三十一 刀狩り


 京三条に居を構える商人あきうど、吉次は、しばしば八条院御所を訪ねてくる。

「一度屋敷に来い」という政子の言葉がきっかけだったのだが、どのように上手く立ち回ったのだろう。いまでは何食わぬ顔で八条院御所に出入りしている。



 ――さすがは“金売り吉次”よ。



 目端の利く人間を好む政子は、あらためてこの男を気に入った。


 とくに事情通なところがよい。

 市中禁中、果ては、はるか遠方の豪族たちの近況まで、この男は実によく心得ている。

 八条院の、なかば趣味のような教育に付き合っているせいで、ろくに外出できていない政子にとって、ありがたい存在だった。



「――シテ」



 屋敷の外郭。

 渡り廊下の下に控える吉次に、政子は促した。

 政子は簡便を好み、冗長な挨拶など聞くと不機嫌になる。

 吉次もそれは承知しているようで、さっそく新本題に入った。



「噂話です。近ごろ五条の橋で刀狩りが出るようです」


「……刀狩り?」



 首を傾ける政子に、吉次がうなずく。



「はい。橋を通る帯刀の武者ものに決闘を挑んでは刀を奪っていくようで……」


「ほう」



 政子は淡い歓声を上げた。

 噂話が面白かったからではない。

 その噂話の真相を、政子は知識として知っているのだ。



 ――弁慶じゃな。



 武蔵坊弁慶。

 政子の知る戦国時代みらいでも大力豪勇の士として語られる男だ。

 五条大橋にて刀狩りを始め、九百九十九本の太刀を集め――若き義経に敗れる。

 以来、義経の一の従者として、共に日ノ本を渡り歩き、戦い続け、そしてともに死んだ大忠臣。



「――是が非でも、見たいものよ」



 政子は小声でつぶやく。



「政子様?」



 小声ゆえ聞こえなかったのだろう。吉次が首を傾けた。

 聞こえなかったことは、彼の胃にとっては幸運であった。



「いや、なんでもない。それよりも、吉次よ。他になにか耳に入れておらぬか?」


「はい。それならば……」



 政子に促され、吉次は話題を次に移した。

 促しておきながら、政子の興味は、すでに彼方にあった。







「と、いうわけで、藤九郎よ、今夜にも刀狩り見物に行くぞ!」



 吉次が帰ってから、政子は長屋の藤九郎のところに飛んでいき、宣言した。



「……刀狩りってぇ言うと、アレか、五条の橋に出るってぇ言う」



 また始まった、とばかりにため息をついた藤九郎が、政子に確認する。



「ほう? くわしいな藤九郎。ぬしとて長屋に詰めっぱなしだと言うのに」



 感心すると、藤九郎はもう一度、深くため息してみせる。



「誰のせいだと思ってんですか――ってのはともかく、そういうのはぁ耳に入ってくんですよ。ここの侍や雑色なんかの噂話でね。怨霊の話もそれで聞いたんです」


「なるほど……であれば話は早い。その刀狩りぞ。今晩見に行くぞ。支度をしておくのだ」


「そのこと、八条院には?」


「言うはずなかろう。止めはせにゅだろうが、自分も行くとか言いだしかねん。大事になって刀狩り見物どころではなくなるわ」


「八条院がどうなさるかはともかく……やはり夜の都は危ない。高貴な方が出歩くもんじゃない」



 賢明にも八条院に関する評価を避けると、藤九郎はそう忠告した。


 夜ともなれば、都は盗賊や人攫いが跳梁する危険な場所となる。

 屋敷にも警備の兵は欠かせないし、出歩くとなると相応の警護が必要になるのだ。


 しかし。



「くっくっく、藤九郎よ、わしを誰だと思っておるのだ」



 藤九郎の忠告を、政子は笑い飛ばす。



「北条の修羅姫、第六天の魔王……恐れねばならぬのはあちら・・・であろう!」



 魔王オーラ全開で宣言する。



「ま、たしかに盗賊のほうが逃げそうですがね……」



 藤九郎は肩をすくめた。

 どのみち、政子がやると言うのなら、それを止める手段など、藤九郎には無いのだ。







 夜になった。

 分厚い雲に隠れて、月明かりさえ届かない。

 暗闇の都大路を、政子はかがり火を手に悠々と歩く。

 装いは、京に来たときの奇矯な童子姿。とてもではないが八条院の猶子には見えない。

 そんな彼女に続くのは、藤九郎と政子の家来二人。ほかに護衛は連れておらず、盗賊や人攫いが跋扈する夜の京を歩くには、まこと心もとない。



「この小娘、無茶苦茶しやがる……」



