第7話 忘れ得ぬ豹変への渇望

 駅と真逆の方向に歩き、今日も不破さんを無事家に運び終わって。

「あ、八科さんは先に帰ってて。ちょっと不破さんと話があるから」

「そうですか。珍しいですね」

 なんて言う八科さんは特に疑問も抱かず、すぐに出て行った。こういう時に詮索も勘繰かんぐりもしないのは楽で助かるけど、相変わらず距離感がある気がしてならない。

 正直に言えば、彼女こそ、八科智恵理こと私が求めていた人材なのかもしれない。

 出会ってすぐに親しくなり、きっと嫌になったらすぐに別れることができる契約のような友情関係。

 でも仲良くなるなら、どうせなら本当に楽しいって思えるようになりたいし、そこに際限はない。

 八科さんともっと楽しい関係になりたい、その相談を不破さんにしにきた。

「八科さん、前すごい顔してたじゃん」

「ふぇ? ああ、あの、樋水さんサプライズの時の」

「そうそう」

 鉄仮面の八科さんが私を驚かせるために仕掛けたサプライズ、内容は五分も経たずに考えられるレベルだけど、あの八科さんが演技までしたのだ。その時の表情と言ったら、まさしく石像が動き出した時のような衝撃だった。

 ただ、そういうことができるなら普段からもっと笑ったり驚いたりできるんじゃないか。私はそういう八科さんも見たい。

「八科さんを驚かせたり笑わせたりしたい会議です」

「それ、夢生参加させるから寝てていい?」

 不破さんは全然乗り気じゃなさそうで欠伸をしてる。最近は帰る時に起きてて自分の足で帰ったりもしてるのに、そんなに興味ないのだろうか。

 でも夢生ちゃんは凄く真剣に取り組んでくれそうな気はする。なんてったって大ファンだし。

「夢生ちゃんに参加してもらうし不破さんにも参加してもらうよ」

「未代ちゃん眠いんだけど」

「ほらほらシャキッとしなさいって」

 寝ちゃいそうな不破さんの髪をなでたりほっぺを引っ張ったりしながら廊下で覗いてた夢生ちゃんも誘って、不破さんの部屋に集まった。

 不破さんの部屋、初めて来た時は絨毯とかベッドとか桃色で、柔らかくて女の子らしい部屋だと思ったけど、その実彼女の私物という私物はないらしかった。ゲーム機とか漫画はどれも夢生ちゃんのものらしく、不破さんがこの部屋に住んでいる痕跡は壁際のベッドと勉強机だけであるらしい。

