第9話 自明ではない事実の認識

 八科さんと不破さんとの三人で映画に行くことになった。

 二人と出会ってからもう結構経つけど、夏休みも控えてることだし、こういう外出も段階を踏んでグレードアップしていかないと。

 今までは不破さんの家でだらだら遊ぶことが多かったしそれも楽しいけど、外出とかだと八科さんがあんまり楽しそうじゃないから誘うの躊躇ってたんだよね。

 でも、これからはむしろ積極的に八科さんを誘って色んな経験をさせる。それで八科さんの心を動かす。

 八科さんが映画を見てどういう反応をするか、今からでも楽しみだ。


―――――――――――――――


 不破さんと待ち合わせするのは色々不安だったから、まず学校の最寄り駅で八科さんと落ち合って、二人で不破さんの家に集合してから映画館に向かうことにしたのだが。

 駅で、私は初めて八科さんの私服を見たのだ。

「……八科……さん……?」

「おはようございます。では行きましょうか」

「待って」

 上下! 赤の! ジャージ!

 こんな体育の時間でしか着そうにない、男子がだるいって言って着替えずそのまま来て帰ったりするラフさとゆるさしかない恰好を、今八科さんがしている。

「嘘でしょ……そんなサプライズもういらないよ……」

「なんでしょう」

「ファッションセンス、疑っていい?」

「お好きにどうぞ」

「やだやだやだ! もっと外見に気を使ってよ! なんでそんな恰好で電車に乗れるの!?」

「誰も止めませんでしたが」

「今ほど八科さんと友達辞めたいって思ったことない」

「そうですか。どうします?」

「よし覚悟決めた。不破さんちに行こう」

「はい」

 音速で覚悟完了した。

 ああだ、こうだ、ぐだぐだ言っても仕方ないし、八科さんに感情で訴えても理論で語り合っても敵わない。

 八科さん、教室じゃあんなにミステリアスな美人なのに、こうしてジャージ姿で一緒に歩いているとなんか物凄くどうしようもなくダメなやつに見えるよ……! 運動が得意だからジャージなのかな。好きなのかな、ジャージ。映画もジャージで見るのかな。

 別のことを考えて気を紛らわせたいけれど、それもできない。ただ、今の八科さんと仲睦まじく話すのも異様に気が引けたので、無言で不破さんの家までただ歩いた。

 私服で不破さんの家に来るのも初めてか。不破さんもこれを見たらきっと驚いて目が覚めるだろう。

 そういえば休日だけど不破さんの親はご在宅なのか、そんな不安もそこそこにチャイムを鳴らしたが、出てきたのは夢生ちゃんだったので一安心。

「……お、おはようございます」

 キャミソールみたいなパジャマ姿で出てきた眠そうな夢生ちゃん(ちょっと珍しい)は、こすっていた目もすっかり醒めたようだ、八科さんを見たから。

「不破さんいる?」

「はい、姉なら寝ていますが。……あの、八科先輩はその姿で?」

「なにか」

 堂に入った八科さんの姿、無表情に恥じらいも躊躇いも一切なく、ここまで威風堂々としてたら逆に何も言えなくなるというもの。映画館とか行く頃には部活帰りとかそういう雰囲気になっているかもしれない。

