七十九 鎌倉殿


 養和元年11月。政子は鎌倉に入った。

 東国一円の年貢を都へ届ける任を帯びた北条宗時ほうじょうむねときが、坂東勢300騎を率いて京に入ったのは、それから少し遅れてのことだ。


 魔王の手先。野蛮凶暴な坂東武者。

 悪名は轟いていたが、宗時たちが運びこむ食糧は、都人にとって、それ以上に刺激的だった。


 飢饉の冬だ。

 やがて自分たちの飢えを癒すであろう食糧を見て、都人は上から下まで宗時らを歓迎した。


 後白河院はこの空気を受けて――あるいは率先して、宗時を賞し、同時に検非違使尉けびいしのじょうの職を与えて都の治安維持を任せた。


 たび重なる天災、戦災によって、都の治安は極度に悪化している。



 ――容易でない任務を押しつけられたものよ。



 宗時に好意を抱く者、敵意を抱く者、誰もがそう思った。

 だが、大方の予測を裏切って、宗時は都の治安を急速に回復させていく。



「これはなんとしたことぞ」


「まさか、まさか……」



 驚き我が目を疑う者も多かったが、見える者は見ている。



「状況はもう変わってるの。都の治安を守るのが、あの坂東の軍なんだから、なにも不思議じゃないわねん」



 院近臣、藤原成親ふじわらのなりちかは、そう言って微笑んだ。


 都の治安悪化の一因となっていた飢民に、わずかとはいえ食が回り始めたこと。

 また、半ば盗賊化していた貴族や寺社の衛士たちも、滞りがちだった給与の目処がたち、略奪が必ずしも必要ではなくなったこと。


 さらに、都の治安を守るためにやって来た、坂東の武者たち。

 僧兵を殺すことを躊躇わず、平家の大軍をも破った精強無比なる魔王の先兵。

 その武名と悪名をみなが恐れたことで、都の治安は劇的に回復したのだ。


 後白河院はこれを喜び賞し、宗時を正五位下に昇らせ、同時に主たる政子にも、接収していた関東の平家系荘園の公認、および関東諸国の、国主の地位を与えた。

 もっとも、これは都に上納する税を保証させるための、院の都合による面が強く、早期に鎌倉の主権を確立させたい政子にとっては、よりによっていまか、と文句をつけたくなる間の悪さだったが。







 都がゆるやかに復調の兆しを見せ始めたころ、鎌倉も本格的に動きはじめた。

 都の建設、港の整備を進めつつ、伊豆に詰めていた官僚たちを呼びよせ、名目上だけでなく、実質的にも鎌倉を行政府とする。


 そこで、あらためて武家組織の構築を本格化した。

 ある日、政子は官僚団の筆頭といっていい弟、北条義時を呼び寄せ、温めていた思案を述べた。



「まず、組織の骨子とすべきは、旧来のつながり。すなわち主君と家人の関係じゃな――これを、組織の大きさに見合った呼び方に変える」



「すなわち」、政子は言う。



「武士の都鎌倉の主――“鎌倉殿”と、鎌倉殿御家人――“御家人”じゃな」


「鎌倉殿と、御家人……」


「まあ、他に気の利いた名前があるわけでなし、そこはひねっておらん。が、呼び方を変えれば意識も変わる。そこは徹底させねばならん」


「はい」



 政子の鎌倉入りに際しての、儀礼的な忠誠の誓い。

 あれ以降、明らかに武士たちの意識が変わった。それを知っているからだろう。義時は素直にうなずいた。



「御家人の指揮監督にあたる侍所さむらいどころの別当(長官)は、とりあえずはわしが兼ねる。まだ各国の侍を束ねる源氏を、まとめられるほどの者が居らんゆえにな。じゃが、業務自体は有力御家人に任せよう」



 北坂東、甲斐、信濃、北陸は、それぞれ所縁の源氏を置いて武士団を率いさせている。

 それがゆえに、彼らを率いるとなると、現状政子くらいしかいないのが困りどころだ。

 京の宗時がもう少し出世して帰ってくれば、あるいは別当職も務まるかもしれないが。



「その、源氏は」


「“御門葉ごもんよう”として一門扱いする」


「一国の武士を率いる一門格……強すぎはしませんか?」


「義時よ、小さいぞ」



 不吉な可能性を示した義時を、政子は笑って諭す。



「なるほど、坂東十ヶ国のうちの一国と考えれば、強すぎるとも思えよう。じゃが、わしらが統べるべきは日ノ本六十六ヶ国すべての武士ぞ」


「……姉上がそのようにお考えなら」



 義時は十分に納得していないようだったが、頭を下げた。



「つぎに政務のほうじゃが……武家の組織を作るのに、国司のつとめも考えねばならぬのがややこしいのう」


「かといって、部署を分ければ手が足りません」


「いまはまだ、坂東の情勢も安定しているとは言えぬ。双方が綿密に連携して訴訟ごとや財政処理にあたらねばならぬ……そう考えれば、とりあえずはまとめた方がよい、か」



 政子はため息をついた。

 ひとまず公文所として、官僚団をその任にあたらせる。

 諸国から集めた武士団の若手連中を教育中だが、一刻も早く育ってほしいものだ。



「いますこし、細かく職を定めたいが……組織を回すは坂東武士ヤンキーじゃしなあ。これ以上は時期尚早か」



 ざっくりとした形を決めた政子は、さらに多くの者に相談して詳細を詰め、新たな組織の絵図面をつくりあげた。


 それを、実体を持った形にするには、儀式ばったものが必要になる。

 政子は京に送った者たちを除く、主だった有力武士たちを鎌倉に集めた。


 招集の令が発せられると、それに応じて各地の武士たちが、鎌倉に集まって来る。


 短日の内に、とはいかない。

 鎌倉からはるか離れた越前の源義経などを呼び寄せるには、やはり時がかかる。

 にわかに騒がしくなった鎌倉で、武士たちの集結を待っていた、そんなある日。



「――姉上!」



 昼下がりの大蔵御所。

 いつのまにかやって来ていた義時に声をかけられ、政子は「ふむ?」と声を出す。



「どうした、義時?」



 のんびり応じる政子に対して、義時は焦りに焦っている。



保子やすこ姉様が、保子姉様が!」


「いったいどうしたのだ。保子がどうした」


「出奔されました!」



 にわかに信じられない弟の言葉を、咀嚼し、理解して。



「にゃんじゃとーっ!?」



 政子は珍妙な悲鳴を上げた。


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