を知りません」
「それは私もだけど……先生から聞き出すとか」
微妙なところだけど、それ以外に手はない。友達が高校を辞めるって言いだしたんだからそれくらいできるだろう。
振り返ってみれば、私は楓のことを何も知らなかった。
それは楓の言うところの適切な距離なんだろう。そんなのクソくらえだ。何も適切じゃない、私が全てを曝け出しているのに自分だけひた隠しにして、挙句に逃げ出して。
全部引っぺがしてやる、洗いざらい吐き出させて、取り戻す。
「じゃ、八科、聞きに行こう」
「はい」
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言い訳めいた後悔ばかり渦巻いていた。
私はなぜこんなとこにいて、何もしていないのだろうと思い悩む。けれど私は、きっとそもそも行き場などなかったのだろう。居場所などなかったのだ、自分の居場所はきっとこの暗い部屋の中。
「先生も心配してるぞ、どうして学校に行かないなんて言うんだ」
「うっさいなぁ……学校くらいいいじゃん」
「これからどうするつもりなんだ」
「……さぁ。でもいいんじゃない、気にしなくて。お父さんにとっては今まで通りじゃん」
「……楓」
父はまた出て行った。ご多忙な限りで、ゆっくり座って話すこともほとんどない。私のことで悩ませていることに些かの申し訳なさはある。
ふと、部屋に置いてた夏祭りの仮面を見つけて被ってみた。
安いプラスチックの香り、閉ざされた視界、自分の表情を気にしなくて済むというのは無性に楽で、心地よかった。
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「先生~そこをなんとか!」
「流石にそれは、問題だし、ごめんなさい」
生徒の住所を教えるということは、流石にどの先生も許可してくれないようでした。
むしろ仲の良い私達すら知らないということは、実は私達が仲良くないのでは、などと疑う教師もおり、樋水さんが自主退学する原因こそ私たち二人では、と疑う人まで出てきて、これ以上の調査は難航を極めるかもしれません。
「どうしよ……どうしよう八科ぁ……」
不破さんは恐れのあまり泣きそうな顔で私に縋っています。強気な彼女がこうも弱味を見せると、私も不安になります。
「どうしましょう」
「私嫌だよ! 楓とこのまま一生会えないなんて……」
一生、会えない。その言葉には心臓が縮むような苦しみと眩暈すら覚えます。
しかし不破さんの危惧は実現しうるものでした。樋水さんが登校しないままに退学した場合、大きな街で彼女の幻影を見るような、そんな一生モノのトラウマになる気がしてなりません。
住所さえ知ることができれば、彼女の居所を知る。最悪の場合退学を止められなくても家を知ることの安心感は大きいと思います。
ここが正念場でした。
「
「……え、なんで? もう断られたじゃん」
「手があります」
「?」
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言い訳めいた後悔ばかり渦巻いていた。
「……意思は固いのか」
「……一人になる時間が欲しいから。今の学校、私にはうるさすぎる」
「……そうか。楓、構ってやれなくて、すまない」
言い訳めいた後悔はやがて心の中で飲み込まれ始めた。
それを飲み込んだのは、覚悟と決意だった。
自分の生き方を肯定する勇気、今までの自分を認める決断。
そして――二人と離れることを決めた。
ふざけた不破さんのいろんな顔。寝てる時の妙に色っぽい顔とか、笑ったり怒ったりふざけたり泣いたフリしたり寝たフリしたり。
泣いてる姿はついぞ見なかったけど、そんな彼女と別れる心構えもできた。一人の時間の平穏と安寧が私を少しずつ勇気づけたのだ。
……八科さんは思い出す顔のバリエーションもない。一回だけ大仰に驚いた時、懐かしいな。あの時だけは八科さん、きちんと驚いてた。
……やっぱり、驚けるんじゃん、自力で。
あれ、全力で笑ってみせてなんてお願いしてみたらよかったんじゃ……。
や、待て、待て、後悔が渦巻く。今更そんなお願いを考える必要ない。もう二度と会わないんだ。住所漏らすような真似を先生がするとは……いやするかもしれないけど、せいぜい彼女らは私の地元駅しか知らない。ここに来ることも、もう連絡することもできない。
クールに、冷静に、落ち着いて。沈着。
もう会わない人達のことなんて考えなくてもいい。浮かんでは消える顔を、浮かんでこないように沈める。
そう、もう彼女達と逢うことは――二度とない。私がこの扉を開けて、わざわざ学校に行ったり二人の家に行かない限り、絶対にないのだ。
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「樋水さんの住所を教えてくだされば水泳部に入部します」
大河内先生は他の生徒に混じって、私の能力を高く買ってくれた水泳部の顧問の教師です。それはまさしく私の才能のためなら何でもしかねないほどの熱意がありました。
声をかけた時、先生は苦悶の表情で十秒ほど悩みましたが。
