六十九 死兵
治承5年5月末。
越中国国府にて、北坂東の軍勢の到着を待っていた政子のもとに、加賀国に攻め込んでいた義経が、わずかな供周りとともに駆けこんできた。
よほどの変事かと、政子は庭先まで出て義経を迎えた。
「どうした義経。敵地でほとんど供も連れず。不用心じゃぞ」
「お前にだけは言われたくはないわ!」
開口一番。
自分のことを棚に上げまくった政子の言葉に、義経は全力で突っ込んだ。
まあ義経も、つい最近、わずかな供とともに奥州軍に突っ込んできた政子にだけは言われたくないだろう。
「――それに、心配せんでも供は選んでおる。生半可な武者に討たれはせんわ」
言いながら、義経は屋敷の階段にどっかと腰をかける。
「で、あるか」
政子は屋敷に上がると、
「――シテ、なに用か」
政子が切り出すと、義経は不機嫌に口の端を歪める。
「どうも、急にやりにくくなった。敵が見えにくくなった、というか……どうも一個の化け物を相手にしてる心地でな。まあ、かまわず攻めてもよかったが、為朝の叔父上が、魔王娘がどう判断するか興味がある、聞いてこい、なんて言いおってな」
――為朝め。わしに師範役を押しつけたか。
為朝の意図を理解して、政子は苦笑した。
為朝は勘で動く種の将だ。
猛将で、かつ良将だが、言葉で教えるのは、むしろ苦手なのだろう。
説明するために頭を悩ますのが面倒臭くなって、政子にぶん投げたに違いない。
「義経よ。ぬしの感覚がたしかならば、それは北陸に将が入ったゆえよ」
「将が?」
「その通り。敵は一個の意志の元、明確な意図を持って動いておる。それゆえに、ぬしは敵を一個の化物と感じたのであろう」
「なるほどな。腑に落ちた」
義経はうなずく。
「ならば、そのつもりで戦うまでよ。見ておれ、わしらだけで蹴散らしてくれるわ!」
「――やめておけ」
意気軒昂な義経に、しかし政子は冷水を浴びせた。
「なぜだ」
「敵は死兵よ」
にらむ義経に、政子は修羅の笑みを返す。
とん、と
「――死兵は怖いぞ? 舐めればぬしとてただでは済まん」
「死兵? 敵は死兵だと? なぜわかる」
「ふむ。説明してやろうか」
口の端を釣り上げて、政子は語る。
「まず、いまの平家は北陸道で戦って勝てぬ。西国の飢饉、侍大将の不足、叡山の不協力……不利な条件が揃いすぎておる」
「うむ」
「だが同時に、平家は北陸道を見捨てられん。平家の知行国であり、また、飢饉を免れた北陸道は、平家にとっても都にとっても生命線。そして、その北陸道をすら捨てたと公家や地方武士団に思われれば、それは平家にとって致命傷となろう。ゆえに」
碁盤に石を打ち付けるように、政子は
「――平家は、負けるとわかっている戦に、それでも打って出ざるを得ぬ。敗北を覚悟して、それでも敵の心胆寒からしめんと、一個でも多くの首を取らんと、死して平家の武名を天下に轟かさんとかかって来る。死兵よ」
「……死兵」
咀嚼するように、義経は言葉を繰り返す。
「義経。さきほどぬしは、敵を化物と称した。それは敵の統率力だけでなく、決死の覚悟をも感じてのことであろうよ」
政子は笑いながら語る。
その感覚は、おそらく正しい。
「義経、ぬしは死兵の軍勢と戦ったことはあるか?」
「……焼き打ちを繰り返していた時、そんな奴に出会うこともあった。が、軍勢と言われると……ないな」
「わしは、ある」
半身を乗り出して、政子は笑う。
「――恐ろしいぞ? 死兵は。殺しても殺しても、その背を乗り越えて来よる。足を切られては這いずって、腕を切られては刃を歯で咥え、殺しに来よる。そんな奴と戦うのは、得策ではないわな」
政子は思い返す。
あの一向一揆の、すさまじい死兵の群れを。
飢え乾き、やせ衰えた一揆勢が、勝利を確信していた味方を崩し、織田信長の一族すら、つぎつぎ犠牲になっていった。
「なら、どうする?」
「簡単じゃ」
笑って、政子は言う。
「――敵を、生き返らせてやればよい」
◆
越中から前線に戻った義経は、そのまま何事もなかったかのように、越前に向かって兵を進める。
そして治承5年6月8日。加賀と越前の国境にて、義経軍は、越後以降、初めて平家の集団的な抵抗にあうことになる。
義経にとっては予測通りの。しかし想像を絶する抵抗だった。
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