四十七 鹿ヶ谷に至らず


 安元3年5月15日。

 郊外に、呼びよせていた郎党を迎えに出た頼朝は、その先頭に妙な姿をみつけて眉をひそめた。


 鉄の面をつけた、小柄な武者である。

 少年だろうか。身に馴染まぬ武骨な大太刀と、鉄の混棒のようなものを帯びている。


 頼朝は嫌な予感がしてならない。



「わしが来たっ!」



 颯爽と馬を寄せた小柄な武者は、言いながら、鉄の面を取る。


 声の時点で間違えようがない。妻の北条政子だ。

 しかし、整った勝気な顔は、頼朝の記憶にあるそれよりも、すこし成長している。



「政子殿、やや大きく?」


「ややとは何ぞ! 三寸(9cm)は伸びておるわ!」



 猛抗議してから、政子はきらきらとした笑顔になる。



「それよりも頼朝よ、なかなか面白いことになって居るではないか!」


「いや、面白くはありませんが……」


「この機会に寺社を叩くのであろう? 叩こうぞ! 燃やそうぞ!」


「政子殿、大火事の後ですので、あまり燃やそうとか叫ばないでください」



 妙に高揚している政子をなだめて、頼朝は彼女の背後に控える武者たちを見る。


 坂東の風を感じさせる、獰猛な武者たち。

 知った顔もあれば、知らぬ顔もある。懐かしい顔も。



「御大将!」「御大将!」


「急ぎだったのでな。声をかけて、すぐに動ける者だけ連れてきた!」



 男たちの歓声を背に、政子は笑う。



「我らが郎党三百。参上ぞ。労ってやれ!」



 政子の言葉に、ゆっくりとうなずいて、頼朝は前に出た。



「みなの者、よく来てくれた。源氏の棟梁、源義朝が嫡子、源頼朝です」



 静かに、頼朝は語り出す。



「我々は、院の命を受け、さきの天台座主、明雲様を伊豆にお送りすることになりました」



 しかし、頼朝は言う。



「この任務は困難を極めます。比叡山の僧兵たちは、明雲様を奪い返さんと目論んでいます。彼らの手を逃れ、無事伊豆にたどり着かねばならない。事の成否は、あなた方にかかっています」



