八十四 政子の敵


 二年に渡る、西国の不作が引き起こした養和の大飢饉は、京の都に万を越える餓死者を出した。

 北条政子の知る歴史に比べれば、五分の一の犠牲でしかない。それでも為政者の肝を冷やすに足る、恐るべき災厄だった。


 飢饉も小康状態となった寿永二年(1183)春。

 政子が予測したように、平家の後ろ盾を失い、己の立場が不安定になった西国の武士たちが、争い始める。


 本来ならば、反乱とすら呼べない、地方の騒擾そうじょう

 だが、東国の大反乱と、それが引き起こした大混乱に懲りている朝廷は、この状況に過剰とも言える危機感を抱く。


 後白河院は、それを利用して、ひとつの提案を通した。

 すなわち。



 ――鎌倉に、すなわち北条政子に、西国鎮定を命じる。



 ことである。

 政子はこの機会を待っていた。

 西国の武士に支配を及ぼす絶好の機会だ。



「源義経、木曽義仲を大将とする。諸国の武士を率いて西国を討伐せよ!」



 素早く兵馬を整えさせ、西国へと送り出した。

 その数、およそ3000。飢饉を経て、いまだ体力の回復していない西国での軍事行動ゆえ、無茶は避けたが、かわりに兵は選りすぐっている。



「者ども! 坂東武者の、鎌倉の武威を、西国にて示すのだ!」



 士気高く、討伐軍は西国へと征く。

 鎌倉軍3000と聞いて、しかし朝廷は怒りも侮りもしない。

 なにせ、その十分の一、わずか300の坂東武者たちが、短日の内に、最悪だった都の治安を回復させたのだ。



 ――鎌倉殿ならば。あの魔王のごとき尼ならば、やる。



 そんな予測が、朝廷では支配的だった。







 都と鎌倉の様子を、福原からじっと見つめる男が居る。


 平宗盛。

 没落した平家の惣領。

 復帰に向けた政治活動の下準備を、都に残した平惟盛兄弟や、八条院に近しい叔父平頼盛たいらのよりもりに任せて、宗盛は亡き父、平清盛が心血を注いで築いた福原の地に居た。


 宗盛は、平家の再興をあきらめていない。

 あきらめていないからこそ、ここに居る。



 ――都に居ては、近すぎて見えないことでも、こうして離れて見れば、わかる。



「北条政子は、まさに武士の世を作らんとしている」



 確信を持って、宗盛はつぶやく。

 鎌倉の動きを見れば、そうとしか思えない。

 北条政子は、朝廷とは違う、武士の組織を作ろうとしている。

 朝廷に入り込むのではなく、まったく別の、独立した組織だ。

 それが、天下を左右するほどの権力を握るに至れば……まさしく武士の世、と呼ぶしかないものが現出する。



「――武士から貴族の世界に入り、頂点を極めた父、清盛とは、そこが違いますか」



 応じたのは、弟の平重衡。

 もはや没落した宗盛に、強いて従うこともないのだが、かつて都の女を騒がせた美丈夫は、当たり前のように、宗盛とともに居る。



「その通りだ。だが、だからこそ、わからぬ。朝廷にとって異物であるはずの鎌倉に、なぜ後白河院はかように協力的なのか」



 後白河院が院政を敷く上で、鎌倉の武力を頼りにする部分が大きいのはわかる。

 だが、だからといって権力を与えすぎては、いずれ両者の関係が破綻するのは目に見えている。



「鎌倉などを歓迎するならば、平家とも、もっと上手くやってくれてもよかったではないか」


「宗盛兄、未練ですよ」



 口をついて出た愚痴を弟に咎められ、宗盛はため息をつく。


 たしかに、未練である。

 だが、平家は、鎌倉よりよほど貴族的であり、朝廷という機構を尊重していた。

 後白河院との対立は、感情的にもつれた部分が少なからずあるものの、政治的な立場の違いゆえだった。だからこそ、よりによって鎌倉を、という思いが強い。



「たしかに鎌倉は異物です。ですが、鎌倉殿――あの尼御前には子がない。一代限りであれば、と思っておられるのやもしれません」


「一代限り、というがな、重衡。あの尼は二十かそこらだぞ。六十近い後白河院が、そう割りきれるものか?」


「言われると、たしかに。しかし後白河院のなされようは、鎌倉殿が、院と対立することがないと確信しておられるような……」


「うむ。そこよ、重衡。まさに、そこが解せぬのだ」



 宗盛は身を乗り出して吐きだす。



「あの尼は八条院の御猶子。八条院との協調の先に、鎌倉が存在する、というのなら、まあ、納得できなくはない。だが、それでも、これ以上鎌倉の勢力を伸ばすべきでないことは、幼子でもわかるではないか」



