第489話嗤う
ステータス差。
それは絶対的な物ではないにしろ脅威の一言に尽きる。まして相手の技も常軌を逸しているともなれば尚更だ。
故にハクアは自分から攻める事は諦め、徹底的な防御……特に回避と受け流しに重点を置く事にした。
だが、防御ばかりではジリ貧に陥り惨殺される未来しかない。だかこそハクアの取りうる手段は酷くシンプルな形、カウンターに落ち着いた。
相手の動きを見切り、安全を十分確保した針の穴を通すような、最小の隙を狙いすます攻撃。
しかしそれとて踏み込みの浅さから最小のダメージしか打ち込めずにいた。
「ガァッ!」
振り下ろされる刀を横から弾き軌道を変える。
だが地面に向かって突き進む刀は地面に当たる直前で跳ね上がり、ハクアの首を両断せんと振るわれる。
だがハクアも慌てる事なく、その攻撃も下からの掌底で軌道を逸らし、肘の関節を狙い一撃を打ち込むとその場を飛び退る。
──が、血戦鬼もそれに素早く反応すると、まるで磁石によって引き寄せられるかのように追従して、ハクアへと斬撃を繰り出す見舞う。
逃げる事は不利と断じたハクアは、足を止めて回避に全神経を注ぎ集中する事で、無数に繰り出される斬撃を紙一重で避け続ける。
それがどうにも腑に落ちないのが血戦鬼だ。
何故この女はまだ生きている?
その問いが、生を受けてまだ数分と経っていない血戦鬼の頭の中で繰り返され続ける。
受肉と共に意思が生まれたのこそ数分前だが、そこまでに経験した数多の獲物の命を屠った経験が、この女はもう死んでいないとおかしいと警鐘を鳴らすのだ。
速度こそ同程度なものの、力を含めた全てにおいてこの身は上回る。
防御力に至っては紙くずも同然だとわかっている。
だからこそ確信出来るのは、例え防御した状態であろうとも、一撃さえ入れば殺せるということだ。
だがその一撃が入らない。
今も横に振り抜いた刀を逆薙に振るうが、完全に意表を突いたはずの一撃も、ハクアは顔を少し逸らしただけで、頬に赤い線を残す程度の傷しか負わない。
先程からこの繰り返しだ。
肌を浅く裂く事は出来る。しかし後数ミリという距離が届かない。
するりするりと実体の無い陽炎のように、すり抜けているのではと思うほど避けるのだ。
「ハッ」
そしてこの顔だ。
攻撃を繰り出す度に多少の傷を負う。
現にハクアは既に身体中から少量の血液が流れ出している。
避ける度に血と汗が飛び散り、その度に避け切れなかった攻撃に肌を切り裂かれる。
だが、それでも目の前の女……ハクアは嗤うのだ。
壮絶に酷く愉快そうに顔を歪ませ嗤う。
傷を負うのを楽しむように。
命を刈り取られる瞬間を楽しむように。
血と汗を跳び散らせながら踊り狂うその姿に、血戦鬼は少しづつ何かに囚われていく感覚を得る。
しつこく、粘つくように、徐々に徐々に自分の身体をゆっくりと縛り付け、呑み込んでいく。
「オォォォォオオォォッ!!」
その得体の知れない感覚を振り払うように雄叫びを上げた血戦鬼は、更に攻撃を激しいものへと変えてゆく。
もしもその感情について答える者が居たのなら、それは恐怖だと誰もが言うだろう。
だが、生まれ落ちたばかりの血戦鬼はそれを知らない。
知らず恐怖に囚われていく血戦鬼は、蜘蛛の糸に捕まった獲物のように、ゆっくりと恐怖という糸に身体を絡め取られていく。
そんな血戦鬼の感情の推移など知る由もないハクアの内情もまた、血戦鬼の予想だにしないほど追い込まれていた。
「クッ……」
攻撃を避け続けるハクアが苦しそうに呻く。
それもそうだろう。
先程からハクアを襲う攻撃は全くと言っていいほど絶え間なく続いている。それは文字通り息付く暇もないほどだ。
常人ならとっくに酸欠に陥っていてもおかしくないほどの運動量を、ハクアは常に死の恐怖と痛みに耐えながら強いられているのだ。
