三十四 殿下乗合事件

 誰もが望まぬ反目の毒が、京を蝕みつつある。


 後白河院と平清盛。

 蜜月関係にあった両者は、立場の違いゆえに望まぬ対立を強いられる。


 だが、破綻は訪れなかった。

 後白河院は、己の権力の支柱である平家の武力を、どうしても切り離すことが出来ず。

 平清盛もまた、後白河院への個人的な情義以上に、己の権力の後ろ盾である院から離れられない。


 両者は無理な体勢で手を取り合い、それが歪みを生む。

 それを象徴する事件が起こったのは、嘉応の強訴が終息してから半年もたたない、嘉応2年7月のことだった。


 清盛の孫、平資盛すけもりがお忍びで出かけた折、摂政松殿基房まつどのもとふさの行列と行きあった。

 その際、松殿基房の従者たちが、それと知らぬままお忍びの一行の無礼を咎め、牛車から平資盛を引きずり出してしまった。


 牛車の主が清盛の孫だと知った松殿基房は驚き恐れ、ただちに謝罪の使者を送ったが、激怒した平重盛(清盛の嫡子で資盛の父)は使者をつき返した。

 松殿基房はひたすら詫びたが、重盛は許さず、ついには高倉天皇の加冠かかんの儀のため参内する基房一行を、軍兵を用いて急襲した。

 馬から引き倒され、幾人かはまげを切られる恥辱を受けたというが、これは当時の感覚では去勢されたに近しい。この騒ぎのため松殿基房は参内不可能になり、加冠の儀は延期になった。


 一連の報を、福原で聞いた清盛は、急ぎ都に戻ってきた。



「――ボクが来た!」



 六波羅第に重盛を訪ねた清盛は、舞うように旋回ターンすると、迎え出た重盛に向かい、両手を広げた。

 重盛も家人も慣れている。そのまま清盛のために整えた一室にいざなった。


 酒肴を運ばせると、重盛が人払いを命じた。

 喉をうるおし、一息ついてから、清盛はおもむろに口を開く。



「重盛」


「はっ」


「珍しいね。普段は静かなキミが、ここまで怒るなんて」



 事件のことである。



父上パパ。高位に在るとはいえ、我らは武家です。すくなくとも、我らの地位を保証しているのは、我ら自身の武威に他ならない」



 まっすぐに、清盛の瞳を射抜きながら、重盛は語る。



「――武家が舐められてはお終いです。公家に、だけじゃない。このことが地方に伝われば、在地の武士どもにも侮られる。統率が緩む。我らの地位を保証する武威そのものが揺らぐ……ゆえに、激怒せねばならなかった。度を外した報復が必要だった」


「関東の武士団にも手をつけ始めたところだ。平家一門を預かる者として、キミの判断は間違っていないよ」



 清盛はさわやかに笑う。

 笑いながら、盃の中の酒をくるりと回す。

 妙な仕草だが、清盛がやると実に似合っている。



「しかし、残念だね」


「……残念?」


「かわいい息子を辱めた摂政のことが許せなかった、ということなら、ボクパパは全面的にキミの味方になってあげられたんだけど」



 言って、清盛は肩をすくめて見せる。

 重盛が苦笑を浮かべた。



「お戯れを」


「戯れじゃないよ」



 清盛は首を横に振った。

 その声には真実が込められている。



「たとえ道理に背いても、ファミリーを優先する。一家の長はそうでなくちゃいけない。たとえ相手が鬼や修羅でも、家族を守って戦えるのが本当の惣領パパだよ」



 言い聞かせるような口調だ。

 重盛も自然、居ずまいを正す。



「――キミは今回の問題を“理”で解いた。それは間違っていない。だけど、ボクは心配なんだ。その“理”が、いつか家族を切り捨てる結果を産むんじゃないかって」



 それは、自らの過去を顧みてのことか。

 重盛に突きつけた言葉には、刃の鋭さがあった。


 重盛は息をのみ。



「……金言……感謝いたします」



 感謝の言葉とともに、ようやく息を吐き出した。


 そんな重盛の様子を見て、清盛は年に似合わぬ白い歯をきらりと輝かせ、さわやかに笑う。



「うん。キミはいずれ一門を率いる身だ。その時にはパパ以上の惣領パパになって欲しいけれど、今はまだ若い。キミはもっとパパに甘えていい」


「……父上パパ


「摂政殿とはボクが話をつけておこう。重盛も遺恨を引きずらないように」


「はっ」


「それから、先の強訴から続く、院との関係のこじれ。こちらの方が問題だけれど……」



 問題だ、と言いながら、清盛は涼しげな表情を崩さない。



父上パパには、なにかご思案が?」


「うん。不興を買ったとはいえ、平家の武力を、院はけっして手放せない。だからこそ不安なんだ。ボクたちが自分の敵にならないかって……なら、保証があればいい。平家が裏切らないって保証が。それには、やっぱり血の繋がりが一番かな?」



 教え導くような清盛の言葉に、重盛は深くうなずく。



「すると、我が家からみかどに……」


「うん。徳子むすめ入内じゅだいさせる。院も望む所だろう。それによって院との結びつきはより強くなり、ボクらもやりやすくなる……重盛」


「はっ」


「ボクたちには敵が多い。娘を入内させるとなるとなおさらだ。自分は当然として、一族全員に、十分に気をつけさせるんだ」


「はっ」


「徳子の入内は急がなくていい。院の鶴の一声ではなく、周りから自然に起こるように進めさせるんだ。時をかけた仕掛けは、簡単にはひっくり返せないものだからね」


「はっ」


「それから……」



 と、言葉を切って、清盛はふたたび口を開く。



「院はけっして聡明なお方ではない。でも、折られても、曲げられても、自分が望むものを最後まであきらめない……恐ろしいお方だよ。縁をつなぐからこそ、より親密になるからこそ、今まで以上に警戒しなくちゃいけないよ」


「重々、承知しております」



 清盛の、言葉の重さに耐えかねたように。

 ゆっくりと、重盛は頭を下げた。







 清盛親子が密談していた、ちょうどそのころ、八条院御所では。

 八条院がてがみを片手に、北条政子を膝の上にのせて猫可愛がりしていた。



「いいかげんやめてくれにゅか……」



 そんな政子の抗議も通じない。

 八条院の猶子として様々な教育を施されている政子だが、肉体的にあまり成長していないため、愛玩対象としてすっかり定着してしまった感がある。



「なー。政子ちゃん」



 文を片手に、八条院が政子に声をかける。



「なんじゃ?」



 首をかしげる政子の前に、八条院は文を広げて見せた。



「この手紙見て。にいちゃんが、うちにこっそり来はるって」



 院、とは後白河院のことだ。

 治天の君として日本の頂点に立つ存在である。



「ほほう……」



 政子の目がぎらりと光った。





平重盛……平清盛の嫡子。苦労人。平家物語だと平家一門の良心。だけどヤンチャっぽいエピソードが多い。

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