七十二 黄泉返し
平家知盛軍と、坂東義経軍。
両者の鬨の声を背に、ただ一騎で中央に駆け出た者がある。
身の丈7尺の巨漢は、獣の笑みを浮かべながら、平家の軍勢を眼光で圧する。
「為朝だぜ」
自己紹介はそれで済んだとばかりに胸を張り、源為朝はなおも馬を進める。
「だれか、おれさまに挑む者はいねえか?」
大胆不敵な挑戦に、時が凍る。
が、もとより平家軍は死兵。天下にまたとない大舞台と気づいて、何名かの武者が先を争って馬を駆った。
「それがし越前国住人斎藤――」
一番手に駆けた侍が、名乗りながら弓をつがえかけ――落馬した。
源為朝が、みなまで言わせず侍の胴を射抜いたのだ。
間をおかず、二の矢、三の矢が、二番手、三番手を駆けていた武者を射殺し、さらに貫通した矢が、背後の侍に突き立った。
「……で?」
新たに矢をつがえながら、源為朝はあくびをして見せる。
こともなげに為された理不尽なまでの神技に、後に続く武士たちが、思わずたたらを踏んだ。
かわりに前に出たのは、大将軍知盛の兄、平重盛。
「これは、鎮西八郎の武辺。保元の乱より25年を経てなお健在とみえる」
「……貴様は?」
「平重盛」
「おお。平重盛といえば、清盛の元嫡男だったか? まあよくぞ越前くんだりまで、おれさまを迎えに来てくれたもんだ」
「越前は俺の領国ゆえな。粗相のないよう、迎えに来た次第……ただし、京へお連れするのは貴公の首だけだがな!」
「はっ! よくぞ抜かした!」
吼えざまに射た一矢が、風を切り裂き平重盛に襲いかかる。
重盛は馬を巧みに操り、身を躱しつつも矢を払い避けようとしたが、弓勢の鋭さがそれを許さず、肩を守る
「見事! 今度は平家の弓の味、とくとお見舞いしよう!」
平重盛が返礼とばかり、一矢を放つ。
「抜かせっ!」
だが、源為朝は、なんとこの一矢を掴み取りにし、二つにへし折った。
あまりの手練に、言葉を失った平重盛を尻目に、戦場の怪物は喝破する。
「どうした! 平家の武士の弓矢とはこの程度か!?」
「――なんの、平家を侮るな!」
ふたたび平重盛を射殺さんと矢をつがえた為朝の前に、一騎の若武者が、弓矢を手に躍り出た。
「貴様は?」
「平清盛が甥、
名乗ると同時に、平教経が射かける。
重い音とともに風を裂いた一矢。その勢いに、さしもの源為朝も、掴み取りはならず、素早く払いのけ――大袖を飛ばされる。
「……貴様、名はなんという?」
「さっき名乗ったろう?」
「わりぃ。有象無象の名を覚え切れるほど頭はよくねぇんだよ……てめぇの名は覚えといてやるぜ――格下ぁ!!」
「平教経! “王城一の強弓精兵”と覚えとけっ!!」
大太刀を抜き、馬を走らせる源為朝。
平教経が応じて馬を進めながら、太刀を払い抜く。
一合。
二合。
三条野を自在に駆けながら、二騎はぶつかり合う。
敵味方が固唾を飲んで戦いを見守る中、馬を合わせること十度。
技量の差か、あるいは武辺としての格の差か、平教経が徐々に劣勢となる。
「はっはっはあ! どうした小僧!」
「なんのっ、まだまだっ!」
声を張り上げる平教経だが、劣勢は明らかだ。
源為朝は、とどめとばかり馬腹を蹴って大太刀を大上段に振りかざした。
「まあ、よくやったほうだ! とどめをくれてやるぜっ!」
「それは――させぬっ!」
と、横合いから邪魔が入った。
源為朝に向かって矢を射かけながら、邪魔者は平教経の前に駆け出て名乗る。
「教経が兄、
名乗りながら手勢に声を掛け、一丸となって源為朝に向かう。
