第3話 孤独の深奥
『鉄人』八科智恵理の驚異的な身体能力が発揮されて次の日、八科さんは数々の運動部から勧誘を受けていた。
流石に高校どころか日本新記録を出すとかって話を聞いてたら、そりゃそうだよねってなる。
「中学からああだったの?」
「ぐぅ……すや……」
「寝てるし」
喋っている途中のはずが、不破さん脱落。
八科さんが多くの先輩方に揉まれに揉まれている中、不破さんは席に突っ伏して死んでいるみたいに寝ている。これ寝息が無かったら本気で心配するんだけど。
にしても部活かぁ。考えてなかったけど公立だし色々あるよね。
中学の時は家庭科部だったけど、幽霊部員だからほとんど何もしてなかった。私は料理より食べる方の専門なのである。ポテチうまし。
高校で部活、というのはありかもしれない。不破さんも夕方になるにつれて目が覚めてくるみたいだし、部活で八科さんとだらだらしながら、時間が来たら三人で一緒に帰るみたいな。
ありだな、これ……。問題はいつ帰ってもよくて、ゆっくりできる環境。
あるかな……なくはないと思うけど、でも他の人が混じるのも好ましくない。大人数苦手。
三人でだらだら……じゃあ今のままでいいかな。
なんて妄想していると八科さんが戻ってきた。
「あ、八科さん部活入るの?」
そもそも、八科さんが運動部に入るとなったら私の作戦は何の意味もなさないのだった。
「いえ」
その不安は杞憂で済んだ。相変わらずのすまし顔。
「興味ないの?」
「ありません」
「嫌でもない」
「はい」
「つまり普通」
「はい」
相変わらずだ。やる気がないけれど、求められれば最低限はやる。求められたから、体力テストではきちんとやった。それで凄い記録を出すのは、本当に凄いんだけど。
「じゃあ、私が一緒に部活したいって言ったらどうする?」
「構いませんが」
「え、なんで。優しい」
「ご不満ですか?」
「いや、嬉しい。でもなんで? 今たくさん部活断ってきたのに」
「下校する時に、一緒に不破さんを背負って帰る約束をしているじゃないですか。先約が」
「あ、あ~。もう八科さんの朝も放課後も私で独占してたんだ」
「はい」
「飴舐める?」
「はい」
ころころ、思わず頬にぐりぐりチャップチュッパスを押し付けてしまった。申し訳ない。
ひょっとしたら八科さんは私なんかにかまけてないでしっかりすれば世界を狙えるかもしれないのだ。それを不破さん運びに使うというのは、なんという才能の無駄遣い。
八科さんは飴の甘さにも頬を緩ませることなく淡々と舐めている。
「おいしい?」
「はい」
「本当に~?」
「嘘を吐いたことはありません」
「八科さんが言うとマジっぽいね」
「マジです」
断言されると、やっぱりそうなんだろう。嘘を吐いたことがない、事実なんだろうな。
すごいな、八科さん。
「なんか自信なくすんだけど、いいんだよね、こんな感じで?」
重ねての質問をしてみた。八科さんがなんて答えるかはわかっているけれど、それでも何度も何度も確認しないと私が安心できない。
そしてきっと、確認しても安心できないんだろう、とも思った。
「構いません」
八科さんは変わらない。こうまで変わらないと、ムラムラッと悪い気持ちが胸からせり上がる。
この鉄仮面、どうにか外してみたいものだ。
「八科さんって嫌いな食べ物とかある?」
「今まで食べたものの中には特にありません」
「好きな食べ物は?」
「同じくありません」
「キライな人好きな人」
「同じく」
「私のことはどうなの!?」
「どう答えて欲しいんですか?」
「うわ~それ一番萎える~!」
八科さんを少し困らせることができれば、と思ったけれどそれも難しい。淡々と事務作業みたいに質問に答えられるのでは、手の打ちようもない。
感情がないから好きなもの嫌いなものがない。だから熱くなることも萎えることもない。ただずっと冷めている。
なんとか熱くしてやるには、どうしたものか。
侮辱……流石に知り合ってまだ間もない私にできる手段じゃない。白状しよう。
「八科さんって感情が揺れ動いたこととかないの?」
「どうでしょう。幼い頃はもう少し普通の扱いを受けていた気がしますが」
「本当に!? あっ、八科さん泣いたことある!?」
「それは、生まれた時に誰しもあるのではないでしょうか」
「ちょっと叩かせて」
「嫌です」
「じゃあ、……んー」
「一体どうしたというんですか?」
「八科さんの表情変えたい」
「……はぁ?」
呆れ半分疑問半分と言ったところ。けれどとぼけているってイメージが強い。まだ彼女の眉すら動いていないのだ。
これは高校三年間の大きな目標になりうる。とても面白い目標になるぞ!
