第6話 身内の不幸を願ってでも

「えーっ不破さん風邪!? なんで連絡くれなかったの!?」

「ゲホゲホ、ごめん。スマホの充電切れてたから」

 普段、眠そうな不破さんの目は明らかに別の理由で重く閉じていて辛そうにマスク越しに咳をしている。

「八度七分」

「わぁ……」

 疲弊した様子を見れば充分わかるけど、これでは登校なんてできるわけない。八科さんともども無駄足をしてしまった。珍しいもの見れたけど。

「学校終わったらお見舞いくるね。授業のプリントとかも持ってくるから」

「よろしく……」

 本当に辛そうで不破さんらしからぬ姿だ。病気で辛い姿が似合う人なんていないけど、マイペースにいつも寝こけてる不破さんだと特にそう思う。

 とりあえず早く寝させた方が良いから先に登校しよう、という時。

「あっ、あの、こういうことがないように、私と連絡先交換しませんか!?」

 夢生ちゃんが慌て気味にスマホを持って出てきた。

 別にこういうことはそうそうないし、そもそもちょっと不破さんちに寄るくらいの手間は平気だ。

 でも雰囲気というか夢生ちゃんの顔を見たら大体の事情は察する。ガチガチに緊張しながら八科さんの方に向けて、いかにも勇気出しましたって顔で両手でスマホ差し出してるんだもん。

「別に構いませんが」

 お苦言を呈する前に八科さんはささっとスマホを出してちょちょいと通信した。そのまま八科さんはちらりと目を向けて「貴女もどうですか?」なんて空気を出してくるけど、感無量と言った感じの夢生ちゃんがもう他に何も目に入らなさそうだから黙って首を振った。

 夢生ちゃんが八科さんのファンなのだろう、ということは少々思ってたけど予想以上の感情らしい。

「じゃあ、今日は、また後で……」

「あっ、はい! いってらっしゃい!」

 夢生ちゃんがなんか、そんな風に送ってくれた。けだるげに手を振る不破さんの、妹を詰るような視線が妙に印象に残った。

 たぶんファンクラブには入ってたんだろうな、夢生ちゃん。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 それから数日後。

「本当にひどいんだって夢生の奴がさ~、『お姉今日は体調悪くないの?』とか『今日は眠くない? 寝てた方がいいんじゃない?』ってさ~」

「あ~そんなに八科さんと連絡とりたがってるんだ。じゃあ八科さんのスマホとか鳴りっぱなしじゃない?」

 夢生ちゃんはだいぶ露骨に姉の不健康を祈ってるらしく、それが言葉や態度に出ているらしい。いつか後ろから殴られるのでは……なんてサスペンスも考えた。

 よっぽど八科さんのことが好き好きなんだろうな~と思ったけど、当の八科さんは(普段通りだけど)無表情で

「不破夢生から連絡は一度も来ていませんが」

 とのことなので、どうやら夢生ちゃんは姉には文句をたらたら言いながら、憧れの八科さんには一度も連絡を入れられないヘタレであるらしかった。

「本当に? 私もう八科さんの迷惑になってないか心配してたくらいなのに」

「理由がないと連絡取れない系の人なんだ。カワイイね~夢生ちゃん」

「そういう樋水さんも、私達と一切連絡をしていないのでは?」

 ふむ。八科さんにしては珍しい指摘だ。確かに私も無駄な連絡はしない人。

「私はほら、通じ合ってるから」

「そうですか?」

「通じ合ってない!」

 まさかの不破さんマジ切れで思わず「おおう」と声を出す。

「私が眠いって送っても既読スルーじゃん!」

「それなんて反応してほしいの……?」

「八科さんは何故ですか? とかお眠りなさい、とか返してくれるよ」

「それは八科さんだし」

「もっと樋水さんも夜食食べたら、とかホットミルク飲んだら、とかさぁ」

「あーはいはいわかったわかった」

 意外と不破さんも面倒臭い彼女みたいなこと言い出すな……。私はプライベートな時間まで『学校の友達』に使いたくない。まあ今でも不破さんに登校時と下校時に迷惑をかけられてるけど、その辺は必要経費だ。遊ぶとか、勉強会とか、そういうのも予定立ててするならいい。お泊りだって構わない。だけど他愛のないメールとかでだらだら時間を潰すのは苦手だ。

「八科さんすごい律儀に返信してくれるんだよ。見習ったら?」

「えー八科さんを見習うところある?」

「勉強と運動と人付き合い」

 不破さんにめちゃくちゃ痛い所を疲れたので、普通に言葉に詰まった。そういえば八科さんは器量よしどころじゃない成績の超良い優等生なのだ。それこそ、後輩たちが集ってファンクラブができるほど。

 そうか……見習った方がいいのかもしれない……勉強できないし運動もそれほどだし付き合いも悪いし。

「勉強と運動と人付き合い以外に私に何か残るかな」

「肉体に一つの欠損もなく」

 八科さんが全く的を外したフォローをくれた。いやそう言われて喜べと?

