七十八 奉公せよ


 養和元年11月。

 北条政子は木曽義仲、足利義兼、源範頼、志田義広ほか、100ほどの手勢を率いて鎌倉に到着した。

 迎え出たのは、上総広常、千葉常胤、三浦義澄をはじめ、鎌倉で新都建設を進めていた、南関東の豪族衆。



「出迎え御苦労!」



 政子は馬を進めて、出迎えた一同を労う。



「報せを受けて知っておろうが、朝廷にわしらを認めさせたぞ! もはやわしらは朝敵にあらず!」


「おおっ!」


「朝廷が、我ら坂東を!」


「おめでとうございます!」



 口々に祝いの言葉を述べる豪族衆を、政子は手で制し、続ける。



「だが、これで終わりにしては、今までとなにも変わらぬ! また新たな権力者が出て、当たり前のように田畑を奪われる。都の政情に振りまわされる……そんなことがあってはならぬ!」



 一同を見回して、政子は説き語る。



「いまこそ、わしらは強くまとまって、作らねばならぬのだ。武士の、武士による、武士のための組織を! そのための都づくりぞ! みな励んでくれいっ!」


「おおっ!」



 高ぶり、嗚咽し、また吼える。

 その歓声を受けて、政子は馬を進めていく。



「御台様!」


「我ら武家の棟梁たる源家を統べる御台様!」


「尼将軍!」


「我ら坂東武士団の主、尼将軍!」


「我らの土地を安堵下さった御恩あり!」


「奉公せよ!」


「我らのいさかいを平らかに治めてくださった御恩あり!」


「奉公せよ!」


「我らの土地と命を脅かす平家を打ち破って下さった御恩あり!」


「奉公せよ!」


「我らの痛切なる悲願を、叶えてくださった御恩あり!」


「奉公せよ!」



 歓呼の声に囲まれながら、政子は左右に割れていく豪族衆の中を進む。

 視界が広がり、鎌倉の、出来つつある街並みが見えて来て――政子は振り返る。



「大義である! さあ、酒肴は用意しておろうな!? こたびは凱旋ぞ! 今宵は祝いぞ!」



 政子が手を振り上げると、ひときわ大きな歓声が上がった。







 鎌倉の中心たる大蔵おおくら御所はすでに完成している。

 大人数を放りこめる侍所さむらいどころの敷居を取りはらって、祝いの席が設けられた。


 飲めや歌えや、やれ勝負だ喧嘩だと、宴は深夜まで続いて終わる気配がない。

 酒の勢いもあってか、普段は威圧されて寄りつかぬ者たちも、浮かれ気分で近づいて来る。



「尼御台様! 尼御台様マジすげーっス! 俺尼御台様超尊敬リスペクトっスよ!」


「パネエ! そう、パネエ! とにかくパネエっス! ちっちぇーのにパネエ!」


「酒! 酒! 飲めないんスか酒! つーかもう帰るんスか? ダメっスよ宴の主役が!」


「黙れおにゅしらへし切るぞ! 樋殿トイレくらい静かに行かせい!」



 怒鳴りつけると政子は、はて、樋殿はどこかと迷った。

 なにせ新築の家だ。貴族風の寝殿造で、基本構造は変わらないとはいえ勝手が違う。



「ふむ、誰ぞに案内させるか……」


「わしがぁ案内しましょう」



 と、声をかけてきたのは、従者の藤九郎だった。



「藤九郎」


「お仕えする主のぉ住まいです。御所のことはよく存じてますとも」



 微笑んで、藤九郎が先導する。政子は従った。

 深夜だ。ほてった肌に、夜風が心地いい。



「奥方様、鎌倉はどうだ?」



 ふいに、藤九郎が尋ねて来る。



「まだまだ出来かけの都じゃが上出来よ……じゃが、歓迎の折のあれ、“奉公せよ!”というのは、仕込みは上総広常か? やり過ぎじゃわ」


「やり過ぎか? それくらいのことは、奥方様はやってると思うんですがね」


「盛り上げ過ぎじゃ。これから都が出来て、武士の政の府をつくったとき、あれ以上にどう盛り上げよというのだ」


「ははっ! なるほど、そりゃあそうか!」



 藤九郎は笑いながら、御殿の一角を示す。