「……とりあえず、お姉起こしてきますね」

「あ、手伝う手伝う。ね、八科さん」

「そうですね」

 夢生ちゃんの静止も聞かずに家宅侵入。もはや不破家に拒否権などないのだよ。ふふふ。

 ずかずかと家に踏み入ってそのまま不破さんの部屋に行くと、健やかに眠る『あおふわさん』がいた。

「……ほら、どう? 仰向けで寝てる不破さん」

「どう、と言われても。仰向けで寝ていますね」

 やっぱり八科さんには感情がないのか。八科さんがいなかったらたぶん一人じゃ不破さんを起こせない、ってくらいにはドキドキしてるのに。

 でも今日は八科さんがいるので遠慮しない。三人でいると、私もそういう遠慮しないで済む。

「ほらほら不破さん起きて起きてキスしちゃうよブッチュ~」

 脅しかけると、のそっ、と不破さんは寝返りを打って離れたけど、まだ起きそうにない。

「八科さん、ものっ凄いディープキスしてやってよ」

「嫌です」

「まそりゃそうか。じゃ代わりに夢生ちゃんをぎゅってしてやって」

「……、それは、構いませんが」

 後から部屋にやってきた夢生ちゃんに突如抱き着く八科さん。夢生ちゃんの慌てぶりが一時間くらい見てても飽きないだろうけど、今は不破さんを起こす時だ。あとで抱き着かれた感想を聞こう。

 不破さんを完全に起こせたことはない。いつも朝、強引に着替えさせて運んでいるのだから。両親共働きらしいから夢生ちゃんが一人で世話してたのを、私達三人になったからとても助かってるらしいけど。

「地震だぞー!」

 ベッドを揺らそうとしたけど、重くて動かない。声だけ空回りしてちょっと恥ずかしい。不破さんはむーんと唸ってる。

 そっと、鼻をつまんでみようとする。静かに寝息を立てる不破さんの、湿った息が指に触れて、手は止まった。

 顔は触れたもんじゃない。美術館にある展示物を一度遠慮せず思い切り叩いてみるとか、そういう背徳的な禁忌の類であった。想像するだけでほくそ笑むような邪悪な行いを実現する度胸が私にはなかった。

 やっぱり、いつもみたいに夢生ちゃんに強引に脱がしていってもらおうか、と思ってちらと覗き見ると、八科さんの背中側は皺になるくらい強く抱きしめられていた。邪魔してはいけない二人の世界が完成していて、うわぁと声を漏らして目を反らした。夢生ちゃんって案外情熱的なんだ……。

 じゃあちょっと強引に不破さんを起こすか。

「不破さん起ーきーて!」

 羽交い絞めするみたいに脇を開かせようと手を突っ込む。このままちょっとくすぐってやろう。

 もそもそ、とうごめく不破さんの抵抗は抵抗になってない。そのままくすぐられて起きれば……。

「んんっ……ふぅん、んふっ、あぁん♡」

「ヒエッ……」

 その後、突然全速力で走り出した私を八科さんが追いかけてきて捕まえるまで五分ほどの時間を要した。「何があったのですか?」と尋ねる八科さんに私は「悪いことは何もしてません」などと意味不明の供述を繰り返したという。

 

―――――――――――――――――――


「はっきり言って樋水も私服、ダサいよ」 

「は?」

「あ?」

「一生寝かすぞ不破」

「ポケットのお菓子食い尽くすぞ樋水」

 不毛な言い争いをしながら映画感に向かっている。起きたらこうだよ、不破さんは本当に……はぁ。寝てる不破さんのことも今は思い出したくない。初めてエロ本見た小学生男子とかああいう反応しちゃうのかもしれない。エロいより先に怖いって感じたよ。

「いや、無地のシャツ着てる人とか初めて見たもん。そんな外出しないけど」

「いや不破さんがオシャレすぎるだけだって。眠り姫とか言われて姫っぽい格好目指してんじゃないの?」

「ゴスロリとかそういう痛いのもしてないでしょ? いや本当に、初めて運ばれながら下校した時くらい恥ずかしいんだけど、二人と歩くの」

「そこまで?」

「慣れたから、まあいいけどさ」

 恥ずかしいのは恥ずかしいらしい。珍しく自分の足でしっかり歩いているのはそういうわけなのかな。

 私の恰好も恥ずかしいのか……。無地は無地だけど、ジャージと同レベルだと思いたくない。でもうーん、いや、今はいいや。気にしないでおこう。私もこういう時にこそ八科さんを見習って鉄仮面になろう。 

「では、映画を見に行きましょうか」

「八科さんの真似ですか? 似てませんね」

 私がものまねすると不破さんも合わせてくる。最近よくある光景だけど八科さんはそういう時は決まって一歩引く。一体どういう心境なのかは、少し気になる。

 まあ、それも今は気にしない。今日の目的は……これだ!


