八十七 はじまりの声


 寿永2年(1183)春より湧き上がった西国武士団の騒擾は、朝廷と鎌倉の迅速な対応により、年内に治まった。

 中国、四国、鎮西……ほとんど鎧袖一触に、乱の根本を斬り落していった源義経、木曽義仲両大将が率いる軍勢は、翌寿永3年3月、都に凱旋を果たす。


 それまでには、鎌倉殿、北条政子と後白河院との間で、事後の相談ができている。


 西国における、荘園、国衙領の現地徴税役。

 および、各地の治安維持、武士の統制。


 税をきっちりと治めさせ、反乱が起これば鎮圧し、武士同士のもめ事も解決する。

 つまりは、西国においても東国同様、武士を一元管理してしまえ、ということだ。


 もちろん反対もあった。

 もともと荘園の現地管理を、現地の武士に任せてきた貴族たちであったが、あくまで武士は貴族に従う者であった。

 その縦構造に、武士を一元管理する鎌倉殿という別構造が、いきなり割って入って来たのだ。生理的嫌悪感は避けがたい。


 とはいえ、鎌倉殿に従わない武士、というものが、すでにほとんど存在しない。

 である以上、不満があっても従うよりほかに仕方ない。また、この新体制の方が、税も滞りなく手元に届くのだ。不満は漏らせど、それ以上の積極的な動きは、ほとんどなかった。



「あの大天狗がっ! これでは朝廷の権威もなにも、あったものではないわいなっ!」



 後白河院嫌いの九条兼実くじょうかねざねが激怒して諌言を呈し、そのまま自邸に引きこもってしまったのはともかくとして。



「――天下への道のりは順調、じゃが……」



 鎌倉の地で、後白河院よりの下文を受けた北条政子は、使者を送り出してから、わなわなと肩を震わせる。

 下文には、西国鎮定の功を讃えるとともに、平家の没落以降、所有権の行方が混乱していた旧領の一部を、政子に譲渡するとある。



「いいかげんにせんかーっ!! いずれ皇族に戻って来るからといって、なんでもかんでもぽんぽん寄越すな手が足りんわーっ!!」



 ただでさえ、功を上げた武士に領地を与えたくても、土地を管理できる人材がいないので任命できない、みたいな哀しい事態がそこらじゅうで起こっているのだ。


 なら、急場にでも人材を調達すればいいのだが、まともな伝手のある武士ならとうにそうしている。

 従えるのは息子兄弟のみ、程度の零細武士団きぎょうではまともな人材など望むべくもない。彼らが問題を起こし、責任問題に発展する例(ケース)が非常に増えている。


 そもそも本人が坂東武者ドヤンキーなのだから、自分で問題を起こしてしまう場合も多いのだが。


 政子とて、人手が足りているわけではない。

 手持ちの人材では東国統治で精いっぱい、というところで、最近迎え入れた大江広元おおえのひろもと三善康信みよしのやすのぶなどは、もちろんめいっぱいこき使っている。



 ――そろそろ武士たちの、鎌倉への帰属意識も定まって来た……であれば。



「――義時」


「はっ。姉上、ここに」



 政子が静かに声をかけると、いつのまにか控えていた義時が応じた。

 一度、居もしない義時を大声で何度も呼んだことがあって、非常に恥ずかしい思いをしたので、それ以来慎重に呼ばうことにしている。幸い、今日は側に控えていたようだが。



「義時。ぬしならば、摂関家や院近臣、貴族連中を鎌倉に巻き込むのと、平家を鎌倉に迎え入れるのと……どちらを先とする?」



 試すように尋ねると、義時はしばし考えて。



「同時、ではいけませぬか?」


「悪いことではない……が、理由を聞こうか」


「では、摂関家をはじめとする都の貴族たちを迎え入れる弊害は、姉上もご存じでしょう。絡み取られ、貴族たちのいいように扱われる……が、今となってはその危機も、決定的なものとはなりえない。むしろ巻き込むことによる利が大きい、と、姉上は判断なされていると存じます」


「うむ」


「つぎに平家ですが、奴らは我々の仇……とはいえ、平家は西国と縁深く、武名高き武士なれば荘園管理の即戦力たりえましょう。今、真に足りないのは官僚よりも武士。なれば、平家をこそ迎えるべき――ですが、問題があります」



