第8話 全てを捧げる覚悟を
一限終わってすぐ、不破さんはどうせ寝てるわけだから八科さんに早速声をかけた。
「八科さんちょっと見てほしいものがあるんだけどこれこれこれ」
「なんですか?」
八科さんに見せるスマホの画面にはムービーモードの動画。そこに映ってるのはベッドに横たわる可憐な可憐な眠り姫。
「これ不破さんなんだよ。信じられる?」
「……はぁ。不破未代本人に見受けられますが」
「ええーっ絶対嘘でしょ!?」
「不破さんのように見えますが」
予想してたのと違う。八科さんが驚いたフリした時のように「……これが、不破さん? 信じられない……」ってなると思ってたのに。
「超かわいくない? 普段の不破さんの百倍可愛くない?」
「普段と変わらないのでは」
「なんで! 目が腐ってんの!? 普段の不破さんは机にうつ伏せになって寝てるじゃん! 『うつふわ』さんでしょ? これは仰向けになってる『あおふわ』さんなの。あおふわさんの可愛さはうつふわさんの三十倍になるじゃん!」
「……そうですか」
今、ちょっと間があった。そしてこの間は結構私には痛い間だった。
私が変なことを言っている自覚もあるけど、でも八科さんが理解できない方がおかしいのだ。動画ならあおふわさんの普段との違いが充分伝わると思ったのに。
「いやあおふわさんも良いんだけどさ、家で機嫌良い時の寝起き不破さんが一番凄いんだよ」
「そうなんですか」
「今度一緒に不破さんち行って不破さん寝かせて起きるの待とっか。たぶん八科さんも感情得るよ。これが……恋……? みたいな」
「はぁ」
要領を得ませんね(キリッ)って言いそうなダルさで八科さんは呆れている、気がする。無表情だからまあ分からないんだけど、八科さんの感情を勝手にあれこれ感じられる気がしてきた。
まあ八科さん、表情は変わらないけど声音はちょいちょい、僅かに変わってる気がするから。同じ「はぁ」でもニュアンスがあるみたいに。
「家寝起き不破さんは本当に凄かった。あれは私も堕ちたね、恋に。ウェイクアップ不破さんにフォーリンラブ私みたいな。もうほんと夢生ちゃんがいなかったらキスくらいしてたかも」
「それほどですか」
「うん。じゃ今日不破さんち行こっか。二人で不破さんにキスしよう」
「……。まあ、いいでしょう」
流石の八科さんも少し考えたみたいだけど、基本的に断らない八科さん、これも受け入れた。今日はただれた夜になる……夢生ちゃんも誘ったら喜ぶのかな。八科さんのキスなんて見たら卒倒しそう。
「ツッコミ不在の恐怖!」
「わっビックリした。不破さん起きてたんだ」
ガバッと机から起き上がった不破さんはそんな変な叫びとともに起床、机に当たって赤くなった顔を妙にいかつくしていた。
「起きてるっていうか、私がいないと思って好き勝手色々言って! 馬鹿か! 馬鹿じゃねーの!? 八科さんも許可するなってなんだよお前らその……」
……途端に口籠る不破さん。これはこれは、顔が赤いのは机にくっついてたからだけじゃないらしい。
「起き照れ不破さんも可愛いじゃん」
「おき……! 樋水ぅ!」
「可愛いから……キスしてやろうか?」
更なる挑発をしたらもう問答無用で頭をしばかれた。恵まれた身長から振り下ろされる一撃に、私は頭を抑えて呻き悶絶するしかない。
「お、お、お、不破チョップ……」
「今日一人で帰るから家来るなよ!」
その意志は長く続かなさそうだけど。でもかなり怒らせてしまったらしく、不破さんは寝るのも楽しくなさそうな雰囲気で
「……不破さんって
「そうみたいですね」
そっと八科さんに耳打ちしたのは、本人には聞こえていない。
―――――――――――――――――――――――
それはそれとして。
「じゃあ今日から私は『八科表情変化計画』を発動するから」
「なんですか、それ」
「八科さんの表情を変えるためにあの手この手を尽くすという、夢生ちゃんと不破さんの三人で考えた計画」
にこりともぴくりともしないのはいつも通りだけど、せめて返事くらいはしてほしかった。
ま、それくらいでしょげてたら八科さんと付き合っていけないから、気にせず予定通り考えていくけど。
まず最近の楽しいニュース。
「八科さん、なんか楽しかったことある?」
「……どうでしょう」
考えてもらっただけよしとするか! 私も全然思いつかないし八科さんの私生活で楽しいことなんて想像もできないからこれは別にいい。まあ、八科さんの私生活なんて知らないけど。
悲しいニュース。
「……不破さんに叩かれた頭がまだ痛い」
「そうですか」
なでなで、髪の流れに沿うように八科さんは私の頭を優しく撫でてくれた。やっぱり感情はありそうだ。というか、既に意外な行動で結構ドキッときた。驚いたけど、ただ、八科さんの表情は相変わらず。