「じゃ、会議はじめ」

 言いながら不破さんはベッドに倒れた。

「ちょっと不破さ~ん」

 声をかけたけど、既に寝息は一定のリズムで、仰向けのまま腕で顔を隠した姿勢で穏やかに眠っているらしい。

 …………。

 普段、机に突っ伏して寝ることの多い不破さんがこうしてベッドで寝ている姿、レアだ。見たことない。

 ちょちょいと腕をのかして寝顔も拝見。生意気盛りな不破さんもこうして黙って目を閉じている姿だと、本当に人形みたいで息を呑むほど可憐だ。

「なにこいつ……」

 思わずスマホの録画モードをつけてしまった。これ八科さんへの第一サプライズになるかも。

「お姉ってぐうたらでとぼけててふざけた奴ですよね。そのくせ勉強できて見た目も良い」

 夢生ちゃんが呆れた風に寝ている姉に文句を言うが、当の不破さんは気分良さそうに寝息を立てて。

「……その、八科先輩とお姉って、普通じゃないですよ。私は昔から慣れてますけど、でも、その」

「なーに?」

「大変じゃないですか? あの、本当に感謝してるんですけど」

 あからさまに口籠る夢生ちゃんの言いたいことは察する。私があの二人を相手にして疲れて面倒臭くなって、みたいなことだろう。

 夢生ちゃんが色々言いたい気持ちは分かる。でも私は苦労を背負いたがる聖人ではないし、まして二人を普通にするために頑張ってるわけじゃない。

「私は面白く楽しくやりたいだけだから気にしなくていいよ」

 寝ている不破さん、目蓋とか引っ張ったら凄いブサイクな顔になるのだろうか。一瞬、手を伸ばして辞めた。汚すにはあまりにも、綺麗だった。

「……じゃあ二人で考えていこうか」


――――――――――――――――――――――――――――――――


 名付けて『八科表情会議』、これが予想以上に難航した。

 何も案が出ない、というわけでなく案が大量に出てきて推敲ができないのだ。

「そもそも私の知る限り、八科先輩に親しい人や友達はいなかったので、プライベートを知ることもなければ喋ったり触れたりすることもできなかったんですから」

 感動する映画、面白い芸人、腹の立つニュースなどいろんな話題を提供することから、猫騙しみたいに驚かすとか思いっきりくすぐってみるとか。

 何をどうやって行けばいいものか、逆に悩ましい。

「お菓子ならよく食べるんだけどね」

「え、それはどういう……」

「私が分けたげると基本的に食べるよ」

「え、え、え、羨ましい……」

「そう。じゃこれ」

 ポケットから飴ちゃんを出すと、それには夢生ちゃんは難色を示した。というか拒否した。

「いやポケットの飴ってちょっとばっちくないですか……? っていうかお菓子食べたいわけじゃないです」

 八科さんにお菓子食べさせたい、っていう欲の方が変だと思うけどなぁ。あとポケットの飴は汚くないです、と言うように私は自分の口へ運んだ。

「あと思い切り顔を引っ張ったりむにむにしたりしたよ。特に表情は変わらなかったけど、なんか雰囲気嫌そうだった」

「えええええ! なんてことを……」

 もはや夢生ちゃんはドン引きしていた。この子も結構面白い。

 くすぐる、というのは実戦した気もするけれど、でもしつこくはしてない。もしかしたら意外な弱点なんかあるかもしれないし今度探してみよう。

 なんて話が進んでいくと、ベッドからのそりと音がした。

 寝返りを打った不破さんが目を開けてこっちを見ていた。

「まだ、してるの?」

 寝起きの不破さんは少し静かで低めの声で、人を馬鹿にして笑ってる時からは想像もできないほど妙に大人びた官能的な魅力があった。

「……なんか超エロいよ不破さん……」

 ちょっと失礼な本音をぶっちゃけたけど、不破さんは特に咎めず、こそばゆそうにくすくす笑って、気取らない柔らかな笑顔を見せた。誰だこの美少女……。

「なあに、それ?」

 あの美少女だ。寝ている不破さんがそのまま動き出したかのような眠り姫がそこにいた。私の知っている不破さんじゃない。誰だこの美少女…。

「お姉、学校嫌いだから家だと落ち着くらしいんですよ」

「そういうレベルじゃなくない? 二重人格って言われたら信じるけど」

 夢生ちゃんにはそんな軽口を叩いてみせたけど、正直不破さんから目は離せないし心臓はバクバク言ってるし、安心できる場所で全く見知らぬ人と出会った感覚が抜けない。誰だこの美少女。

「そんなにですか?」

 そうか、夢生ちゃんは学校で不破さんに会わないからむしろ家の姿が基本なんだ。ぐうたらでとぼけた女だとは思ってたけど寝起きで機嫌が良いとこんな風になるとは。

 ちら、と不破さんが首を上げた。白い細首がこくりと喉を鳴らす。

「時間、遅いけどまだ大丈夫?」

「あ、じゃあ、失礼します。お邪魔しました」

「またね」

 にこやかに微笑む不破さんに、胸をずくんと撃たれた。誰だこの~~~~~~~!

「~~~~~~~~~ッ!」

 よく分からない敗北感に包まれたまま、その日は八科さんの表情よりも、妙に落ち着いた不破さんのことばかり考えていた。

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