二十九 伊豆より京へ

 京で怨霊のうわさが宮中にまで昇り始めたころ。

 伊豆国北条郷、北条屋敷の一角では、政子の兄、宗時が父に向かって深いため息を落としていた。



「……父上、なにやってるんですかその格好」



 それも仕方ない。

 なにしろ父――北条時政の格好ときたら、どこでしつらえてきたのか、宮中で着るような束帯そくたい姿だ。

 あくが強いのと田舎丸出しなのと日焼けし過ぎなせいで、ひどく似合わない。



「ぐふふ、宗時よ。わしも皇族の猶子ゆうしの父になるのだから、それなりの格好をしなくてはと思ってな。まったく、政子は天下一の孝行娘だわい!」


「父上騙されないでください。あいつは孝行娘じゃなくて明らかに事故物件です! 監視付きじゃなきゃ外に出せない危険人物ですよ!」



 宗時の突っ込みを、時政は聞いているのかいないのか。



「よーし、せっかくじゃからわし京に上って、政子を藤原摂関家に嫁にやる工作とかしちゃうぞー」



 こんなことを言い出すものだから、北条家の大番頭たる宗時が黙っていられるはずがない。



「大番役でもないのに家計に負担かけないでください! と言うかそれ工作にいくらかかると思ってるんです!?」


「なぁに、摂関家との縁さえ繋げれば、後でいくらでも元は取れるわい!」


「元手が圧倒的に足りてない! というかその話八条院に無断で進めたりしないでくださいよね! あちらはあちらでぜったい何か思惑があるんですから!」


「おお、そうであったな!」



 指摘されて気づいたのか、時政ははたと手を打った。



「せっかく縁が出来たことだ! ここは八条院に挨拶を……」



 気づいてなかった。

 しかもさらに暴走しようとしていた。



「やめてください! 都の政界なんて魔物のすみかなんですから、へたに首突っ込んだら振りまわされて破滅しますようちみたいな零細武士団きぎょうは!」



 宗時は必死で時政を諌める。

 普段は細かすぎるまでに細かい時政が、完全に舞いあがってしまっていた。


 無理もない。

 都の貴族から見れば、人間ですらない底辺の身に、いきなり振ってわいた幸運なのだ。

 だが、いま下手な振る舞いをすれば、この幸運は間違いなくそのまま災いに変わるだろう。



「――せめてそっちの知識や技術ノウハウ持ってる頼朝様とか、伊豆守の源仲綱みなもとのなかつな様あたりに相談してから身の振り方を考えないと……」


「馬鹿もの! そんなことでは仲綱殿を出しぬいて伊豆を押さえられんではないか!」


「とんでもねえこと考えてやがったこの親父!?」


「宗時! 息子とはいえわしを軽く呼び捨てるでない! わしは北条家の当主ぞ!」


「それ言っていいの北条屋敷ここでだけですからね!? いくら半分既成事実化してるって言っても、本家に聞こえれば絶対ひと波乱ありますよ!?」



 宗時の指摘は完全に正しいのだが、それで止まる時政ではない。

 争いもみ合う二人。その様子を、ほかの兄弟たちがおっかなびっくりと覗いている。



「おねえさま、またあにうえととうさま、けんかしてるの?」



 幼い妹が、姉の保子に向かって心配げな視線を向けると、保子は妹に優しく笑いかける。


「だいじょうぶですわ時子。どちらもおたがい憎くてケンカしてるんのではないから、話がまとまったらすぐに仲直りできますわ。だからおねえさまとお外で遊んでいましょうね?」


「まったく、父上にも困ったものです」



 二人の後ろで、まだ幼い少年が分別くさいため息をついた。



「あらいたの義時?」


「いたのにーさま?」


「ずーっといました!」



 少年、義時が哀しい悲鳴を上げているのはさておき。

 親子の争いは、主に父親の体力不足で終息した。



「ぜいぜい……わからずやめ」


「はあはあ……決めるのは家長の父上です。それに異論はありませんが、せめて根回しとか段取りというものを考えていただきたいと言っているだけです……」



 二人してへたりこみながら、憎まれ口をたたき合っていると。



「――もし」



 と、門の向こうから来訪者の声が聞こえてきた。

 よく通る、しかしねっとりとした声。


 聞くや否や、時政と宗時は門の前へと駆けだした。



「これはこれは、頼朝殿! よぉうこそおいでなされた!」


「頼朝様! ちょうどよいところへ! 折り入って相談したき事が!」


「了解しました。あとで伺いましょう」



 二人に詰め寄られ、後ずさりながら、頼朝は来意を告げる。



「今日は叔父上に会いに参ったのですが……」



 時政親子は固まった。

 建て付けの悪い門の様な動きでおたがい向きあいながら。



「息子よ。為朝殿はどうした」


「そういえば、今朝から姿が見えません……おい誰か! 為朝たろう様の様子を見てこい!」



 ややあって、様子を見に行っていた家人が、蒼い顔をして戻ってきた。



「時政様……為朝様の部屋に文が……」



 家人は為朝の偽名を使うのも忘れて、泣きたいような顔で報告する。


 宗時はその手から手紙をひっつかんで開く。

 そこには、豪快な筆致でごく短い文章が書かれていた。



 ――面白そうだしちょっと京に登ってくる。バレないようにするから心配すんな。



 固まる宗時。

 文を覗き込んだ時政と頼朝も硬直する。

 そして三人、顔を見合わせて。



「――――――――――――!!?」



 声にならぬ悲鳴が、北条郷に響いた。





源仲綱……摂津源氏。源三位頼政(鵺退治の逸話の人)の嫡男。父とともに以仁王の乱に加わる。

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