第13話 殷賑の仮面・断片
ついに夏休みが始まった。
そしてまず行われることは……不破さんちで宿題!
「つまんない」
不破家で勉強すること、十分か、十五分くらい経った頃だろう。私は呟いた。
「樋水、だからお前は馬鹿なんだって」
「お、やんのか不破。スマブラで勝負しよ」
「もう一度言うけど、だからお前は馬鹿なんだって」
真顔で不破さんが言い切った。いや、私も悪いふざけ方をしたと思うけど、それにしても冷たくない?
「でも、三人集まって宿題を黙々とするだけって……寂しくない?」
「そういう目的で集まったんだから良いじゃん。私だって、普段なら深夜に一人で黙々と、パパっと済ませるのに、わざわざ夜寝たり寝なかったりして一緒に宿題するための体作りしたんだから」
「ま、マジ?」
「大マジ。中学の時はしたことなかったし、もっとありがたがってよね。この私が他人のために睡眠時間を調整するなんて……」
「ありがとう、ありがとう不破さんー!」
あまりの感激に思わず抱きしめる! が、チョップで退散させられた。学校にすら生活リズムを合わせない不破さんがわざわざ私達のために寝てくれた。それは凄く、感動的なことだと思ったんだけど。
「その感動、宿題に割り当てて」
「……でもせっかく不破さんが起きているっていうんなら、なおさら遊んでおかないと」
「こらこら」
どうして、こう授業中に平気で寝て遅刻したりサボったりするくせに真面目なんだろう。家で勉強しているから学校で勉強しなくていいのかもしれないけど、それにしたって違和感がある。
最近は学校よりも塾とか家庭教師の方が進んだ勉強するっていうけど、不破さんもそういうタイプなのかもしれない。それでも、私達と一緒に宿題してくれるわけだけど。
「もしかして不破さんってめっちゃ私達のこと好き?」
「さあね。樋水が私のこと好きなくらいには好きかな」
「えっ、相思相愛じゃん……」
「なはは。じゃ、宿題しようか」
他愛もなく笑いながら、取り立てて本気にせず。完全に勉強モードに入ってるらしくて、言葉のほとんどをあしらわれてる。
やっぱり態度が冷たいよね。会話をする気がないって突き付けられてる感じ。
でもこれ以上は押し問答だ、仕方ないから私も勉学に勤しむ。
カリカリカリ、別の部屋から持ってきた小さな机に、三人が問題集を広げて集中。
華がない、華の高校生の夏休みの初めてのイベントがこれかぁ。
こんなことなら勉強会は後回しにすればよかった。先に宿題を終わらせて後のイベント全部を気分よく楽しめるようにしよう、なんて思わなければよかった。
いやいや、この苦労が残り一ヵ月超のイベントを健やかに楽しむための布石なんだ。
カリカリカリ。耐えられない。
「ちょ、ちょっと休憩」
「三十分も経ってない。そんなんで授業受けられてるの?」
私の後ろの席にいるくせに私の授業の様子を聞くとは、図太い。
「この際だからはっきり言うけど、不破さんほどじゃないにしても私も寝るよ」
「
「無理だって。疲れるし」
不破さんは、じとっと睨むように私を見て、小さく溜息を吐いた。そして、問題集に向き合う。
なんか、壁作られた。お前も集中しろよ、っていう無言の圧が強くのしかかってくる。
仕方ないし、私も頑張って不破さんに褒められることを目標としよう……。
―――――
「まず終わりました」
「はやっ!」
八科さんが一つ目の問題集を終わらせた。まだ始めて一時間経ったか経ってないか……くらいだけど、嘘……。
「では次に国語科目を」
古文漢文と現代文の問題集をまとめて手に取った八科さんは、終わったことを誇ることもなく、弱音の一つもなくさっさと一ページ目へと取り組んでいく。
流石に不破さんと目を合わせた。不破さんは力なく笑ってて、やっぱり八科さんは凄いなぁってなった。
真面目に頑張る不破さんでもそう思うくらいなんだから、やっぱり底抜けに凄いよね。
――――――――
「んええ終わった」
「私も終わりました」
「は!?」
あれからさらに一時間くらい。不破さんがやっとの思いで、みんな同時に始めた数学の問題集を終わらせたところで、不破さんは現代文の問題集を閉じた。いや、薄っぺらい古文と漢文の問題集を早々と閉じたのは見てたけど、まさか現代文も終わらせるとは。
私はと言うと、まだ数学の問題集が半分ちょっと……残ってる。
勉強、一人じゃ向き合ってらんないし疲れるからって一緒にすることにしたけど、逆効果が出始めた。
「心折れそう……」
「樋水、私も私も」
「うるさーい! 不破さんもそっち側だよ!」
「いやもう休憩するって。私はそう言おうとしたんだけどさ」
八科さんは英語の文法と英文問題の問題集を手に取って、こっちを見て固まっていた。
「休憩しますか?」
「……いや、自由行動で」
「そうですか」
そして八科さんは文法問題集を開いた。ひええ……。
―――――――
黙々と八科さんは問題を解いていく。私と不破さんはその様子を覗き見つつ、問題集も覗く。
速い。私には意味が分からなくていちいち調べなきゃならない単語も、八科さんにはわかってるんだ。
まったくわからない問題は残して、あとで二人に聞こうとしてたのに、彼女らにはそれすらないのか。それでこの速度の差。地力が違うとしか思えない。
「自信失くす……っていうか……」
「いやいや、八科と比べるのが間違ってるって。鉄仮面の鉄人なんだから」
「でも同じ年の同じ女子高生だよ? これが悲しくならずに済みますかって」
なんてぐちゃぐちゃ喋ってるけど、八科さんの目には問題しか映っていない。話に入ってこないし、こちらを少しも見ない。
サイボーグ、という言葉が出てきてしまう。いつも八科さんは人間離れした能力を見せる、だから私は不安になる。
手を伸ばして八科さんの白い頬を撫でた。暖かな血の通った人肌は、むしろ私の手先なんかよりずっと熱くて、生きている。
そのまま撫でるように手を動かして、顎から首に、と手を伸ばす。ぴく、ぴく、と頸動脈の揺らす喉が、突然震えた。
「問題が見えないのですが」
「あ、ご、ごめん」
私の腕が邪魔だそうだ。……でも、じゃあ触るのは嫌じゃないのかな。
せっかくだから頭をなでなで触ってみた。大きな大人が子供をあやすように、なでこなでこと撫でまわす。
案の定、八科さんは反応しない。いいのかな。
「うへへ」
不破さんが下卑た笑い声を上げながら八科さんのほっぺをむにっとつまんだ。
瞬間、八科さんの手が不破さんの腕を捉え強く握った。まるで狩りをするワニのような瞬発力に我々は息を呑んだ。
「ギャアアアアッ! いて、いてぇ! いてぇ!」
「不破! 不破ァァァ!」
「やめてください」
不破さん……これではもうペンを握ることはできないだろう……あとでスマブラしよ?