悲しいこと、なんて考えてみたけど、これも突然八科さんがさめざめ泣き出すなんて想像もできないからあんまりあてにならない。
ただそうなると、怒るというのも……。
「八科さん」
「はい」
「手が滑ったーっ!」
制服のスカートに手を差し込み、思い切りめくり上げようと……
した瞬間、私の手は万力に締め付けられるような物凄い力で掴まれていた。
「滑らずに済んでよかったですね」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
スカートの下に潜り込ませた手はありえない反射神経でその場で強く強く止められた。
解放された私の腕にはくっきりと八科さんの手形がついていた。鉄人八科が本気を出せば私の腕くらいへし折れるんじゃないだろうか。真剣にそう思う。
八科さんならスカートめくりくらい許容すると思ってたけど、鉄のスカートらしい。恥じらうか怒るか、くらいは思ってたけどまさか常人離れした反射神経で行為自体を止めるとは……。
「八科さん、スカートめくっていーい?」
「ダメです」
許容もされなかった。涙目で傷物にされた腕をさすりながらならあるいはと思ったけど。
でも、普段なんでもOKな八科さんが拒否したということは、これは鍵だ。八科さんの鉄仮面を外す一つの鍵。
なんて低俗な鍵だ……もうちょっとなんか、他の手段。
でもキスとか割としそう。さっき悩んでするって言ってたし。もっと高尚なやつで行こう。
「今度映画見に行かない?」
「……構いませんが、見るものは決まっていますか?」
「決まっていません。やってる中で一番泣けそうなものを見ます」
八科さんの真似して答えてみた。アクション映画で白熱する八科さんに、恋愛映画でハンカチで涙をふく八科さん……イメージできないけど、感情に直で訴えるのはまだ試みていない手段だ。
ただ、こうなると私生活をいくらか犠牲にしていかなければならない。それが煩わしいか、煩わしくないかってことをよく考えてたのに、今じゃそれくらいして八科さんの鉄仮面を剥がしてやろうと息巻いている私がいる。
これは――楽しい。今までで一番、やりがいを感じている。
……とは言っても、八科さんはせいぜい人間で、それはひどく曖昧で脆弱な生き物なので、ものの数週間であっさり普通の人間だってわかってしまうかもしれない。
絶対に外れないような仮面だからこそ、そう思えている今だからこそあるこの高揚感が、いつまでも続きますように。
―――――――――――――――――――――――――――
「結局寝てるし」
不破さん、朝は怒って一人で帰ると豪語してたのに、今日に限って眠りは深そうだ。
どうしようか、と八科さんの方を見ると、彼女もこっちを見ていた。
「持って帰るか、放っておくか。……それとも、キスでもする?」
へへ、と冗談めかして笑っているうちに、八科さんの暖かみが頬に触れた。
ちゅ、果物の弾けるような音だった。
自分の心臓の音が聞こえた瞬間、それが爆音で鳴り響いていることに気付いた。
「あっあ!? え、なんで!?」
「……、私ではないのですね。失礼」
なんてことないように、八科さんは普段通りに。
私が八科さんを驚かせたいのに、私が八科さんに驚かされてばかりだ。
「いきなりキスするとかってセクハラだからね! つまり私がセクハラしても文句言わないでね!」
「矛盾していますよ」
「矛盾してない! 触るよ」
「構いませんが」
「えっ、いいの」
八科さんは答えない。ちょっと肩触ってみて、すすす、と腕の方にずらしていって、まだ答えない。
「……」
思い切り大胆に触ってみようかと思うけれど、そうなると私が普通でいられる自信がなかった。なんか、そんなに躊躇うほどのことじゃないと思うのに、なにか警鐘のようなものが鳴り響く。
「……じゃあ、触るね」
「どうぞ」
制服越しに、膨らんだ胸を押すと、柔らかく形を変えた。暖かい感触が手に伝わってくる。
八科さんの表情は変わらないが、私の方が限界だった。
「……なんで触るのはいいの? スカートはめくっちゃダメなのに」
「気分です」
「気分かー……」
八科さんの真意は分からない。気分屋なのかもしれないけど、それも定かじゃない。
でも、八科さんにも触られたい気分というものがあるのかもしれない。だとしたら、それはやっぱりまた一つ八科さんのことを知れた、ということだ。
「……とりあえず、不破さん運ぼっか」
「はい」
今日はそこまでにしておいた。ただ、何もしないのは癪なので不破さんのシャーペンを分解するなどの嫌がらせをしておいた。
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