刀による切り傷で傷付いたハクアの肌は、鬼の特性である【破壊】の阻害効果でこの戦闘中に回復は望めない。
酸欠になってもおかしくない運動量と、回復出来ない小さな出血は確実にハクアを追い込んでいる。
だが、それでもハクアは止まらない。
いや、それどころか当初は刀が振るわれる度に傷付いていたハクアだったが、段々とその速度と防御の精度を上げ、傷付く回数が確実に減っていた。
それを可能にしているのは鬼神の祝福、そして何よりも
呼龍法は巨大な身体を持つドラゴンの呼吸法だ。
それ故にマナを効率良く集めるだけではなく、副次的な効果として、人間のような小型の種族が使えば、少量の空気で活動を持続させる効果を持っている。
そして龍歩による複雑なステップは、生まれたばかりの血戦鬼には到底見切る事が出来ないほどに複雑だ。
数十からなる複雑なステップは、それを一つ二つと組み合わせいく事で、その中の数種しか扱わない若いドラゴンとは違い、無限にも等しい複雑なものに変貌する。
当初こそいきなり上昇した身体能力の全てを使いこなせず、ステップ、呼吸もばらばらであったが、極限の集中状態は、ハクアの中でこれらのものを急激に完成へと近付けてく。
恐らくこの中のどれか一つでもピースが揃わなければ、あるいはハクアはアッサリと負けていたかも知れない。
だが、ハクアの中で形になりつつあるものは、その攻撃を避け、受け流し、カウンターを入れる度に明確にハクアの成長へと繋がっていった。
「グッオッ!」
その事がハクアが踏み込めなかった半歩の距離を埋める。
一瞬の間隙を縫い、空いた脇腹にハクアの拳が突き刺さり、戦いが始まって初めて血戦鬼がその一撃に呻き声をあげる。
そこで調子に乗るハクアではない。
絶好の追撃の機会ではあったが、空気が変わった事を素早く察知し大きくバックステップを入れる。
直後ハクアの居た位置に無数の斬撃が走り、もしも追撃をかけていれば死んでいた事になる。
だが、ここでハクアの想定していなかった事態が起こる。
先程までのようにハクアを追いかけて来ると思っていた血戦鬼が、何故かピクリとも動かないのだ。
なんだ?
そう思いながら、酸欠になりかかっていた身体に新鮮な空気を取り込み、即座に事態に対処出来るよう準備する。
「グ……オオォォオォォァオオオアアォ!!」
「マジかよ……」
魔力が渦巻き、場に満ちる力を血戦鬼が猛る雄叫びを上げながら、口の中へと吸い込んでいく。
そう。
血戦鬼は感じたのだ。
目の前の女を殺すにはまだ
そしてその思考の行き着いた先は酷くシンプルなものだ。
即ち……
この場に満ちる全ての力を再び喰らえばいい……と。
通常ならばこんな方法は上手く行かなかっただろう。
だが、ここはダンジョンの最下層のボス部屋。
通常よりも強い力が満ちた場所であり、加えて鬼神の介入があった事で、神の力も満ちている。
そして本能で心の底から力を欲した事で、本来消え去るはずだった、未だに身体の中に燻っていた進化に使われなかったエネルギーと、この場に満ちる全ての吸い込んだ力が結合してしまった。
その結果、血戦鬼はその力の全てを自身の身体に
頭が冴え渡る。
思考が次々に生まれる。
そこで理解した。
ああ、自分はまだ生まれた気でいただけだったのだと。
知性を手に入れた気がしていた。
最強の力を持った気がしていた。
その全てがただの
血戦鬼は目の前の獲物……いや、敵を見る。
取るに足らない。しかし、何か得体の知れない力を持つ鬼を……。
今ここに、血戦鬼はようやくハクアの事を敵として定めた。
「いやいや……第三段階とか聞いてないんですけど……」
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