第594話───白亜さんなら

「遂にここまで来ましたね」


 微笑ましそうにハクアを見るテアに聡子が語り掛ける。その顔に浮かんでいるのはテアと同じものだが、どこかホッとした空気を纏っている。


「ええ、ようやく追い付きました」


 そう答えたテアの顔にも、普段滅多に見せない安堵の表情が浮かぶ。


「これでようやく白亜さんの力に身体が追い付きました。ひとまずはこれで安心でしょう」


「そうですね。やっと安心出来まよ。随分と長くかかっちゃいましたけど、これで心さんや咲葉さんも安心しますよ」


「ええ、とはいえ、これからも鍛え続けないといけませんがね」


「そうですねー。言っちゃえば第一関門クリアってところですもんね」


「ええ」


 二人が揃ってハクアに視線を向けると、気絶しているはずのハクアがビクッと震えた。恐らく意識がなくても本能的に危機を察知したのだろう。哀れなり。


 士道白亜という少女にはとある秘密があった。


 本人も澪や瑠璃ですら知りえない、元女神であるテア達だけが共有していた秘密。


 地球に居た頃のハクアは体が弱く、特に心臓が弱かったせいもあり?激しい運動はごく短時間しか出来なかった───と、言う事になっていた。


 だが真実は違う。


 医学的にはハクアの体に異常と言うものはなかった。むしろその体は健康そのもの、体は弱い方だったが、それも日常生活、運動に支障をきたす程のものではなかった。


 にもかかわらず、地球に居た頃のハクアは2~3km走っただけでも息切れで倒れてしまうほどの虚弱体質。ひとたび熱を出せば高熱にうなされ、死にかける事も日常茶飯事なほど。


