五 平安の終わり

「北条、ということは、きみ、北条郷の……北条時政の娘ですか」


「うむ」



 頼朝の問いに、政子は鷹揚おうようにうなずく。

 木っ端豪族の娘にあるまじき尊大さだ。



「私を守る。きみはそう言ったけど、それは時政殿の考えですか?」


「いや、違う。父時政は知りもせぬわ」


「なぜそんなに偉そうなんですか……」



 頼朝は疲れたように肩を落とした。

 無礼極まりないが、破天荒すぎてとがめる気にもならない。

 なにより、ただの残念な童女と言いきるには、この娘、放つオーラが異次元すぎる。



「人の偉大さが官位でわかるか?」



 にい、と笑いながら、童女――政子はうそぶいた。



「――もっとも、わしは正二位であったがな」


「正二位? 冗談でしょう? 皇族や摂関家じゃあるまいし、そのような天の上の位など」



 頼朝はうろんげに視線を送る。

 この童女が正二位など、どう考えてもたわごとだ。天地がひっくりかえってもあり得ない。


 だが。

 当の童女は、魔王オーラ全開で不遜ふそんに笑う。



「どういうわけか、わしには生まれる前の意識があってな」


「ふむ」


「生まれ変わる前の名を、織田信長という」


「……誰です?」



 頼朝は首をかしげた。


 耳慣れぬ名だ。

 たとえそれが一代限りの栄誉だったとしても、そのような人物聞いたことがない。



「知らぬか。それも当然。400年も後の名だからな」


「……まさか、冗談でしょう?」


「冗談かどうか、我が目を見て判断するがいい!」



 童女は自信満々に言い放った。

 その目はギラギラとした光を放っており、有無を言わせぬ迫力を持っている。



「……六月某日、幼女ににらまれた。死にたい」


「おいそれ怖いからやめぬか」


「それはさておき」


「きっちり書ききってからさておくな」


「さておき、そんな事情を私に伝えて……どうしようというのです?」


「別に」



 警戒する頼朝に、政子は鼻を鳴らす。



「――今日のところは挨拶よ。わしは天下を取る。ぬしが配下になるなら、存分に使ってやろうぞ!」


「いやいや、あり得ませんから」


「しかと伝えたぞ、覚えておけ! わしの名は政子。北条政子じゃ!!」


「ちょ、待っ――」



 頼朝の制止などまるで聞かず、政子は屋敷の外へと飛び出していった。

 その後ろ姿を、しばし呆然とながめて。それから、頼朝は口の中でつぶやく。



「……天下を手にする、か」



 考えもしなかったことだ。



 ――いや、考えも出来なかった、ですか。



 武家の棟梁とうりょう。そううたわれた父でさえ、従四位だ。

 その息子である頼朝が従五位。それでさえ、一般人から見れば雲の上の存在なのだ。



「厚い雲を突き破り、天上に登り、その中で天下を握る。そのようなこと、出来ようはずがありません……普通なら」



 そう、普通なら、だ。

 400年におよぶ平安の夢は、ゆるやかに、だが確実に崩れつつある。

 それが崩れ去った後に顔を出すであろう戦乱の末世。その世界であれば、天上に手が届くだろうか。


 頼朝の明晰な頭脳をもってしても、それは想像の外だ。


 だが、頼朝は感じていた。

 あの童女――北条政子はきっと、その世界の住人だと。



「……この坂東ばんどうで、学ぶべきことは多くなりそうですね」



 すでに消えた政子の残像をながめながら、頼朝はつぶやいた。

 瞳には、政子が灯した修羅の炎がくすぶっていた。






官位……六位と五位、四位と三位の間に巨大すぎる壁がある。清盛以前の武家貴族は三位の壁を越えられなかったし、侍階級の家柄の者が五位に上がるのも並大抵の努力では無理。なお北条時政は貫録の無位無官。

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