第617話もう大丈夫だよな

 ああ……まただ。


 また私は何も出来ない。


 ずっと言われていた。


 いつまでも成長しない身体。


 いつまでも上がらない実力。


 龍神の力を受け継いでいるか疑わしいと、陰で言われているのを耳を塞ぎながらじっと耐えていた。


 永遠に続くように思える眼前の暗闇は、その記憶と思いを具現化したかのように、暗く黒いドロドロな感情を凝縮したよう。


 そして私の体を拘束する、闇そのものが形になったような数多の腕達。


 初めは少なかったそれは時が経つ毎にその数を増し私に絡み付く、絡み付く、絡み付く。


 拘束されていく度に私の中の何かが削れていく。


 記憶が、想いが、感情が、魂が、私自身がだんだん、だんだん、だんだんと、削れて、削れて、黒く、黒く、黒く、黒く、黒く黒く、黒く黒く黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒く、塗りつぶして行く。


 もうこのまま塗りつぶされてしまえばどれほど楽なのだろうか。


 このまま消えてしまえば───。


 悩む事もない。


 苦しむ事もない。


 悲しむ事も、一人で泣きながら膝を抱える事も、報われない努力をする事も、もうこの煩わしい感情に振り回される事もない。


 辛かった。


 苦しかった。


 声が枯れるほど泣いて、言い訳を叫び、どれほど苦しんでも、誰も何も理解してくれない、理解できない。


 だから…………いっそ…………このまま───。


 ───消えてしまいたい。


 そう思った瞬間、私を拘束する腕達の動きが激しさを増し、一気にその数を増やして私を埋め尽くす。


 それは私の思いに応えてくれたようで、それが嬉しくて、悲しくて、情けなくて、そして何よりも。


 やっと消えられる───。


 その想いが、私の中を満たしていく。


 こんなにも嬉しいのに何故涙が流れるのだろう?


 こんなにも悲しいのに何故嗤っているのだろう?