『明日、君が隣にいたら

 STORY 主人公・真広美樹(役・紗川奏出)は大学生活で堂島健太(役・小早川實)と恋人関係になる。しかし健太は実は不治の病で余命は僅か半年。一瞬一瞬を共に生きる二人の前に訪れる数々の苦難。ここにあるのは真実の愛の物語』


 今をときめいてるらしい小早川實とかいう俳優が主演っていうのもあって結構な女性人気だとか。

 正直、私はつま先からてっぺんまで興味がないけど、意外と八科さんにこういうのが刺さるのかもしれない。ストレートなお涙頂戴っぽいストーリーなのも試金石にはベストな一作。

「樋水ってそういうセンスなんだ」

「いや。八科さんがどういうリアクションとるか気になって」

 チケット交換をスムーズに済ませて、コーラとポップコーンとポテトも購入。んで予定通り席に着く。八科さんの反応のために来たわけだから、彼女を真ん中にして、その左に私、右に不破さん。

「どんだけ食うつもりなの?」

「だって映画の途中でなくなったら困るし」

「映画終わっても残ってる方が普通困るんじゃない?」

 ちょっと心配そうな不破さん、すごく真っ当なことを言っている。でも私はこの三人で一番の常識人が実は不破さんだった、なんてことになったら正気を保ってられないので強く出る。

「そんなこと言って、不破さん映画見ずに寝たりするんでしょ?」

「私も面白かったら見ると思うけど。でもこれはちょっと趣味じゃないかな……」

 言葉を濁す不破さん、くだらないと一蹴しないだけ結構優しいとこがあると思った。私は下らないと思うよ!

「始まりますよ」

 八科さんの言葉が皮切りになるかのように、館内の照明が落ちた。

 ――案の定、下らない映画だった。

 私が病気になったことがないから? 本気で恋愛したことがないから? 私に学がないから? 自分でも、結構ひねくれてるっていう自覚はある。でもこういうのは、安易に動物を使ったり、友情とか絆っていう言葉を使うお涙頂戴コンテンツでしかない。流行りであって名優というわけでもなければ、原作人気にあやかっただけの話題の作品。

 っていうか、そこそこ混んでるのに泣いたっていうよりも小早川君かっこよかった~、なんて声の方が聞こえるくらいだし……、私の感性がおかしいってわけじゃなさそうだ。

「八科さん、どうだった?」

「はぁ。良かったんじゃないでしょうか」

「えっ! 八科さん気を遣ってくれた!? それだけでも見に来た甲斐があるね……」

 今の『はぁ』は特に言うことないけどとりあえずなんか言っとけ、みたいな『はぁ』だと思う。感想はないに等しいっぽい。

「不破さんはどうだった?」

「ふぇ!? え、良かったね、ラストの方とか特に!」

「寝てたでしょ」

「……」

 無難そうな言葉を言っておけばいいと思ってるかもしれないけど、こっちはもう授業より聞き慣れた不破さんの寝息が聞こえてきてるんだから。

 と、『きみとな』は散々な結果に終わったけれど、私の計画はまだ終わっていない。

「で、二人には言ってなかったけど、実は今日、もう一本映画を見ます」

「そうですか」

「時間あるかって聞いてたの、そういうわけか」

 八科さんのみならず不破さんまで想定内、って反応でちょっと張り合いに欠けるけど、それは私も予想通り。

 けど次は予想できまい。私たちが見る映画は……これだ!


