四十五 平穏の四年、拡大の四年


 頼朝は京に上り、政子は伊豆に残った。

 兄の宗時は頼朝に随行し、藤九郎は政子の補佐についている。



「先の上京の折とは、立場がまるで逆じゃな」



 そこに妙なおかしさを感じながら、政子は二人を見送った。


 頼朝から文が届いたのは、明けて承安3年のことだった。

 伊豆の国司館でそれを受け取った政子は、さっそく文を開く。



 ――政子殿、平家の策がわかりました。恐ろしい策です……



 そんな深刻な書き出しから始まる文を読み進めて。



「……ほう」



 政子は小さな歓声を上げた。

 文の中で書かれている頼朝の上司が、知った名だったのだ。それも、軍記れきしの中で。



 ――権中納言 藤原成親ふじわらのなりちか



 左衛門督、検非違使別当。頼朝の直接の上司である。

 後白河院の近臣であり、清盛の嫡男、平重盛を妹婿に持つ。

 両派の渡し役かと思いきや、平治の乱では清盛と争い、さきの嘉応の強訴でも、事件の原因となり、後白河院と平家の対立を発生させた問題人物だ。しかも問題を起こすたび、後白河院や平重盛に助けられている。


 もうこの時点でろくでもない匂いしかしないが、まだある。

 藤原成親は、四年後の“鹿ヶ谷の陰謀”の首謀者のひとりとして処分されてしまう。

  政子はこの事件を、院近臣と清盛との政争と理解している。巻き込まれて頼朝まで処分されるのは目に見えている。



「脇の甘い敵につけて、巻き込んでぶち落とすハラ、であるか」



 政子はそう理解した。

 だから頼朝がねちねちと書いてきた、自分の初陣のころの話くろれきしを懐かしげに語ってきたり、成親からいろいろと精神攻撃を食らっている、という話はスルーした。



「だが、清盛よ。そううまくはいくかのう?」



 文を手に、政子は不敵に笑う。



「……そこに居るのは、後の征夷大将軍 源頼朝。治天の君ごしらかわより天下を盗んだ、古今稀なる大詐欺師ぞ?」



 福原に居る平清盛が、源頼朝の本当の凄味を理解するには、まだ時間ときがかかる。

 その間に、頼朝が清盛の策をどう食い破るか。想像しながら、政子がくつくつと笑っていると。



「……姉上」



 と、声をかけられた。



「義時か。来る時には声をかけよ」


「かけました」



 いつのまにか来ていた北条義時と、常と変らぬやりとりをしてから。



「姉上、土地争いで、姉上に調停の依頼が」


「デアルカ。聞いてやろう」



 藤九郎を通さないのは珍しい。

 文を置き、立ち上がると、政子は表に出た。



「――と、言うわけでよぉ、この“抗争ケンカ”ぁ、伊豆国主頼朝様の奥方であるアンタ……様に納めてもらいてぇのよ……です」



 義時が連れて来たのは、争っている一方なのだろう。ごく一般的な坂東武者といった風情の男だった。



「ほう、よいのか? わしに任せて」



 男の言葉に、政子は魔王オーラ全開で応じる。



「わしの“調停”は、すこしばかり荒っぽいぞ?」


「いや、出来れば穏便オンビンにヨォ……」


「馬曳けぇ! 具足を持てぃ! 郎党に招集をかけよ!」


「姉上、お待ちを、姉上ーっ! 先に藤九郎殿に相談をーっ! ちょっと、待ってくださーいっ!」



 戦支度を始める政子を、義時は止めきれない。

 あっけにとられている男の首根っこひっつかんで、政子は手勢を率いて駆けていった。







 政子の調停は、乱暴ではあったが、だからこそ荒々しい坂東武者の気風に合った。


 だけではない。

 八条院の猶子であり、かつて南関東の武士団を率いていた源義朝の嫡子、伊豆国主頼朝の妻である政子は、抗争、紛争の名分、またその調停役として、あまりに便利すぎた。


 自然、政子の軍事行動は伊豆一国に留まらず、承安4年には伊豆を飛び出て、南関東に活躍の場を広げる。

 しだいに従う武士団も増え、その武名は高まっていく。


 その頃には、伊豆国全体が富み始めた。

 肥料により、収穫は安定し、農耕器具の改善によって労力は軽減される。

 余った資金力と労働力は、田畑の開発に向けられ、さらなる収穫を産む……



「伊豆の方はよう、なんか景気いいらしいな?」


「おう、だったらよぉ、ぶん殴って財貨巻き上げて来ようぜ!」



 こんなはねっかえりをぶち破りながら、街道の安全を確保。

 最新鋭の農具を餌に人を呼び寄せ、市の規模をしだいに拡大していった。






 一方、遠く離れた京の都では。



「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」



 頼朝が、念仏三昧の日々を送っていた。

 没頭というより没入といった風情で、伊豆から送られてくる財貨を、高僧、名僧とのつき合いに、また寺社への寄進に費やす。


 検非違使庁でもお構いなしに念仏を唱えるものだから、皆からは眉をひそめられている。


 だが、そこにはやむを得ない事情があった。

 頼朝の上司であり、同陣営(後白河院制派)でもある藤原成親に、非常に気に入られてしまったのだ。


 まあ、当面の上司だ。

 悪く思われるよりは、気に入られる方がいい。

 平治の乱でともに戦った仲だし、普通なら頼朝とて悪い気はしない。

 普通なら。



「あらん、頼朝ちゃん。相変わらずお仕事早いわね。デキる男ってステキ! でもその年で念仏三昧なんて陰気臭いわ。よかったら今晩ワタシといかがか・し・ら?」


「なにもかも平家が悪いっ!!」



 血の涙を流しながら、頼朝は心の中で叫ぶ。


 完全無欠の特殊性癖者オカマである。

 もはやなにを言われても、念仏三昧で聞こえないふりするしかない。


 ちなみに頼れる男、北条宗時は八条院蔵人として引き抜かれている。

 八条院に推され、いろんなものを飛び越えて従五位下になってしまった。

 北条時政が本気で涙を流して喜んでてキモいと、政子から手紙が送られてきた。


 頼朝は早く伊豆に帰りたい。

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