「とりあえずチョコ食べる?」
「いただきます」
飴を舐めている口の中に一粒のチョコを入れてやる。彼女は相変わらずの顔で咀嚼した。
食べ物で表情を変えるのも難しそうだ……、サルミアッキとかゲテモノ虫料理とかそういうのがあればって思うけど……食べ物はダメダメ。
「ふっ……くっ……んん、何の話?」
不破さんが起きたから、その日は解散になった。
―――――――――――――――
「ねえ不破さん、八科さんの弱点とかってないのかな?」
「んー聞いたことないかな」
「八科さんが取り乱したとかって話も?」
「ない。ってか、私情報通でもなんでもないしな~。その辺夢生のが詳しいかも」
なるほど夢生ちゃん。確かにファンクラブに入っててもおかしくないくらい八科さんのこと好きみたいだし。
「……私の前で話すことですか?」
不破さんの向こう側の八科さんが聞いてきた。いつでも不破さんを支えられる登下校フォーメーション、今は下校中。
「迷惑だった?」
「いえ」
「これくらいなら全然いいと思ってたけど、もしかして八科さん繊細な心の持ち主?」
「樋水さんの常識を疑ってしまいました」
「何気に傷つく!」
八科さんにとっての常識とは……。というか八科さん本当に難しい人だなぁ。付き合うだけなら簡単だし別に不自由もないけど、彼女の他の顔が見たいっていう欲望はなかなか発散できない。
「あ、そうだ」
不破さんの前を横切って、八科さんと向かい合う。
「ちょっといい?」
「なんですか?」
八科さんの頬をむにっと掴んで、ちょっと引っ張る
ほら、笑顔~。なんて。
「……」
笑ってない。口元はくにゃりと歪んで笑っているようだけど、八科さんの宝石を入れ込んだような無機質な瞳が、物言わぬはずの瞳が自分は決して笑っていないと訴えかけてくる。
「ほ、ほら~……」
ほっぺたから手を離して、目の横をぐぐっと吊り上げる。狐目、なんて。
「やめていただけますか?」
「ごめんなさい……」
八科さんにも嫌なことくらいはあるんだろうな。体触られるのとか嫌なんだろうか……。
「もしかして八科さん、一緒に不破さんち行くのも嫌だったりする?」
「別に嫌でもなんでもありませんが」
「乗り気でもないんだ!」
「そうですね」
そうだろう。八科さんは無で、良し悪しのど真ん中に常に感情を置いているのだから。
八科さんは不破さんの家に行く気がないのだ。
ならば無理矢理にでも連れて行こう。
「よーし不破さん、八科さんを不破さんちまで連れて行こう!」
不破さんにやってたみたいに、今度は八科さんを囲んで腕を取る。
ぎゅっと握って、不破さんにアイコンタクト。彼女も私がしたいことを察してくれた。
「お、いいねぇ。じゃ行こっか八科さん」
不破さんも私の意を酌んで八科さんの腕を取る。行く気がないならこうするしかない、なんて
二人で挟んで、強引に動かす。八科さんに反抗の意志は当然ないけど。
「……何の意味が?」
八科さんだけはちょっと困った風に、なすがままにされていた。ちょっと困った風を引き出せてたからそれだけでも充分かなと思う。
不破さんの家に程なくついて八科さんが解放される。短い時間だけど、こういうちょっと新鮮な雰囲気が楽しい。
「八科さんが取り乱したこと、ですか? 私の知る二年間では一度もなかったと思います」
ファンの一人である夢生ちゃんがそう言い切るとなると、案の定だけど希望は打ち砕かれた。
「あちゃー、やっぱりそうか。じゃあ遊んで帰ろう」
「あ、やっぱりそうなるんだ」
不破さんが軽く驚いて、八科さんも特に反応なく家の中に乗り込む。
「何気に樋水さんが一番常識ないよね」
「不破さんに言われるとは思わなかった!」
「いや、私も八科さんも腫物みたいなものだし、ね?」
「だろうねぇ」
八科さんはいろんなことに自覚なしなのか黙ってるけど、二人とこうして一緒に過ごしたから分かる。不破さんは午前も昼も寝てるし、八科さんは表情一切変わらないし。で、この人達と仲良くしてる時点で私も変な人になる。
「運命的な出会いだよね」
「名簿で決めていたでしょう」
八科さんの鋭いツッコミに応える言葉がない。不破さんはなるほど、と苦笑いしてた。
「で、でも私二人のこと結構知れたし」
「ま、他の人よりかはね」
不破さんはそう言って、前を見て、部屋へと先導するみたいにただ真っすぐ見ていて。
「もっと知ってみてほしいね」
そんなことを言った。
不破さんと八科さんはもっと知ってほしいのかな。
二人とも、それなりに中学の頃は孤独だったと思う。鉄仮面と呼ばれて忌避されたとしても、眠り姫と呼ばれて愛でられていたとしても。
私には憶測でしか考えられないけれど、不破さんは人の子だし、まだ普通の子だ。夜起きて朝昼寝てるだけだし。
もっと知ってほしい、そう思うくらいの、女の子。
八科さんはどうなんだろう。
もっと知ってほしい、そんな言葉を彼女は絶対に言わないだろうけれど。
私はもう少し知ってみたい。
その日はマリカして帰った。
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