『フィアー・デビル

 サウスダコタの小さな村に済むウィル少年が倉庫で見つけた本には恐怖を食う悪魔フィアー・デビルが封印されていた。親を殺されてしまったウィル少年は兄のマイケル、そして村の自警団達と共にフィアー・デビルに立ち向かうことにするが……』


 動画サイトで見たちょっと怖かった予告映像の、話題のホラー映画。

 あんまりこういうのは見ない(というか、外国のホラー映画を見る機会がない)けど、怖いやつって結構みんなリアクションはするから八科さんがどうにかなる可能性も高そう。

「んえホラー。音デカいから寝にくいんだけど」

「見たらいいじゃん」

「見るのはもっと苦手なんだって!」

 不破さんが予想に反して猛反発してきた。ホラー苦手なんだ、弱点発見、とほくそ笑むけど、ここで不破さんだけ見ないっていうのも寂しい。

「お願い! 後生後生! 三人なら平気だって、八科さんピクリともビビらないかもしれないし」

「いやでも……うーん、でも八科さんがビビるところとかは見たい……」

 怖いもの見たさ、とは言わないけど不破さんとの感情が一致した。

 ちょっと怖い目に遭ってでも八科さんが感情を露わにしているところが見たいのだ。

「虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。やむをえない」

「ん……コケツ?」

「危険を冒さねば大きな報酬は得られないという故事成語です」

「えぇ~樋水そんなのも分からないの~?」

「ふ、二人が賢いからじゃん! 普通は分からないってそんなの!」

「お言葉ですが、高校入試でこういうことわざや故事成語の勉強は……」

「う、うるさいうるさい!」

 馬鹿にして笑う不破さんはともかく、まさか八科さんまで食い下がるなんて……。どうせ受験勉強を適当にしかしなかったオチコボレですよーだ!

 ポップコーンとポテトを豪快にかっ込んで、再び買いに行く。よく食べるなぁ、なんて不破さんが欠伸交じりに笑ってるのを尻目に、私はさっきと同じ量の食べ物を買い込んだ。

 ことわざ分からないくらいで馬鹿にされるのは辛いけど、八科さん、ビビって声の一つでも上げたら死ぬまでイジってやる……。


―――――――――――――――――――――――


 小さなどよめき、小さなうめき声、小さな悲鳴。

 そして小さな声二つ。

「むりむりむりむり、出よう、出よう八科さん」

「八科ぁ、私も無理、でよ、ね、でよ?」

「……はぁ」

 両方から引っ張られた八科さんは変わらず無表情で無感情そうだった。どうしてそこまで平気でいられるのか私には全然分からない。今の無表情は、私達に心底呆れている風にも見えるけど。

「まだ始まってニ十分ですが」

「むり、もうむりだから。むりなの」

「八科、八科、八科」

「わかりました」

 八科さんがすっくと立ちあがるのに、私達もついて行った。

 映画館を出て、一気に明るい開けた場所に出ると、やっと安心して一息つけた。

「はぁ、生きた心地がしなかったね」

「うぅ……」

 不破さん、少し泣いてる。本当に苦手なんだ……、ちょっと悪いことしちゃったかもしれない。

「目を閉じて我慢することもできないみたいですね」

 八科さん、ジャージ姿も相まってなんか何でも倒せそうなくらいの強さがある。ホラーに強いって、すごい。

「ほら不破さん、元気出して」

 ポップコーンを差し出すと、ちょっと睨まれた。そんなに怒らなくても……。拒否されたポップコーンは八科さんにあげると、彼女はパクパク食べた。かわいいねぇ。

「八科は怖いものないの?」

 不破さんが涙交りに聞いた。ドストレートな質問すぎる。八科さんにそんなすぐわかる弱点があるものか、と思うけど。

 思ってた、けど。

「二人がいなくなること、ですかね」

 最初に言葉の意味を理解しようとして。

 額面通りに受け取ったら、やっぱり驚いて、意味を再認識して。

 何か言おうとして口を開けたけど、何も出てこなくて。

 間抜けにぽっかり口を開けてた。

 不破さんも、そんな感じにしてた。

「なにか」

「なにか……って……」

 言われても。

 それでも、もうしばらく、八科さんへ向ける言葉が出てこなかった。

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