 政治的にはともかく、純軍事的には、鎌倉はすでに圧倒的一強だ。

 さらに西国武士団の支配権まで与えれば、その力は全盛期の平家さえしのぐ。



「とはいえ、西国鎮定となれば、現状、鎌倉殿以外には成せません」


「我らが居るではないか。いま争っておるのは、元は我らの家人同士であろう。伝手もある。平家ならば、血を流さずに乱を鎮めることも可能だ、が……」



 言いかけて、宗盛は言葉を止めた。


 宗盛自身、わかっている。

 それはあり得ない選択肢だと。



「私たちは、後白河院に逆らい、院を押し込めた反逆者です。復帰の機会が、そう簡単に与えられるわけがない」


「わかっておる。恨み言だ。聞き流してくれ」



 宗盛はため息をつく。

 平家にとって、つらい時が続いている。

 かつて政権を握っていた時のような、切羽詰まった危機感はない。

 だが、このままでは、いずれ平家は、真綿で首を絞められるようにして、窒息死してしまう。



「見極めねばならぬ。平家が、ふたたび浮かび上がるために。場合によっては、鎌倉に味方してでも……」


「とはいえ、鎌倉殿に、もはやさしたる敵もありません。小さな貢献を重ねて――どうされました、宗盛兄?」



 宗盛はふいに目を見開いた。

 重衡の言葉に、ふと、思い出したのだ。

 亡き兄、平重盛の言葉を。



「平家の敵は坂東だが、坂東の敵は、平家ではないかもしれない……か」


「宗盛兄?」


「父上が、重盛兄上に残した言葉よ……重衡、坂東の、鎌倉の敵が我らではなかったとしたら、やつらの敵は、いったいなんなのだろうな?」



 口にしながら、考える。

 平家以外の敵が居たとすれば、鎌倉は、すでになんらかの形で干渉しているはずだ。


 その視点で、考える。

 東国の反乱からここまでで、もっとも痛手を被った者はだれか。



「……寺社、か」



 気づいて、宗盛は口にした。



「園城寺、南都が我らの手で焼かれ、延暦寺は鎌倉に北陸を握られている。一連の反乱において、もっとも被害を受けたのは寺社勢力だ」


「……憶測が過ぎるのでは? それでは、亡き父上の行動まで、鎌倉殿は操りきったことになります」


以仁王もちひとおうの政変の絵図面を描いたのは、おそらくは源頼朝――あの尼の夫だ。そして以仁王は反乱に南都を巻き込んだ。となれば、考えられなくもない」



 宗盛は魅入られたようにつぶやいた。


 延暦寺や南都、それに高野山。いずれの状況も、ひどく悪い。

 賄賂が横行し、僧は戒律を守らず、酒色すらはびこり、僧兵は乱行の限りを尽くしている。



 ――ひどいものだ。心ある者が念仏に転ぶのもわかる。



 宗盛も、為政者であった。

 だからこそ、身にしみて理解できる。

 京の治安を守っていれば、自然と寺社と争わなくてはならない、その理不尽を。


 そして、ふいに腑に落ちた。

 北条政子が、自らを仏敵――第六天魔王を称す理由が。



「あの尼の敵は、寺社か……」



 あらためて。

 宗時は確信を持ってつぶやいた。



「ならば、宗盛兄。我々は寺社と手を組み、鎌倉殿と戦いますか? ふたたび栄耀栄華を手に入れるために」


「まさか。わしはそのような器ではない」



 演技めいた仕草で問う平重衡に、宗盛は首を横に振る。

 あの魔王は、まさに戦の天才だ。加えて政略でも、宗盛は及ばない。なにより。



「――重衡よ。我らは怨霊きよもりの子よ。南都を焼いた仏敵の兄弟よ。それを誇りに・・・・・・思っている・・・・・……ゆえに寺社とは、手を組めん」



 宗盛は、胸を張って断言する。

 清盛は死してなお平家を守った。

 重盛は、知盛たちは命を捨てて平家の武名を守った。


 平家惣領、平宗盛は、その思いを、行いを、全力で守らねばならない。



「わしらは、事が起こった時には鎌倉につく……ゆえに、おぬしに頼みがある」


「承知しました。宗盛兄、頼み、とは?」



 問う重衡に、宗盛は、晴れ晴れとした笑顔で言う。



「重衡。おぬしには、鎌倉へ行って欲しいのだ」





 

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