二 夢幻の続き



 保元二年(1157年)。

 伊豆国の豪族、北条時政に一人の女子が誕生した。



 ――どうやら、尋常の子ではない。



 そんなうわさが、すでに一族の間でささやかれている。

 生まれてすぐ目を開いていた、だの、瘴気を帯びていた、だの、根拠には事欠かない。


 第六天魔王、織田信長の生まれ変わり。

 それも、人格をそのままに保っているのだから、まともでないのは当たり前なのだが、さすがに真実にたどりつける人間など居ない。



「……ばぶ、ばぶ」



 むつきに包まれながら、信長は考える。

 耳に入る雑多なうわさ話から、自分が400年も昔――源平の世に生まれたことは間違いない。


 そして父の名は北条時政。

 その大姫ちょうじょ、ということは、自分は北条政子なのだろう。

 北条政子といえば、鎌倉幕府をひらいた征夷大将軍、源頼朝みなもとのよりともの妻にして、夫や息子の死後、幕府に君臨した尼将軍あましょうぐんだ。



 ――くっくっく。



「きゃっきゃっ」と赤子は笑う。

 なるほど、第六天魔王の生まれ変わり先として、不足のない人間ではないか。



 ――だが、北条政子がわしである以上、そうはならぬ。



 うなずきながらも、赤子は「だぁ!」とかぶりを振る。

 織田信長ともあろう者が、人の後ろに立つというのは、いかにも気に入らない未来図だ。


 だから。

 全力で魔王オーラを放ちながら「ばぶぅ!」と宣言する。



 ――どうせならば、頼朝に先んじて、わし自らが天下人となろうぞ!



 どう考えても不可能な決心を胸に、赤子は笑う。

 野望に目をぎらつかせる乳幼児に、侍女たちはひたすらにおびえていた。







 決意の日より半年が過ぎた。

 その間、信長は天下取りに向けての動きを、なに一つ出来ずにいる。

 はいはいを覚え、つかまり立ちしはじめ、そしてよちよちと歩けるようになったとはいえ、赤ん坊なのだから当たり前である。



 ――退屈でたまらぬわ。



「ちゃいくつでちゃまらぬわ」



 自由に出歩くことさえできず、屋敷の一室に寝かされて、信長は片言で不満を口にすることしかできない。



 ――源平の合戦まで、あと何年であろうか。



 だから、信長は考える。

 貴族の世から武家の世になる、この時代について。そして、天下取りについて。


 上皇が政治を取り行う、院政の時代。

 武家の身が、栄耀栄華を極めた平家の時代。

 そして、源氏と平家が争う天下の大戦、源平合戦。


 時代は流血を伴って、大きく移っていく。

 信長=北条政子が、自らの手で天下をつかむ機会があるとすれば、源平合戦に便乗するしかない。



 ――それまでに、力を蓄える。



 並のことではない。

 なにしろ北条政子は女だ。

 しかも父親はど田舎の小豪族。無位無官のおまけつきだ。

 信長の知る戦国の世に比べて、朝廷の力がはるかに強いこの時代、それは天下人への道の、絶望的な障害となるだろう。



 ――くっくっく……卑賎の身よりの立身出世。しかも天下人と成れば、羽柴秀吉サルを越える難事、か。面白い!



 秀吉は後に天下人となっているのだが、死後のことなのでわかるはずがない。

 それでこそやりがいがある、と、信長は笑う。



「きゅきゅきゅ……」


「ひいっ!? 姫さま! どうか! どうかご機嫌をお直しになって下さいませ!」



 笑っているにもかかわらず、侍女たちは悲鳴をあげた。

 舌が回らないのと魔王オーラのせいで、まともに会話も成立せず、信長はいまだに、この時代の情報をまともに得ていない。


 でも第六天魔王はくじけない。



「うちの姫さん、ありゃあただもんじゃねえぜ」


「ああ。生まれた時からはっきりと目を開いてたっていうし、なにやら恐ろしげな……」


「あの眼を見たか? 戦場往来の古つわものだってあんな眼光してねえぞ」


「それよりも、なにやら憑き物めいた異様な気配。近づいただけでちびっちまうぜ……」



 北条家に奇妙な娘が生まれた、といううわさは、すでに伊豆国中に伝わっている。







 さて、信長=政子も満二歳になった。

 動きは活発になり、早々に侍女たちの手には負えなくなってしまった。

 彼女たちのかわりに政子の面倒を見始めたのが、三つ年上の長兄、宗時むねときだ。



「政子。ぼくの言うことをしっかり聞くんだぞ」



 当たり前だが、完全に年下扱いだ。

 家族ゆえか、政子に遠慮もない。政子が外に出ようとすると、襟首つかんで止めてしまう。


 遊びの場を屋敷内に限定されて、政子は退屈でたまらない。

 というか、近辺の地理を把握するにも、うわさをかき集めて都の情勢を知るにも、外に出なくては始まらない。



「あにじゃよ。外に出たい。連れて行ってくれにゅか」


「駄目だ」



 頼んでも、宗時は首を縦に振らない。



「にゃにゆえか」



 不機嫌を隠さず、魔王オーラを放射しながら問う。


 子どもゆえの命知らずか、宗時にさしたる動揺はない。

 年に似合わず分別めいた表情を浮かべて、少年は政子に言い聞かせる。



「いいか、政子。お前はまだ幼い。わらべとも呼べない年だ。お前が大人並にしっかりしているのは分かっているけれど、悪い病も人さらいも、お前を避けてはくれないんだ。もう少し大きくなるのを待つんだ」



 避けます。

 という、宗時にとって哀しい事実はさておき。



「ならば、あにじゃよ。わしに聞かせるにょだ。おとなのうわさを。そして都のうわさを」


「まあ、それくらいはしてやるけどさ。政子は、妙なことに興味があるんだな」


「当然よ」



 政子は口の端を曲げて笑い、答える。



「わしは天下を取る。取らねばならにゅのだからにゃ」


「……なら、僕もそのお手伝いをしてやろうか」



 宗時は笑って引き受けた。

 妹の遊びにつきあってやる、程度の気安さだったのだろう。

 妹が心底本気であり、かつその能力もある、などとは、思いもしなかったに違いない。


 後悔先に立たず、である。






 北条宗時……北条時政の長男。政子の兄。史実では頼朝挙兵後間もなくの合戦で死亡。

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