八十六 平重衡



 屋敷を出た平重衡は、藤九郎に従い、大蔵御所に入った。

 武家の政府とも言うべき大蔵御所は、建物も、そこに詰める武士たちも単純武骨。



 ――しかし、荒削りなれど狂熱とあふれる力を感じる。



 若い組織独特の活気に満ちた営みを横目で見ながら、重衡は藤九郎に案内されるまま、歩を進める。


 案内された先は、正殿の広間。

 余人の居ない広い空間で、一人、重衡は座らされた。



「しばし、お待ちあれぃ」



 藤九郎の言葉にうなずいて、静かに待つ。

 広間の奥。平重衡と相対するように置かれた几帳。

 その向こうに、ふいに広間を圧するような気配が生じた。


 と思ったら、几帳が蹴倒された。



「わしじゃ!」



 倒れた几帳の奥から姿を現したのは、仁王立ちの少女だった。

 一見、見目麗しい尼姿の少女だが、全身から放たれる圧倒的な王気オーラは、重衡の亡き父清盛にすら勝っている。


 見間違えるはずがない。

 三年前の富士川の合戦。平家にとって致命的な敗北となったあの戦いで、夕焼けの朱に染まった彼女を見た。

 その時感じた圧倒的な覇気と才気、そして妖魅を思わせる美しさは、平重衡の胸に、今でも刻み込まれている。



 ――聞くところによると、すでに三十歳近いはずですが……



 どういうことか、ほとんど化粧もしていないのに、まったく老けていない。

 まあ、神通力を使うだのなんだの言われているのだ。若いくらい、なんら不思議ではない。



「奥方様」


「よい。面倒くさい」



 どっかとその場に座り、慌てる藤九郎に手をひらひらとさせて抑えながら、少女は重衡に目を向ける。



「北条政子じゃ。平重衡殿じゃな?」


「はい。鎌倉殿、おひさしゅうございます。富士川での合戦以来ですが……」


「うむ。覚えておるぞ。あの時は、清盛の代わりとしては不足じゃったが……ふむ。なかなかの面構えになったではないか」



 思わず褒められて、重衡は戸惑いながらも頭を下げた。


 あの時は、ただ化物だと、魔王だと思った。

 当時の自分では理解できない存在の巨大さが、そう思わせた。


 あらためて見ると、わかる。

 違うのは、格。それも圧倒的に。

 自分と北条政子では、視点の高さがまるで違う。視野の広さがまるで違う。見ている世界が、価値観せかいが、大局観せかいが、まるで違う。


 その圧倒的な差を感じさせられて、重衡は息をのむ。



 ――父、清盛と、天下を碁盤にして戦った、これが北条政子か。



 感慨とともに、心の中でつぶやいた。



「――シテ、わしになに用か」



 どうも、性急な性質らしい。

 さっそく用件を問う北条政子に、重衡は居ずまいを正して、直截に告げる。



「……来るべき戦いで、平家は鎌倉殿に助力したい。それを伝えに参りました」


「ふむ」



 にやりと笑った。

 言葉に癖があるのか、聞きようによっては「ふみゅ」と聞こえるが、それは特に重要ではない。



「――来るべき戦い、とな?」


「はい」



 質すような政子の問い。

 視線の鋭さ、のしかかるような圧力を感じながらも、重衡は涼しい顔でうなずく。



「見透かされているようで気に入らぬ……が、目のつけどころはよい。それで、ぬしらはなんの役に立てる?」



 反応は、悪くない。

 好悪を脇に置いて、ひとまず耳を貸す気はある。

 かつての敵であり、夫の仇である平家への態度としては、十分に好意的だ。



 ――ならば、ここが正念場、ですか。



 重衡は己を叱咤し、語りはじめる。

 平家が、北条政子に用意できるものを。



「まずは財。所領の多くを失ったとはいえ、平家が蓄えた財貨は、食糧危機を脱した今、十全な価値を取り戻しております。その財貨を使い、鎌倉殿に対する支援をいたします」


「なるほど――じゃが重衡殿よ、それは、わしが八条院の猶子であると知っての言葉か?」



 北条政子は不満を隠さない。



「――莫大な皇室荘園を有する八条院の財、平家のそれに劣るまい。その八条院ははうえから、鎌倉は惜しみない援助をいただいておる。ゆえに平家の財は不要、などとは申さぬが、平家の、起死回生の手としては、弱いぞ」


「ゆえに、まずは、と申しました」



 重衡はつくり笑顔を崩さない。



「つぎに、人。この平重衡、そして甥の平惟盛これもりと、数は減らしましたが、その郎党……西国の鎮定において鍛えられた、平家最期の武を、鎌倉殿にお捧げいたします」


「それは、役に立つのか?」



 政子の問いは暴言ではない。


 鎌倉の、つぎの敵は寺社。

 であれば、武を提供するという以上、それは神仏を恐れぬ者たちでなくてはならない。


 むろん重衡の言葉は、それを理解した上でのものだ。



「平家の大事に比べれば、寺社など取るに足らぬもの。必要であればふたたび南都を灰燼に帰しましょう……我ら平家ならば、それが出来る。なぜなら――」



 息をついて、腹に渾身の力を込めて、重衡は語る。



平家われら怨霊きよもりに守られし者。怨霊を父と思い、怨霊を主と慕い、怨霊を祀る者です。御仏の祟りなど、恐れはしない」



 平清盛の怨霊に守られた一族、平家。

 平家が味方をするということは、その精神的支柱をも味方にするということだ。



「――怨霊きよもりが、鎌倉殿のお味方をいたします」



 その、言葉に。不意をつかれたのか、北条政子は目を丸くして――笑いだした。



「くっくっく……くははははははっ! 清盛が、あの男が味方になると? ぬかしよったわ!」



 笑いながら上機嫌に膝を打つ。



「――おもしろい! 平重衡よ! 祟りを恐れぬ武士もののふよ! 神威を恐れぬ勇者よ! 事が起こればわしに従え! さすれば、わしは平家を認めようぞ!」


「……ありがたき、お言葉にございます」



 ――不思議なものだ。



 政子の言葉に頭を下げながら、重衡は思う。



 ――平家再興の道が見えた。役目を果たせた安堵よりも……私は、北条政子に認められたことを喜んでいる。



 重衡の胸に、修羅もののふの熱い血が駆け廻っていた。

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