三十六 魔王と天狗

 挨拶を終えると、さっそく八条院に取り込まれた政子は、彼女の膝の上で二人の話を聞くことになった。

 最初は政子をつまみ話にして談笑していたが、しばらくして後白河院が平家に対する愚痴をこぼし始めた。



「それにしても、本当に清盛は扱いづらい」



 後白河院はしみじみと嘆息する。

 清盛は一貫して後白河院に従ってきたわけではない。

 政治的には敵対していたと言っていい時期もあった。

 だが、清盛が居なくては、後白河院が院政を敷くことは出来なかった。

 清盛が居なくては、とてもではないが院政を継続していくことなど出来ない。


 だから、せいぜい御機嫌を取っておく必要があるのだが。



「なにせ清盛は延暦寺えんりゃくじと仲が良い。本当に性質が悪い」



 空前絶後の権力を意のままに振るった白河院も、「ままならぬもの」として嘆いた比叡山延暦寺。

 近年では僧兵を動かし内裏にまで乱入してきた嘉応の強訴が記憶に新しい。


 延暦寺は神仏の世界だけでなく、現世においても全国に広大な荘園を保有する巨大勢力である。

 本来、武家勢力はこれに対抗する切り札となるはずなのだが、その棟梁トップに、延暦寺との協調路線を取られては、健全な政治など出来ようはずがない。



「うみゅ!」



 政子が無駄に強く同意した。

 信長時代ぜんせでも、延暦寺は厄介な存在だった。



「おお、同意してくれるか。愛らしいわらべだ」


「あんなものは潔く燃やしてしまうのがよい!」


「聞かなかったことにしておこう」



 相好をくずした後白河院が、政子の物騒極まりない発言に速攻日和った。


 言うまでもないが、比叡山延暦寺は鎮護国家ちんごこっかの大道場。

 つまりは日本を霊的に守る、防衛機構の最重要拠点だ。

 神仏や悪霊や呪い、祟りなどが本気で信じられていたこの時代、延暦寺の焼き討ちなどという行為は、信じられない自爆的暴挙だ。


 まあ、延暦寺に比肩する仏教界の大勢力を炎上させた男が、この時代には存在するのだが。



「こら、仏さんにそんなこと言うたらあかんよ」



 八条院に咎められて、政子はその袖の中に沈められた。



「……まあ、問題は清盛だ。余と延暦寺を天秤にかけて延暦寺を取るようでは非常に困る。なんとかこちらに引き寄せられないものか……」


「うちに言われてもなー……いっそ高倉天皇みかどと縁を繋げばええんやないの?」


「それも考えているのだが……」



 後白河院が首をひねっていると、ふいにくぐもった笑い声が、八条院の袖の奥から響いた。



「政子ちゃん?」


「くっくっくっく……おい義母うえよ、苦しいからちょっと離してくれにゅか」



 じたばたともがいて脱出すると、政子は居ずまいを正して「ふふん!」とのけぞる。



「治天の君よ! 悩みの原因は明白ではないか! なぜそこを正さぬ?」


「ほう? 童よ、なにか思案があるのか?」


「まあな!」



 自信たっぷりに反り返りながら、政子は語る。



「そもそも清盛率いる平家が、武門において圧倒的一強であるのがいかん! 他に選択肢なくば、清盛に譲歩を強いられても文句は言えぬ!」


「なれど、平家に対抗できる者が居らん。平家に次ぐ武門といえば、八条院いもうとのところの源頼政だが、あやつに平家と競う胆力はあるまい」


「だからこそ、雌伏させてじりじりと引き上げる手もあるがな」


「なるほど。策略は多いほうがいい。それは覚えておくとして、その口ぶりでは、まだ妙案があるのではないか?」


「ある!」


「それは?」


伊豆いず一国、わしに預けてみよ。平家と戦える武士団ちから、わしが創ってやるわ!」



 自信満々に、政子は語る。

 それは天下を掴んだ者の、揺るぎなき自負に裏打ちされた言葉。



「いやいや……」



 だが、それを信じさせるには、幼い少女の姿が邪魔過ぎた。

 当然といえば当然だが、しかし魔王は止まらない。



「まず源氏の一門である源頼朝と源為朝を我が騎下に置く! そしてその武威と威光をもって伊豆国内の武士団を従え、組織化する! 組織化に当たってはわしが教育を施した北条一門がその中核の用を為しえよう! そして平家の隆盛を不満に思う坂東の武者どもを従え、平家とて手が出せぬほどの兵を京に送りつけてやろうぞ!」