 心も身体もぐちゃぐちゃになり、その全てを黒い闇が塗りつぶして行く。


 これで終わり───。


『私が怒っているとすればそれはお前にだよ。ミコト』


 だが、その時声が聞こえた。


 それはずっと聞き続けた声。


『何を言っているが知らないが無駄だ。この娘はもう我の中で消えかけているからな』


 そうだ。


 その通りだ。


 自分はとっくに諦めてしまった。


 だからハクアも───。


『うるせぇよ。そんなもんはどうでも良い』


 暗闇の中で唯一響く声。


 それが何故か光として映り、目があった気がした。


『お前はそれで良いのか。助けを待ってただ泣いてるのが本当にお前の望みなのかよ』


 良い訳がない。


 そんな訳がない。


 でも、自分には無理なのだ。


『こんな風にお前の好きな奴らを、お前の居場所を蹂躙されて、大切な物をめちゃくちゃにされてただ泣いてるだけなのかよ!』


 だってしょうがないじゃないか。


 自分だって頑張ったんだ。


 他からすれば足らないように見えても死にものぐるいだったんだ。


 それでもダメだった。


 私は……ハクアとは違うんだ。


『お前はそんな奴じゃないだろ』


 買い被りだ。


 自分は弱い。


 それを自分自身が一番わかっている。


『お前はただ泣いて待つだけじゃないはずだろ』


 それでもハクアは諦めない。


 じっと自分の目を見つめながら語り掛けてくる。


『お前は……隣に立ってくれんだろ!』



 その熱に、冷めて冷えきった心が反応した。



 そうだ。


 ずっと見てきた。


 誰よりも弱いのに誰よりも強い。


 燻っていた自分に熱をくれた大切な存在。


 それを自覚した途端、ミコトの中に熱が宿る。



 何をしていたんだ。



 何をしているんだ。



 最初はただの興味だった。


 あの水龍王が選んだただの人間。


 それに興味を引かれただけ、しかし、ハクアという人間を知れば知るほどその輝きに惹かれていった。


 その強さが知りたくなった。


 その生き様を見たくなった。


 その隣に行きたかった。


 そのハクアが、お前は……隣に立ってくれんだろ。そう言ったのだ。


 呆けている暇はない。


 悲しんでる場合ではない。


 絶望に浸っている時間などない。


 目を離せばすぐに遠くに行ってしまいそうなあの友人に追い付くには、こんな所で囚われている暇は一分一秒とてない。


 ハクアが皆が戦っている。


 それなのに自分がこんな所にいて良いはずがない。


 もう大丈夫だよな。


 聞こえないはずなのに、見えないはずなのにそんな声が聞こえた気がした。


「ハァァァァァ!」


 自分を持ち、自分を保つ。


 四肢に力を込め、全身に力を込めて声を吐き出す。


 無様でも良い、カッコ悪くても、見苦しくても、足掻く事が大切だと、その姿から教わったのだ。


 自分を捕らえる腕を引きちぎる。


 しかし暗闇から生える腕達も、ミコトを抑えようと次々に生えては向かってくる。


 それでもミコトは今までのように諦めるつもりはない。


 千切り、砕き、燃やし、消し飛ばし、何処とも知れない出口を探して走り続ける。


 息が苦しい。


 絶望が足元から這い上がる。


 それでも足を止める事はもうない。


 ───どれほど走ったか分からない、一瞬のような、数分のような、数日走った気さえする。


 本当に出口はあるのだろうか?


 ふとそんな弱気が心に浮かぶ。


 だが、そんな私を見透かしたように突然目の前に光が現れた。


 あまりにも突然の出来事、あまりにもタイミングの良いそれに警戒するが、それも直ぐに消えた。


「これ……父上の?」


 光から感じたのは誰のものでもない父上の力。


 何故?


 疑問が浮かぶが、それと同時に私は無意識にその光に手を伸ばす。


「わっ!?」


 触れた瞬間、光が私の中に入り込み、私の中から力が溢れ、捕らえようと迫っていた闇達を私が発する力の光が消し去った。


「これなら行ける。ハァァァァァ!」


 全ての力を右の拳に集め、地面に向けて拳打を放つ。


 すると力は闇の世界に亀裂を生み出し、同時にバキリと音を立ててまるで切り裂かれたように世界が崩れ去った。

 ▼▼▼▼▼▼▼▼

 強烈な一撃をベルフェゴールの腹にお見舞いしたハクアだが、その一撃を入れる為に支払った代償は大きかった。


「ゴホッゴホッ……チッ」


 カウンターで攻撃を食らったハクアは、いとも簡単にアバラを数本折られ咳き込む。


 対してベルフェゴールはハクアの一撃をモロに食らったはずだが、そのダメージはハクアに比べた驚く程小さい。


「無駄な努力だったな」


「そう……でも、ないさ」


「残念だが、これで今度こそ終わっ───グッウゥ……」


 ハクアを見下ろしていたベルフェゴールが急に苦しみ出す。

 

「はっ、やっとか」


 ニヤリと笑ったハクアが身体を引き摺りながら立ち上がる。


「この体の持ち主に、何を……した」


 その言葉を聞いたベルフェゴールが、苦しみながハクアへ質問する。


「なんの事はない。人を宅配ボックス扱いしてくれた奴が居たからな、それを正規の受け取り手に返しただけさ」


 ふらつく身体を無理矢理支えながら、ハクアは力を高め腰を落とし抜刀の構えをする。


 ハクアが腰を落とした時、確かにその手には何もなかった。


 しかし今、ベルフェゴールの目には紫に光る刀がハクアの手に握られている姿が映る。


 幻刀【霊牙れいが


 肉体ではなく、魂に直接攻撃するハクアの隠し球。


「つーわけだ。さっさと帰って来やがれミコト!」


 不敵な笑みを浮かべながら、放つ抜刀の一閃がベルフェゴールとミコトの魂の繋がりを切り裂いた。

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