第28話 殷賑と孤独のすれ違い
私と八科さんが教室に戻るとほどなくして不破さんも戻ってきた。なんとか告白を覗き見したという事実は隠蔽できそう。
「お待たせ~」
「待った待った。どう? 彼氏できた?」
「つくらないよ~。楓に彼氏できるまで作らないとかって前言ってなかったっけ」
「言ってた気がする」
じゃ、その時にはかなり好きだったのかな、私のこと。
ダメだ、八科さんも不破さんも余計な事実を知ってしまって、余計なことを考えてしまう。
適切な距離感、友達としての程よい立場を、私は大事にしたいのに。
「じゃ、買いに行こうか、冬服」
不破さんが先導して歩くのは、少し珍しいような気もした。
けど全部不破さんの心境の変化を考えれば腑に落ちることだった。
不破さんは私のことを好きになった。だから学校に来るだけ来て私と
そうか、そうか、不破さんは私のことが本当に好きなんだな、尻尾を振り続ける仔犬、とは決してオーバーなジョークじゃなくて不破さんが思う自分の在り方なのかもしれない。
参ったな、参ったな。本当に、そういうのは、困る。
妙に肩を上下させて歩く不破さんの背中を見つめながら思い悩む。友達、親友と言っても差し支えない人間が自分に好意を向けていたというのは、簡単には飲み込めないくらいの難しいものがあった。
ゆるふわにウェーブした髪、姿勢は良いのに妙に嬉しそうな弾むような歩き方、そんな不破さんがくるりと振り返って――私の額に熱いものが押し当てられた。
ちゅう、とあまりに露骨な音が、彼女の体温と共に響き渡った。
「……へえっ!? な、なにすんのさいきなり!」
「ダメだった?」
「だ、駄目って、そりゃ、だって、ねぇ」
「でも八科にもされたことあるんでしょ?」
「それは……だって……八科さんは……」
「八科は、なに?」
不破さんはもう笑ってなかった。そして不破さんが
「聞いてたんじゃん? それで知らんぷりって意地が悪いね」
全く不破さんの言う通り、意地悪をしたのは私ということになるだろう、正論だ。けど反論する。
「不破さんだって、そんな人を試すような真似いけないよ。ねぇ八科さん」
「そうですね。しかし誠実さを説いた樋水さんが言うといささか説得力には欠けます」
「どっちの味方なの!?」
「中立です」
敵でなければ味方でもない、らしいけど今の完全に敵の動きだった。おかげで、すごく気まずくなってる。
「……答え聞いていい?」
「答えって何の?」
「告白」
「告白? された?」
「本当に意地悪だ。八科も一緒に聞いてたんじゃないの? 楓の答え、知らない?」
「それは」
「八科さん!」
八科さんは言う人だと思ったから。私は道端で恥じらいもなく大声を出した。
それはあまりにも、なんていうか――違う。今までの私と違う、今までの関係ではありえない行動だった。
八科さんの言葉を無理矢理塞ぐとか、こんな大声出せば不破さんに答えが伝わるというのに、それがわからない私じゃないというのに。
今のままの関係を続けたいという私の甘えにも似たような、けれど芯の通ったかねてからの願望が、こんな無様な結末を導いてしまった。
「不破さん、私は……」
「いい、いい、それ以上言わなくていい」
手でこちらを制止ながら、不破さんは悩ましげに頭を抱えていた。泣きだしたりしたら、どうしよう。私にはもう事態を収拾させられない。
けど不破さんはむしろ強気に目を開いて、私を見据えていた。
「じゃ、じゃ聞くけどさ、楓は友達とはどれくらいまであり? ほっぺとおでこにチューはいいじゃん。好きとか言い合ってじゃれるのもありじゃん。マウストゥマウスは? プール行けるならお風呂はどう? 一緒にお風呂とか平気? それ以上とかは? くすぐり合いとか結構してたけど」
「…………」
「とりあえず、服買いに行こ」
「ん」
想像以上に不破さんは逞しい人間だった。そういう話。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「なんか緊張して損しちゃったよ」
「なにが?」
「恋愛って、もっとガチガチな話だと思ってた」
不破さんに服が似合うかどうかを見てもらいながら、私はそんな話をのんびりとした。
「まあ、不破さんの温度差がひどいだけかもね。もうちょっと森盛くんに優しい言い方できなかったの?」
「私は常に本音で生きてるから。好きでもない人と少しでも関係を続けたいとは思わないし、逆に本当に好きな人となら少しでもいい関係を目指したい。……いい女だろ?」
