七十七 いざ鎌倉


 養和元年9月。

 朝議の席の多くを占めていた平家がその官職を返上。

 坂東反乱軍の朝敵認定は解除され、その存在が事実上追認された。


 この巨大すぎる半独立勢力を、今後どう扱うか。

 北条政子との密談により、その真意を確認した後白河院は、彼女が示した着地点に向けて、慎重に、だが確実に動き出した。


 その様を、源頼朝は都にほど近い、鄙の草庵から俯瞰していた。



「――さて、政子殿が打った奇手が効いて、後白河院は坂東の取り込みに舵を切りました」



 目の前に碁盤を置いて、黒白の碁石を手の中で弄りながら、頼朝は一人語る。



「院近臣……その最有力たる藤原成親殿は、親後白河院。ですが、平家、特に平重盛殿との太い繋がりが意味を成さなくなった今、かわりの力を求めておられる。後白河院が坂東取り込みを狙う以上、成親殿も死んだ私との縁を通じて坂東に接近して来るのは間違いありません」



 碁石が、頼朝の手の中でぶつかり音を鳴らす。



「摂関家は……平家の政変により失脚した松殿家は、前関白基房もとふさ様が政子殿の後見役として親坂東。近衛家の当主基通もとみち様は親平家の立場ではありましたが、後白河院のご鍾愛を受けて、いまは親後白河院と言っていいでしょう。九条家は、当主兼実かねざね様は聡明英知の主ではあるものの、批判家で後白河院との折り合い悪く、疎まれている。三家それぞれが反目しあい、かといって独力で何かを成せるほどの実力は、すでにありません……ただ――」



 碁石を弄びながら、頼朝は碁盤に黒石を置く。



「今以上に寺社と結びつかれると、少々厄介。私からの応手が必要でしょうね」



 たがいの石の生き死にが明らかでない、まだら模様の空中戦だが、頼朝は攻めの手を止めない。



「その、寺社ですが……南都、園城寺は平家に焼かれ、この飢饉で思うように復興も出来ていない。延暦寺も四分五裂な上に一度僧兵を失い、戦力を減じた上に、坂東に台所を抑えられている……ですが」



 頼朝は白石を、盤上に立て続けに打ちこむ。



「飢饉。反乱。略奪。政情不安……居場所を失った民やまつろわぬ者を受け入れて、この先勢力を爆発的に膨れ上がらせるでしょう。寺社自身が、己を制御できぬほどに」



 白石が、膨らみながらも、それ以上に己の陣地を埋めていく。

 囲碁の勝負としては、意味のない手。だが、現実ではどうか。



「ここに没落した平家が結びつくと、少々厄介でしたが……どうやらそれはなさそうです。用意していた応手を打たずに済んで、よかったのか悪かったのか。平宗盛殿は、よく一門を統制している」



 湿り気を帯びた笑みを浮かべ、頼朝は碁盤から顔を離す。

 はるか彼方。仰ぎ見るは北国越前の地。



「さて、政子殿の手番です。どうぞ、ご随意に」







 養和元年10月。越前国国府。

 朝廷よりの宣旨を受けて、政子は今後について図るため、北陸軍の主だった将を集めた。



「……さて」



 と、政子は宣旨を読み上げて、一同に示す。



「――これでわしらは朝敵ではなくなった。坂東という勢力が、朝廷に認められたと言っていい」


「おお!」



 と、幾人かの将が歓声を上げる。

 政子自身は、別に朝敵だろうが仏敵だろうが構わないのだが、誰もがそれほど心を強く持てるわけではない。



「かわりに年貢を納めねばならぬが、納めさせる権利・・・・・ちからは、現状わしの元に在る。それが朝廷に追認された。と考えれば、坂東を組織化するよいきっかけとなる」


「坂東を、組織化する、ですか」



 声を発したのは、政子の妹婿、足利義兼だ。



「うむ。もとより朝廷との和解は既定路線よ。坂東の組織も、下手に新たな制度を作って朝廷が譲歩不能になるよりは、と既存の仕組みをあれやこれやと工夫してやってきた。じゃが、合法化した今、なんの遠慮があろうか!」


