七十一 三条野合戦


 静かに、敵を待ちうける。

 峠越しにえていた軍気に馬蹄の音が加わり、やがてそれは実体を伴って重盛の眼前に現れた。



「――来たか」



 重盛はつぶやいた。

 源氏の白旗を掲げた騎馬武者の軍団は、峠から続々と吐き出されている。

 騎馬武者たちは、いずれも達者と見えて、坂道を苦にせず、まるで散歩でもするような気軽さで馬を走らせている。



 ――俘囚ふしゅうとは、奥州藤原の武者とは、これほど馬術の達者か。



 重盛は内心で、感嘆の声を上げた。


 俘囚とは、朝廷に帰属した蝦夷えみしのことだ。

 奥州藤原氏は、その長――俘囚の上頭を称する大豪族。

 その祖、藤原経清ふじわらのつねきよは、源氏の祖、源頼義みなもとのよりよし鋸挽のこぎりびきで惨殺された。

 その子、藤原清衡きよひらは、頼義の子、八幡太郎義家はちまんたろうよしいえを利用して、奥六郡を手に入れた。


 そして現在。

 藤原清衡の孫、秀衡は、八幡太郎義家の玄孫、源義経を利用せんとして背かれ。

 義経は兄、頼朝の妻、源氏を統べる坂東の尼将軍、北条政子に従い、奥州武者を引き連れてこの地に居る。



 ――なんと恩讐深き間柄か。



 感慨を抱いて――重盛は首を横に振った。


 死を覚悟したためだろうか。

 どうも最近、様々なものに心を動かされてしまう。



「――重盛兄」



 と、弟、知盛が声をかけてきた。



「あれが敵の大将、源義経でしょうか」



 平知盛が指さすさきには、奥州の兵とは毛色の違う、小兵の騎馬武者。

 明らかに気格が違う。鬼気さえ纏ったその男は、兵馬を自在に指図しながら、眼光鋭くこちらを見すえている。



「で、あろうな」


「若い……」


「だが、中身は鬼か魔の類よ。舐めるなよ」



 平知盛の言葉に侮りの色はなかったが、重盛はあえて忠告した。

 平家の力が強い越後、越中をたやすく挽き潰し、白山社を敵に回して悪鬼羅刹のごとき蹂躙劇を演じた、その主役だ。弱いはずはない。



「最期の戦です。侮りはしませんよ」



 苦笑を浮かべる弟の、その自然体の覚悟に、重盛は優しい笑みを浮かべた。

 平知盛は、父清盛がもっとも将来を嘱望した平家の麒麟児だ。仏敵きずさえなければ、平家のためにも生きて欲しかった。


 重盛はもう一度、首を左右に振って未練を振り払う。

 なにもかも、もう遅い。



「おお、話には聞いておったが……なんと懐かしい顔だ」



 峠を下って来た、ひときわ大きな武者を見て、重盛は声を上げた。


 重盛はその男を、二十年以上前に見た。

 身の丈七尺を越える巨漢で、五人張りの強弓をやすやすと引き、一矢で二、三人を射殺す化物。



「――見よや、知盛。あれが鎮西八郎為朝よ」


「あれが……」



 平知盛が息をのんだ。

 源義経とは、また毛色が違う。

 だが、万夫不当を姿であらわしたような一個の修羅。



「重盛兄は、保元の乱の折……」


「同じ舞台にすら立てなんだわ。武の極致にもっとも近い者があるとすれば、それはあ奴であろうよ」


「なるほど。それは……我らの最期にふさわしい相手ですな」


「鎮西八郎を相手に、平家の意地を示せるならば、そうだな」



 肩をゆすって、重盛は手を握り、開く。

 掌には、うすく汗がにじんでいる。



「まともにやれば、やつの武勇譚を彩る綾のひとつにしかならんだろうな……せいぜい気張らねば」



 話す間にも、義経の軍勢は峠を降りて三条野に展開していく。

 後陣に続く兵には、徒歩武者が混じっている。

 それらは奥州兵とは、少し毛色が違う。



「加賀の武士団か」


「おそらくは。林、富樫、井上……こちらの呼びかけに応じなかった者達でしょう」


「奴らも運の悪いことよ」



 重盛は笑って言う。



「死を覚悟して戦う我らの相手をせねばならんのだからな。せいぜい、武名の肥しになってもらうとしよう」


「ですな」



 知盛も笑う。

 笑って、敵陣を見る。

 三条野に広がっていく敵軍の中央。巨人と小兵の武者が、馬を並べている。



「知盛、馬に耳栓を。北条政子が使うという通力――謎の轟音を、義経までもが使うとは思えぬが……」


「はっ、皆に指示をいたしましょう」



 平知盛が指示を下す。

 それを待って、重盛は弟の背を、そっと押す。



「さあ、頼んだぞ、大将軍」


「ええ」



 平知盛は、笑って馬を進めた。







「そこにおわす御仁、源義経殿とお見受けする!」



 平家の赤旗の集団より一歩前に出て、平知盛は大声で呼びかけた。

 すると、白旗の集団の中央に居た、小兵の騎馬武者が、やはり前に出て叫ぶ。



「その通り。おれが義経だ。そういうお前は何者か!」


「平家の大将軍、平知盛!」



 平知盛が名乗ると、義経が馬上で手を打った。



「おお、お前があの東大寺を焼いたという! うちの尼将軍が手を打って喜んでおったぞ! 降れば首を打つ前にたっぷり褒美がもらえるんじゃないか?」


「仏敵を賞するとは、さすが第六天魔王の化身と言ってはばからないだけのことはある――が、褒美は辞退させてもらおう! 義経殿こそ、一族そろって朝敵では英祖八幡太郎義家公に申し訳あるまい! 朝廷に降られてはいかがか!?」



 源義経の戯言に、平知盛が返す。

 すると、ふいに源義経が笑いを爆発させた。



「はははははっ!!」


「なにがおかしい!?」



 平知盛が戸惑いながら質すと、源義経は、背後の巨漢を示しながら言う。



「ここに居る男の名を知らぬわけではあるまい! 知らぬなら教えて進ぜよう! 鎮西八郎為朝! 後白河院に弓引いた武士もののふよ! この男がわしの側に居る事実こそ、百万言に等しい返答であろう!!」



 源義経が笑う。

 平知盛も笑った。

 平家どころか後白河院までも敵にすることを恐れない、畏れ多くも小気味よい返答だった。



「であれば」


「おお、であれば」



 両軍の大将は笑い、同時に戦闘開始の合図を送る。



「――戦おうではないか! 源氏の賊軍!!」


「――相手してやろう! 平家の烏合ども!!」



 治承5年6月8日午刻ひる

 ときの声を合図として、合戦が始まった。

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