 後白河院に従うとは言っていない。

 というのはさておき。


「いや、童、おぬし女であろう」


「さよう! 北条の修羅姫と呼ばれておる!」


「いやいや……」



 後白河院から見れば、夢物語もいいところである。

 たしかに何かやりそうな王気オーラの持ち主だが、女を、それも八条院の猶子とはいえ、地下じげの娘を国司になど出来るはずがない。



「いくらなんでも無茶――」


「――でもないかもしれへんよ?」



 後白河院の言葉をさえぎって、八条院が、ぽん、と手をあわせた。



「と言うと?」


「頼朝ちゃんのほうを放免ゆるして引き上げてあげればいいんよ」


「おいまたにゅか。なぜわしをさしおいて頼朝」



 政子の突っ込みは無視される。



「頼朝か……前非を悔いて、大人しく読経三昧の日々を送っておるようだし、官位も適当……悪くはないが、理由がな」


「あるやないの。ちょうどいい理由が」



 言いながら、八条院は政子に視線を送る。



「理由……ふむ?」



 釣られて後白河院も政子を見た。



「……おい、なぜ二人してわしを見る」



 嫌な予感がして、政子は汗を流す。

 八条院は顔を輝かせて言う。



「頼朝ちゃんな、政子ちゃんのこと、ごっつい好いとるみたいなんよ。手紙でも政子ちゃんのこと気にしっぱなしで」


「それはよい。好都合だが……清盛の目がな」


「頼朝ちゃんは賢い子やよ? 上手く立ち回ってくれるとは思うけど、家人が足りてへんなー。力つけさそう思たら、伊豆の国司にして赴任してもらうのがええんやない? 伊豆やったら、うちの頼政さんが国主やってたし、清盛さんも文句言わへんと思うけど」


「ならば決まりか」


「なにがだ?」



 政子の問いに、八条院はにっこりと笑って言った。



「頼朝ちゃんと政子ちゃんの婚儀の話やよ?」


「おいまてなんでそんな話ににゃる!?」



 政子は悲鳴交じりに抗議した。あわてすぎて舌が回っていない。



「だって、政子ちゃんがやりたいこと、頼朝ちゃんのお嫁さんになったら、そのまま実現できるやん?」


「清盛の目もある。不自然な復位を避けるとなると、やはりそういう話にした方がよい。八条院の猶子との恋仲を成就させるため……なんと粋な話ではないか」


「おいまて勝手に恋仲にするでにゃい!」



 後白河院の言葉に、政子が突っ込むが、聞き流される。



「政子ちゃんも頼朝ちゃんもうちの子になるなんて、素敵やわー」


「わしは不満ぞ!?」


「大丈夫だ。頼朝には必ず目をかけて引き上げる。いずれ八条院の猶子の婿にふさわしい身分を与えることを約束しよう。でないと清盛の対抗馬に出来んしな」


「いや、そんなどうでもいいことが不満なのではない!」


「容姿が不満か? 姿を見たのは幼いころだが、美童であったと記憶しておるが」


「なんでそうなるのだーっ!」



 話が通じな過ぎて、政子は悲鳴を上げる。

 この妙な融通の利かなさは、やはり足利義昭を彷彿とさせる。



 ――おにょれ義昭ーっ!



 足利家の御先祖様が無駄に危機ピンチなのはさておき。



「まあ、婚儀いうても、月のものも来てないんやから、固う構えんでもええんよ?」



 八条院が政子を励ました。余計なお世話である。

 純粋な好意で言っているのだから始末におえない。

 そしてきっちり政子のことを考え、実際政子の利にもなるのだから反論しにくい。


 八条院の言う通り、早婚の場合、女性の体が出来上がるのを待つことは、ままある。もちろん例外も多いが。

 ちなみに政子は、外見はともかく実年齢は満14歳、数え15歳であり、当時においては完全合法である。


 逃げ場がないことを悟って、政子は――開き直った。

 経緯と形は超絶不満だが、これで政子の天下統一への道は大きく開かれるのだ。



 ――まあよいわ。所詮女に生れた以上、ままならぬこともあろう! この幼き身も、こうなれば好都合というものだ! 頼朝め、せいぜい利用し尽くし、こき使い倒してやるぞ!



「ふはははははっ!」



 自棄になって政子は笑う。



 ――待っておれ天下よ! この第六天魔王が、じきに我がものにしてくれるわ!



 波瀾を含みながら、時代は大きく動き出そうとしている。






義経「解せぬ」






源頼政……源氏の長老。ぬえ退治の人。後に源氏で初めて三位に登り、源三位頼政と呼ばれる。

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