七十 覚悟



 治承5年4月初頭。京の都、六波羅館。

 惣領宗盛の屋敷を、兄の平重盛と、弟の平知盛とももりが訪れた。

 いずれも覚悟を定めたような、尋常でない顔つきで、家人は怯えながら二人を宗盛の元に案内する。


 二人の様子に察するものがあったのか、二人を歓迎しながらも、宗盛の表情は、硬い。

 挨拶もそこそこに、平重盛は切り出した。



「宗盛殿。戦況は悪い。あまりにもだ」


「……それほどまでに悪うございますか。源義経が坂東に従ったのは」



 宗盛としては、反乱軍の離合が、それほど情勢に影響を及ぼすとは思えない。

 だが、その甘さを咎めるように、兄重盛ははっきりと断じた。



「正直に言う。平家にとって致命傷だ」


「ち、致命傷……」


「宗盛殿、けっして大げさではない。」



 残酷な現実をつきつけられ、絶句する宗盛に、重盛は語った。



「源義経が坂東に従った以上、父が奥州に打った手では、奴らは止まらん。放っておけば北陸の失陥は確実だ。これを看過すれば、どうなるか……これは、宗盛殿の方がわかろう」


「は、はい」



 宗盛はうなずく。

 軍事ではない。政治の話ならば、宗盛の予測は素早い。



「――平家は己の生命線たる北陸道すら守る力がない。あるいは守る気がない……となれば、後白河院は平家を頼りと思わず、我らを支えてきた武士団、貴族にも動揺が走りましょう」


「うむ。それよ」



 得たり、と、重盛がうなずき、言葉を続ける。



「――しかし、だからといって、鎮圧の軍をおこして、勝てるかと言うと、それも無理だ」


「そ、そのようにはっきりと」


「緊急時だ。歯に衣着せずに言うが、兵糧が足りん。近隣諸国より徴発しても、養える兵は3000に届かん。しかもそれをやれば、都はさらに飢える」


「西国は、今年も雨に恵まれず、回復の見込みもありません」



 弟、知盛が、言葉少なに補足した。


 残酷な予想が、徐々に現実となりつつある。

 後に“養和ようわの大飢饉”と呼ばれる一大天災は、西国を底なしの飢餓地獄に堕とそうとしていた。



「それを無視したとしても、3000では義経に勝てん」



 と、重盛は断言する。



「坂東が後ろ盾についた以上、北陸の武士団にも坂東に従う者が多く出よう。しょせん烏合の衆、と侮れぬ。なにしろ、相手が烏合の衆だとすれば、富士川の合戦で多くの将を失った我らは、烏合の衆未満ゆえ、な」



 富士川の合戦では、伊藤忠清いとうただきよを筆頭に、多くの侍大将を失った。

 軍の屋台骨である侍大将の喪失は、平家の軍事力の決定的な低下をもたらしている。



「征伐もならず、静観もならず……兄上、ならばどういたしましょう?」


「そこよ、宗盛殿」



 宗盛がすがるようにして尋ねると、平重盛は、笑って言った。



「――俺は死のうと思う」


「なっ!?」


「私もです。宗盛兄」


「知盛! おぬしもなにを言って――」


「俺たちだけではない。北陸所縁の一族を連れて、領国越前で兵を募る。命知らずの千や二千は集まろう。それで、最後の意地を見せる」


「なぜです!? 戦をするというなら、養える限界まで、都でも兵を募ればよいではありませんか! 千や二千の兵でなんになるというのですか!」


「宗盛」



 必死に言い募る宗盛に、語り聞かせるようにして、平重盛は説く。



「――平家は栄耀栄華を極めた。父清盛は天皇の外祖父となり、位人臣を極め、万の財貨を積み、天下の武士団の長であった……だが、それは忘れよ。すでに平家には、坂東の攻勢に抗う力などない」


