八十 北条保子



「どど、どうしたというにょだ! 保子やすこはどこへっ!?」



 北条保子――妹の出奔を聞いて、政子は思い切り取り乱しながら、弟、義時に問いただす。



「わかりませんっ! 家の者が言うには、二日ほど前に供を連れて出て、それから帰らないとっ!」


「なんですぐに知らせんのだ! 捜索は!?」


「すでにしています! こちらへの使者も即座に寄越して、着いたのがたった今です!」


「ええい、藤九郎! 藤九郎は居るかーっ!」



 政子は御殿の外に飛び出して、藤九郎を呼ばう。

 その声を聞きつけたのか、しばらくして、藤九郎があわてた様子で駆けつけて来た。



「奥方様、なに用で!?」


「藤九郎! 人を集めよ! 保子の捜索じゃ! 一刻も早く保子を探し出して保護せよっ!」


「――その必要はねえぜ!」



 叫ぶように命じる政子の声に、まるで応じたように。

 低く、響くような声がいずこからか聞こえてきた。


 とっさにあたりを見回すと、思いのほか遠くに、声の主は居た。

 侍所の方からゆっくりと近づいて来るのは、政子がよく知る、身の丈7尺の巨漢――源為朝。



「よう、魔王娘」


「為朝。ひさしいな――保子の捜索が必要ないとは?」



 挨拶もそこそこに、政子は妹について問いただす。

 源為朝は答えない。ただ、唸るように息を吐いてから、しみじみと言った。



「……魔王娘。テメエの妹、ちょっとすげえな」


「すげえ? たしかに保子はすげえ可愛いが、それがどうした?」



 政子の返事には、一片の迷いもない。

 続く言葉を失ってか、為朝は困ったように頭をかいた。



「いや、そういうすげえじゃなくてよ……おれさまが越前からこっち来る途中によ。伊豆の三島で泊まったんだが……あの娘、忍びこんで夜這いかけて来やがった――うお!? あぶねえな!? いきなり太刀振りまわしやがって!!」


「姉上!? いつの間に僕の太刀――ちょ、落ち着いてくださいっ!」


「小娘! 落ち着けっ!」


「うるさい! へし切る! かわいい保子をキズものにしよって!」



 藤九郎に羽交締めにされ、義時に足に縋りつかれながら、政子はなお太刀を振りまわす。



「おれさまじゃねえよ! 義経だよ義経!」


「そうか! 義経か! よし斬る! 義経はどこじゃーっ!」



 為朝の言葉に、政子の怒りが瞬息で義経に向いた、その時。



「ここですわっ!」



 と、女の声が響く。



「保子!?」



 瞬時に判断して振り向くと、居た。

 こちらに向かい、歩いてくる妹……と、抜け殻のようになった義経が。


 政子はおろおろと、ふたりに向かって歩いて行く。



「保子! や、保子! なんでそんなやつとくっついておる? いかんぞ、そんなはしたない真似、お姉ちゃん許さぬからな!?」


「落ちつけ魔王娘、なんか人格変わってるぜ?」



 為朝が突っ込んだが、政子の耳にはまるで入っていない。

 あわてる政子を尻目に、保子は、花のような笑みを浮かべて宣言した。



「お姉さま! わたくしこの度、義経様と夫婦めおとの契りを交わしましたのっ!」



 衝撃の発言だった。

 みな、思わず顔を見合わせてしまう。

 源義経を知る人間ならば、彼が北条政子にただならぬ想いを抱いていたことを知っている。

 政子に一切、これっぽっちもその気がない以上、いずれ吹っ切るのが道理だが、それにしたって急な話だ。



「忍びこむために、小娘が男装してたのが決定打だったぜ」



 優しい男たちは、為朝の言葉を聞かなかったことにした。



「そそそんな、まことか義経、まことか? へし切っていいか?」



 動揺しまくりな様子で質す政子だが、義経は虚ろな視線のままだ。



「……すまん。おれは……おれは……」


「どうしたのじゃ、おぬし? 浮気がばれて絞られた後の藤吉郎みたいになっておるぞ?」


「魔王娘、藤吉郎って誰だ? 藤九郎の間違いか?」


「なんでぇこっちに話飛んでくるんですか! やめてくれよ!?」



 藤九郎が謎の風評被害を食らっているのはさておき。



「姉上、お願いですから落ち着いてください。元々二人の結婚は、姉上も望まれたことじゃないですか」



 義時の慰めの言葉も、政子は納得しかねている。



「そうじゃがの。そうじゃがの。なんか、こう、なんかの! おいちーっ!」


「お市って誰ですか!?」



 政子の動揺は深刻だ。

 あまりにひどいので、今度は藤九郎が、あやすように声をかけてくる。



「とにかく、まずは落ちついてぇ下さいよ、奥方様。ほら、息を落ち着けて」


「う、うむ……」


「奥方様が親の気持ちなのはぁわかるけどよ、そう頑なに否定しちゃあ、保子様も義経様も立つ瀬がありませんぜ」


「じゃが……保子ー」



 政子が救いを求めるように、妹に視線を送る。



「お姉さま」



 保子の瞳に迷いの色はない。

 政子は、長い葛藤ののち、ようやく折れた。



「……義経よ。そちは、このわしが一等見込んだ男じゃ。わしの最高の妹である保子の婿として、納得できるほどにな……どうか、妹を頼んだぞ」


「……まあ、お前が……こんなに、取り乱すほど大事に思っとる娘だ。お前がどうしてもって言うのなら……かわりに貰ってやるのも、悪くはない」



 微妙に通じているような、通じていないような会話である。

 横で見ていた源為朝が、深いため息をついて、保子に視線を向ける。



「つくづく、こじらせてやがる……こんな男でいいのか、魔王娘の妹よ?」


「はい。きっとうまくやれますわ」



 北条保子は、自信たっぷりに答える。



「――だって、義経様、わたくしとおなじくらい……お姉さまのことが大好きなんですもの」



 保子が、輝くような笑みを浮かべる。

 その、思いきりこじらせた答えに、為朝は腕組して、ふたたびため息をついた。



「義経……おまえ、気づいてねえかも知れねえが、とんでもねえのに捕まっちまったぞ……」



 時に養和2年3月。

 うららかな春の日の出来事だった。

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