「それ逆じゃないですかね!?」



 足利義兼の突っ込みを、政子は鼻で笑う。



「くくく。坂東武士団の一元管理もその先も、すでに治天の君に納得させた! ゆえに問題はない!」


「それでも、摂関家や貴族方の反発を考えれば、急ぐ問題ではないのでは……?」


「否! 否ぞ義兼デクノボウ! 日ノ本を治める新たな組織が出来ると知れば、奴らは必ず、これを取りこみにかかる! 官僚として組織の中に入り込み、縁故を通じてよしみを通じ、血縁を送りこんで己の望むままに操らんとする! それがゆえに! 坂東を強固にまとめることこそが急務なのだ!」



 政子は一同を見回して、理解を促した。

 放っておけば、組織自体が貴族の食い物にされてしまう。

 それを突きつけられて、理解出来た者はみな息をのんだ。



「なら、その間おれたちはどうするんだ? 邪魔な貴族をぶっ殺してればいいのか?」


「おお? 坂東の敵、姐さんの敵をぶっ殺すなら、おれっちの出番だな!」


「じゃあおれさまは白山社相手に遊んでていいか?」


「義経! 頭脳労働めんどうなことを他人に放り投げるでない! 義仲! なにも考えずに乗っかるな! 為朝、こんなときに寝た延暦寺を起こすなっ!」



 源義経、木曽義仲、源為朝の三人衆が明後日に向かい出したので、政子は全力で突っ込んだ。







「さて、ともあれ坂東に組織を作る。そのためにも、新たな都、鎌倉に入らねばならん。北陸は義経、うぬに任せる」


「わかった」



 政子の言葉に、源義経はうなずく。



「都に米穀を納めねばならん。加えて、悪化の一途をたどっている都の治安維持の打診もあった。この時期に都に兵を入れるのは心底嫌なのだが……300。坂東の支援で、なんとかそれだけは送ろう。当たり前だが坂東を代表していくのだ。都で問題を起こさず、尊厳も損なわず。そんな者が理想じゃが……」



 政子は居並ぶ諸将のただひとりに、視線を送る。



「義兼、おぬしくらいしかおらんよなあ……」


「義姉上、奥州との取次をしつつ、上野国ほか周辺武士団の利益調整をしながら、同時に都の治安維持というのは……」


「ついでに貴族連中との連絡役も務めて欲しいんじゃが」


「申し訳ありませんが無理です!」



 源義兼が悲鳴を上げて平伏した。

 とりあえず義兼、で通るほど便利な存在だが、体が一つしかないのが難点だ。



「じゃが、ほかに出来そうなのといえば、宗時の兄上くらいしか……」


「それでいいじゃないですか! 宗時義兄上は名誉回復されて従五位下! 尼御台様の兄君ですから、坂東、都双方での格的にも京での調整役にこれ以上の適任はいません! 能力にもまったく不足はないではないですか!」



 めずらしく全力で突っ込まれて、政子は思わずたじろいた。



「じゃが、鎌倉に都を建てようというときに、南坂東の調整役が出来る宗時兄上を引き抜くというのはのう……」


「それこそ、義姉上が鎌倉に入られたら一気に解決するじゃありませんかっ! その補佐ということなら、御令弟の義時殿や藤九郎殿で不足ありますまい!」


「う、うむ」



 必死かつまっとうな主張に、政子はうなずかざるを得ない。

 よく考えれば、足利義兼は以仁王の乱からこの方、政子の命で四方八方に働き、新婚なのにろくに夫婦生活も送れていない。



 ――時子いもうとにまで怨まれたくはなし、多少は骨を休ませてやってもよいか。



 それでも、なにかあれば義兼を使うのだが。

 ともあれ、次にやるべきことが山積している以上、いつまでも越前に腰を落ち着けてはいられない。


 目指すは南、坂東の都。

 立ち上がり、政子は諸将に命ず。



「いざ、鎌倉へ! 坂東の者どもも、わしらの帰りを待っておろう――皆の者、凱旋と参ろうではないか!」

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