 義時は一呼吸して、それから、ふたたび口を開く。



「――平家は院に弓引き、摂関家と争い、貴族を圧迫してきました。その平家と手を組んだ、となれば、都にいらざる憶測が流れることとなりましょう」



 また平家のような、武家による独裁の世が来る。

 平家を迎える行為は、そのような誤解を招きかねない。



「ゆえに、両方、か」


「手が足りないのでなんでも使う。その姿勢を見せることこそ肝要かと」


「よかろう。京の宗時兄上と諮って良きようにせよ」



 政子はうなずいて、義時の主張を認め……それから眉をひそめる。



「しかし、おぬし、気の配り方が頼朝に似て来たのう」



 しみじみ言うと、義時はものすごく嫌そうな顔になった。







 鎌倉は、その影響力を日本中に拡大していく。

 その一方で、やはりこの時期、影響力を拡大していく集団があった。


 寺社の抱える武装勢力――僧兵である。

 鎌倉や平家など、武士との戦いでその数を減じた僧兵。

 武力消失に危機感を覚える寺社と、西国を襲った大飢饉により生じた飢民。

 そのふたつの融合が、僧兵――いや、寺社勢力に組み込まれた武装民を非常識なまでに拡大させた。



 ――主たる寺社の制御すら受けつけぬほどに。



 ゆえに、衝突が起こるのは必然だった。

 当初は坂東の魔王北条政子の、鎮西八郎為朝の武名を恐れていた延暦寺の僧兵たちも、しだいに大胆になっていく。

 大挙して都に繰り出しては乱暴狼藉を働くようになり、そのたび後白河院の命を帯びて検非違使が出動することとなる。



「僧兵の殺生は避けるように」



 および腰とも取れる後白河院の命もあって、僧兵はますます増長する。

 小競り合いが何度か続き、元暦2年(1185)春に検非違使、北条宗時の配下が誤って僧兵を射殺すに至って、延暦寺僧兵は暴発する。


 同年6月、僧兵たちは強訴におよぶ。



「北条宗時をぶっ殺せ! 坂東の武士たちを処刑しろ!」



 日吉大社の神輿をかついで、都に押し寄せた僧兵は、略奪を繰り返しながら院御所に迫る。


 その数3000。

 宗時が率いる坂東武者たちは300。

 彼我の兵数差は、実に10倍――だが。



 ――だからどうした?



 北条宗時は恐れない。

 相手は仏の威を借るだけの、烏合の衆以下の獣どもだ。

 第六天魔王、北条政子の信奉者たる坂東武者にとっては、遠慮する理由など一切ない。



「相手は雑魚だ! 軽く撫でてやれ!」



 宗時が命を下す。

 応じた味方が、さんざんに射かけて脅すと、僧兵たちは算を乱して逃げ散ってしまう。勝負にもならなかった。


 しかし。



「――甘いぞ、兄者よ」



 都よりの報告を受けた北条政子は、兄の対処に眉をひそめた。

 政子がかつて延暦寺の僧兵を鏖殺したのは、残虐さゆえではない。

 僧兵に無法を許させるその背景――武力を根こそぎにすることで、その発言力を奪うためだ。


 北条宗時は殺さなかった。

 ゆえに、その報いを受ける。



「北条宗時と、僧兵を殺した下手人の処罰を」



 7月。延暦寺より後白河院に、要求が突きつけられる。

 僧兵たちの勝手な要求ではない。延暦寺からの、正式な通達だ。

 僧兵からの突き上げと、いままでさんざんに体面を潰されてきた憎い相手――鎌倉と、後白河院に対する敵愾心からの、要求。


 朝廷では、これに対する賛否の声がある。

 もちろん否の声のほうが、はるかに大きい。

 だが、かねてより北条宗時、そして鎌倉の存在を苦々しく思っていた貴族たちのひそやかな声は、一方的に無視できるほど小さくはない。


 後白河院は、結論を先延ばしにした。

 迷っていたわけではない。ただ待っていたのだ。

 この問題を解決しうる、ただひとりの人間の到着を。



「くはははははっ! 京の都よ! 延暦寺よ! わしが来たぞっ!!」



 8月。北条政子は、少数の馬廻りを率いて京に登る。

 道中で駆けつけ、従った者多数。最終的に500騎あまりが京に入った。

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