八十五 鬼の家



 西国の鎮定は順調に進んでいる。

 すでに勇名と悪名をほしいままにする、源氏の若き大将にして、北条政子の妹婿、源義経。

 もう一手の大将、木曽義仲は、西国では無名に近いが、北条政子から抜擢を受けただけのことはあり、同じく若年ながら、武門の一流を担う貫目を備えている。


 その二人と、ついでに無理やりついてきた源為朝や新宮行家を、一歩下って補佐する羽目になった平賀義信ひらがよしのぶは災難だったが……ともかく、西国の騒擾は、すみやかに抑えつけられていく。


 その最中に、平重衡たいらのしげひらは鎌倉を訪れた。







 鎌倉の町並は、例えば京の都や福原に比べれば、武骨で物々しい。

 だが、華美をそぎ落とした素朴さは不快ではなく、むしろ異質の美さえ感じさせる。


 その、街並みを見ながら、平重衡は思案する。



 ――さて、鎌倉殿に会うには、どうしたものか。



 都からの伝手を頼ると、間違いなく院や摂関家に察せられる。

 無用な干渉を受けたくない平重衡は、無謀にも根回しをせずに鎌倉を訪れた。

 あんがい、名乗りを上げれば素直に応じてくれる気もするが、この坂東――特に鎌倉の中枢を担う連中にとって、平家は敵である。いらぬ厄介を受ける危険があった。



 ――とすれば、だれか目端のきく者に仲介を頼むがよいか。



 重衡は考える。

 頼むなら、まず北条家だろう。

 鎌倉殿の一族として、また重要な実務官僚として、鎌倉で活躍する彼らならば、政子に話を通すことはたやすい。


 だが、彼らは例外なく多忙である。

 坂東諸国の統治、訴訟、その他諸々一切合財を処理せねばならぬ公文所方に会うのは、ひょっとすると鎌倉殿本人に会うよりも困難だ。



 ――すると、馬廻りか。



 鎌倉殿が、各地の有力武士団より集めた、優秀な若手たち。

 未来の鎌倉を担う彼らは、鎌倉殿の命令伝達、取次も行う。彼らの中で、話のわかる人間を頼ることができれば、話は早いのだが。



「おっと、ごめんなさいよ」



 立ち止まって考えていると、ふいに背後から声をかけられた。

 若い声だ。振り返ると、はたして立っていたのは、十代半ばとみえる少年だった。



 ――ただ者ではない。



 構える従者を制しながら、重衡は心の中で身構える。


 造作こそ若いが、顔立ちは、ひどく大人びている。

 ぎらぎらと輝く狼の瞳は、油断なく重衡を射抜いており、歴戦の重衡から見ても、油断ならない相手とみえた。



「何者です?」



 問う重衡に、少年は口の端をつり上げる。



「何者ですかと問われて、答えるにやぶさかじゃござんせんが……次に名を問い返されて困るのは、はて、あんた様じゃねえですかね?」



 人を食ったような言葉だが、図星である。

 平重衡の名は、鎌倉の往来で名乗っていい名ではない。


 だが、驚くべきは別にある。

 少年の言葉は、彼が重衡の素性を知っていることを意味する。



「……どうやら、ただ者ではないようですね」


「なに、たいした者じゃござんせん。羽柴弥九郎はしばやくろうってえ、ケチな男でさぁ」


「……なるほど、どおりで」



 重衡は心の中でうなずいた。

 羽柴弥九郎といえば、鎌倉殿第一の従者、羽柴藤九郎の嫡男にして、若年ながら鎌倉殿の馬廻りに名を連ねる者だ。

 彼一人の才覚か、あるいはとうの昔に鎌倉方に補足されていたのか……いずれにせよ、名乗られた以上、重衡はまな板の上の鯉である。



「どうか、お供方もご一緒に、ついて来てくださいやすか?」



 少年の言葉に、重衡はうなずくしかなかった。







 少年に従い、向かった先は、鎌倉に建ち並ぶ屋敷のひとつ。

