転生幼女 信長の下克上!

寛喜堂秀介

一 夢幻のごとくなり



 時は天正てんしょう10年6月2日。

 黎明れいめいの都に、運命の雄叫びが、怒涛となって押し寄せた。


 本能寺の変。

 天下人、織田信長に対する、家臣、明智光秀の謀反クーデターだ。


 万を越える明智の軍兵が、信長の宿所、本能寺に押し寄せる。

 ほどなくして火の手が上がった。炎は見る間に本能寺を呑みこみ、燃えさかる。


 あけの光が、都の空を染める。

 その中で、戦闘はなおも続いている。


 ときの声。

 剣戟の音。

 打ち倒されていく敵味方の断末魔。

 すべてを呑みこんでゆく紅蓮の中心に、ひとりの男が居た。


 舞っている。

 迫りくる破滅の足音に眉一つ動かさず、身を焦がす業火に悲鳴一つ上げず、ただひたすらに、男は舞う。


 幸若舞こうわかまいだ。

 舞いながら歌うは、敦盛あつもりの一節。



「――人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり……」



 舞い手の名は織田信長。

 自らを魔王と謳う乱世の覇者。

 天下統一を目前にしながら、しかし、その命はまさに燃え尽きようとしていた。



「無念……無念か。是非も無し」



 だが、信長の瞳に、人間らしい未練の色はない。

 むしろ、滅せんとしている己に、奇妙なおかしさを覚えるような……そんな皮肉の笑みを浮かべながら、乱世の魔王は太刀を払い抜いた。



「無に還るか、あるいは地獄か……いずれにせよ」



 炎に照らされ、白刃が朱に輝く。

 朱の刃を己に向けながら、凄絶な笑みを浮かべて、信長はこの世に別れを告げる。



「さらばだ、人間ひとの世よ!」



 喝破かっぱして刀に伏す。

 鮮血がほとばしる。

 血の池が広がり、炎の海がひときわ大きく波打った。

 死を前に、なお凄絶な笑みを浮かべる信長の姿は、炎のうねりのなかへ消えていった。

 戦国乱世を己の色で染め抜いた一代の覇王、六天の魔王と恐れられた男の、それが最後……



 ――の、はずだった。



 はるか時空を超えた先、伊豆国いずのくに

 その一角、北条ほうじょう氏の屋敷にて、ひとりの赤子が産声をあげた。



「おぎゃぁっ!」



 その声は、赤子にもかかわらず、圧倒的な王気オーラを放っていた。







「……解せぬ」



 信長はつぶやいた。

 つぶやいたつもりだが、口をついて出る言葉は、なぜか「ほぎゃ、ほぎゃ」。


 完全無欠の赤子である。しかも女。

 そのくせ魔王オーラは健在で、乳母らしき女は、近づくにもおっかなびっくりといった風情だ。


 ままならぬ体で、信長は考える。


 ここは伊豆。

 それも、どうやら北条の屋敷らしい。



 ――つまりは、北条家の娘に生まれ変わったか。



 関東の覇者、北条家。

 北条早雲ほうじょうそううんから五代に渡ってかの地に君臨する、関東乱世の権化。



 ――くっくっく。



 置かれた状況を噛みしめながら、赤子は心の中で笑った。



 ――死んで無と化すか、それとも地獄かと思えば、またこの世か……それもまたよし!



「この世を、味わい尽くしてくれようぞ」



「ほぎゃ、ほぎゃ」と、赤子は不気味に笑う。

 全力で放たれる魔王オーラに、侍女たちが悲鳴をあげてひれ伏した、その時。

 どたどたと騒がしい音を立てながら、ヒゲ面の若い男が、満面の笑みを浮かべて部屋に駆けこんできた。



「おお、赤子が生まれたか! ぐふふ、でかした! 我が娘よ! わしが父の北条時政ほうじょうときまさじゃぞ!」


「……ほぎゃ!?」



 時に保元ほうげん二年(1157年)。

 伊豆国の豪族、北条時政に一人の女子が誕生した。

 政子まさこと名づけられたこの赤子こそ、後に鎌倉幕府の尼将軍、北条政子ほうじょうまさことなる――はずだった。





北条時政……北条政子の父。鎌倉幕府の初代執権として権勢をふるった。子沢山。嫁も沢山。

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