第4話 残酷なまでの才能の差

 五月晴れだったり五月雨だったり、天気の定まらない中で私は一つの問題に直面していた。

 いや正しくは一つどころではなくて、諸々も合わせると、もう、てんやわんや。

 だけどまとめて言えば一つ。

 勉強がヤバい。

「八科さん、不破さん、テスト勉強手伝ってほしいんだけど」

 彼女らは私の訴えに対しても普段通りの応対だった。即ち無表情と睡眠。

「構いません」

「構いませんじゃないよ……緊急事態なんだよこれは、っていうか不破さん、起きて」

「はぁすやすや」

「起きてるね?」

 はっきりした声で、すやすや、なんて言われたら私だってムッとする。もちろん不破さんは悪びれることなく、むくりと体を起こした。

「そんなに君って頭悪いの?」

「ずけずけ言うね……否定はしないけど」

 ちょっとだけ不破さんに強く出られるのは、彼女の頭が良いかまだ分かってないから。

 八科さんはもうこの数週間でよく分かりました。機械みたいだ、なんて言ってたけど彼女は計算機で測量機でコンピューターでもある。国語の感想とか人の気持ちだけちょっと間違えるってところも合わせて機械的。

 本当に機械なわけはないんだろうけど、それにしたって、ねぇ。

 八科さんは置いといて不破さん、彼女は授業中殆ど寝ているのだ。今のところ成績は私よりダメダメ。そんな不破さんに心配されるほど私は落ちぶれているのだろうか。

 なのに不破さんは得意げに腰に手を当てて、私に言い放った。

「ま、お願いしたら勉強教えてあげなくもないかな~?」

 不破さん、ぐっすり寝ている時の方が可愛げある。いい性格してるよ、ほんと。

「でも不破さん寝るじゃん。勉強教えられるの? っていうかそれだけの能力あるの?」

「そういわれるとたぶん寝るね。ごめん」

 あっさり引き下がられた。能力に関しては自信があるみたいだけど、睡魔には抗えない、と。

 成績に関しては高校の勉強についてこれてるか少し心配だけど、少なくとも中学時代は優秀だったそうだし。八科さんの言うことに嘘も間違いもない。

 とにかく不破さんは置いといて、頼れるのは八科さん。

「というわけで八科さん、どうかお力を」

「構いません……と言いましたが」

「うん、そうだね。八科さん断らないもんね」

 分かってたことだけど、そんな八科さんにお願いするのは狡いかもしれない。彼女に頼って弱い自分になるかもしれないし、彼女に酷い事をしているかもしれない……。

 でもそれとこれとは別。自分がもっと良くなりたいっていうポジティブな感情だし。

「では、いつどこで?」

「もう今日から」

 早速教科書を出して科目ごとに整理をつけたい。

「漢字の良い覚え方ってある」

「……とにかく書いてください」

 間をおいて呟く八科さんに、笑いだす不破さん。

「邪魔するなら帰ってくれていいんだよ」

「いや、私は悪くないよ。今のは樋水さんがふざけてたでしょ」

 確かに漢字はちょっとしたボケのつもり。ただ八科さんはクスリとも笑わず、呆れただけだ。

 ただ、これはほんの少しの息抜き。これから無数に、多く連なる勉強教えて攻撃に備えるための……。




 国語、数学、科学、社会、英語、どれもこれも要点だけまとめて教えられてしまった。

 問題は要点だけを抑えていて、ほとんどが私の自習にかかっているというところ。

 途中すっかり眠りに落ちた不破さんを運びながら、八科さんに少し愚痴。

「でもさ、この量はキツいよね。テストまでに間に合うかって話」

「それは、中学までの学業が不十分になっているからです。授業は常に進みますから、常に遅れないように早いうちに追いつくよう勉強してください」

 うぅ適確。でも確かに昔も展開が分かってたら因数分解が~、みたいな話をしてた気がする。積み重ねが大事かぁ。

 にしても、夕陽を背に不破さんを運ぶ私達、なんだかすっかり慣れてしまった。

 結構恥ずかしいし、学校でも変な目で見られるけど、慣れれば慣れるものだ。

「ねぇ八科さん、昔と比べて今ってどう?」

「はい?」

「えっと、楽しいとか悲しいとかはなくても、変わったこととか」

 そんなことを聞いてみた。彼女にかける迷惑の多さは、もう数えることをやめたけど。