「ま、私の次くらいにはね」
「ああ、そうその通り。楓が一番だ」
ふわふわのベレー帽みたいなのを私にかぶせながら、不破さんはふわり私の頭を撫でた。子ども扱いされているみたいで一瞬苛立ったけど、それは慈しみの眼差しを見て急激に収まった。
今までの不破さんとまるで雰囲気が違うような、そんな優しい目だった。
この違和感はつまるところ、彼女が眠っている時のような穏やかさが今、こうして起きている時に表れているから生まれることなんじゃないかと思う。
「不破さんって私以外に恋した人っている?」
「話聞いてた? いるわけないじゃん、私の初めて全部楓」
「やっぱり恋すると人って成長するの?」
「なにそれ。知らん」
素っ気ない。不破さんはそんな話には興味ないと言いたげな勢いで私の手を引っ張ってアウターの売り場に引っ張っていく。妙に積極的で力強くなった気はする。それは私のことを好きになったからか、単に仲良くなったからなのか、分からないけど。
「やっぱ楓は白が似合うな。うん」
ウール生地のもっふもふの上着、秋から着るには少し暑そうだけど、夏のに比べると無難にいろんなところに着ていけそう。
「八科さんも同じ帽子なんだ。ペアルック的な?」
仲良しの象徴、みたいなのは良いと思う。夏のと違って八科さんも可愛い系に変わったしそれも私の好みだ。ただ、スカートなのは寒いと思うけど。
「や、帽子は安くて使いやすいやつ」
「ものっそ現金な理由だね……」
「現金は物凄く大事な理由だからね」
夏に人の金で八科さんに馬鹿みたいに服買わせようとしたのは誰だよ、と愚痴を言いたくもなったけど、今回はそういうことがないから口を閉じた。
「不破さんってそういうファッション知識どうやってつけてるの?」
「雑誌とか。夢生が部屋で読み散らかしてるの勉強の合間に読んだりしてた」
「ふーん」
「興味ないのかよ」
「もっと
「なにそれ。私はもう数えきれないほどの努力をして、寝てていい生活を手に入れたんだからな」
楽をするための努力、なんとも矛盾しているような、不破さんらしい努力の理由だ。
「でもテスト、数学が〇点じゃあ寝てられないね」
「いいよ。その分楓と一緒にいられるなら。やっぱ私睡眠より楓の方が大事だと思うし」
「いやいや。アイデンティティは大切にした方がいいよ。不破さんは寝るの大好きっ子じゃないと」
「ってか厳密には寝るのじゃなくて目を閉じた時のキラキラだかんな」
「なんでもいいよ。……っていうか、留年したら一緒じゃいられないじゃん」
「……ま、補習受ければいいし」
それもそうか。ははは、とのんびり話しながら試着もしていく。
こうして遊んでいると月曜日にテストがあることが信じられない。というか思い出してしまった、テストの話をしたせいで。
「そういえば不破さんってさ」
――あ、物凄くふわっとしたことを思いついて、つい口に出してしまった。
「なーに?」
「……いや、大したことじゃないんだけど。不破さんって、要は自分を叩き起こしてあちこち連れて行ってくれる人だったら、誰でも好きになってたのかなって」
また私は意地悪なことを聞いてしまった。そんなたらればは意味がないのに、まるで私が不破さんの好意は
けど不破さんは嫌な顔一つせずに、少し考えた。
そして、妙に朗らかにはにかんでいた。
「でも楓だった。これって運命じゃない?」
――これが、恋する乙女、なんだろうって思った。
「……ぐぅ。負けた」
「なんで勝ち負けの話になってるの?」
「聞きましたか八科さん、運命とか言い出しましたよこの人」
「非論理的ですね」
そう、それ。賢い人間が言うことじゃない。
「もっと言ってやってよ八科さん。運命、はぁ~下らな」
「素敵だと思いますが」
「……はぇ」
八科さんはいつもの表情で私を見ていた。じー、と見つめていた。
「なんだなんだその目は」
「八科もわかるじゃん。運命だよ、うんめー。三人こうして一緒になる運命だ」
「そうかもしれませんね」
二人は妙に意気投合しているらしかった。八科さんの素振りから気持ちを読み取ることはできないけれど、素敵、かぁ。
それってきっと、私達三人でいることが嬉しくて祝福してるんだよね。
まさか、八科さんまで私に恋している、なんて言いだすんじゃないよね。
呑気に笑っている不破さんの隣で、変わらない瞳で私を見ている八科さんの目が妙に視界に焼き付いた。
――――――――――――――――――――――――
「じゃ帰るけどさよならのチューして」
「は? 早く帰って寝ろ」
