第488話歓喜の咆哮

 油断なく構えるハクアの前、鎧武者は泰然とした姿で立つ。その姿に一切の隙を見い出せないハクアは、内心で歯噛みしながら対峙する。


 しかし次の瞬間、対峙する鎧武者の纏う空気がガラリと変わり、ハクアは本能的に距離を取った。


「グッゴォガァァガァァァァ!!」


 空気を震わせる咆哮と共に、鎧武者からオーラが溢れ出し、黒い雷を纏ったように体から光を放つ。


 一見無防備に見える状況、しかしハクアは自身の回復に努め何が起きても対処出来るように努める。


 その間にも事態は変化し続ける。


 まず最初に起きた変化は肉だ。


 今まで何も無い空気が鎧を纏うように中に浮かんでいたが、そこに肉が生まれる。その肉は芋虫の集合体のようにモゾモゾと膨れ、鎧を中から外へと膨れ上がらせていく。


「グォォォアオォ!!」


 それは歓喜の咆哮。


 今まで地獄門の装備を不運にも手に入れてしまった、幾多の者を屠った鎧武者。だが、いくらその命を屠ろうとも、それはただ繰り返されるだけの行為でしかなかった。


 だが、それが今日、今この場で変化した。


 鬼神により与えられた力は、鎧である自身に自我を与えた。それに留まらず今、自身という核を元にこの世に受肉する。


 それはなんと甘美な事か。


 次第に完成されていく自身の肉体。


 数多の命を屠った経験が今この瞬間、血肉へと変化していく。


 内に溢れるように生み出される肉は、次第に鎧をも呑み込んで膨れ上がる。


 自身を包み込む全能感と多幸感を得ながら、膨れ上がる力を押さえ付ける事なく解放する。


「ガァァァアァァァ!!」


 変化の時が終わり、一際激しい光が黒い雷光となって迸り、鎧武者……いいや、新たにこの世へと顕現した血戦鬼けっせんきへと生まれ変わった姿があった。


 四肢はハクアの胴程も太く、全身の筋肉ははち切れんばかりに盛り上がり、鋭い牙と爪は鋼鉄をも容易く破壊する鋭さを、額から伸びる双角からは黒い雷が迸る。


「ははっ、マジかぁ……」


 その姿を見たハクアは、難易度MAXで。などと軽く言ったことをちょっと後悔し始めているがもう遅い。


 そんなハクアに血戦鬼の意識が向く。


 ゾクリとするほどの濃密な殺気は、知らず身体を震え上がらせる。


 その目に映るのは愉悦だ。


 目の前に居る矮小な獲物。


 受肉したばかりの自身の力を試す哀れな、そして大事な遊び道具。


 だが、それ以上に目の前の獲物は絶対的な力の差を前に未だ抵抗の意思を持っている。それが何よりも面白い。


 その考えが血戦鬼の顔を酷く愉快そうに歪ませたその瞬間、一気に膨れ上がった殺気に反応したハクアが、勘に任せて全身を右に投げる。


 刹那、今まで居たその場を血戦鬼の体が通り抜ける。


「クッ!?」


 血戦鬼がすぐ真横を通り抜けた際の風圧に吹き飛ばされながら、もしも左に避けていたら衝突していたその事実。

 そしてそうなればそれだけで死んでいた事実に、心臓が早鐘を打つ。


 危険だ。逃げろ。と警鐘を鳴らす脳内の声を無理矢理押し留め、今にも爆発しそうな胸を押さえて深呼吸する。


 恐怖はセンサーだ。


 故に恐怖する事自体は良い。だが、それも過ぎれば体を縛り付ける鎖に変わる。


 今の攻撃は偶然助かったに過ぎない。

 ただの一撃が壁にぶつかる程の突進に変わったのは、変化した自分の身体にまだ感覚が追い付いていないからだ。それとてもう期待は出来ないだろう。


 しかも相手はまだスキルすら使用していない。


 それは相手の戦闘力がまだまだ跳ね上がる事に等しいのだ。


 この世界に転生して今まで何度も感じた死の恐怖。逃げる事も助けが来る事も無い最悪な状況が、ハクアの集中力を急速に引き上げる。


「【鬼珠】解放 変幻・酒呑童子」


 静かに呟いた言葉に【鬼珠】が反応しハクアを嵐が包み込む。

 嵐が静まると中から現れたのは一体の美しい鬼女。

 和装はより洗練され、動きやすさを追求したのか袖の無い陰陽師の狩衣のような形に変わり、下は袴をショートパンツのような短さに切りそろえられた物へと変化している。

 大袖、草摺くさずりは鬼神の祝福のお陰か、鬼の力が凝縮したような紅い物へと変化し、更に脛当すねあてが増え、肘までだった篭手は二の腕までの一体型へと変化し、よりハクアの戦闘に特化した形へと変貌していた。