 一言でも、八科さんも愚痴とか言ってくれたら、どうするか分からないけど、反省ぐらいはするんだけど。

 でも出てきたのは意外な言葉だった。

「とても、賑やかになったと思います」

 彼女はこちらも見ず、まっすぐ前だけ見ているけれど。

「中学では敵意と疎外感に満ちていました。人と喋ることも殆どなく、一人で全てをこなしていました。今は、それが違います」

 彼女が感じ取った他人の感情がどれほどのものかは分からないけれど、彼女がそれ自体を嫌悪することはないのかもしれないけれど。

 それと比較して今を良い、とは言わないけれど。

「今は私に親しみを持つ人がいて、私の力を必要とする人がいます」

「……そか、そっかそっか」

 それが嬉しそうに聞こえるのは私の勘違いじゃなかったらいいのに。

 だけど、けど、もし。

 私が、それは嬉しいってことじゃないか、なんて質問をして。

 いつもみたいに、いえ、なんて言われたら。

 考えるほどに胸がざわつく。それはきっと彼女ならそう言うだろうという確信があるから。 

 少しでも八科さんから好き嫌いの話を聞けていれば、こんな風に長々と悩むこともないだろうに。

 彼女は常に明確な事実を素にしてしか発言をしない。

 聞いてみようか、どっちが良いか。

「あっ……あのさぁ、八科さん」

「はい」

 努めて声を出そうとした瞬間、乾いた口に空気を吸い込んで、やっぱり無理だった。

「飴舐める?」

「はい」

 結局逃げてしまった。ヘタレな自分に涙が出るよ。

 不破さんごしに飴を差し出すと、彼女はそれを受け取って舐め始めた。

「もしかして餌付けしていますか?」

「八科さんが餌で懐くなら餌付けもありなんだけどね」

 そんな簡単な人間じゃないでしょう。私じゃあるまいし。

 きっちり自分も飴を舐めながら、その甘さの中に自分の澱みが消えていくような気がした。


――――――――――――――――


 結局のところ、どうでもいいのだ、と勉強を続ける。

 不用意に傷つく必要もないし、私は学生として不自由のない生活を送るために二人と仲良くなった。

 八科さんのことについては、ほんのちょっとした興味でしかないし、そこまで躍起になることじゃない。私が恐れたり、傷ついてまで彼女をどうにかしようと思わなければいいのだ。

 と、人間関係は速やかに解決できたが、勉強の方はそうはいかない。

 文系か理系か、進学時の問題はもう解決できたのに。文系。まだマシだから。

 あの二人はどっちにするんだろう、同じだったらいいのに。

 ――人と関係を作る時は、いつも混乱する。

 あくまで楽をするために虚構じみた関係を作る。表面だけの薄っぺらな付き合い、たとえば卒業したらそれっきりの契約関係。

 不用意に近づき過ぎるのも、簡単に離れるのも、それだけ関係がデタラメで適当だからこそ。

 なのに近づきすぎるのは、知りすぎるのは、本当に適当にやっているからなのだろうか。

 ……まあ私は八科さんじゃないんだから、そりゃ情も湧くし、気になるものは気になるのだ。

 多少は、この三年くらいは、仲良くありたいとは思う。

 それだけだと、自分を律さなければいけないけれど。


―――――――――――――――――――――


 なんとか、なんとかテストを乗り切ることができた……。

「ありがとう八科さ~ん」

「努力をしたのはあなたです。おめでとうございます」

 三人でテストの点数を見せっこしながら、私達は互いの健闘を称え合う。

 たとえ、その三人の中にどれだけの点差があろうと、八科さんが表情を変えず、不破さんでさえ気まずそうに黙っていたとしても、私達は戦友なのだ。

 次のテストは少しでも近づきたい、追いつきたい。

 というか不破さんにまで大差をつけられているのはやっぱり腹が立つ! 私より授業出てなかったのに!

「いや~、えーっと、次は、うん、私も樋水さんに勉強教えたげるよ!」

「は、なに? っていうかマジでなんで? なんで不破さんそんな点数とって私にトリプルスコアしてくれてんの?」

「漢字とか、書き方教えてあげるよ」

「不破コラァ!」

 少しの間、私達の間に不和があったことは言うまでもない。不破だけに。ちゃんちゃん。

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