「兄上っ!」
「教経っ! 情けないが、私ではあの化け物の命に届かぬっ! あとは任せたぞっ!」
言い置いて、平通盛が駆ける。
その、眼前で。
鮮血の嵐が吹き荒れた。
「こんの――クソったれの有象無象があっ!!」
怒りの咆哮とともに、大太刀が暴風の勢いで振り回される。
たちまち四、五名が血塊となって散華した。
続いて吹き荒れる暴風は、つぎつぎに郎党を凪ぎ払い、平通盛に肉薄する。
それを止めたのは、また平教経の一矢。
為朝はとっさに矢を払うが、弓勢強く、源為朝のもう一方の大袖を吹き飛ばした。
「――教経たちに後れを取るな! 鎮西八郎の首級をあげるは今ぞ!」
機を見て平重盛が手勢を動かした。
その動きをみて、坂東方の大将――源義経が素早く動く。
「
同時に、平家方の大将――平知盛も、敵の動きを見て即座に応じる。
「敵軍が動いたぞ! 備えよ! 陣を固く保て!」
こうして、中央で大立ち回りを演じた源為朝と入れ替わるようにして、本格的な戦いが始まった。
激戦となった。
堅固に固めていた平家の陣はしだいにほつれ、敵味方が入り混じり始めた。
当初有利に事を進めていた坂東軍だが、相手ははじめから命を捨てている。
劣勢に立たされても一向に退かず、隙あらば死出の道連れとばかり、刺し違えて来る平家恩顧の侍たち相手に、徐々に押され始める。
「一旦退くぞっ! 遅れるな!」
「ひと打ちしてこちらも退け! 引き際を誤るなよ!」
消耗戦を嫌った源義経が攻め手を緩めてじりじりと退き、しかし平家側も、攻めきれない。
双方退いて陣を構え、にらみ合う格好で、この日の戦闘は終了した。
初日の攻防は、平家にとって、まずは勝利と言っていい。
「……とりあえずは、命を拾ったか」
重盛は安堵のため息をついた。
命を捨てる覚悟をしていただけに、勝利の味は格別で、平家の陣は湧いた。
だが、重盛は知らない。
すべての絵図面を引いた天魔が、三条野の戦場を俯瞰していたことを。
「――死戦する理由。それが飢えならば、満たしてやればよい。窮乏ならば、与えてやればよい。絶望ならば、希望を見せてやればよい……死ぬ理由なくば、人は死を思い切れぬ」
平家の奮戦を、天魔は哂う。
「相応しき戦場は与えた。戦場での名誉も、仮初の勝利すら与えた……ゆえに、勝ちが頭にちらついたであろう? 生きて帰った後のことを、想像してしまったであろう?」
勝利に湧く平家を、天魔は哂う。
「――だから、お主らはもう二度と勝てぬのだ」
治承5年6月9日、未明より始まった戦闘において、平家の諸将は前日の粘りが嘘のように、つぎつぎと討ちとられていった。
浮足立った平家軍の中で、なお死戦したもの数知れず。だがその多くは、鎮西八郎為朝や、頼朝騎下の勇将たちに狙い討たれた。
「重盛兄! もはやこれまで!」
「うむ! 奥州武者どもに平家の
大将軍平知盛、その兄重盛、坂東軍と存分に斬り結んだ後、刺し違えて自害。
「見事」
すべてが終わって。
北条政子は血臭漂う三条野に向かって、そうつぶやいた。
彼らの奮戦は、たとえ死すれども後の世まで語られ、彼らの武名は平家の子子孫孫を大きく助けるだろう。
否。政子自身が、その武を惜しく思い始めている。
「そう思わせただけ、お主らの――平家の勝ちなのやもしれぬな」
皮肉に口の端をつり上げて、政子は静かに目礼した。
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