「兄上!」


「聞け! 平家は没落する! その現実を受け入れよ! まずはそれを受け入れねば、なにも成せん!」



 反論を許さず、重盛は残酷な現実を突きつけた。

 喉元に刃を突きつけられたように、息をのんだ宗盛は、震える声で、吐き出すように問う。



「このままでは、平家は没落する……ならば、兄上。千や二千の兵で何をされるおつもりなのです? それで、なにが変わるというのです?」


「平家の勇名を残す」



 回答は明快だった。



「――坂東を相手に最後の一兵まで戦い、そして死ぬ。さすれば、没落した平家がふたたび武士として立つ、その助けになる」


「そ、そのような……であれば、いっそ坂東と講和いたしましょう! 東は坂東が、西は平家がそれぞれ治める! 悪い話ではないはずです!」


「俺が坂東ならば、最低限の条件として、帝のご譲位と平家の解官を求める。そうしなければ、飢饉が終わった瞬間、平家が息を吹き返してしまうからな」



 いま平家が青息吐息なのは、一に飢饉、二に富士川での負債だ。

 失った侍大将は、数年で回復できるものではないが、兵糧さえ確保できれば、数でのごり押しは可能だ。



「まあ、武断派おれたちがいなくなれば、一族の手綱も握りやすくなろう。講和は止めん。むしろ推奨する。亡き父は言った。“我々の敵は北条政子だが、北条政子の敵は、必ずしも平家ではない”と。北条政子の相手とは何なのか、俺はついに正解に至らなかった。宗盛。考えておいてくれ。たぶんそれは、講和にあたって、大きな武器になる」


「ですが、兄上……」



 あきらめきれない宗盛は、なお声をかけるが、重盛は無言で首を左右に振る。



「宗盛。俺は、ここまでやってこれたのが不思議なくらいの、不器量な男だ。知盛も……万全ならよかったのだがな。南都を焼いた悪評は、公家としては致命傷だ。なにより、知盛がいるなら、たとえ負けても亡き平清盛の加護がなかったとは言われまい――仏敵だからな」



 重盛の言葉に、知盛が苦笑を浮かべた。


 いま、平家が曲がりなりにも破綻なく権勢をふるっていられるのは、後白河院が清盛の怨霊を恐れるがゆえだ。

 後白河院に、清盛の怨霊恐るるにたらずとは、ちらとでも思わせてはならないのだ。

 それにしても、実の弟にたいして、あんまりな言いようだが。



「宗盛兄。死んでまいります。息子たちをよろしくお頼み申し上げます」


「俺もだ。不祥の息子だが、後白河院に近しい藤原成親ふじわらのなりちか殿との縁が深い。使い倒してやってくれ」



 兄と弟が、そろって深々と頭を下げる。



「知盛……兄上……」



 静かに、頭を上げた平重盛は、静かに笑って、言葉を遺す。



「いいか、宗盛。今、ここにあるものはすべて幻だ。そう思って、お家ファミリーを保つんだ。お前はもう、惣領パパなんだから……」







 治承5年4月。北陸追討の命が下され、大将軍平知盛の元、決死の兵500が越前に下向した。

 一門と、それに繋がる平家恩顧の武士たち。いずれも越前を死地と思い定めた者たちで、80近い老齢の者も居た。

 さらに越前で兵を募った追討軍は、越中、加賀国の情勢をにらみながら、加賀国との国境にほど近い平野、三条野を決戦の地と定めた。


 そして治承5年6月8日。



「――来たか」



 峠の先――加賀国より迫る、明確な軍気を望じて、重盛はつぶやいた。

 見えずともわかる。尋常の兵ではない。在地の武士団などでは、もちろんないだろう。


 おそらくは俘囚の群れ。北条政子に下った源義経の兵。

 つまるところ、平重盛の命を取る相手だ。


 重盛は、振り返る。

 ここを死に場所と定めた、一門の男たちが。そしてそんな彼らに従う3000の武者たちが、静かに猛りを抑えている。



「各々がた。大将軍知盛に代わって、重盛があえて命じる」



 よく通る声で、平重盛は告げる。



「我らわずか3000なれど、平家の興廃、この一戦に在り! みな、死戦せよ!」



 爆発のような応の声が、乾いた空に轟いた。

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