八十五 鬼の家
西国の鎮定は順調に進んでいる。
すでに勇名と悪名をほしいままにする、源氏の若き大将にして、北条政子の妹婿、源義経。
もう一手の大将、木曽義仲は、西国では無名に近いが、北条政子から抜擢を受けただけのことはあり、同じく若年ながら、武門の一流を担う貫目を備えている。
その二人と、ついでに無理やりついてきた源為朝や新宮行家を、一歩下って補佐する羽目になった
その最中に、
◆
鎌倉の町並は、例えば京の都や福原に比べれば、武骨で物々しい。
だが、華美をそぎ落とした素朴さは不快ではなく、むしろ異質の美さえ感じさせる。
その、街並みを見ながら、平重衡は思案する。
――さて、鎌倉殿に会うには、どうしたものか。
都からの伝手を頼ると、間違いなく院や摂関家に察せられる。
無用な干渉を受けたくない平重衡は、無謀にも根回しをせずに鎌倉を訪れた。
あんがい、名乗りを上げれば素直に応じてくれる気もするが、この坂東――特に鎌倉の中枢を担う連中にとって、平家は敵である。いらぬ厄介を受ける危険があった。
――とすれば、だれか目端のきく者に仲介を頼むがよいか。
重衡は考える。
頼むなら、まず北条家だろう。
鎌倉殿の一族として、また重要な実務官僚として、鎌倉で活躍する彼らならば、政子に話を通すことはたやすい。
だが、彼らは例外なく多忙である。
坂東諸国の統治、訴訟、その他諸々一切合財を処理せねばならぬ公文所方に会うのは、ひょっとすると鎌倉殿本人に会うよりも困難だ。
――すると、馬廻りか。
鎌倉殿が、各地の有力武士団より集めた、優秀な若手たち。
未来の鎌倉を担う彼らは、鎌倉殿の命令伝達、取次も行う。彼らの中で、話のわかる人間を頼ることができれば、話は早いのだが。
「おっと、ごめんなさいよ」
立ち止まって考えていると、ふいに背後から声をかけられた。
若い声だ。振り返ると、はたして立っていたのは、十代半ばとみえる少年だった。
――ただ者ではない。
構える従者を制しながら、重衡は心の中で身構える。
造作こそ若いが、顔立ちは、ひどく大人びている。
ぎらぎらと輝く狼の瞳は、油断なく重衡を射抜いており、歴戦の重衡から見ても、油断ならない相手とみえた。
「何者です?」
問う重衡に、少年は口の端をつり上げる。
「何者ですかと問われて、答えるにやぶさかじゃござんせんが……次に名を問い返されて困るのは、はて、あんた様じゃねえですかね?」
人を食ったような言葉だが、図星である。
平重衡の名は、鎌倉の往来で名乗っていい名ではない。
だが、驚くべきは別にある。
少年の言葉は、彼が重衡の素性を知っていることを意味する。
「……どうやら、ただ者ではないようですね」
「なに、たいした者じゃござんせん。
「……なるほど、どおりで」
重衡は心の中でうなずいた。
羽柴弥九郎といえば、鎌倉殿第一の従者、羽柴藤九郎の嫡男にして、若年ながら鎌倉殿の馬廻りに名を連ねる者だ。
彼一人の才覚か、あるいはとうの昔に鎌倉方に補足されていたのか……いずれにせよ、名乗られた以上、重衡はまな板の上の鯉である。
「どうか、お供方もご一緒に、ついて来てくださいやすか?」
少年の言葉に、重衡はうなずくしかなかった。
◆
少年に従い、向かった先は、鎌倉に建ち並ぶ屋敷のひとつ。
屋敷に入ると、一人の男が、待ちかまえるようにして出迎えた。
初老ながら、坂東の男らしい、日に焼けた締まった体つき。八方に目を配る油断のなさ。それでいて人好きのする笑顔の主。
「オヤジ、連れて来たぜ」
「御苦労」
少年と男は言葉をかわす。
それで、男の素性を察した。
鎌倉殿第一の従者、羽柴藤九郎その人だ。
「やあやあ。遠方より、よおぉこそいらっしゃいました。ささ、中へ。従者方も、さあさあ」
蛇窟に足を踏み入れる心地で、重衡はうなずき、従った。
案内された先は、それほど広くもない板間。
筵の席に向かい合うようにして、重衡は藤九郎と対する。
「さて、この藤九郎、とんだ野人でしてなぁ、高貴な方への礼儀なぞ、とんと心得ておりませぬ。ですので、直截に聞かせていただきましょう」
笑みを崩さぬまま、鎌倉殿の懐刀は問う。
「平家の公達が、この鎌倉になに用で?」
言葉に、刃の鋭さがあった。
――そうでなくては。
と、重衡は心の中でうなずく。
重衡は知っている。
鎌倉殿、北条政子を。あの魔王のごとき、美しき女将を。
彼女の第一の従者が、心に鬼のひとつやふたつ、飼っておらぬはずがない。
だから、重衡は揺れない。
まっすぐに、鬼の瞳を見返して、口を開く。
「鎌倉殿に、惣領宗盛の意を伝えに参りました」
そう言って、重衡は兄、宗盛の言葉を伝えた。
藤九郎は、素早く吟味するように、視線を巡らせて。
「ふむ、どうやら嘘じゃぁないが……気をつけてくださいよ。この坂東にはぁ、あんたらをぶっ殺してえってぇ
「ご迷惑を……」
藤九郎のため息交じりの愚痴に、重衡は頭を下げた。
十分に気をつけてはいたつもりが、強いて抗弁するような状況ではない。
「ま、いいさ。どの道、奥方様に伺いを立てなきゃぁなんねえ案件だ。すぐにでも取り次ぎましょう」
「ありがたい!」
重衡は勢い込んで頭を下げる。
その頭、に。
「しかし、命拾いしましたな」
ぽつりと小さな声が落ちた。
「命拾い?」
「なに、あんたが来たのがぁ3年前なら、あんたはこの藤九郎の手にかかって死んでたってぇことさ」
笑顔で。
その下に鬼を潜ませて。
藤九郎はこともなく言う。
従者たちが顔色を変えるが、無理もない。
なまなかな武士では応じ切れぬほどの鬼気が、男からは発せられている。
――その怒りは、無理もないことだ。
重衡は、藤九郎の言葉と怒りを正当なものと受け止めた。
考えてみれば、藤九郎はかつて、源頼朝の従者だった。
以仁王の乱の折、園城寺に立て篭もった頼朝を攻めたのは、他ならぬ平重衡なのだ。冷静に応対してくれている藤九郎の自制と理性には、頭が下がる。
頼朝の生存を知らない重衡は、勝手に藤九郎を尊敬する。
「さあ、酒肴をお持ちしますので、少々お待ちを。すこし骨休めいただいて、それから、奥方様の元へ案内いたしましょう」
「案内を、羽柴殿自らですか?」
驚いて問うと、藤九郎は困ったように頭をかいた。
「うちの奥方様はぁ、出来るお方ぁなんですが、とにかく予測がつかんことをやらかすのが困りもんでしてな」
心底疲れたようにつぶやく藤九郎に、重衡は思わず同情した。
これから面談しようという相手なので、重衡にとっても他人事ではないのだが。
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