 藤九郎は頭を抱えているが、政子主従はお構いなしだ。



「ヒャッハー! ひさしぶりに暴れられうでをみがけるぜー! 的はどこだーっ!?」


「まったく、さすが姫大将だぜ―! 的を寄越せー!」



 これではどちらが盗賊か分からない。

 おまけに政子も魔王オーラ全開だ。本物の盗賊すら避ける勢いだ。


 というか避けた。全力で避けまくった。

 あたりまえだ。怨霊のうわさが蔓延する京の町中で、尋常ならざるオーラ全開の幼女と血に飢えた従者たちが徘徊しているのだ。どんな肝の据わった悪党でも逃げる。逃げた。そのまま仏門を叩いた者まで居た。大惨事である。


 むろん、政子たちはそんなことなど知らない。

 危険なはずの夜の都で、小悪党一人出てこないことをいぶかりながら、一行は目的地にたどり着いた。


 五条の橋が見えてくる。

 かがり火に照らされた橋の下は、闇。そこから聞こえてくる鴨川のせせらぎ。


 かがり火が見えたためだろう。川向の土手を登って、のそりと人影が姿を現した。



「出たか」



 にやりと笑い、歩を進める政子。

 それを守るように藤九郎が前に出て、人影を照らすようにかがり火をかざす。



「……でけぇ」



 藤九郎は声を漏らした。


 朱の光に照らされたのは、七尺に届こうかという白頭巾の僧形。

 我こそは武蔵坊弁慶でございという格好に、政子は目を輝かせる。


 そして、野太い声が弁慶から発せられた。



「やぁやぁ、おれさまこそ都を騒がす刀狩り! 道行く武者から刀を奪い、集めた刀はぬしらで千本目よぉ!」



 その声に、政子は目を見開き。

 眉根を寄せて、声をかけた。



「……何をやっておるのだ。為朝よ」



 白頭巾で顔を隠しているものの、男の声は間違えようのない、伊豆に居るはずの流人、源為朝のものだった。



「ああん? と、おまえ魔王娘じゃねえか。久しぶりだな。デカくならんな」


「よけいなお世話じゃわ」



 政子と為朝はのんきに言葉を交わしはじめる。

 完全に固まっていた藤九郎が、ここでようやく声をあげた。



「鎮西八郎為朝様!? なんでぇこんなところに!?」


「魔王娘が楽しいことになってるようだったからな」


「あんた流人じゃぁねえですか!」



 悠然と答える為朝に、藤九郎が全力で突っ込む。

 突っ込みを受けて、白頭巾の巨漢は不思議そうに首を傾けた。



「だから顔は隠してるじゃねえか」


「ダメだ法を守るってぇ発想がそもそもなかった!?」



 全力で頭を抱える藤九郎を尻目に、政子は為朝に語りかける。



「シテ、為朝よ。お主、なんで刀狩りなんぞやっておる」


「ヒマつぶしだ。ま、八条院御所に行くわけにもいかねえからな。こうやって刀狩りでもやってれば、てめえなら見に来ると思ってたぜ」


「そのわりには、さっきは驚いておったではないか」


「ま、やりだしたら刀狩りも面白くなってきてな。半分くらい忘れてたぜ……なぜだか知らんが怨霊と間違える馬鹿も居やがるし」


「……ただでさえ都の連中は讃岐院(崇徳院)の怨霊のうわさで怯えてるってのに、勘弁して下さいよ」



 ひどく疲れた表情で、藤九郎が愚痴をこぼす。

 それを聞いて、為朝が面白そうに口の端を曲げた。



「へえ? なら、おれさまが顔を晒しても、怨霊の従者扱いで通りそうだな」



 為朝は保元の乱において、讃岐院に従い戦っていた。

 怨霊として都をうろついていても、たしかにおかしくない。



「いや、本気でやめてください。あんた一応まだ伊豆で生きてる扱いなんですから」


「怨霊話ならなんでもありだろ。生霊で通る通る」


「なんで怨霊の一員扱いされて喜んでんですか!」



 藤九郎が悲鳴混じりに突っ込む。

 もう無茶苦茶である。


 そこへまた、政子が世間話をする調子で割って入った。



「まあ、流罪に関しては八条院かあさまに頼んでおるが、なかなかに難しいようだぞ。お主恐れられ過ぎじゃ」


保元の乱であんときは相当暴れたからなあ。ま、おれさまはここでしばらく暴れてるんで、なにかあったら声かけてくれや」


「うむ。せいぜい捕まらぬようにな」



 終始物騒極まりない会話を終えて、為朝と別れようとした、その時。

 川の音に混じって、闇の向こうから笛の音が聞こえてきた。



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