「……ダメだ、ダメだダメだそんなの! 八科、お前も随分とこざかしいことを言い出すようになったな……答えはノーだ。諦めてくれ」
「……絶対にダメですか? 男子の愛染にも圧勝したほど、泳ぐのも得意ですが」
「う、愛染に。……いや、でも……ダメだ」
「……そうですか」
きっと表情は変わっていないのでしょうが、私は万策尽きたために困っています。
こうまでしても教えてもらえないのなら、きっと私達が退学しようと、テストを真剣に受けないことで学校全体の成績を著しく下げても、教えてもらえないでしょう。
……もっとも、不破さんは既にテストの点数が暴落しましたが。
「……凄い良い案だと思ったけど、駄目だったか」
「ダメみたいです。私も万策尽きました」
「……どうしよう、八科、八科ぁ……」
そう不破さんに泣きつかれても、私も泣きつきたいところです。ただ、ここで二人泣き崩れるというのは、諦めるということで、それだけは私の
樋水さんを諦めてしまうことは、私にとっての希望を諦めることに他ならないので。
「八科さん、その樋水某の住所を知ることができればいいんだよね?」
さて、その囁き。
「住所、私が教えられたら女バス入ってくれるよね?」
女子バスケット部主将・篠宮華火先輩の提案に、私は深く首肯しました。
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言い訳めいた後悔は、いつしか己を奮い立たせるための思い込みに変じた。
勇気だとか覚悟だとか、都合のいい言葉で塗り固めた、それが思い込みということは分かっている。
けど臆病だから悪いということはない。むしろそんな私の捻くれた感情が臆病の裏返しとなって傲慢に自分の我を貫くことができるようになった。
やめてやろうとも、高校なんて。父と話しても、まだ決断しきれなかった私の心は今、ようやく固まった。
過去は振り返らない。何も考えない。決断は決断だ、その先も過去もない。
電話しようか、それとも父に頼んで学校に行ってもらうべきか、手続きの方法も定かではないけれど。
ひとまず電話しよう、そう思った時。
チャイムが鳴った。けして鳴ることのないチャイム、予定のない来客、果たして新聞か、あるいは宗教か。
足音をひた隠しにゆっくりと玄関の覗き穴を見ると――そこには決別した過去がいた。
「樋水さん、いますね」
「なんで、どうやって……先生が教えたの?」
「どうやってかは私達も定かではありませんが」
扉越しに話す八科さんは、やはり声の調子では、全く何も変わらなかった。
「楓、な、色々話したいことがあるんだよ! だから扉、開けてよ……」
「少し話をしませんか?」
――――――――――――――――――――――――
女バスの人脈と思い切りのいい私の努力の賜物。
まあ、あの手この手で先生を引き剥がしたりして樋水楓の住所を調べただけだけど……。
樋水楓、正直誰かも知らなかった。八科さんの傍にいる友達、ということで結構調べようとしたけど、女バスの人脈を通じても『いつもお菓子を食べて楽しそうにしている女子』というくらいで、趣味も家も知らない、誰も仲良くないけどそれなりに喋ることはある、程度の人間だった。
極めて希薄な人間だった。消えてしまえば寂しくなるけど誰もがすぐに忘れてしまうような存在感のなさ、親しい二人はあの子が消えてどう思うかは分からないけど、少なくともそれ以外の人間にとって特別な存在ではないのだろう。
少し恐ろしい人間だけど、親しい人間が二人いるという普通の人っぽかった。
けど、中学の時も親しい人間が二人だけいたとか。つまり彼女は人間関係をとっかえひっかえしていることになる。
住所を調べて八科さんに教えて、入部の約束を取り付けたから関係ないけれど、本当に面白い人となりだとは思った。
……うん、関係ない。
八科智恵理! スポーツの天才! 鉄人! 球技大会で誰もを圧倒した最強の人間! それが! 我が! 女バスに!
彼女をレギュラーにすれば、部長の私の黄金時代が始まる。……結局八科が凄いだけ、と言われるとしても、私に光が当たらなくても、私のチームが勝利するという栄誉、名声、それは確実。
後は野となれ山となれ。樋水楓よ、せいぜい八科さんのメンタルコンディションを悪くしないようによろしくね!
※ ※ ※
篠宮華火の熱烈な八科智恵理への勧誘、部活動への熱心な気持ち、その正体は自身の”圧倒的な名誉欲”である。
彼女の特異は、普通の人間ならあるデメリットや失うものの恐怖というものがほとんど欠けており、己の名誉をあげるためなら不名誉を受けることも厭わないという一種の矛盾した姿勢である。
名誉のための恥、羞恥、損害、そういったものに対して強気でいるのは、そういったネガティブな要素さえも最後に勝利し栄光を掴んだ時のアクセントにできるという考えのためである。この捻じ曲がったポジティブ思考は、苦難や逆境にあってなお自身引いてはチームの最終的な勝利を信じられると
※ ※ ※
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