 集中力の上昇と共に本人は無自覚に角が出現し、ハクアもまた戦闘状態に変化した。


 そして鬼は柏手と共に金剛こんごう修羅しゅら羅刹らせつ、そして鬼哭きこくの舞いを八秒で体現する。


 鬼は舞い、連ねて躍るは即ち【鬼神楽・舞】


 鬼の力を真に理解したハクアの【鬼神楽・舞】は真の演舞が解放された。

【鬼神楽・舞】とは、戦闘中に柏手と共に鬼の力を鬼門から解放し、舞い連ねる事で全てのデメリットを打ち消し、バフ効果を得る事が出来るのだ。


 ただしデメリットが本当に全て無くなった訳ではない。そしてそれこそがハクアが最初から切り札を切らなかった理由でもある。


 身体に掛かる凄まじい負担は、常に術者であるハクアの精神と魂に負担を与え続け、一度でも解除してしまえば、その後ハクアは丸一日、激痛と共に動く事は出来なくなり【鬼神楽・舞】も三日は再使用が出来なくなる。


 それ故にハクアは最初からこの手札を切る事が出来なかったが、想像以上の血戦鬼の力に、これから自分がやろうとする事と相性が悪いと知りながら、素早くこの手札を切る決断をした。


 だが、それを押してもその効果は凄まじいの一言なのも確かなのだ。


 ハクアの準備が調うのを待っていたかのように、土煙の中から血戦鬼が姿を現す。

 その姿は自分ですら把握出来ていなかった力に驚きながら、それ以上に自らの力に酔いしれているようにハクアの目に映った。


 それで良い。


 ハクアは思う。その感情の振れこそがハクアの求めたものだからだ。


 だが、それは同時に危険な賭けでもある。


 感情の振れは鬼神の言っていた通りプラスにもマイナスにも変わる。

 そしてそれは行動にこそ大きく現れる。


 感情があるからこそ良くも悪くも行動に雑味が出る。

 そこが狙いではあるが、同時にそれはハクアの命を脅かすものでもある。


 だがハクアはそこに勝機を見出した。


「はぁーー……」


 意識的に肺から空気を追い出し、深呼吸を繰り返して新鮮な空気で肺を満たし、身体に入った無駄な力を抜き緊張を解いてゆく。


 見据えるは強大な敵。


 視線が交錯した瞬間、先に動き出したのは血戦鬼の方だ。刀を水平に肩上まで持ち上げた、いわゆる霞の構えによる突撃。


 動いた。


 ハクアがそう感じた次の瞬間には、既に目の前まで刀が迫る。

 だが、眉間を刺し貫くように狙いすませたその一撃を、ハクアは腕を添わせ受け流すと、自身も同時に前に踏み込みながら回転する事で、血戦鬼の体当たりも避ける。


 ハクア同様、血戦鬼もまた自身の攻撃……いや、身体が少しでも当たれば、ハクアに大ダメージが通ると理解してるのだ。


 だがそれで終わる相手ではない。


 ハクアが刀も体当たりも避けた。それがわかった瞬間、血戦鬼は大地を踏み砕き急停止すると、その場で刀を横に振り抜きハクアの後を追う。


 しかしハクアもまたその行動は読んでいた。


 ハクアの姿は振り抜かれた刀の軌道上には既になく、無理矢理攻撃に繋げた事で空いた胴に軽く一当てすると、距離を取って既に攻撃圏内から逃れていた。


 鬼神の祝福と変身で引き上げた力と俊敏のお陰で、防御でなく受け流す事でなら、ステータスの増した血戦鬼について行ける。

 回避以外にも増えたその選択肢は、ハクアにとって値千金の価値がある。


「グオォォオァァア!」


 一連の結果に血戦鬼の怒りの咆哮が響き渡る。


 その想像以上の展開にハクアは喜ぶが、同時に予想通りの結果に内心で舌打ちする。


 血戦鬼が怒りに狂ってくれるのは良い。


 しかしそれ以上にあと半歩足らない。


 距離にして僅か数十センチ、その僅かな距離の踏み込みが足らないのだ。


 ただでさえ鬼の強固な肉体を持つ相手、しかもその肉体には地獄門の鎧が骨格として使われている。

 鎧状態でも攻撃が通るか分からないというのに、その上更に筋肉という鎧まで増えれば、いくらハクアの力が上がったとは言え、攻撃が通るか怪しい。


 しかし焦って最大の威力を発揮する位置まで切り込めば、その数十センチが仇となりハクアの身体は両断される。


 それがわかっているからこそ、ハクアはその距離を縮める事が出来ない。


 だが、戦いは始まったばかり。そしてハクアの企みもまた始まったばかりだ。


 狙うその一瞬、たった一度のその瞬間を掴み取る為、小鬼は虎視眈々とその牙を鋭く研ぎ始めた。

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