「本当にこれを見習えと?」

 不破さんを見ると、へへ、と微妙に笑っていた。まあ、これはそういう人だから、もう見習うとかそういうレベルじゃないと思う。


――――――――――――――――――――――――――――――


 スマホでひょんなことから手に入れた、八科先輩のアドレス。

 他にもたくさんの名前があって、アドレスだけなら百人くらい入ってるけど、この名前だけは特別。

 お姉が宵空高校に入った時から、八科先輩と仲良くなったかなんて聞いたりしちゃったけど、本当に先輩と仲良くなって、家に来た時はとても驚いた。

 八科先輩は何も変わってなかった。鉄みたいに冷たい『鉄人』、言うことを絶対に聞く『ロボット』、笑わないし怒らないし悲しまない『サイボーグ』、いろんな人が、そんな風に陰口をたたいてた。

 八科先輩が本当に悲しまないのかどうかは分からなかった。ファンクラブの一員として何度もクラスを覗いたし、体育の授業で運動場にいる姿を、教室の窓から授業そっちのけで覗いてた。

 人間だから感情がないわけないと思う。でも先輩は、本当に感情というものをおくびにも出さなかった。

 ある時、ファンクラブの先輩が八科先輩と付き合うことになった。ファンクラブはその先輩を冷遇したり、応援したりするようになったけど――その先輩はすぐに八科先輩を諦めた。

 あの人は鉄仮面なんかじゃない、ロボットだ。その先輩はそんな風に言って、八科先輩から離れて行った。

 あの破局は今も私達の胸に刺さったくびきのようなものだった。八科先輩に近づくことは許されない、そんな重々しい雰囲気が八科先輩が卒業するまで付きまとっていた。

 お姉と八科先輩が高校生になってから時々(というかほぼ毎日)登校と下校の時に家に来るようになって、私もその気持ちがいくらか分かるようになった。

 毎日、毎日、変わらない。お姉とか、あの樋水っていう先輩は変わっても、八科先輩は表情も仕草も変わらないロボットみたいだった。

 感情がない、そう言われて私はむしろそれが当然なんじゃないかって思うくらいに。

 ……初めて八科先輩が走ってる姿を見た時、感動した。

 たぶん、一目惚れっていうのだけど、それは恋愛とかじゃなくって、そんなのくだらないっていうくらいの感情。

 尊敬、崇拝、そういう言葉が思いつく。たぶん、古代ギリシアのオリンピアって、そういうのだと思う。

 人の肉体美、ダビンチのモナリザやミロのヴィーナスみたいな存在。人が、人なら誰もが美しい、すごいと思って、見たくなるような感動。

 だけど違う。

 八科先輩は普通の人間なのだ、女子高生なのだ。

 私は――ずうずうしくも――恐れ多いことに――そんな先輩の支えになれたらと思った。

 たくさん笑って、たくさん悲しんで、みたいに。


『八科先輩

 夢生です。今度の日曜日、一緒に水族館へ行きませんか? 

 突然のお誘いですが、先輩と一緒に出かけてみたいと思いました。

 お姉はいなくて、私と二人ですが、それでよければお返事ください』

 

 何度も考えて、書き直して、書き足して、添削して、保存済みのメール。

 ちょっと固いかもしれないけど、長すぎても気持ち悪がられるかもしれない。考えて、自分の気持ちをかけなくて、それでもやっと上出来かなって思えたメール。

 だけど、今度の日曜日、これを書いてから日曜日はもう五回くらいは過ぎた。なのにまだ、送ってない。

 勇気が出ない。先輩に断られたら。断られなくても、先輩が楽しまなかったら。何もしなかったら。いつも通りだったら。

 折れない自信がない。先輩のためなら何度でもぶつかっていきたいと思っても、失敗したらきっと私の心は折れるし、その後毎日毎日家に来る先輩に耐えられない。

 きっと私には荷が勝ちすぎている。

 お姉でも、樋水先輩でもいいから、八科先輩が少しでも表情を変えてくれたなら……。

 私はそんな風に受け身に考えて、結局送信ボタンは押せない。

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