四十六 陰謀の前夜

 建春門院けんしゅんもんいんという女性が居る。

 後白河院の妻であり、高倉天皇の母親。そして、平清盛の妻、時子ときこの妹でもある。


 安元2年(1176年)、この建春門院が死ぬ。

 後白河院と平清盛をつなぐ彼女の死は、さながら両者の関係の破綻を象徴するようだった。


 不幸は続く。

 二条天皇中宮 高松院、近衛天皇中宮 九条院、さらには12歳の六条上皇までもが相次いで死去。


 相次ぐ不幸に、こんなうわさが、まことしやかに流れ始めた。



「皇室の不幸が続くのは、讃岐院(崇徳院)の祟りによるものに違いない」



 そんな政情不安のなか、事件はまた起こった。


 白山はくさん事件。

 嘉応の強訴と同じく、寺社領を巡る、院近臣と延暦寺との争いである。







 数千人の死者を出し、大極殿たいごくでんをも燃やしつくした太郎焼亡たろうしょうぼうの余燼収まらぬ安元3年5月の初頭。

 京の都。六波羅小松第ろくはらこまつだいに集まった三人の男は、事件への対応に、頭を悩ませていた。



「事態はひっ迫しておる」



 屋敷の主、重盛が、まず口を開いた。



「先だって、後白河院は天台座主、明雲みょううん様の、伊豆への配流をお決めになった。これに対し、比叡山の僧兵が、ふたたび強訴に及ぶという噂が立っている。後白河院は」


「一切、お譲りになる気はない、みたいねん」



 重盛の言葉を継いだのは、義理の兄である院近臣、藤原成親だ。



「まあ、ワタシもいい加減、僧兵どもには頭キテるから大賛成だけど、あっちも譲る気配はない……今度という今度は、イクところまでイクかもしれないわね」



 朝廷と比叡山の、全面的な武力衝突。

 国家を守る礎を、自ら攻撃する。

 想像するだに恐ろしい事態だ。



「それでは困るのだ。なんとしても、新たな衝突は避けねばならん」



 だから、重盛は首を横に振った。

 そればかりは、けっして容認できない。



「平家のためにも、平家が後白河院との関係を保つためにも、衝突は避けねばならん」


「と、妹婿殿はおっしゃってるのよ。4月の強訴の時に日吉ひえ大社の神輿に矢を当てちゃった時点で、腹をくくればいいのに」



 藤原成親が、三人目の男に流し目を送った。

 三人目の男が応じる前に、重盛が口を開いた。



「あれは俺の責任だ。俺が泥をかぶれば――」


「それを許す平清盛しょうこくにゅうどうじゃない、でしょ?」



 重盛の言葉を、藤原成親が切って捨てる。



「院がアナタにワリを食わせてみなさい。あの方は即日福原からすっ飛んできて後白河院と真正面からぶつかるわよ? 重盛ちゃんが一番避けたい事態でしょ?」


「――ぐ」


「かといって、後白河院の性格も、知ってるでしょ? その場では譲っても、必ず蒸し返しなさるわよ? ねちねちと、しつこく、いやらしく……」



 なぜかうっとりとつぶやく藤原成親。



「……院も譲らない。平清盛パパも譲らない。これでは八方ふさがりではないか」



 いらだち、重盛が拳を畳に打ち付ける。



「ええ。八方ふさがりなのよ。だからこうして、いい知恵を出し合おうと集まったんじゃない……ねえ」



 と、藤原成親がふたたび視線を三人目の男に向ける。



「――頼朝ちゃん」



 送られる秋波に、「南無阿弥陀仏」とつぶやきながら、源頼朝が一礼した。







「私が……」



 平重盛と藤原成親、二人の視線を受けながら、頼朝は口を開いた。



「私が清盛様なら、すべてを『無かったこと』にします」


「無かったことに?」


「ええ。朝廷に対する強訴、比叡山に対する恨み、そんなものは無かった。すべては平家を滅ぼさんとする院近臣の陰謀だった、というのはどうでしょう?」


「……どういうこと?」



 藤原成親が、不安げに肩を寄せて来る。

 頼朝は菩薩のごとき笑みを浮かべながらこれを避け、言葉を続ける。



「今回の事態の原因は、院近臣 西光さいこう様のご子弟が白山の末寺を焼いた事を端に発します。対延暦寺の最強硬派も西光様です。その西光様を、消します」


「消す、って……」


「西光様は、実は事件の裏で糸を引いていた。平家に叡山を攻めさせ、その後背を撃たんと企んでいた――そうやって処刑してしまえば、朝廷と比叡山の対立は、その原因ごと消えてしまう」



 南無阿弥陀仏、と、頼朝が手を合わせる。


 藤原成親も、重盛も、二の句を継げない。

 恐ろしいものを見るような顔で、頼朝を凝視して。



「まさか……いや、父上パパなら、やる。これをきっかけに近臣を一網打尽にしかねない」


「一網打尽って……アタシも?」


「義兄上ほどの有力近臣を、父上パパが放っておくはずがない。機会さえあれば、ためらうはずがない。そうなれば俺もお終いです……義兄上、どうやら我々は浮沈の瀬戸際に居る」



 重盛は強く、それを自覚した。

 清盛は、一門の隆盛を至上に置いている。

 外敵からは命すら賭して守ってくれるが、その存在が、一門にとって害となれば……進んでこれを排除する。


 藤原成親を排除すれば、重盛は嫡子の座から転がり落ちかねない。

 ただでさえ異母弟、平宗盛たいらのむねもりの存在感は、平家の中で日増しに高まっているのだ。

 そんなときに、妻の兄、息子の岳父である有力者、藤原成親が失脚すれば、どうなるか。答えは火を見るより明らかだ。


 だが、たとえそれがわかっていても、清盛はためらわないだろう。



「だから、父上パパが出て来る前に決着をつける。つけなくてはならん」


「ええ。ちょっと他人事じゃいられないみたいね」


「私とて、立場は同じ。機会があれば成親様とともに排除される立場です」



 成親に続き、頼朝も重盛に同意する。



「――幸い、と言ってはなんですが、天台座主、明雲様の配流先は伊豆。護送のための兵を、いま伊豆より急ぎ、呼び寄せているところです」



 頼朝は語る。

 初めて。頼朝の瞳に、明確な意思の光が宿った。

 その、あまりの強さに驚きながら、重盛は頼朝の言葉に耳を傾ける。



「延暦寺を一歩引かせる手、打たせていただきましょう。ですので、お二人とも、お願いいたします。どうか院と平家の暴発を、抑えていてください」



 それが己の存亡に関わることは、嫌というほど理解させられた。

 ゆえに二人は強く、うなずいた。






政子@上洛中「比叡山が敵と聞いて!」






天台座主……天台宗のトップ。

西光……後白河院第一の近臣。藤原成親の父、家成の猶子。

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