「お願いお願い、頼む一回だけ、一日一回だけでいいからさ!」
「八科さん、キスしてやりなさい」
「嫌です」
「二人そろってひどい!」
駅で散々もめて、結局不破さんは強引に私の額に跡が付くほど吸いついた。
二回目じゃんか! と怒ったけど、不破さんは舌をべっ、と出して楽しそうに帰っていった。
あー、可愛い。腹立たしいのは不破さんにだったらちょっとやそっとキスされてもいいかなって思えることだ。向こうが好きになったというのと、不破さんがそれはそれは可愛くて賢くて、憧れていた人だから妙な優越感があるから。
逆ならそうはいかない。私が不破さんに片思いなんてしたら、森盛くんを思い出す。ああなってた。あれは私がなりうる未来の一つだったのかもしれない。
「全く、不破さんとの距離感がよくわからなくなるよ」
「満更でもなさそうですね」
八科さんが妙に鋭いことを言う。それはその通り、まんざらでもないです。
「まあ、不破さん可愛いし。……だ、だって、不破さん可愛いし!」
自分でもわけのわからない逆ギレをしていた。言い訳をしている相手が八科さんじゃなく自分にだということにも気付いている。
八科さんには何度か話したけど、私は友達としての距離感を大事にしたいと思っているし、それは八科さんにだけは言っている。
なのに、今日は八科さんの前で不破さん相手にデレデレしっぱなしだったような……そんなことないと思うけど。あれ、やっぱり八科さんに言い訳してた?
「……不破さん、距離近づいてるよね。でも思ったほど変わらなくて、安心してる。恋愛ってもっと、ギスギスしてドロドロしてると思ってたからさ」
八科さんは聞き上手、だと思う。ただ彼女は自分の意志をほとんど伝えないし、相槌も最低限しか打たない。そこには壁のように鎮座する人がいるだけで、無遠慮に話していいわけではないのだけど。
「……八科さんは、どう? どうしたい、とかってある? たぶんさ、私は今のままでいたいって思ってて、不破さんはもっと近づきたい、って思ったわけじゃん。八科さんはそういう願望ってあるの?」
前もこういうことを八科さんに聞いたことがある。
その時の八科さんの答えは。
「どう答えてほしいのですか?」
「八科さんの、本音を聞きたいの」
――完全に不破さんに流された。こんなこと私が言うことじゃない。私の台詞じゃないのに。
長い
私はたくさんのことを隠してきたけど、隠されるのは好きじゃないらしい。
……本当は隠されるのも全然平気だった。適切な距離感のためなら隠し事なんて気にしなかった。なのに八科さんは秘密がたくさんあって、何も喋ってくれないから、どんどん知りたくなった。
教えてほしい、そう思ったから。
「……いいのですか?」
再度の確認は妙に弱気な声のようだった。それは私の怯えを反映しているようで、まるで八科さん自身が恐れているようでもあった。
電車が進む。八科さんが降りる駅、もうすぐなんだけど。
「……ね、どうなの?」
急がないと八科さんが帰ってしまう。けど彼女は私の目を見るだけで、まだ口を開こうとしない。
忍耐強く待っているけど、電車は無情にも八科さんの降りる駅に止まった。
「八科さん」
「……そんなこと、突然言われても、困ります」
八科さんはこちらを見ずにそう言うと、そのまま電車を降りて行った。
答えは出なかった。けど明らかに今までと違う反応だった。
いつもスパスパ答えられる八科さんが、困って答えられなかったのだ。
自分の気持ちに都合がつかない、自分の気持ちが分からない、そんな八科さんのSOSのようなものを感じ取れる気がした。
――私が適切な距離感とか言ってるから八科さんが困ってるだけなんだろうけど。
八科さんが不破さんくらいに私のことが好きかどうかは知らないけど、もっと仲良くなりたいと思っているのは間違いないのだ。だって、彼女は隠し事ができないから。私のことを好きなんだと如実に示しているのだから。
けど私が友達という距離感を大切にしているから、私を困らせまいと黙っているんだろう。
なんて、なんて不器用な子なんだろう。自分の気持ちも言うことができないなんて。
何でもできるクールビューティ、そんな印象があった八科さんの、あまりにも哀れな姿に、無表情の背中から感じられる哀愁に、切なさに、胸が撃たれるようだった。
……ただ今は月曜日のテストのことを考えないといけない。今度八科さんに埋め合わせしよう……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます