三十一 刀狩り
京三条に居を構える
「一度屋敷に来い」という政子の言葉がきっかけだったのだが、どのように上手く立ち回ったのだろう。いまでは何食わぬ顔で八条院御所に出入りしている。
――さすがは“金売り吉次”よ。
目端の利く人間を好む政子は、あらためてこの男を気に入った。
とくに事情通なところがよい。
市中禁中、果ては、はるか遠方の豪族たちの近況まで、この男は実によく心得ている。
八条院の、なかば趣味のような教育に付き合っているせいで、ろくに外出できていない政子にとって、ありがたい存在だった。
「――シテ」
屋敷の外郭。
渡り廊下の下に控える吉次に、政子は促した。
政子は簡便を好み、冗長な挨拶など聞くと不機嫌になる。
吉次もそれは承知しているようで、さっそく新本題に入った。
「噂話です。近ごろ五条の橋で刀狩りが出るようです」
「……刀狩り?」
首を傾ける政子に、吉次がうなずく。
「はい。橋を通る帯刀の
「ほう」
政子は淡い歓声を上げた。
噂話が面白かったからではない。
その噂話の真相を、政子は知識として知っているのだ。
――弁慶じゃな。
武蔵坊弁慶。
政子の知る
五条大橋にて刀狩りを始め、九百九十九本の太刀を集め――若き義経に敗れる。
以来、義経の一の従者として、共に日ノ本を渡り歩き、戦い続け、そしてともに死んだ大忠臣。
「――是が非でも、見たいものよ」
政子は小声でつぶやく。
「政子様?」
小声ゆえ聞こえなかったのだろう。吉次が首を傾けた。
聞こえなかったことは、彼の胃にとっては幸運であった。
「いや、なんでもない。それよりも、吉次よ。他になにか耳に入れておらぬか?」
「はい。それならば……」
政子に促され、吉次は話題を次に移した。
促しておきながら、政子の興味は、すでに彼方にあった。
◆
「と、いうわけで、藤九郎よ、今夜にも刀狩り見物に行くぞ!」
吉次が帰ってから、政子は長屋の藤九郎のところに飛んでいき、宣言した。
「……刀狩りってぇ言うと、アレか、五条の橋に出るってぇ言う」
また始まった、とばかりにため息をついた藤九郎が、政子に確認する。
「ほう? くわしいな藤九郎。ぬしとて長屋に詰めっぱなしだと言うのに」
感心すると、藤九郎はもう一度、深くため息してみせる。
「誰のせいだと思ってんですか――ってのはともかく、そういうのはぁ耳に入ってくんですよ。ここの侍や雑色なんかの噂話でね。怨霊の話もそれで聞いたんです」
「なるほど……であれば話は早い。その刀狩りぞ。今晩見に行くぞ。支度をしておくのだ」
「そのこと、八条院には?」
「言うはずなかろう。止めはせにゅだろうが、自分も行くとか言いだしかねん。大事になって刀狩り見物どころではなくなるわ」
「八条院がどうなさるかはともかく……やはり夜の都は危ない。高貴な方が出歩くもんじゃない」
賢明にも八条院に関する評価を避けると、藤九郎はそう忠告した。
夜ともなれば、都は盗賊や人攫いが跳梁する危険な場所となる。
屋敷にも警備の兵は欠かせないし、出歩くとなると相応の警護が必要になるのだ。
しかし。
「くっくっく、藤九郎よ、わしを誰だと思っておるのだ」
藤九郎の忠告を、政子は笑い飛ばす。
「北条の修羅姫、第六天の魔王……恐れねばならぬのは
魔王オーラ全開で宣言する。
「ま、たしかに盗賊のほうが逃げそうですがね……」
藤九郎は肩をすくめた。
どのみち、政子がやると言うのなら、それを止める手段など、藤九郎には無いのだ。
◆
夜になった。
分厚い雲に隠れて、月明かりさえ届かない。
暗闇の都大路を、政子はかがり火を手に悠々と歩く。
装いは、京に来たときの奇矯な童子姿。とてもではないが八条院の猶子には見えない。
そんな彼女に続くのは、藤九郎と政子の家来二人。ほかに護衛は連れておらず、盗賊や人攫いが跋扈する夜の京を歩くには、まこと心もとない。
「この小娘、無茶苦茶しやがる……」