「ほら、目的の場所はあそこですぜ。御殿に入りゃ、誰か女房が残ってるはずだ」


「デアルカ」







 それから。

 政子が用を足して表に出ると、階下に藤九郎が控えていた。



「なんじゃ、藤九郎。待っておったのか」


「ええ、勝手に待たせてもらってますよ」



 藤九郎は笑って政子の先に立つ。



「奥方様」


「なんじゃ」


「……ありがとうよ」



 不意の言葉に、政子は眉をひそめた。



「なんじゃ、藪から棒に」



 首をかしげたが、藤九郎は答えない。

 ただ天を仰ぎ、語り出した。



「……わしは、頼朝様が伊豆に流されてからぁ、ずっとあの方をお支えしてきた」



 ゆっくりと、なつかしむように、藤九郎は語る。



「最初はぁ、義理と同情からだった。元は貴族だったってぇ方が、侘びしい住まいで毎日沈んだ目で読経三昧ってのが哀れでなぁ……だが、奥方様に会って、頼朝様は変わった」


「変わったか」


「変わった。流人に似合わねぇ大望を持つようになった。ひとつ間違えれば処刑されかねん危険を侵すようになった。だけどわしはぁうれしかった。あの方は生き返った。比喩でも何でもなく、奥方様が生き返らせてくれたんだ」



 藤九郎の言葉に、政子は静かに耳を傾ける。



「――それから、奥方様のおかげで罪を許されて、奥方様と結婚して、お支えするわしとしちゃあ、そりゃぁ忙しくもうれしい日々だった。だけど、なあ。頼朝様は、よっぽど奥方様が大事なんだろうな。わしに、奥方様を頼むと……頼りにされてるのは知ってたがぁ、口惜しくもあったな。都で出世を重ねるあの方のそばで、わしがお仕え出来ねえことがな」



 思いを語る、その瞳は、はるか彼方を見つめている。



「そして、あの方は逝った。志半ばにして」



 彼方より、視線を戻して。

 藤九郎は政子に笑顔を向けた。



「だが、その志を、奥方様は成し遂げた。頼朝様の名誉も回復した。それで、頼朝様が報われた気がしてな……あんたのおかげだぜ。ありがとうよ。奥方様こむすめ



 その、心よりの感謝に。

 政子は気まずくて仕方がない。


 北陸に詰めっぱなしで、伝える機会が無かったのも事実だが。



「……あー、ひょっとして、じゃが。おぬし兄上からなにも聞いておらんかったか?」


「なにをだ?」



 おそるおそるの問いかけに、藤九郎はきょとんと首をひねる。



「頼朝は生きておる」



 政子の言葉に、藤九郎は数呼吸、停止して。



「な、なんだってーっ!?」



 叫んだ。



「――どこだ、どこで生きてらっしゃる! どうして顔をお見せにならないんだ教えろ奥方様こむすめっ!」


「落ちつけ。それから声が大きい。他言無用の秘事ぞ」



 詰め寄る藤九郎を、政子があわてて咎める。

 藤九郎は、はたと辺りを見回し、誰も聞いていないのを確認して、ほうと息を吐いた。



「……なんでだ?」


「頼朝は、死んだと見なされたをいいことに、表仕事はわしに任せて、裏で暗躍したいらしい」


「居場所は……わかるか?」


「為朝が近江で会うたと言っておったが……すでに場所を移しているやもしれぬ」


「くっ! 飛んでいきてえが……奥方様こむすめのこと、任されてるからなあ」


「この状況でおぬしに去られたら泣くぞ。本気で。ただでさえ手が足りんというのに」



 政子が、脅しのような泣き事を言う。

 兄、宗時を都にやった今、藤九郎が居なくては、家中が回る気がしない。



「わかってるぜ。奥方様こむすめと頼朝様が、力を合わせて成そうってぇ大望ゆめだ。それを支えるのが……わしの役目だ」



 未練を残しながらも、藤九郎は断言した。

 ありがたい言葉だった。



「で、あるか」



 政子は口の端を曲げて笑う。

 笑って、藤九郎に語りかけた。



「……頼んだぞ。藤九郎」

 

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