 屋敷に入ると、一人の男が、待ちかまえるようにして出迎えた。

 初老ながら、坂東の男らしい、日に焼けた締まった体つき。八方に目を配る油断のなさ。それでいて人好きのする笑顔の主。



「オヤジ、連れて来たぜ」


「御苦労」



 少年と男は言葉をかわす。

 それで、男の素性を察した。

 鎌倉殿第一の従者、羽柴藤九郎その人だ。



「やあやあ。遠方より、よおぉこそいらっしゃいました。ささ、中へ。従者方も、さあさあ」



 蛇窟に足を踏み入れる心地で、重衡はうなずき、従った。


 案内された先は、それほど広くもない板間。

 筵の席に向かい合うようにして、重衡は藤九郎と対する。



「さて、この藤九郎、とんだ野人でしてなぁ、高貴な方への礼儀なぞ、とんと心得ておりませぬ。ですので、直截に聞かせていただきましょう」



 笑みを崩さぬまま、鎌倉殿の懐刀は問う。



「平家の公達が、この鎌倉になに用で?」



 言葉に、刃の鋭さがあった。



 ――そうでなくては。



 と、重衡は心の中でうなずく。


 重衡は知っている。

 鎌倉殿、北条政子を。あの魔王のごとき、美しき女将を。

 彼女の第一の従者が、心に鬼のひとつやふたつ、飼っておらぬはずがない。


 だから、重衡は揺れない。

 まっすぐに、鬼の瞳を見返して、口を開く。



「鎌倉殿に、惣領宗盛の意を伝えに参りました」



 そう言って、重衡は兄、宗盛の言葉を伝えた。


 藤九郎は、素早く吟味するように、視線を巡らせて。



「ふむ、どうやら嘘じゃぁないが……気をつけてくださいよ。この坂東にはぁ、あんたらをぶっ殺してえってぇやから・・・がごまんといるんだ。由比ヶ浜ゆいがはまにあんたらの死体が浮かんじゃ、こっちが困るんですよ」


「ご迷惑を……」



 藤九郎のため息交じりの愚痴に、重衡は頭を下げた。

 十分に気をつけてはいたつもりが、強いて抗弁するような状況ではない。



「ま、いいさ。どの道、奥方様に伺いを立てなきゃぁなんねえ案件だ。すぐにでも取り次ぎましょう」


「ありがたい!」



 重衡は勢い込んで頭を下げる。

 その頭、に。



「しかし、命拾いしましたな」



 ぽつりと小さな声が落ちた。



「命拾い?」


「なに、あんたが来たのがぁ3年前なら、あんたはこの藤九郎の手にかかって死んでたってぇことさ」



 笑顔で。

 その下に鬼を潜ませて。

 藤九郎はこともなく言う。


 従者たちが顔色を変えるが、無理もない。

 なまなかな武士では応じ切れぬほどの鬼気が、男からは発せられている。



 ――その怒りは、無理もないことだ。



 重衡は、藤九郎の言葉と怒りを正当なものと受け止めた。


 考えてみれば、藤九郎はかつて、源頼朝の従者だった。

 以仁王の乱の折、園城寺に立て篭もった頼朝を攻めたのは、他ならぬ平重衡なのだ。冷静に応対してくれている藤九郎の自制と理性には、頭が下がる。


 頼朝の生存を知らない重衡は、勝手に藤九郎を尊敬する。



「さあ、酒肴をお持ちしますので、少々お待ちを。すこし骨休めいただいて、それから、奥方様の元へ案内いたしましょう」


「案内を、羽柴殿自らですか?」



 驚いて問うと、藤九郎は困ったように頭をかいた。



「うちの奥方様はぁ、出来るお方ぁなんですが、とにかく予測がつかんことをやらかすのが困りもんでしてな」



 心底疲れたようにつぶやく藤九郎に、重衡は思わず同情した。

 これから面談しようという相手なので、重衡にとっても他人事ではないのだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る