藤九郎は頭を抱えているが、政子主従はお構いなしだ。
「ヒャッハー! ひさしぶりに
「まったく、さすが姫大将だぜ―! 的を寄越せー!」
これではどちらが盗賊か分からない。
おまけに政子も魔王オーラ全開だ。本物の盗賊すら避ける勢いだ。
というか避けた。全力で避けまくった。
あたりまえだ。怨霊のうわさが蔓延する京の町中で、尋常ならざるオーラ全開の幼女と血に飢えた従者たちが徘徊しているのだ。どんな肝の据わった悪党でも逃げる。逃げた。そのまま仏門を叩いた者まで居た。大惨事である。
むろん、政子たちはそんなことなど知らない。
危険なはずの夜の都で、小悪党一人出てこないことをいぶかりながら、一行は目的地にたどり着いた。
五条の橋が見えてくる。
かがり火に照らされた橋の下は、闇。そこから聞こえてくる鴨川のせせらぎ。
かがり火が見えたためだろう。川向の土手を登って、のそりと人影が姿を現した。
「出たか」
にやりと笑い、歩を進める政子。
それを守るように藤九郎が前に出て、人影を照らすようにかがり火をかざす。
「……でけぇ」
藤九郎は声を漏らした。
朱の光に照らされたのは、七尺に届こうかという白頭巾の僧形。
我こそは武蔵坊弁慶でございという格好に、政子は目を輝かせる。
そして、野太い声が弁慶から発せられた。
「やぁやぁ、おれさまこそ都を騒がす刀狩り! 道行く武者から刀を奪い、集めた刀はぬしらで千本目よぉ!」
その声に、政子は目を見開き。
眉根を寄せて、声をかけた。
「……何をやっておるのだ。為朝よ」
白頭巾で顔を隠しているものの、男の声は間違えようのない、伊豆に居るはずの流人、源為朝のものだった。
「ああん? と、おまえ魔王娘じゃねえか。久しぶりだな。デカくならんな」
「よけいなお世話じゃわ」
政子と為朝はのんきに言葉を交わしはじめる。
完全に固まっていた藤九郎が、ここでようやく声をあげた。
「鎮西八郎為朝様!? なんでぇこんなところに!?」
「魔王娘が楽しいことになってるようだったからな」
「あんた流人じゃぁねえですか!」
悠然と答える為朝に、藤九郎が全力で突っ込む。
突っ込みを受けて、白頭巾の巨漢は不思議そうに首を傾けた。
「だから顔は隠してるじゃねえか」
「ダメだ法を守るってぇ発想がそもそもなかった!?」
全力で頭を抱える藤九郎を尻目に、政子は為朝に語りかける。
「シテ、為朝よ。お主、なんで刀狩りなんぞやっておる」
「ヒマつぶしだ。ま、八条院御所に行くわけにもいかねえからな。こうやって刀狩りでもやってれば、てめえなら見に来ると思ってたぜ」
「そのわりには、さっきは驚いておったではないか」
「ま、やりだしたら刀狩りも面白くなってきてな。半分くらい忘れてたぜ……なぜだか知らんが怨霊と間違える馬鹿も居やがるし」
「……ただでさえ都の連中は讃岐院(崇徳院)の怨霊のうわさで怯えてるってのに、勘弁して下さいよ」
ひどく疲れた表情で、藤九郎が愚痴をこぼす。
それを聞いて、為朝が面白そうに口の端を曲げた。
「へえ? なら、おれさまが顔を晒しても、怨霊の従者扱いで通りそうだな」
為朝は保元の乱において、讃岐院に従い戦っていた。
怨霊として都をうろついていても、たしかにおかしくない。
「いや、本気でやめてください。あんた一応まだ伊豆で生きてる扱いなんですから」
「怨霊話ならなんでもありだろ。生霊で通る通る」
「なんで怨霊の一員扱いされて喜んでんですか!」
藤九郎が悲鳴混じりに突っ込む。
もう無茶苦茶である。
そこへまた、政子が世間話をする調子で割って入った。
「まあ、流罪に関しては
「
「うむ。せいぜい捕まらぬようにな」
終始物騒極まりない会話を終えて、為朝と別れようとした、その時。
川の音に混じって、闇の向こうから笛の音が聞こえてきた。
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