四 源頼朝
伊豆国
満にして十六歳。
四年前の平治の乱が初陣だった少年は、乱の勝者となった
「敗者の生とは、哀しいものですね」
詫びた屋敷の一室。
頼朝はふと写経の手を止めると、ため息をついた。
流人とはいえ、伊豆は亡父義朝の勢力圏であった関東に近い。
おかげで頼朝は乳母や豪族たちの支援を受け、生活に困ることはない。
だが、あくまで監視つきの上で、である。
伊豆豪族の伊東、北条の厳重な監視を肌で感じながら、頼朝は時おり狂おしいほどの焦燥を覚える。
――いったい、このような生活を、いつまで続けねばならぬのか!
武家の棟梁の子として生まれ、貴族の端に連なる地位を得た自分が、戦に敗れ、かろうじて命のみとどめて、ただ生きているだけの生活を送り続けねばならない。
まだ若い頼朝にとっては、ぞっとする未来絵図だ。
「たまらない」
想像して、頼朝が身を震わせた、その時。
ふいに、木戸がこつりと音を立てた。
「ふむ?」
首をかしげていると、二度、三度、木戸が鳴る。
どうも小石を木戸に投げつけている者がいるらしい。
「誰です」
木戸をそろりと開ける。
そこには、満にして五、六歳と思われる童女が、仁王立ちで待ちかまえていた。
心臓が止まるかと思った。
ただの童女ではない。男装の上に女ものの小袖を羽織った異様な風体。
幼い眼をらんらんと輝かせ、異様な
「きみは」
「うぬが頼朝かっ!」
問いには答えず、童女は声を張り上げた。
貴人に対して無礼極まりない物言いだが、それ以上に気圧された。
あの平清盛や後白河院を前にした時でも、これほどの圧迫感はなかった。
――いったい何者か。
頼朝の声なき問いに、むろん童女は答えない。
胸をふんぞり返らせて魔王めいた笑みをこぼした。
「若いな! だが覇気がない! 感心せぬぞ! それでも源氏の御曹司か!?」
「……長寛元年六月某日、いきなりやってきた童女に覇気がないと怒鳴られた。死にたい」
「おい、いきなり帳面を取り出して何を書いておる?」
「いや、ただの恨み
「おい、それは流してよいのか? 流してよい話なのか?」
ちょっと不安げな童女を無視して、頼朝は雑記帳をしまい込むと、言葉を返す。
「きみは覇気がないと言ったけれど……無茶を言わないでください。私は流人なのです。覇気ある流人など、殺してくれと言っているようなものではないですか」
いくら不自由していないとはいえ、流人は流人だ。
清盛が頼朝に対して不審を覚えれば、監視役は即座に処刑人へと変わる。
いまの情勢で、あえてそのような危険を侵す。そんな愚行は避けて当たり前だ。
だが。
「それがどうした!」
童女は鼻で笑う。
「殺す? 誰がだ? 伊東か北条か、それとも狩野が殺すか? 笑止! そのようなこと、わしがさせぬわ!」
北条はともかく、伊東も狩野も伊豆国内の大豪族である。
それを鼻で笑うこの少女はいったい何者なのか。
「きみはいったい」
「北条政子。いずれ天下を取る者よ……源頼朝、わしの元に来い」
童女が、手を差し伸べる。
だが。
「いや、無理でしょう」
頼朝は冷静に突っ込んだ。
朝廷にさしたるコネもない木っ端豪族の、しかも娘が天下を取るなど、夢物語以外の何ものでもない。
◆
源頼朝……源平期のスーパーチート。初の武家政権、鎌倉幕府の征夷大将軍。女好き。
蛭ヶ小島……地名。海に浮かぶ島ではない。
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