八十九 魔王と法然



 元暦2年(1185)――改元して文治元年8月14日。

 後白河院は法住寺殿において、延暦寺との全面対決を宣言する。

 同時に高倉院四の皇子、尊成たかひら親王を北条政子の猶子とする旨を伝え、武家の棟梁――鎌倉殿の地位を、将来親王に継がせることを、暗に示した。



 ――鎌倉殿は、これから朝廷にとっても重要な地位となる。



 新たな好機に目を輝かせる者もいたが、目ざとい者や摂関家、それに院近臣、藤原成親などは、とっくの昔に鎌倉と強い繋がりを築いている。


 一方、鎌倉方はこれを、単純に喜んではいられない。

 たしかに、北条政子が一代で築き上げた組織が、次代に引き継がれる事は確定した。

 だが、それが院や朝廷の過剰な干渉を招きかねないことを、一部の人間は理解している。



 ――鎌倉が、朝廷のための組織となっては元も子もない。



 だから、政子は手を打った。

 その手、とは。



 ――北条義時の五位任官、および執権、侍所別当任命。



 である。

 本来ならば兄、宗時に任せたかったが、検非違使である宗時をこの状況で都からは引き抜けない。

 そこで、義時に官位を与えて箔をつけ、その任につけた。もちろん意味不明なまでの無茶ぶりである。



「義時、わかっておるな?」


「承知しております。いずれ鎌倉の実権を執権の手に。その地ならしでしょう」


「急がぬぞ。わしが生きているうちは、上から抑えつけられるからのう」


「それも承知です。鎌倉殿を実務に触れさせない。そんな体制が整いきるまでは、ひたすら影に徹しますよ……どうせ、どう頑張っても体質的に目立てないですし」


「……まあ、強く生きろ」



 準備は粛々と進む。

 都の動きに、延暦寺の緊張は頂点に達しようとしていた。

 はたから見ても、延暦寺を攻める準備以外の何ものでもない。

 先手必勝とばかり、攻撃を主張する声が、急速に大きくなっていく。


 だが、先手をとるだけでは勝てないことは、検非違使、北条宗時との戦いから学んでいる。

 ゆえに僧兵たちは、未曽有の法難が迫っていると説き、延暦寺の総力を挙げて戦うべしと主張した。


 その圧力に抗しきれず、後白河院の思わぬ強硬姿勢に及び腰だった上層部も動かされる。

 全国の末寺より兵を募り、物資を集め、地震の被害を被った中堂では、連日、怨敵調伏の祈祷が成された。


 延暦寺から風の声に乗って、呪詛の声が響く。

 都では、坂東武者たちが牙を研ぎながら、開戦の時をじっと待っている。


 そんな、破滅的な都の様子を、じっと見つめ続ける男がいた。







 その男は、武士の子として生まれた。


 少年の折、父は争いの末に殺された。

 末期に、息子を仏門に入れるよう言い残したのは、息子の手を復讐の血で汚したくなかったからだろうか。


 ともあれ、遺言は叶えられ、少年は出家する。


 天才だった。

 その才が地方で埋もれることを惜しんだ師は、少年を延暦寺に送った。



 ――文殊菩薩を一体、進上いたします。



 師の言葉は誇張ではなかった。

 少年は恐るべき速度で経典をつぎつぎと読み説き、師たる高僧たちを驚かせた。

 少年はその後も勉学を進め、仏教の最高学府たる延暦寺において、“知恵第一”と呼ばれるに至る。


 しかし、少年は驕らない。驕る余地などない。

 なぜなら、少年は己の無力に絶望していたのだから。


 末法の世。

 そう叫ばれる中で、寺社は腐敗の極致にあった。

 世俗に染まり、出世しか考えない学僧、欲に溺れて戒律を守らない悪僧、延暦寺の権威をかさに来て乱暴狼藉の限りを尽くす堂衆僧兵。そして、そんな彼らを見捨て、仏の道のみを追求する高僧たち。


 間違っていると思った。

 延暦寺の、仏教のあり方そのものが、間違っている。

 袈裟を纏い僧の姿をした獣が救われて、自分の父のような人間が救われない。

 貧しさゆえに、あるいは生まれの卑しさゆえに、正しく生きることが出来ない者が、救われないまま絶望の内に死んでゆく。そんな世の中の歪を、正したいと思った。


 ゆえに、男は、古今東西あらゆる経典を読み解き、探した。

 このどうしようもない末法の世に、救いをもたらすための、教えを。


 探した。

 探した。

 探して探して探し続けた……そして、ついに、たどり着く。



“南無阿弥陀仏”



 の六文字に。

 天才と讃えられた男が、数多の歳月を費やして、経典より衆生を救うための論理ロジックを産みだした。


 反発は予想できた。

 延暦寺の現状に心を痛める者であっても、彼の、もはや仏教をも逸脱した教えには、反発を覚えずにはいられないだろう。


 だから、男は研ぎ澄ます。

 思索に思索を重ね、あらゆる矛盾をしらみ潰しにして、“南無阿弥陀仏”の六文字を、無限の言葉で補強していった。


 そして、男は教えを広めることを決意する。

 すでに四十三歳。実に二十五年に及ぶ苦悩の末の、決意だった。


 この、どうしようもない末法の世で、救われぬものを救う教えを、男は説き広めていく。

 腐敗の末に仏教の本質を失った寺社に代わって、彼と彼の教えは、民衆の心を救いつづけている。


 男の名は、法然坊源空ほうねんぼうげんくう

 その教えは彼の弟子親鸞しんらんを通じて、後の世に、ある巨大な宗教勢力を産みだす。


 一向宗である。







 文治元年(1185)10月8日未明。

 ついに後白河院は、延暦寺攻撃の命を下す。


 命を受け、北条政子は延暦寺攻撃の軍を発する。

 都大路のかたわらで、政子の出陣を、静かに見守る僧があった。

 政子が視線を返すと、御家人の熊谷直実くまがいなおざねがあわてて駆けつけ、耳打ちする。



「法然上人です」


「デアルカ」



 政子はうなずいた。

 この男をはじめ、法然の教えに傾倒する御家人は多い。

 だが、政子は、配下の者たちとは違った感慨を抱いて、法然を見る。



 ――こやつが法然か。



 織田信長最大の敵だった一向一揆。

 その因果の始まりたる初老の僧は、超然たる眼光を柔和な笑みの裏に隠して、そこにある。



 ――傑物よ。



 ひと目で、同じ高みに存在する男だと理解して――政子は不敵に笑った。



「衆生を救え、法然」


「仏法をお救いくださいませ、魔王」



 短い言葉を交わして、ふたりはすれ違った。


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