 頼朝は、視線を動かす。

 郎党たちを、隅から隅まで見渡して。



「源家の浮沈がかかった任務です! みな、奉公せよ!」



 おお、と、ときの声があがった。



「――さて、我が夫殿よ。準備はできておろうな?」



 歓声を背に、政子が笑う。



「ええ、明日にも明雲様をお送り出来ましょう」


「ならば、今宵はとくと聞かせよ! どうせ陰湿でねちっこい手を打っておるのであろう?」


「安元3年5月15日、政子殿に陰湿でねちっこいと言われた。ありがとうございます……」


「いいかげん恨み雑記帳ノートは止めぬかっ!」







「まさか、あなたが来るとは思いませんでした」



 屋敷に戻り、二人だけの座を設けると、開口一番、頼朝はそう言った。



「それは認識不足じゃな。この状況で、わしが来ぬはずがあるまい」



 政子は胸を反らす。

 問答無用の説得力である。



「まあ、反省いたします……さて、藤九郎なら無茶ぶりも出来たのですが」


「藤九郎に出来てわしに出来ぬと?」


「あなたは私の予想を斜め上にすっ飛んでいきますので……ともあれ、説明いたします」



 頼朝が、一連の経緯をかいつまんで説明する。


 比叡山と後白河院の対立。

 それによって顕在化するであろう、平家と後白河院の対立。

 さらに、結果生じるであろう、頼朝を含む院近臣たちの粛清。



「現在、平重盛様と藤原成親様を奔走させておりますが、破局は必然」


「おいお主さらっと怖い事言っとらんか?」



 政子が突っ込むが、頼朝は取り合わない。



「ゆえに、比叡山には一歩、引いてもらいます」


「どうやって、というのは、聞くまでもあるまいな。お主らしく陰湿でねちっこい手を打っておるのだろう?」


「ありがとうございます」


「褒めて居らぬからな!?」



 政子が念を押すが、頼朝は笑顔である。



「この四年というもの、私は都にて、寺社との交流を広げております。比叡山の事情も知っておりますし、顔も利きます」


「ふむ」


「比叡山というのも一枚岩ではありません。大衆の動きに反感を持つ者も、明雲様の政敵も居る。明雲様を奪い返されるようなことがなければ、ひっかきまわして譲歩させる余地はある」


「手ぬるい」



 政子はぴしゃりと言う。



「すべての病巣は比叡山の僧兵どもであろう。治天の君をすら侮り、座主の掣肘も利かぬ。頼朝よ、院と叡山に納得させよ――僧兵どもを討つことを」


「……さきの強訴で日枝大社の神輿に矢を当て、僧兵を死傷させた重盛様の郎党は、処罰されております」


「一人や二人傷つけるからそうなるのだ。撫で斬りにして僧兵の脅威を削れば、院も叡山も強くは出れぬであろうよ」



 政子は笑う。

 笑いながら吐く言葉は、修羅の香りが立ち込めている。



「それに、頼朝、もっと先を見よ。我らの天下にとって、寺社の僧兵どもは邪魔ぞ」


「……そこまで考えてのことならば、私も賭けに乗りましょう。五日、ください。院と叡山に因果を含めてまいります」







 安元3年5月20日。

 さきの天台座主明雲護送のため、きらぎらしく着飾った頼朝騎下の武者たちが、京の都を出発した。


 これに対し比叡山の僧兵たちは二千の群を成して奪回に向かう。

 23日、近江国粟津近郊で、両者は対峙した。



「みなの者」



 僧兵たちを指さし、政子は口の端をつり上げる。



「あれを見よ。あれが悪名高き比叡山の僧兵どもぞ。神輿の陰に隠れ、仏の威を駆り、天下に無法成す我らが敵ぞ!」



 政子は見る。

 郎党たちに見えるわずかな恐れ。それは神仏への恐れだ。



「神威が怖いか! 仏罰が怖いか! 案ずるな! このわし、北条政子がすべての罪業を負ってやる! 安心して――撫で斬りにせよ!」



 政子が、大太刀を振り上げる。

 それが開戦の合図だった。


 二千対三百。

 だが、政子が鍛えに鍛えた精鋭を中核に据える、剽悍無比の坂東武者にとって、僧兵たちは烏合の衆同然だ。

 初めて体験する、坂東武者の苛烈な攻めに、僧兵たちは心理的な不意を打たれ、崩される。射ても斬っても、血まみれで向かってくる坂東武者たちに、僧兵たちは算を乱して斬られていく。



「これは……天魔の所業か」



 阿鼻叫喚の様を輿の下から見て、明雲がつぶやいた。

 政子はにやりと笑い、言った。



「さよう。これは第六天魔王。この北条政子の仕業よ」



 この戦いで、比叡山の僧兵は、その力を大きく損なう。


 都では、賛否両論。

 いや、論としては非難が大きい。しかし、内心ではみな喝采を叫んでいた。

 朝廷の命に従わず、破戒乱行の限りをつくす僧兵たちを、誰もが苦々しく思っていた。

 平家とて、渋い顔をしながらも、対立の矢面に立たずに済んだことに胸をなで下ろしている。


 ゆえに、矢面に立たされた頼朝は、涼しい顔で、静かに身を慎む。



 ――政子殿、この汚名、喜んで被りましょう。共に戴く天下のために。



 頼朝はこの功績を密かに賞され、正四位下に昇る。


 後白河院と平家の関係は、事件の早期終息により破局には至らなかった。

 だが、比叡山を抑えつける結果は、排斥されるはずだった院近臣の増長を産む。


 火種は新たに生まれ、消えることはない。



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