さて、私も噛みつかれては困るので頭から手を放す。と、八科さんの目は今度こちらへと向いた。
「別にそちらは…………、いえ、何も」
別にそちらは、と言われると、やめなくてもいい、ってことだと思うけど。
何か聞こうかと思ったけど、既に八科さんの目は問題集に向き合っていて、私の視線なんて気付かないくらいに集中してるみたいだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
勉強会を正午から始めてかれこれ七時間。
早々に終わった八科さん、それに続いて腕のハンデがありながらも頑張った不破さんに続き、ついに!
ついに私も問題集は全て終わった!
「ありがとう、ありがとう二人とも……」
というか主に二人が色々教えて手伝ってくれたおかげでもある。高校になってレベルの上がった夏期課題は、たぶん中学と同じ感覚でやってたら地獄を見ただろう。というか二学期に全然宿題提出できなくて成績がヤバくなってただろう。
「今回まとめた『解けなかった問題集』、また夏休みに復習しましょう」
八科さんの言うそれは、私ができなかった問題を八科さんがまとめてくれたものである。できないことを教えたままにせず、繰り返し勉強させる気でいるのだ。
なんてお節介な……と思うけど、素直に感謝したほうが良いのかもしれない。意外と八科さんの面倒見の良さも知れたし、今回は手打ちだ。
途中でお菓子を買いに行ってくれた不破さんや夢生ちゃんにも、今日だけは頭が上がらない。
「時間も遅くなってきたしそろそろ……」
「あ、待ってください」
部屋の外から夢生ちゃんが入ってきて、ちょっと恥ずかしそうに言う。
「晩御飯食べていかないかって、お父さんが。その、お姉のことは家族ともども感謝してるので」
「ええー、いいよいいよそんなの。恥ずかしいし」
不破さんはそんなことを言ってた。
「じゃあ帰ろうか」
今日は随分と長居したもので、学校があるたび毎日毎日来てる不破さんの家にも迷惑だろう。また今度来ることにもなるし、今日は早いとこお暇しよう。
「そう仰らずに、八科さんだけでもどうぞ」
「夢生ちゃんそれが本音でしょ~。まあ、でも、八科さんだけでも良いんじゃない? 私は……家で食べるものあるから」
荷物をまとめて、みんなを残して急いで不破家から出た。
夏の午後七時はまだ明るくて、夕焼けと藍色の空が交わって幻想的な夕の美しさを醸し出している。
ちょっとだけ早歩きして、離れるとやっと落ち着いた。ざわざわと胸に渦巻く気持ちの悪い不安のようなものが少し取り払われた気がする。
そんなところで、後ろに八科さんがいることに気付いた。
「……あれ、八科さん。夕食ごちそうにならないの?」
「樋水さんこそ、こちらでも家でも食べるかと思いましたが」
「私大食いってわけじゃないからね? 間食が多いだけで一般的な女子高生だから」
「そうですか」
夢生ちゃんに熱烈に引き留められただろうに、八科さんもしっかり荷物を持って帰るらしい。
「それとも、私のことが大好きだからこっち来ちゃった?」
「さて、どう答えてほしいですか?」
「それ一番萎えるって。自分で考えて答えてよ。もー」
なけなしの笑顔を作ってみるけれど、うまく笑えている自信がない。
隣を歩く八科さんの顔を見る、夕陽に照る表情は変わらず無表情の鉄仮面で、こういう時にこの無機質な目がどうにも苦手で、嫌いになる。
何もかも見透かしているような、目。
何もかもを知っているかのような態度。
「八科さん、私に何か聞きたいこと、ある?」
「特には」
私は何を言おうとしたのか、何が言いたかったのか、少しだけ思い浮かべた。そんなのありえない可能性だし、全部秘密のままだけど。
何かを期待していたのか、何かをしてほしかったのか――。そんな欲望、きっと私にはない。
「八科さん、じゃ、今日だけ、別々に帰ろ? 一人になりたい気分だから、私が後の電車に乗るよ」
「そうですか」
こういう時の八科さんは本当に楽だ。歩幅も合わせることなく彼女は先へと早歩きしてくれる。
私は八科さんへの興味は尽きない。でも八科さんは違う、彼女は私や不破さんについて興味がないように見える。
それは時にとても寂しくて、時として実にありがたい。
やっぱり八科さんは理想の契約者だ。一緒にいて楽しいし、楽だから。
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