五十二 狙うは天下


 治承4年9月末、北条政子は伊豆国の国府に戻った。

 国府では、政子が引きぬいた北条家の官僚団のかわりに、政子の父、北条時政が政務を取り仕切っている。



「おい、政子! おぬし、わしに断りもなく一族を引き抜きよって! 死ぬかと思ったぞ!」



 政子の姿を見つけると、時政が飛んできて食ってかかった。

 だが、もちろん政子は動じない。



「デアルカ! だが関東の取り仕切りは急務ぞ! そのかわり実入りはでかい! それで許せ!」


「……ほう、でかいか?」



 時政の目の色が変わった。



「関東一円の武士団を取り仕切る、その実務を担うのだ! 都に納める税の取り仕切りも視野に入れておる! 今は都にはびこる平家どもを駆逐するため、仕方なく納税は差し止めさせてもらうがな!」


「なぁーるほど、ぐふふ……」



 時政が悪い顔になる。

 立場を利用して私腹を肥やそうと考えているのだろう。

 まあ、北条の若手を掌握しているのが北条宗時である以上、無茶は出来ないのだが。


 含み笑いしている時政を放っておいて、政子は国司館に入る。

 しばらくして、北条宗時や北条義時、藤九郎、それに源範頼と、足利義兼、上総広常といった面々が、つぎつぎと国司館を訪れた。



「ふむ。みな集まったな」



 広間の奥にどっかと座って、政子が言った。

 他の者たちは左右に分かれて座り、上座の政子を見る。

 一人一人の顔を見渡してから、政子はうなずき、口を開いた。



「これより、平家に対する戦略を語る」



 魔王の気格オーラを背負って、口の端をつりあげる政子に、その場に居る全員が居ずまいを正す。



鎮西きゅうしゅう、熊野、甲斐かい……平家討伐の動きは、全国に広がりつつある。畿内を鎮圧した平家は、つぎに地方の反乱鎮圧にかかるだろう。むろん、そのなかには、関東のわしらも含まれておる」


「おお、ついに平家が!」



 上総広常が歓声を上げた。

 政子はうなずいて、言葉を続ける。



「動く。これ以上の反乱など許容できるものではない。容赦ない大兵力を動員し、東海道を略奪ですり潰しながらでも、平家はやって来る」


「……尼御台あまみだい様、略奪ですり潰しながら、とは穏当でない。平家の財あらば、関東へ大兵力を送る事、容易いのではあるまいか?」



 広常の問いに、政子は首を横に振る。



「否。それは叶わぬ。なぜならば、西国はいま大凶作の最中だ」


「なんと。真でござるか」


「うむ。東国の作柄は、常と変わらなんだゆえ助かっておるが、西国はひどいものよ」


「それでも、平家の軍は来る、と?」


「来るとも。反乱は全国に広がっておるが、平家の死命を制しうるのは誰か、清盛はよくわかっておる」



 政子は断言した。


 因縁がある。

 遠い昔に棋を戦わせ、再戦を約束した因縁。

 平安の末と室町の末、二つの時代の天下人が、同じ時代に生まれる不思議の縁。



 ――あの時の約束、覚えて居らぬはずがあるまい。戦おうぞ、清盛!



 思いをはるかかなた、福原に飛ばして、政子は口の端をつり上げる。



「……それで、我々はどう応じますか?」


「うむ――義兼」



 兄、宗時に促され、政子は義兼の名を呼ぶ。



「はっ!」


「新田義重に上野国を任せる。あわせて貴様は信濃国の豪族どもを口説いてこい。甲斐源氏どもが信濃に色気を見せておる。不安をつけば容易かろう」


「承知いたしました、義姉あね上」



 義姉と言われて、政子は露骨に不快な顔をした。

 足利義兼はすでに政子の妹、時子ときこめとっている。

 頼朝の願いとはいえ、政子としては非常に、非常に、非常に不本意である。



「それから、範頼」


「はっ」



 呼ばれて、源範頼が頭を下げる。



「ぬしに下野国を任せる。小山とともに、常陸国ににらみを利かせよ」


「承知いたしました。義姉あね上」


「うむ」



 源範頼は頼朝の腹違いの弟である。

 やや思慮に欠けるところがあるものの、極めて素直な性格をしており、こちらは義姉と呼ばれても不快ではない。



「兄上」


「はっ」


「兄上は甲斐源氏を頼む。信濃を塞げば、奴らに逃げ道はない。平家の追討軍、関東のわしら。両方で脅して従わせよ」


「不安はあるが、まあ、やってみましょう」


「信頼しておるぞ、兄上」



 言ってから、政子は視線を中央に戻す。



「残りの者たちで平家の追討軍に当たる――広常」


「ははっ!」


「期待しておるぞ。平家との戦い、本気なのはわしとぬしだけよ」


「……おお、承知いたしました!」



 政子の言葉に、上総広常が喜び膝を打って応じる。



「――お待ちを!」



 横で聞いていた源範頼が、たまらず声を上げた。



「義姉上、この範頼、思いは上総殿に劣らぬつもりです!」


「……ふむ? では範頼よ、お主、平家との戦に勝ってなんとする?」


「は、はい? 勝って、ですか?」


「左様。勝って、現状を認めさせでもすれば満足か?」


「義姉上……」



 源範頼が、途方に暮れたように声を上げる。



「おそらく、多くの者がそれ以上を望むまい。三浦も、千葉もだ。だが、頼朝はそれ以上を望んでおった。わしもな」


「それ以上、とは、なんでしょう?」


「京に攻めのぼり、平家を打ち倒し、我らが天下を取る」



 斬りつけるような言葉だった。

 一同、はっと息を飲み、言葉も出ない。



「怯えたか。であろう。坂東の者は、誰もそこまでやるとは思って居らぬ。だが、やらねばならぬのだ。世を、変えるためには……そのために、頼朝は命を賭した」


「……うおおおおおっ!」



 と、突然、上総広常が吼えた。



「尼御台様! この広常、感じ入りましたぞ! 天下! そう、平将門たいらのまさかど様が目指した、関東の民のための天下! そのためには、この広常、犬馬の労を厭いませんぞ!」


「そ、それがしとて!」


「この足利義兼、すべて頼朝様より伺っております。どうぞ天下のために、私をお使いください」


「デアルカ」



 にやりと笑って――政子は命じる。



「ならば、みな動けい! 武、財、権! すべてに劣る我らが武器とするは、速さぞ!」


「おおっ!」



 と、声をそろえて応じ、男たちは足早に、それぞれの目的地へと向かった。






義時「……姉上、私は?」

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