 その原因こそ、テア達が隠していた秘密。



【有り得ない程の魂の強さにあった】



 通常、強い魂を持つ人間は、過去、遡れば沢山いる。


 その中には偉人と呼ばれる者。


 稀代の悪人と呼ばれる者。


 そして英雄と呼ばれる者達まで、このように良くも悪くも強い魂を持つ者は、幸か不幸か数多くの人間が歴史に名を残し、それ以上の人間が過酷な運命に呑まれ死んで行った。


 そしてその全員が魂の強さに相応しい肉体、能力を授かっていた。


 しかし士道白亜という少女は、歴史を紐解いても類を見ない魂の強さを持ちながら、その肉体は平凡そのもの───いや、平均から見ても弱々しいものだった。


 その結果、自身の魂の強さに耐えきれず、士道白亜という少女の肉体は、生まれながら緩やかに崩壊していたのだ。


 テア達が初めてハクアに会ったのは、ハクアが姉に助け出されて数ヶ月後、その時の事は未だ記憶にこびり付いている。


 弱々しい肉体に、それに見合わぬ魂。


 何故生きて、何故動いているのか? テア達からしてもまるで奇跡のような存在がそこに居た。


 例えるなら本物のロケットのエンジンを、子供が作ったボロボロの積み木のロケットに取り付けたような有り得ない存在。


 人の言葉も喋れない獣のような少女。


 接するうちにその少女に情が移り、次第に惹かれていくそんな不思議な存在。


 だからこそ、ハクアの姉や師匠が死んだ後もテア達は変わらずハクアの事を娘のように、妹のように見守っていた。


 そしてそれと同時に、様々な方法でハクアの延命も試みた。


 体を鍛えたのもその一環。


 知識を蓄え、様々な呪法、邪法にも手を広げ、あらゆる方法、道具を使いハクアを延命し続けた。


 その為、テア達は海外へ行くことが多く、それはあの日もそうだった。


 元女神である自分達が必死になって延命していたハクアの命は、呆気なく電話一本で知らされる。


 目の前が真っ暗になり、しばらく立ち上がる事さえ出来なかった。


 自身の中の喪失感がここまで大きくなるなど、想像もしていなかった。


 それでもなんとか家へと辿り着いたテアに待っていたのは更なる訃報。


 ハクアが死に、澪が消え、瑠璃は存在が無かった事にされていた。


 信じたくないという恐怖。


 何よりも守りたいと思っていた少女達が、全て手のひらから零れ落ちた現実。


 澪と瑠璃の消え方から、何処か別の世界へと連れ去られた事はわかったが、それが何処の世界なのか分からない。


 数多ある世界の中で目的の人物を探すなど、海の中から流れ落ちた個人の涙を抽出するようなものだ。


 絶望が体を、心をどす黒く支配する。


「───白亜さんなら」


 しかし、その瞬間思い至った突拍子もない仮説。


 本来なら有り得ない。


 だが、テアの知る士道白亜という少女ならその可能性は僅かにある。


 逸る気持ちを抑えながら、合流した心とハクアの事故現場へと向かう。


 そして見付けた痕跡。


 澪の家には女神の力の痕跡がうっすらと漂っていただけだった。


 だが、ハクアの事故現場にはその力がより強くハッキリと残っていた。


 そして更には妙な・・力の痕跡も。


 気になる事は幾つかあったが、それよりも重要なのはハクア達の事、ここまで強く女神の力が残っていれば、その力の痕跡から世界を辿る事が出来る。


 それが古巣なら尚の事。


 そして士道白亜が死後、魂を異世界へと連れていかれたなら、その魂に惹かれ澪と瑠璃も同じ世界へと行った可能性がある。


 本来ならその可能性は限りなくゼロに近しい。


 だが───自分達の知る士道白亜という少女ならその可能性は高い。


 こうして懐かしのアースガルドへとやって来たテア達、異世界でも変わることなく、いつものように三人で騒ぐ姿に冗談交じりに言ったが、思わず泣きそうになったのは本当の事だ。


 だがハクアの問題はこの異世界でも、いや───この世界だからこそより深刻になっていた。


 強さを持つ魂に付随する過酷な運命。


 ハクアから聞いた転生後からこれまでの話は、正直、何故生きているのか不思議なほどの過酷さ。


 更にはその過酷な運命を乗り越えた事で身に付けた力が、更にハクアの身体を苦しめていたのだ。


 そしてそれと同時にハクアに起こったいくつかの出来事も合点がいった。


 まず一つ。


 アクアの存在。


 シルフィンが過去ハクアに語った事も正解なのだが、正確に言えばそれもハクアの魂の力が強すぎたせいだ。


 強すぎる魂が、人間よりも弱いゴブリンとして転生する事になった。しかしそのまま生まれれば弱いゴブリンの体では生まれてすぐに死んでしまう。


 そのためハクアが自身を確立させ、ギリギリ行動出来る魂が留まり、そこから溢れた余剰分の魂が、通常転生した者に呑まれるはずのゴブリンの魂と融合した。


 そしてその結果、ゴブリンよりも進化度合いの低いミニゴブリンとして、ハクアとアクアが二人で生まれる事になったのだ。


 そして二つ目の出来事。


 ハクアが何故ミニゴブリンに転生したのか?


 これも一つ目と同じような理由だ。


 魂も体と同じように成長する。


 元の世界で成長してから死んだハクアの魂は、この世界でゼロから生まれる体には、恐らくだが強すぎたのだ。


 そのため、最も進化が早い種族であるゴブリン種として生まれ変わった。


 そしてより高次なゴブリンの進化種に生まれず、ただのゴブリンだったのも同じ理由。


 魂に適合させるため、より進化を重ね適合する体に作り替える必要があったのだ。


 もしもこれが他の種族、特に人間なら数年は赤子として過ごし、早くても自由に動き回れるようになるまで数年を要する。


 ゴブリン以外の種だとしても一週間は掛かり、進化も一ヶ月で行うのは至難の業だっただろう。


 その点、ゴブリン種なら生まれて数時間で行動を始める、ある種異常な種族なので都合が良かった。


 そして最後、ハクアのスキルだ。


 持ち主であるハクアをも騙そうとするスキル。


 しかしこれもある種のセーフティーのようなもの。


 特に顕著な【智慧】スキルなど、初期のミニゴブリンの時に使えばその瞬間、頭が破裂していてもおかしくない。


 再会した直後に見たハクアのスキルに不審なものを感じたが、元女神であるテア達すら全てを知る事が出来なかったそれは、ハクアの魂に影響を受け、今どれほど変化しているのかも分からない。


 しかしハクアが気が付くか、強くなるまで姿を現そうとしない所を見ると、セーフティー機能は一応まともに働いているのだろう。……多分?


 そこまで考えて改めて目を回しているハクアに視線を移す。


 その顔はハクアを優しく見詰めている。


「白亜さんが回復したら、また次の修行を考えないといけませんね」


「ふふっ、そうですね」


「うわっ!? ハクア!?」


 その言葉を聞いた瞬間、聞こえていないはずのハクアが口から泡を吐いて痙攣を始めた。


 意識を失っても素晴らしい危機察知能力である(回避能力は極めて低い)


 しかしそれすらも二人にとっては可愛らしいものであった。

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