二十七 牛若丸

 牛若丸。

 武将として生まれたなら、その名を知らぬ者も多くはないだろう。


 源平の数多の合戦で奇跡に等しい武勲をあげ続けた神がかりの英雄。

 貴族の世が武士の世へと変わっていく大乱世を、ひときわ強く、激しくかき乱した混世の魔王。


 源氏の棟梁、源義朝の九男にして源頼朝の異母弟――源義経の幼名だ。


 目の前の童子がそれと聞いて、政子は目を見張った。

 気性の激しさを感じさせる眉根、丸みを帯びた輪郭。

 面長の頼朝とは骨柄が違うが、やはりどこか似た風韻を感じる。



「面白い」


「なにがおかしいっ!」



 にやりと笑った政子に、牛若丸が怒声を放つ。

 かんが強いのか、それともうっ屈したものがあるのか。



 ――そんなところも鬼武蔵に瓜二つじゃわ。



 それが目の前の少年を挑発することになるとわかっていても、自然と笑みがこぼれてくる。



「いやさ、主がわしの知りあいそっくりでな。思い出してつい笑うてしまったのだ。許せ」


「なぜそんなに偉そうなのだ……まあいい。おれを馬鹿にしたのでなければ、よかろう。ゆるしてやろう」



 ――なにやら劣等感コンプレックスを抱えておるらしいな。



 癇が強いのもそのせいだろうか。

 ともあれ。



「して、おれとそっくりな知りあいとは誰だ?」


「……くくっ。伊豆に居る知りあいでな」



 とびきりのいたずらを考えついた表情で、政子は言った。



「――名を、源頼朝という」


「……誰だ?」


「えっ」



 素で返されて、政子は思わす妙な声をあげてしまった。







「ぬし、源頼朝を知らにゅのか?」



 あまりといえばあまりな返答に、政子は目を丸くした。



「いや、そんな知ってて当然みたいな言われ方をしても……誰だ?」



 ――こやつ、まだ己の素性を知らぬのか。



 義経の様子から素早く察した政子は、こほんと咳払いして説明する。



「……平清盛の前に武家の棟梁と謳われた源義朝の嫡男じゃ」


「ほう? どんな男なんだ?」



 興味をそそられたのか、義経が顔を寄せてくる。



「ふむ、そうさな……見た目は、いい男じゃな。それに頭が異常に切れる。それから……」


「それから?」


「些細な恨みも忘れず、怨み手帳ノートとやらにつけておる陰険な男であったな」


「さては遠回しにケンカ売っとったのか!?」


「いや、悪意はない。似ておるのは性格ではないからな……しかし、物おじせぬ童じゃな」


「貴様も童じゃろうが」



 悪態をつく義経にふふんと笑って政子は言う。



「ならば名で呼んでやろう。牛若丸よ、主はなかなか見所がある。将来はよき武士となろう――どうだ? わしに仕えぬか?」



 政子の言葉に、義経の顔が一瞬にして朱に染まった。



「武士!? おれが武士だと!? なれるものか! おれは将来坊主にされるんだぞ!」



 ――鬱屈の原因はこれか。



 政子は理解した。

 義経は将来寺に入れられることをすでに伝えられている。

 父が源氏の大将とは知らなくても、養父は公家だ。しかもこの性格。坊主になることなど納得できないのだろう。



 ――それがゆえに、将来寺を飛び出し、源氏の御曹司、源義経として起つか。



「くっくっく」


「なにがおかしいっ!」



 怒りをあらわに詰め寄ってくる少年の体を肩で押し返しながら、政子は言う。



「いや、たしかに坊主にされてはたまらん。もったいないにもほどがある。牛若丸よ、僧になるのがいやならわしのところに来い。わしを頼れ――悪いようにはせんぞ?」


「――なっ!?」



 政子の言葉に、義経は驚き、一歩退った。

 退って口中で政子の言葉を反芻し――それから、動揺を露わにした。



「な、な、な、いきなり何を言い出すのだ破廉恥な?」



 言いながら、義経の顔は怒りではない感情で真っ赤になっている。



「……うむ?」



 よくわからない反応に、政子が首を傾けた。



「と、とにかく、おれは女に養われる気はないぞ! だいいちお前のような生意気な女、おれは好みではないからなっ!」



 言い置いて、義経は脱兎の勢いで逃げ出した。

 その背に不信の視線を向けながら、政子は背後に控える藤九郎に尋ねる。



「藤九郎。わしはなぜいきなり罵られたのだ?」


「そりゃあお前……政子殿のことを少女と見る人間が聞きゃあ、いまの言葉はかなり直接的な告白だぞ?」



 藤九郎の言葉に、政子は先ほどの言葉を思い返し。



「……おい、ものすごく納得がいかにゅぞ」



 勝手に勘違いされて勝手に振られる理不尽に、政子はおもいきり苦虫をかみつぶした。

 どう考えても政子の言動のほうが理不尽なのだが、賢明にも藤九郎がそれを指摘することは無かった。



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